edogawa's diary on 2002-2003 season #13.
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■お知らせ:えーっと、木曜午前中までに書籍原稿約100枚、雑誌原稿1ページ分を書かねばならぬので、さすがにこんな日誌を書いている場合ではなくなりました。S社インターN氏とサッカーズY氏と私の運がよければ、次回の更新は木曜日(12/5)の午後になると思われます。んちゃ。(02.12.1)
……と思ったのだが、こうなると黙ってはいられない。中継はなかったが、ピアチェンツァ×ラツィオ(セリエ第11節)は2-0からシメオネ、クラウディオと来て、ロスタイムにコッラーディの逆転弾で2-3だ(そうだ)! なんで中継しないんだ! そんでもって上位陣が勝ち点落としてラツィオが単独首位だ! うりゃああああっ!(02.12.2)



12月1日(日)11:20 a.m.

 3曲目『さよなら色はブルー』と4曲目『正午の銀座線』については、すでに触れた。続く5曲目は、名曲『タイムカプセルの丘』を思わせるようなスローバラード『いつか僕が還る場所』である。前者は女性、後者は男性(僕)の一人称という違いはあるが、おそらく両者は同一世界内の人間を描いた一連の作品であろう。それはたとえば、さだまさしの『交響楽(シンフォニー)』と『主人公』が同一のアナザー・ワールドを舞台に描かれていたのと同じようなことである。何を熱心に語っているのだ私は。ともあれ、『いつか僕が還る場所』は誰の心にも沁み入るに違いない佳作である。「いつか僕が還る場所はあなただけ」と歌われる「僕」と「あなた」が何者でどういう関係なのかということは一切明らかにされないが、だからこそ、そこからは誰にでも身に覚えのある「僕」と「あなた」の濃密な関係性が立ち上がってくる。普遍的であるがゆえに、個々の具体的なセンチメンタリズムを喚起するのである。むろん、そんなことは文学が文学として成立するための基本条件なのではあるが、その文学性に揺るぎない説得力を与える矢野真紀の歌唱力はやはり見事と言うしかない。



11月30日(土)12:20 p.m.

 さて2曲目は、『1センチの夜明け』である。矢野真紀の新譜の話だ。この曲は何に似ているかというと、軽快なベースラインやボンゴだかコンガだかのノリも含めて、荒井由実の中央フリーウェイに似ている。あれ? 『14番目の月』のときって、もう松任谷だったっけか。まあ、どっちでもいいや。もっとも、似ているのはサウンドだけなのであって、「この道はまるで滑走路」などと無邪気に形容しつつ、右や左のビール工場やら競馬場やらを呑気に眺めていたユーミンに対して、矢野真紀は「とげだらけの景色さえもほんの少し優しく見えるんだ」とシニカルに呟く。それぞれバブル前とバブル後の世相を反映しているといえよう。すげー安直な比較論。ともあれ、カムトゥゲザー、中央フリーウェイと来て、3曲目にヘドバとダビデ風70年代歌謡ポップス(さよなら色はブルー)が来てしまうあたりが、このアルバムの凄いところだ。ここまで一貫性というものを排除するプロデューサーの手腕は実に侮れない。以下次号。

 きのうは午後から、国文学者でエッセイストのRB先生にインタビュー。引き出しが多くて頭の回転の早い著者は、こっちの質問意図を理解して話をどんどん広げてくれるから楽しい。雑談の折、多いときは月に15本の連載を抱えていると聞いて驚愕。1日おきに〆切が来るってことだ。ひええ。想像しただけで気を失いそうになる。そのペースで原稿を書くだけでも凄いが、書くためにはそれだけの(つまり月に15種類の!)ネタを仕入れなきゃいけないわけで、その時間をこしらえるセルフ・マネジメント能力が凄いと思った。こういう人のことを、プロの物書きというのであるなぁ。サッカーズY氏から急遽「来週水曜日までに1ページ」と頼まれたぐらいでうろたえているようじゃイカンです。



11月29日(金)10:00 a.m.

 当然、今日も朝から矢野真紀の新譜を聴いている。1曲目のタイトルナンバー『この世界に生きて』はカムトゥゲザー風ビートルズナンバーのニュアンスを含んだ(ほんとか?)やや取っつきにくい雰囲気ではあるが、何度も聴き込んでいるうちにクセになる味わい深さだ。以下次号。

 ゆうべは、ラ・コルーニャ×ユベントス(CL2次第1節)をビデオ観戦。われわれ夫婦のあいだでは、「柔道の古賀を馬面にするとカモラネージになる」ということで意見の一致をみたのだが、あなたはどう思いますか。どうも思わないですね。世間の風は冷たいなぁ。序盤に、いずれも左サイドからのクロスをトリスタンとマカーイが頭&右足で決めて、あれよあれよの2-0。先日のゴールで攻め上がり癖のついたテュラムの背後を突かれたってことでしょうか。しかしユーベも意地の反撃。前半にビリンデッリの山倉的意外性の一発(古い)で1点差に詰め寄ると、後半にはネドベドの粘着気質な左足で同点である。2-2のドロー。いいゲームでした。

 引き続き、ローマ×アーセナル(CL2次第1節)をビデオ観戦。ユーベがリアソールにいても不自然には感じないのだが、アーセナルがオリンピコにいると何故か違和感を覚える。似合わない。同じサッカーなのに、ジャンルが違う感じ。ぶりぶりぶりっ子系のアイドル歌手が刑務所の慰安コンサートに行ってしまったような感じ、とでも言えばいいだろうか。いいも悪いも意味がよくわからない。オリンピコを何だと思っているのか。まあ、この際そんなことはどうでもいいのであって、大事なのはアンリのハットトリックである。愉快痛快天網恢々疎にして漏らさず。だから意味がわからんっつうの。えらいなぁ、アンリ。先制ゴールで浮かれている三頭身ストライカー・カッサーノを子供扱い(子供なんだけど)するかのようなクールなパフォーマンスにシビれました。あと、あたかも天敵のごとく張りついてトッティを完封したシガンも、もんのすごくえらい。完璧に枠を捉えたトッティのシュートをギリギリでクリアするディフェンダーほど偉大な人間が、この世にいるだろうか。あれ一発でバロンドールをあげたいぐらいだ。1-3でローマの完敗。いや惨敗。ぶへへ。気分がいいです。ところで、アーセナルの第2GKはシャーマンではなくシャーバンだった。お詫びして訂正。誰も教えてくれないんだもんなー。世間の風はほんとうに冷たい。



11月28日(木)9:55 a.m.

 きのうの午後、てくてく歩いて吉祥寺タワーレコードへ行き、ファン待望のニューアルバム、矢野真紀『この世界に生きて』(東芝EMI)を購入。好きなアーティストの新譜を買って帰るときの気分は、旅の初日に駅や空港に向かうときの気分に似ている。LP時代のスペシャルな手応えがCDには無いのが少し寂しいけれど。大きいコトはいいコトだ。

 ジャケットは、マイクを前にした本人を真正面から撮ったモノクロ写真。真っ白な衣装に腰まである長い黒髪を垂らし、なぜか左手で顔を隠している姿は、ちょっと『リング』の貞子を思い出させてくれるオドロな感じである。ピントが本人ではなく手前のマイクに合っているあたりがミソなのかもしれないけど、ややインパクトに欠けるジャケットであることは否めない。LPサイズだったらあり得ないだろうな、これは。世のグラフィック・デザイナーたちにとって、LPのジャケットが姿を消したのは大きな損失だったのではないか、などと思った。せめて本の装幀というデザイン・フィールドが、電子出版に駆逐されて消え去らないことを祈りたい。

 そんなわけで外側にはやや不満が残るのだが、中身は当然いい。人が一生懸命に作ったものに対して「当然いい」という言い方もどうかと思うが、すでに私は「矢野真紀の歌声さえ入ってりゃ童謡集だってOKさ」の域に達しているのである。とりわけグッと来たのは、生ギターとエレピ(Rhodes)の伴奏による控え目で上品な小鉢風バラード『正午の銀座線』(4曲目)だ。トルコ戦翌日の青空を想起させる『さよなら色はブルー』(3曲目)の後に、

銀座線は今日も私に優しい
何の為に電車に乗ってるんだっけ
目的地は……
 などと歌われちまった日には、渋谷駅構内でトルコ戦のタイムアップを迎え、ラジオのイヤホンを外しながら虚ろな足取りで銀座線のホームに向かった、あの雨の午後のことを思い出さずにはいられないのだった。泣けてくる。

 ゆうべは、ミラン×レアル・マドリー(CL2次第1節)をビデオ観戦。来季から2次リーグは廃止されるそうだが、見る側にとってもそのほうがいいような気がした。1次リーグの終盤にあそこまで煮詰まった生きるか死ぬかの戦いを見た後に、また「様子見」のおっかなびっくりな試合を見させられると、ちょっとダルい。この黄金カードを見せて貰ってそんなことぬかすのは、贅沢以外の何物でもないですが。一流シェフが腕によりをかけた高級素材テンコ盛りの料理を翌日にチンして食ってるような感じのダービー明けマッチは、ルイコスタ&シェフチェンコの速攻一発で1-0。やっと出番を貰ったと思ったら途中で若造と交替させられてしまったモリエンテスが物哀しかった。



11月27日(水)10:45 a.m.

 紅白歌合戦、中島みゆきは初出場を決めたものの、残念ながら矢野真紀は出場を逃したようだ。惜しかったよなぁ。少なくとも、アルバニアがW杯出場を逃したのと同じ程度には惜しかった。J−POP界のアルバニアになってどうする。そんな矢野真紀のニューアルバム『この世界に生きて』は本日発売……であることを確認しようと思って矢野真紀サイトに行ったら、やおらタイプ3のエラーが発生してネスケがダウンしくさった。朝っぱらから倒れてんじゃないっつうの。うー。やっぱMac買い換えよっかなー。「年内に買い物をすると分割払い手数料が半分」とか何とかいうアメックスのお知らせが頭の中をぐるぐる駆けめぐっている。そんなことより、ネスケがダウンする寸前に「12/19にライブ決定」という文字が見えたような気がした。行きてー。

 きのうのピンクチーム×緑チーム(高井戸西SC紅白戦第11節)は、おびちゃんと愚妻が観戦。ビブスの色が変わったのである。それぞれにチーム名を決めさせた結果、この試合は「韓国×ブラジル」ということになったらしい。なんで日本じゃなくて韓国を選ぶのじゃ。強いからですね、きっと。それにしても、先生に「何にする?」と訊かれて「イングランド!」と答えた子もいたというから、W杯効果は侮れない。セガレは韓国(ピンク)の1番。意味がよくわからないが、先生からキャプテンに指名されたとか。ホン・ミョンボだ。公式戦が近いので、そういうことも含めて本番モードに切り替えているのだろう。Cマークは巻かなかったみたいだけど。キックオフ前にコイントスをしたのかどうかは知らない。試合後には両軍で握手もしたらしいが、列の先頭にいたキャプテンセガレは、どういうわけか味方の選手と握手をしてしまった模様。キャプテンシーは見事に空洞化していたわけである。ふがふが。試合のほうは、1-2で韓国の負け。これでセガレ所属チームは3連敗である。そろそろ監督更迭を考えてもいい時期だ。セガレはGK時に2セーブ、1失点。2つ止めたのはえらいが、なんか毎週失点してないかおまえ。おびちゃんの採点は5.5でした。

 フルハム×リバプール(プレミア約13週)を観戦。サバがハットトリックで3-2である。デイビスのミドルシュートが体に当たって入った2点目は、オフサイドおよびハンドであるようにも見えた。だが、アルゼンチンではオフサイドおよびハンドで決めるのが至上のゴールとされているらしいので、サバも嬉しかったことだろう。サバ本人よりも有名になった感のある例の女王様系黒マスクは、1つしか用意していなかった。ゴール裏最前列で見ていた日本人観客にプレゼントしてましたね。世の中には、貰っても困る物があるわけですが。ドン底リバプールのほうは、しかしハマンのFKゴールが圧巻だった。地を這うように飛んでいったボールがゴールの天井に突き刺さりそうになるんだから凄い。あのパワーをサッカーのためだけに使うのは、ちょっと勿体ないような気がした。もっと世のため人のために役立てられないものだろうか。



11月26日(火)10:20 a.m.

 幸いにも事前に結果を知ることなく、ラツィオ×モデナ(セリエ第11節)をビデオ観戦。昇格組とはいえ、相手は眼下の敵(5位)であるだけに不安が募る。「黄色い新参者」といえばキエーボを思い出さずにはいられないし。しかもモデナのGKはバロッタだ。99-00シーズンのラツィオ優勝が彼の支えによるものだったことを、世間は忘れても私は忘れない。シメオネのゴールでウノゼロ勝利を収めた終盤のユーベ戦、デルピのFKを左手一本で止めて勝ち点2をもぎ取ったのは彼だったのである。あのシーズン、コッパ・イタリア決勝の舞台に少ない髪をブルーに染めて登場したときが、バロッタのキャリアの中でももっとも輝かしい瞬間だったに違いない。

 昔話はこれぐらいにして、序盤はモデナのペースだった。なんか知らんが、10分ぐらい攻められっぱなしだった印象。だが、流れを変えたのはバロッタのフィードだった。彼は立て続けに2本のキックを、自陣にいるラツィオ選手の足元にパスしてしまったのである。このあたりから、試合はラツィオが制圧。先制ゴールはコッラーディである。ゴール前にふわりと浮いたハイボールを、どうやってジャンプしたのかよくわからない月面宙返りバイシクルでゲット。ラツィオが彼を獲得した意味がやっと理解できた。すごいストライカーじゃないかコッラーディ! さらにミハイロのCKをクラウディオがファーポストぎりぎりから頭で決めて前半は2-0。後半にも、まずはクラウディオのスルーパスを受けたセーザルが軽いフェイント一発でバロッタを芝生に寝そべらせる真空投げシュートで3-0。終盤にはコッラーディが頭で決めて4-0である。がはは。楽勝楽勝。強い強い。華麗な空中殺法炸裂で2ゴールのコッラーディには、テーマ曲として「スカイハイ」を進呈したいです。で、今朝の新聞で順位表を見たら、なんとラツィオは首位に1ポイント差の3位になっていた。うおお。ど、どうしよう。ついホンキになっちゃうじゃないかっ。

 バルセロナ×レアル・マドリー(リーガ第11節)はスコアレスドロー。ジダンもロナウドもイエロもルイス・エンリケもいないので、ちょっと華々しさと重量感に欠けるクラシコではあった。殺意だけは客席に充満していたが。ガラス瓶なんかグラウンドに投げ込んじゃいけません。あんなに中断しちゃったら、実況してる倉敷さんが気の毒じゃないか。話をつなぐのは大変なんだぞ。と言いながら、中断したところはスキップして見てしまいましたが。ごめんなさい。ともあれ、あれだけ物を投げられながらもCKから逃げなかったフィーゴの意地が、マドリーに勝ち点1をもたらしたっていう感じでしょうか。ガブリ(だったかな)のオフサイドで取り消されたクライファートのゴールは「セーフ」だったと思うけど。それも含めてサッカーだからしょうがない。



11月25日(月)12:30 p.m.

 タリラリランのコニャニャチハ。週末もずうっと働いていたので、今日は脳がちょっと腫れぼったい感じです。「腫れぼったい」と「ハリー・ポッター」は少しだけ似ていると、いま瞬間的に思いました。はらほれ。

 土曜日、私は『テニスの王子様』全15巻と格闘しながら原稿を書いていた。日曜日は、『神道のしきたりと心得』や『神社新報ブックス7 くらしと祭り百話』などを机に積んで原稿を書いていた。今日は、『名探偵コナン』第1巻を読みながら原稿の構想を練っている。そしてその合間には、お茶ズボ(略称)第2回の推敲作業だ。以上、担当者全員への言い訳はこれでおしまい。サボってはいないが、あなたの仕事をしているとは限らない、だけど忘れてないから安心してね、ってことかな。で、そんな私はいったい何屋さんなのか。われながら、よくわからないことになっているのだった。初対面の人に「ふだん、どんなものを書いてるんですかレレレのレ?」と質問されて、しばしば私が絶句するのもよくわかるというものである。この問いに簡潔かつ誠実に答えようとするならば、「いろいろな人に書けと言われたいろいろな原稿」と言うしかないではないか。まだまだだね。でも、それでいいのだ。賛成の反対なのだ。

 そんなわけで、まだバルサ×マドリー戦もラツィオ戦も見ていないのだった。結果を知りたくないので、新聞もろくに読んでいない。私が漫画や神道の世界に没入しているあいだに、世の中では何が起きているのだろうか。ともあれ、私に向かってバルサやラツィオの話をしないよう、大神等の広き厚き御恵を辱(かたじけな)み奉り、恐み恐みも白す(かしこみかしこみもまをす)次第である。



11月22日(金)10:25 a.m.

 誰とは言わないが、きのう、知り合いの編集者二人から立て続けに「アルゼンチン戦、スタンドで見てきました!」という楽しげなメールを受け取った。ちぇっ。いいなぁ。私が進まない原稿に苦悩しているあいだに、そんなことが許されていいのか! いいんです。私もテレビで見てたわけだし。朝までカラオケも歌ったし。しかし私も、サッカーを副業(?)にしたからには、取材と称して(黒チームや黄チーム以外の)試合を現場観戦したいもんだ。だけど、テレビで見てこその私だったりもするしな。実況と解説がないとワケわかりませーん。そんなわけで、お茶の間ライターの連載が始まった月刊『サッカーズ』1月号は本日発売。小野とソン・ジョングッとファンホイの三人が、コタツでテレビ見ながらおせち料理を突っついている表紙が目印です。なーんだ、彼らもお茶の間か。念のため言っておくが、写真じゃないからね。当たり前だけど、イラストだ。さらに念のため言っておくと、深川のコラムは前から探していくとたいへん効率が悪いです。一つよろしく。

 アーセナル×トッテナム(プレミア約12週)をビデオ観戦。白熱のダービマッチ……になる予定だったのだが、早い時間にサイモン・デイビスとかいう選手が二枚目のイエローを喰らってトッテナムは10人。たしかアンリの50m独走ゴールでアーセナルが先制したのはその前だと思ったが、ともかく3-0の一方的なゲームだった。ゴール後のいけすかない自意識過剰パフォーマンスも蘇り、アンリは完全復活か。休まなくても大丈夫なんですね。「試合に出ながらコンディション調整」が真のプロってことなのかも。アーセナルはシーマンが欠場しており、代わりにシャーマンとかいう人がGKを務めていた。シーマンとシャーマンだ。どちらかというと、シーマンのほうがシャーマンっぽい風貌だと思えなくもない。ところでシャーマン(呪術師)といえばトルシエである。アイルランド代表監督の候補として名前が挙がっているようなことがどこかに書いてあった。テイストが違うような気がしてならない。



11月21日(木)12:20 p.m.

■ナセ「車検でお預かりしたお車のお届け、明日の午後でしたら何時でもよろしいのですが、ご都合はいかがでしょうか」
江戸川「(妻に確認して)3時までは在宅していますが、できれば昼過ぎの早い時間のほうがいいそうです」
ヤ■セ「あー、そうでいらっしゃいますか。えーと、ワタクシ、んーと、1時半に青山で1台引き取りがありますので、いったん営業所に戻ってからうかがうと、えーと、2時半ごろに出たとして、あー、たぶん3時ギリギリになってしまいますが、もしそれでご都合が悪ければ、そうですねぇ、たとえば夜の……」
江戸川「あ〜〜〜〜〜、もう、わかったわかった。いいよ、3時ギリギリで」

 いったい何を言ってるんでしょうか、このスットコドッコイは。ぜんぜん、「午後でしたら何時でも」よくはないのである。なぜ最初から「午後3時以降なら何時でも」と言わぬのじゃ。ひょっとして「午後」が何時から始まるのか知らんの? このヤナ■の営業マン、以前から、退社した前任者からの引き継ぎ不十分、情報提供の遅滞および不徹底、不在時の伝言ミスによる電話連絡の二度手間、アフターケアに不熱心、私に買えるはずのないアウディの新車を売ることしか念頭にない、顔および声が暗い、などの感心できない点が多々あり、夫婦そろってアタマに来ていたのである。しかし、まあ、ここまで「営業ができない奴」の条件を見事に兼ね備えていると、いっそ清々しいのだった。世の中でもっとも自分に不向きな職種を選んでしまったとしか思えない。こういう人はね、あんまり人に会ったり電話したり1日にアポが何件もあったりモノを売ったりしない仕事(例:マンションの管理人、ビルの警備員、ゴーストライター等)をしたほうがいいと思います。

 きのうは、日本×アルゼンチン(キリン何とかかんとか)をライブ観戦。クラウディオ、ソリン、クレスポ、ベーロン、アルメイダと、アルゼンチンはフィールドプレイヤーの半分が新旧ラツィオ関係者であった。よって、ソリンの先制ゴールが決まった瞬間に思わず小さなガッツポーズをしてしまったことを、私はここで告白しておく。クレスポのクロスを決め損ねたクラウディオのことを、つい「あ、バカバカ」と罵ったことも告白しておく。クレスポの2点目も、ちょっぴり嬉しかった。嗚呼、私ってば何て正直な非国民なんだろう。誰か叱ってください。ま、サビオラが登場したときの歓声も中山登場時と遜色ないぐらい大きかったから、私だけじゃないみたいだけどね。こういう舶来品志向と国内サッカー文化の関係性は、けっこう考慮に値する大きな問題であるなぁ。でも私だって、ワールドカップでアルゼンチンと対戦したらそんな見方はしないわけで、まあ、娯楽は娯楽、勝負は勝負と区別して楽しめるぐらい日本人はアタマが器用で柔軟なのだ、ということにしておきましょう。とりあえず。なんとなく、それが高度なお笑い文化や漫画文化の源泉になっているような気もする。ともあれ、日本にも惜しい場面がいくつかあって、いいゲームだった。高原には、1点決めさせてやりたかったよなー。あと、いまさらテレ朝の中継に文句つけてもしょうがないんだけど、「この選手(キロガ)はポルトガルのクラブチームに所属しています」は無いんじゃないかと思った。そこまで紹介するなら、クラブ名も教えてください。ほかの選手は「イタリアのラツィオで」とか言ってるわけだし。

 引き続き、ベティス×セルタ(リーガ第10節)をビデオ観戦。なんか知らんが、180分もカバジェーロ(アルゼンチン&セルタのGK)の出場試合を見る結果になった。なのに、どんな顔をしていたのか思い出せない。地味な人だ。試合は、2-1でベティスの逆転勝利。故障から復帰のアルフォンソが、途中出場でいきなり同点ゴールを決めてみせたのが感動的だった。足元に深く入ってしまったボールを、難しい体勢から瞬時の判断で迅速にシュート。ストライカーとしての意地と執念を感じた。男だねぇ。

 前ページでは多数の祝電を頂戴し、どうもありがとうございました。行間に「しょうがねぇなー。ま、つきあってやっか」というニュアンスが溢れていて、とっても嬉しかったです。勝手に掲載しちゃって、「そんなつもりじゃ……」という方もいらっしゃったようですが、どうかご勘弁を。今後とも、よろしくお願い申し上げます。



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