fukagawa's edogawa diary 04-05 #05.
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2004.09.28.Tue. 15: 15 p.m.
BGM : BOSTON "幻想飛行"

 昨夜は、千歳発21時20分のANAで出張から帰還。北海道は寒かった。飛行機に乗ったころの千歳の気温は12度だ。昼間は陽が射せばポカポカしているけれど、もう冬がそこまで来ている。2日間びっしりと饒舌な著者のレクチャーを浴びて、くたくた。しかし温泉関係の企画であることもあって、3ヶ所で温泉に浸かれたのは望外の幸運であった。「幸運」ってたいがい望外のもんだけど。初日は取材の合間に定山渓の豊平峡温泉で休憩、夜は同じ定山渓の宿ふる川で一泊。翌日は取材終了後、千歳に向かう前に支笏湖畔の丸駒に立ち寄り、湯だけ使わせてもらう。温泉三昧ではないが、温泉三味ではあった。とくに丸駒の展望露天風呂から眺めた月下の支笏湖は極上の一品。いつか必ずプライベートで泊まってみたい宿である。

 今朝、愚妻が録画しておいてくれたラツィオ×ミラン(セリエ第4節)をビデオ観戦。どうしてミランには勝てないんだろう。コウトの2試合連続ゴール(!)で先制し、アンブロジーニ退場で数的有利になったにもかかわらず、70分、74分にシェフチェンコの連続ゴールを浴びて1-2である。何が腹立たしいって、パンカロが投入されるやいなや5分間で逆転されたことが腹立たしい。しかもパンカロはとりたてて何もしていなかったのに、である。パンカロおそるべし。やはり、相変わらずへなちょこクロスに終始していたオッドよりも上なのか。意外にチームになっているラツィオだが、フィニッシャーが頼りないのが難点。下には早く見切りをつけたほうがいいのではないか。ネスタの指に噛みついてたし。サッカー選手が敵に噛みつくのを初めて見た。おまえはハンニバル・レクターか。とにかく危ないです、あの人は。パンツの中に凶器とか隠してないかどうか調べたほうがいいと思う。新戦力では、バルセロナから来たオスカル・ロペスという月並みな名前の左サイドバックが気に入った。なぜなら、スローインのフォームが美しいからだ。以前から「スローインをきれいに投げる選手」を探していたのだが、彼は世界でも屈指の投げ手かもしれない。ボールの軌道もいい感じ。そういう問題ではないのだが。

 出張前の土曜日夜に観たミドルズブラ×チェルシー(プレミア第7節)は、終盤にセットプレイからドログバが決めて0-1。チェルシーが大量点を取ってしまうと、直前に書き上げた原稿が台無しになりかねなかったので安心した。しかしドログバは「6試合でわずか1ゴール」が「7試合で2ゴール」になってしまったので、少し原稿に手を入れて編集部に送信。月刊誌で「今」を語るのはなかなか難しいのである。これから発売日まで、チェルシーにはイチゼロで勝ち星を積み重ねてもらいたい。そういう問題ではないのだが。




2004.09.25.Sat. 22: 00 p.m.
BGM : はっぴいえんど "はっぴいえんど"

 10時半起床。昨夜のうちに7割方まで書いてあったプレミアシップマガジンの原稿を仕上げるべく、朝食をとる時間も惜しんで仕事場へ。6000字(400字換算15枚)というのは慣れない分量だったので距離感がうまくつかめなかったが、なんとか書き上げて編集部に送稿。明日と明後日の出張で使うカセットテープと乾電池を隣のスーパーの100円ショップで買う。ついでにゴミ袋を買って、仕事場に溜まっていたゴミを捨てた。

 取材する著者の著書が書庫にあるはずなので探したが、どうしても見つからない。しかし目を通しておいたほうがいいので、吉祥寺リブロ(パルコの地下)に行き、探していたものは後で見つかる可能性があるので、同じ著者の別の著書を2冊購入。リブロに人が大勢いたので何かと思ったら、辛酸なめ子さんのサイン会をやっていた。辛酸なめ子さんはキョトンとした感じの女性だった。

 さらにTSUTAYAに寄って、借りていたガンズ、ジョニ・ミッチェル、ライ・クーダー、ジェネシスを返却し、新たにジャーニー、ラッシュ、はっぴいえんど、フリートウッド・マックを借りて帰宅。愚妻がクラスの先生およびお母さん方との懇親会に出かけたので、セガレと2人で夕食をとる。妻が用意しておいてくれたハヤシライス。うまかった。食後、テレビでIQサプリとか何とかいう番組をセガレと一緒に見る。8本のマッチ棒で合同な三角形を8つ作る方法がわかった。

 9時に愚妻が帰宅。9時半にセガレが就寝。いまテレビにはチェルシーとミドルスブラの試合が映っている。生中継を追っかけ気味に観戦。この7試合目のリーグ戦が、過去6試合を踏まえて書いた原稿と矛盾しない展開になってくれるといいのだが。明日は羽田発8時の飛行機で札幌へ。早起きが憂鬱だ。というわけで、いつになく普通の日記を書いてみた。普通の日記は簡単だ。




2004.09.24.Fri. 11: 00 a.m.
BGM : RY COODER " INTO THE PURPLE VALLEY "

 暑さ寒さも彼岸までなのである。昔の人はうまいことを言ったものだ。もっとも、昔の人がみんな言葉巧みだったわけはなく、どんな時代にもワケのわからないことを言う人はいたはずで、きっと「ホレたハレたも彼岸まで」とか「滑った転んだも彼岸まで」とか「彼岸までに100枚書けよこの野郎」などと無茶なことを口走る者もいただろうと思われるが、そういう言葉は環境に適応せず自然淘汰されたのだった。だから言葉は「生き物」なのである。進歩はしないが進化はする。ならば現代人だって適者生存する言葉を吐けるわけで、できることなら私も「うまいことを言った昔の人」になりたい。

 というような話はともかく、彼岸を過ぎたら涼しかった。トンネルを抜けると雪国だった、に少し似ている。トンネルと彼岸にはあまり関係がないが、雪国といえば北海道だ。日曜日に北海道へ出張するのだが、向こうはどんなふうなんだろうか。新聞によれば、札幌の最高気温は20度だ。20度ってどんな気温なのかよくわからない。私の生まれた旭川は零下40度を記録したことがあるらしく、それに比べれば暖かいに違いないが、なにしろ北海道のことだから霜柱ぐらいできてたって不思議ではなかろう。セーターとかマフラーとか持ってったほうがいいだろうか。などと考えていてもわからないので、ためしにエアコンの温度を20度に設定してみたのだが、これは寒いです。さすが北海道。とてもじゃないが半袖では耐えられない。出発までに、押入からダウンジャケットを出しておかなければ。北海道の読者に「ここはシベリアじゃねぇ」と叱られそうなことを書いてしまった(シベリアの読者にも叱られるかもしれない)。

 編集部から宅配便で『わしズム Vol.12』が届いた。なんと宮台真司センセー登場!である。フトコロが深いなぁ。さて、最初から人気の低い私のコラムはますます人気低落気味で正直ピンチなのだが、今回は面白い。何が面白いって、イラストレーションが面白い。ページを開けるなり笑った。そのページの中でいちばん面白いのがイラストだというのもモンダイといえばモンダイだが、それも含めてコラムというものである。いつも楽しいイラストを描いてくださっている平松昭子さんは、週刊文春の林真理子のエッセイでも挿絵を描いてらっしゃる売れっ子で、面識はないが日頃から深く感謝申し上げているのです。末永く平松さんの絵を楽しむためにも、がんばらなければ。

 ミッドウィークにセリエが開催された。チーム数が増えたので大変なのであろう。中継はなかったが、ラツィオは2-0でブレシアを下したらしい。今季もアウェイで強いのか。先制点は新加入のロッキ、前半ロスタイムの2点目はどうしたことかフェルナンド・コウトである。ウソかもしれないが、スカパー!の結果速報にはそう書いてあった。うひゃひゃ。いつものことながら、日本で放送されない試合にかぎってゴールを決める人だ。しかし、もっと驚くべきは順位である。2位だ。2位だぞオイ。予想だにしなかったロケットスタートである。あー。セリエでも合併騒動とか起きないかなー。だって、ほら、次節からストに突入すれば、このままCL出場権ゲットじゃないですか。合併で消えるのがラツィオだと話にならんけども。という与太話はこれぐらいにして、今日はラツィオではなくチェルシーのことを考えなければいけない。プレミアシップマガジンの編集部から、今季のチェルシーについて6000字の原稿を書くよう命じられたからである。わーお。




2004.09.23.Thu. 15: 50 p.m.
BGM : GUNS N' ROSES " APPETITE FOR DESTRUCTION "

 はじめて聴くガンズのサウンドに胸を躍らせつつも、ふと湧き上がる破壊衝動はぐっと堪えながら、地道に時事キーワード解説200本ノックをこなしている。もっとも、このファーストアルバムを聴くかぎり、破壊力は同じ時期(80年代後半)のエアロスミスのほうが勝っているように思うが。ガンズ・アンド・ローゼスは、若いわりにお行儀がよろしい。カッコイイし、こんなふうにギターが弾けたらいいなとは思うけど、2作目以降を聴きたいという欲求が起こらないのはなぜだろうか。単に私が「ロックに慣れた」ということかもしれないけれど。

 ところで、いま書いているキーワード解説は、時事問題を扱うわりかし有名なイヤーブックに巻末資料として掲載されるものだ。編集部から五月雨式に投下される資料をコツコツと200字の原稿に変換していく様は、まさに高校球児のひたむきさ。自分で「ひたむき」って言っちゃいけませんが。駒大苫小牧に負けないようにがんばるぞぉ。もういっちょお〜、もういっちょお〜。などと気合いを入れつつずいぶん書いたので、そろそろ折り返したのではないかと思って勘定してみたら、まだ70本ぐらいしか終わってなくてガッカリした。しかし、ライターにあるまじきレベルの世間知らずである私にとって、この仕事はたいへん勉強になるんである。資料を読みながら「へぇ」の連発だ。何がどう勉強になったかを書くと「そんなことも知らなかったのかおまえは」と笑われそうなので書かないが、時事キーワード解説は読むよりも書くほうがはるかに身につくということがわかった。新聞の隅でときどき見かけるキーワード解説は、ものすごく多くのことを端折っているからである。その気になりゃ一つのキーワードで本が一冊書けるぐらいなもんだから、当たり前だけどね。それを無理やり200字にまとめていると、「ここ端折りたくないんだけどなぁ」と、ひどく欲求不満になるのだった。

 しかしまあ、世の中にはいろんな時事モンダイがあるものだ。しかも大半のモンダイは「イエスかノーか」「右か左か」「行こか戻ろか」といった二者択一を迫られているのであって、たとえば「電力の自由化」「ICタグの導入」「諫早湾の干拓事業」の3つだけ考えたって、イエス・ノーの組み合わせは8通りある。ややこしいのである。つまり、仮に200の時事問題があるとすれば、2の200乗分の選択肢がこの社会にはあるってことではないのか。いくつだよ2の200乗って。わかんないけど、きっと日本の人口より多いよな。人口よりもたくさんある選択肢を二大政党を選ぶことで収拾しようというのだから、議会制民主主義って絶望的だ。

 しかし絶望していてもしょうがないので草の根から声を上げておくと、私は電力の自由化(2007年以降に一般家庭を含めた完全自由化が検討される予定)には反対したい。なぜなら面倒臭いから。電力会社の説明下手な姉ちゃんや兄ちゃんたちから何度も何度も「マイラインのご登録はお済みですか?」って電話がかかってくるぐらいなら、欧米より高い電気代を払っていたほうがマシじゃ。おまけに、さんざん迷って選んだ挙げ句に比較検討していた電力会社が合併しちゃったりなんかしたら踏んだり蹴ったりである。でも、そのうち「音響機器専門の電力会社」とか出てくるんだろうか。オーディオやギターの音が良くなるなら、それはそれで結構なことかもしれん。




2004.09.22.Wed. 17: 10 p.m.
BGM : ERIC CLAPTON " ERIC CLAPTON "

 1970年に発表された、エリック・クラプトンの最初のソロアルバムである。私は6月にクラプトンをまとめて聴き、その感想は7月7日の日誌に書いたが、これはまだ聴いていなかった。で、聴いてみると……というかジャケットを手にした時点で、クラプトンはやはり「ダメなのに凄い人」だという印象が深まったのである。なにしろ最初のソロアルバムであるというのに、ジャケットの写真に漂っているのは「意気込み」ではなく「脱力感」だ。面倒臭そうな表情には明らかに「やる気のなさ」が滲み出ている。座り方も相当ひどい。その、人をバカにしたような無造作な脚の広げ方はなんだ。しかも、この写真ではわかりにくいかもしれないが、右手にはタバコを持っている。これは、ふつう、「不貞腐れている人」の座り方であろう。たぶん、警察に捕まって「フン、こんどは何年ブチ込むんじゃコラ」と開き直っている犯人も、取調室でこんな座り方をするに違いない。ダメな人だなぁ。

 さらにCDのケースを開くと、そこにはサザン系ロックに特有の集合写真があり、それは左のような写真である。程度の低いケータイで撮ったものなのでますますわかりにくいが、左端で一人だけ椅子に腰掛けているのがクラプトンだ。そんなにイヤなら帰っていいよ、とでも言いたくなるポジショニングである。好意的に見れば、「アメリカ南部の音楽に惹かれながらもそのメンタリティにうまく馴染めないで困惑しているイギリス人」の内面が表れていると思えなくもないが、それにしたって、おまえ、そういう態度はないだろう。みんなが誰のために集まってると思っているのだ。せめて目線ぐらいカメラに向けたってバチは当たらないんじゃないのか。

 と、お父さんは文句の一つも言いたくなるわけだが、しかしクラプトンという人はこういう人なんだろうと思う。「俺はまあどうでもいいからさ、みんなのいいようにしてよ」とか何とか言いながら、なんとなく浮いている人。なのに、みんなが彼のやりたいことを斟酌して世話を焼かずにはいられない人。そして結局はフロントに立って一身にスポットライトを浴びている人。実際このアルバムでクラプトンはあまり主導権を握っていなかったという話もあり、当初は「エリック・クラプトン・シングス」という企画モノっぽいタイトルになる予定もあったそうで、つまりは「ゲスト」的な立場に近かったのであろう。たぶん本人も、そんなに「ソロ」のミュージシャンとして強烈に主張したいものを持っていなかったんじゃなかろうか。ひょっとして、それ以降もずっと彼はお客さん気分で歌ったり弾いたりしてきたのではないか。一時期レゲエを取り入れたりしていたのも、自分の意思で選んだ手法だったのかどうか実に疑わしい。そんなふうに言いたくなるぐらい、私はクラプトンという人に、主体性とか自我とか自己決定とかそういう近代的な人間性みたいなもんを感じないのである。もしかしてポストモダンというやつなのかそれは。構造主義ギタリストなのか。「弾かされている」のか。言っていて意味がよくわからないが、そんなことであるにも関わらず、出来上がった作品はまるっきりクラプトンの音楽になっているように響くのだった。不思議な人である。

 ゆうべは、バレンシア×ソシエダ(リーガ第3節)をビデオ観戦。ディヴァイオの2ゴールなどあって、バレンシアの3-1。イタリア人がバレンシアのスピードサッカーに対応できるのかと訝っていたが、ディヴァイオはわりとツボにはまったようで、ビシバシとシュートを撃ちまくっていた。とりわけビセンテの強烈な高速プレイスキックをヘッドで合わせたのは見事の一語だ。終盤にはコラーディも登場して、それなりにそれらしいプレイを披露していて嬉しかった。つまり相変わらず献身的だったということだ。しかし、一方のフィオーレは出番なし。そりゃあそうだろうと思うよな。あんなに速いサッカーやってるチームで、あんなに遅い奴の使い道があるとは思えないもんな。なんで獲ったんだろう。ものの弾み、ってやつかな。どうも「逆メンディエータ」になりそうな気がしてならない。ふと気づいたときにはブラックバーンあたりでウロウロしてるのかも。

 リーガ観戦後、スカパー!をつけたらデポルティボ×オリンピアコス(CL第1節)を放送しており、「どうでもいいやこんな試合」と思ってチャンネルを替えようとしたのだが、「リバウド〜」という倉敷さんの声を聞いて手が止まった。おお。そうかそうかそうだった。リバウドおるんやった。いやぁ、おぬしチャンピオンズリーグに出とるんか。よかったのぅ。というわけで久しぶりに見たリバウドは、すっかり老け込んだように見えた。ちょっとジャイアント馬場みたいだ。あぽあぽ。などと言いながら、ものの弾みで「馬場ウド」と書いてみると、これはいくら何でもひどい字面である。なにしろ「馬場」で「ウド」だ。しかし本当にウドっぽかったのは、同じ元バルサのジオバンニだった。ボールを止められないし、蹴れない。どうして出場しているのか皆目わからなかった。が、老いたブラジル人と朽ちたブラジル人を擁するオリンピアコスが意外に踏ん張ってスコアレスドロー。厄介なギリシャ、いまだ健在なり。




2004.09.21.Tue. 16: 50 p.m.
BGM : MAHAVISHNU ORCHESTRA " VISIONS OF THE EMERALD BEYOND "

 ゴーストで書く本の準備作業やら、時事キーワード解説200本ノックやら、仕事がいくつか重なって忙しく、なかなかこちらに手が回らない今日この頃。さらに週末には北海道出張が予定されており、その前後に締め切られる新規の雑誌原稿も頼まれそうなそうでもないような微妙なところだったり何かして、ふつうライターというのは日々こんな具合に仕事をこなしているのだろうとは思うものの、私は複数のことを同時にこなす能力が著しく欠けているので落ち着かず、しばしば思考停止状態に陥っているのであったが、しかしマハビシュヌ・オーケストラは面白いなぁ。面白いなぁ、と思うばかりでほかに言葉が出てこない。やはり思考停止しているのか。忙しいわりに3連休にもサッカーは5試合ほど観たわけだが、忙しいので全ての感想を書いている暇がない。ラツィオはレッジーナと1-1のドロー。ディカーニオの反対給付によって下がPKを決めたのはいいのだが、2試合で2得点はいずれもPKなのであって、攻撃のパターンが「下が倒れてPKをもらう」の1種類しかないのがモンダイだ。チェルシーのほうはトッテナムとスコアレスドロー。とても面白い試合だったが、つまらない試合のほうがゴールも勝ち点も稼げるというのがモンダイだ。モンダイだモンダイだ。「生きています」という以上のメッセージが見当たらない日誌になってしまった。




2004.09.17.Fri. 11: 55 a.m.
BGM : KANSAS " LEFTOVERTURE "

 きのうは15時からシギーと一緒に大手町のパレスホテルで元大物代議士とエコノミストの対談取材を終えたのち、神宮球場(信じられないかもしれないが右の写真がそれだ)でヤクルト×横浜を観戦。なに野球ばっか観てんだよ私。西武ドーム、東京ドーム、そして神宮と、この1ヶ月半のあいだに3回も野球場に足を運んでいるではないか。あたかもプロ野球ファンであるかのようである。しかし言うまでもなくスワローズにもベイスターズにもさして関心はないのであって、きのう神宮球場へ行ったのは、そのレフトスタンドで月例新書の会が開催されたからだ。たぶん、野球場のレフトスタンドで読書会が行われたのは人類史上初のことだと思う。課題図書も何もなく、ふつうに野球を観ながらくっちゃべっていただけだったので、それが読書会と呼べるかどうかは議論の余地があるが、まあ、読書人の集まる会ならそれは読書会であろう。むしろ議論の余地があるのは私が「読書人」かどうかということだが、それはともかくとして、先月の会は脱稿明けでベロベロに酔っ払ってしまっていたので、なぜ今回こうしてレフトスタンドに集まることになったのかはよくわかっていない。わかっていないが、まあそんなような遊び方もアリだよなと受け入れるのが私という人間の素直なところだ。

 なんであれ、神宮球場のレフトスタンドは心地よかった。いい塩梅の夜風、いい塩梅の観客数、そして、いい塩梅に冷えた生ビール。全席禁煙であることだけは我慢ならないが(あの爽やかな夜空の下で煙をくゆらせられないなんて、そんな殺生な!)、応援団の下手糞なトランペットにも、この環境なら寛容な気持ちになれる。いろんなことが、どうでもよくなる場所。ひたすら「呑気」に支配された場所。そんな感じ。プロ野球から遠く離れつつある私だけれど、巨大なビアガーデンとしての神宮球場が存在しているかぎり、完全に縁を切る気持ちにはならないかもしれない。そこで行われているのが草野球だったとしても、1500円の入場料は高くないように思う。

 試合はよく観ていなかったが、8-3でスワローズの勝ち。いい塩梅にヒットが飛び交い、いい塩梅にランナーがぐるぐると走り回り、いい塩梅に「ああ野球やっとるなぁ」と思わせてくれる楽しい試合だった。収穫だったのは、ヤクルトにユウイチという内野手が在籍しているのを知ったことだ。読書会メンバーが持っていた選手名鑑(きのうの読書会で唯一読んだ本)によれば、ユウイチ松元はブラジル代表選手だったとのこと。野球にもセレソンがあることを初めて知った。ユニフォームはやはりカナリア色なんだろうか。もしかしたらレギュラーのうち7人ぐらいは日系人かもしれない。大活躍してヒーローインタビューを受けていたユウイチ君は、はにかみがちな笑顔が素敵なナイスガイだった。そして、セルジオ越後よりも日本語が上手だった。

 それにしても、ふだんサッカー漬けの私がいろんな人に誘われて何度も球場に出かけているという事実が、逆に野球界が直面している危機を表しているように感じられて仕方がない。どの球場の周辺にも「来シーズンも12球団で見たい!」といった叫び声を上げながら署名か何かを募っている者どもがいて、そういう付和雷同メッセージには反発を覚えるものの、その一方で声なき民による無意識の「球場に行こうよキャンペーン」が深く静かに巻き起こっているようにも思われ、それには抗いがたいものを感じるというあたりが、この国の野球文化の根深さだったりもするのではないか。そういえば、大分でR君(セガレの幼なじみ)が通っている小学校を見学したとき、生徒総数わずか18人のその学校の校庭に、立派なバックネットが備わっていたのが印象的だった。バックネットは子供の野球に不可欠というわけではない(少なくともサッカーにおけるゴールほど必要なものではない)が、にもかかわらず、それはほとんどの小学校にある。相撲の土俵はないが野球のバックネットはあるという、この象徴性。なんだか、キャッチボールがしたくなってきた。そういや、まだセガレにグローブとバットを与えていない。ヘディングやボールリフティングも上手になってほしいが、しかしキャッチボールやトスバッティングのできない男の子というのは日本人としていかがなものか。だからこそ地域のクラブも、サッカーも野球もやる総合型にしてほしいのだが。ところでヤクルトのユウイチ君は、ボールリフティング何回できるかな。

 チェルシーやらインテルやらユーベやらのCL初戦は観たが、時間がないので感想は省略。なんかチェルシーがつまんないんですけど、気のせいですか。




2004.09.15.Wed. 14: 05 p.m.
BGM : CASSANDRA WILSON " NEW MOON DAUGHTER "

 チャンピオンズリーグ開幕。平日にこれが入ると、やけに気忙しい。うっかりすると録りっぱなしの試合がハードディスクに溜まって収拾がつかなくなるので、観戦にEURO方式を採用した。大袈裟な物言いだが、要するに、出勤前に朝8時から1試合観るのである。どうだフリーは羨ましいだろう。

 で、今朝はセルティック×バルセロナ(CL第1節)をビデオ観戦。いきなり結果を書くから知りたくない人は目をつぶったほうがいいと思うが、1-3でバルサの勝ちだ。たしか1-3だったと思う。ニュースサイトで確認すると他の試合の結果まで見てしまう恐れがあるので、確認はしない。ともかく、いいゲームだった。デコが決めたバルサの先制シーンでは、ラストパスを出したロナウジーニョのエレガントなフェイントにうっとり。しっかりタメを作ってから完璧なタイミングでパスが繰り出される様は、どこか音楽的にさえ感じられる。彼が不在だったリーガの2試合もバルサは強かったが、やはり彼が復帰すると格段に愉快度がアップするのだった。

 しかし後半、そのロナウジーニョがPKを失敗すると、セルティックが反撃を開始。同点ゴールを決めたのは、あのサットンだった。昔チェルシーにいたサットンだ。まだセルティックにいたですか。私がサットンのことを「すっとん」と呼んでいた時代のチェルシーが、私にとっては一番オモシロおかしかった。いまのチェルシーも面白いのは面白いが、ハッセルバインクがいなくなったこともあって、面白さがスタンドやベンチにいる「えらい人」に集中しすぎているように思う。ピッチ上に笑いがないっていうのかな。なくていいんですけど。ともかく、基本的にバルサを応援している私ではあるが、久々に見たすっとんのゴールは妙に嬉しかった。右サイドからのアーリークロスにギリギリで追いつき、DFの背後から体を投げ出して、右足のアウトですっとーんと決めた華麗なゴールだった。

 追いつかれたバルサはしばしリズムを崩していたように見えたが、そう簡単に壊れないのが従来のバルサと違うところだ。オランダ人の大半を追い出すだけでこんなに落ち着いたチームになるとは、わりと驚きである。あの「壊れやすさ」がバルサの面白味だったので、やや寂しいような気がしなくもない。だいたい、選手や指導者がみんな善人っぽいのがモンダイだ。カタルーニャの人々にしても、ファンハールやリバウドやクライファートやガスパールのような「チームが不調になったときに吊し上げやすいキャラクター」が見当たらないのは、ちょっと物足りないのではなかろうか。批判のターゲットになるとしたらマドリー出身のエトーあたりだろうが、まだそこまでの器じゃないしね。どうでもいいんですけど。

 そんなこんなで壊れないバルサは、慌てず騒がず、ジュリとラーションのゴールを積み重ねたのだった。覚えてるのはそれだけだから、やっぱり1-3だと思う。リーガと合わせて3試合、今のところ新加入選手だけがゴールしているのが興味深い。新参者に冷たくしないあたりが、善人の善人たるところであろう。まあ、今季のバルサは新参者にやさしくしないとサッカーにならないわけだが。DFのバックパスを見事にかっさらって古巣にダメを押したラーションは、ゴール後、ちょっと深刻そうにし過ぎだと思った。そうせずにはいられないぐらい怖いサポーターなのかもしれんけど。

 いま聴いているカサンドラ・ウィルソンの『NEW MOON DAUGHTER』(写真右)と、その前作である『BLUE LIGHT 'TIL DAWN』は、いずれもKay'n師匠に勧められたものだ。ツェッペリンを貸してくれたタボン君やPFMを貸してくれたシギーもそうだが、すばらしい音楽の存在を教えてくれる友人の存在はすばらしい。師匠によれば、クレイグ・ストリートという人がプロデュースしたこの2枚が、カサンドラ・ウィルソンの中では突出して良いとのこと。ほかのアルバムは聴いたことがないが、さもありなん、と思う。このテンションで作品を出し続けるのは、容易なことではあるまい。とくに『BLUE LIGHT 'TIL DAWN』のほうは、これ以上はあり得ないのではないかと思えるほどギリギリに張りつめた空気の中で、研ぎ澄まされ選び抜かれた音だけが、口数少なく静かに奏でられている。プレイヤーたちが迸らせている「鬼気」がビシビシと胸に刺さって痛いほどだ。ほんの数分の演奏で映画1本分ぐらいの充足感を味わわせてくれる音楽というのは、滅多にあるものではない。2時間の上映でシングル1曲分にも満たない栄養しか得られない映画はたくさんあるけれども。『NEW MOON DAUGHTER』のほうは、前作に横溢していた実験風味みたいなものが抑えられ、メロディアスで聴きやすい曲が多くなっているが、これもまた実に美しい。しかし、こだわるようだけど、ジャケットがなぁ。そういう音楽じゃないと思うんだけどなぁ。文字だけを控え目に配したシンプルなデザインで十分、という気がする。


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