「この社会と大村収容所は現世とあの世に似ており、
現世とあの世の間には茫漠とした時間と空間が横たわっているだけである。」
〜梁石日「夜を賭けて」(幻冬舎文庫)〜
 
 
アフガニスタン・グリーンガイド
 
AFGHANISTAN
 
 
 
 ウシク・ディテンション・センター
 Ushiku Detention Center
  

 

 2001年11月27日、アフガニスタン難民申請者9名のうち、
収容が継続されていた4名は、法務大臣からの退去強制令書(強制退去命令)を受け、
茨城県牛久市にある「入国者収容所東日本入国管理センター」(牛久収容所)に収容された。
荷物を片づける時間は10分しか与えられなかった。
 「ウシク」と「ジュージョー」。
この二つの地名は、いまや日本を訪れるアジア・アフリカ・ラテンアメリカの人々にとって、
京都や奈良に劣らない知名度を持っているかもしれない。そこにまつわる、消すに消せない記憶とともに……。
4名の収容に際して、ここにウシク収容所の旅行案内を作ってみた。
被収容者のサポートを行う人にとっての参考になれば幸いである。
 
  
 旅のご案内 
  

  
仏に見守られて  

 茨城県ウシク市は人口約7万の都市である。東京から北東に70キロ、新東京国際空港から北に30キロに位置し、ウシク沼の東側に位置し、駅周辺は首都東京のベッドタウンとして都市化する一方、東部には昔ながらの水郷地帯が広がっている。 
 1993年、ウシク駅から東に10キロほど入った田園地帯、法務省管轄の少年院「茨城農芸学院」の隣に、忽然と白亜の殿堂が姿を現した。老朽化した横浜入国者収容所のかわりに、新しい外国人収容所ができたのである。ちなみに、その北東に2キロ行った所から、高さ100メートルに及ぶ巨大な大仏(東京本願寺牛久大仏)が、この収容所を見守っている。 

<ウシク収容所所在地>〒300-1147 茨城県牛久市久野町1766
(正式名称:法務省入国者収容所東日本入国管理センター)
  
交通  
  
 ウシク収容所に来るときには、時刻表をよくにらんで、きちんと計画を立てることが大切だ。東京の便利な公共交通に慣らされている人には、ウシク収容所は厳しい。上野駅または日暮里駅に出て、常磐線に乗ればウシク駅には一時間弱で着くが、その後が大変だ。「牛久浄苑」行きバスに乗ればよいのだが、このバスが一日に4〜5本しかないのだ。 
 運悪くバスと時間が合わなかったら、タクシーで行くのもよいが、片道3500円もかかることに注意すべきである。少しでもお金を節約したければ、一時間に一本以上出ている「鹿ケ作」行きのバスに乗って終点の「鹿ケ作」でおり、県道に出て東に20分歩けばウシク収容所の入り口につく。帰りは南に15分ほど歩くと国道に出て、そこを通っているバスに乗ればよいが、これまた一日に4本しかない。タクシーを呼ぶのもよいが、安上がりなのは、今度は西に20分ほど国道を歩いて「第12東宝ランド入口」バス停に行くという方法である。このバス停からは、一時間に2本ほど、バスが出ている。   
<牛久駅発牛久浄苑行きバス> 
 牛久駅発時間 8:35、10:15、11:40、14:25、15:55 
<公民館前発牛久駅行きバス>  
 公民館前発時間 7:42、11:42、14:42、19:02   (2001年11月現在) 
  
  
所持品と面会上の注意  

 というわけで、ウシク収容所を訪れるなら、交通費をたっぷり用意しておくことが必要である。もう一つ、所持品として必要なのは、身分証明書である。 
 被収容者と面会する場合、申請書を書いて窓口に提出しなければならないが、この際、身分証明書の提示を求められる。身分証明書がないと面会させてくれないため、面会はあきらめ、泣く泣く帰るか、牛久大仏の観光に行かなければならなくなる。身分証明書は必ず持参すること。 
 もう一つ、申請書には自分の職業を書かなければならないが、気をつけなければならないのは、ウシク収容所当局が、ジャーナリストや作家に著しい警戒心を持っているということである。警戒心を持ち、ぬかりなく対応することが必要である。 
 
 
食事  
 
 食事については、旅行者と被収容者に分けて書かなければならない。 
 まず旅行者についてである。ウシクとジュージョーの食事関連は、両方とも「おかだ」という会社が取り仕切っている。この会社は、やる気になれば高級な重箱に豪勢な幕の内弁当をパックすることもできる能力を持っている。ウシク収容所の一階の端にある訪問者と職員のための食堂では、「おかだ」はその片鱗を見せてくれる。味付けがすこしエスニックで凝っており、なかなか味わいがある。しかも500円と安く、お得である。 
 一方、被収容者へのメニューはなかなか厳しい。献立は曜日ごとに決まっており、正月もクリスマスも、同じ曜日に同じものを食べる。おかげで被収容者は、長期の収容生活においても、食事が何だったかを思い出せば、今日は何曜日か分かるので便利である。ハンバーグは鳥肉で作られており、おかげでヒンドゥー教徒もイスラーム教徒も、安心して食べることができる。多文化主義に即した献立だが、味の方は保証できない。 
 さて、収容所の回りは農家ばかりで、外食など望むべくもないかというとそうでもない。収容所から国道を南におり、少し西に向かって歩くと、洋食レストラン「うまっこ」がある。ここでは、「おかだ」以上においしい食事が食べられる。食事が終わるとサービスにコーヒーまで出てくる。収容所で冷え切った心が暖められる瞬間である。 
 
 
職員 
 
 ここには二種類の職員がいる。ふだん、被収容者と接するのは入国警備官であり、彼らは軍服のような制服をきて、軍靴を履いて任務に就いている。一方、収容所の事務を執るのは法務事務官である。事務官は訪問に来る民間のNGO/NPOや国会議員などの相手をしたり、関連省庁と連絡を取ったり、入国警備官だけでは決定できないことを決定したりする。この二つの職員の間には明確な身分差別があり、入国警備官は法務事務官の支配の下にある。それ以外に、常勤の職員(法務技官)として医師と看護婦がおり、臨床心理士も雇っている。彼らは、入国警備官、法務事務官とを問わず、全員、自らを「先生」と称し、被収容者にもそう呼ぶことを強制している。 
 
 
処遇  
 
 ジュージョーの職員たちのような、張りつめた神経質な雰囲気はウシクにはない。彼らは概して不親切ではなく、一部の職員は過剰にサービス精神を発揮することがある。しかし、全ての職員に共通するのは、被収容者に対して(また、訪問者に対しても)一切の自己決定権、選択権を認めないことである。 
 ここでは、何をするにも申請書が必要である。申請が認められなかった場合、形式的には「異議申出」制度はあるが、異議を申し出ても、長期間待たされた上「(申出の)理由なし」という4文字が記された紙が戻ってくるのみであり、実質的な意味はまったくない。 
 職員たちに共通する特徴として他に挙げられるのは、温情主義(パターナリズム)と外国人嫌悪(ゼノフォビア)である。職員たちは、被収容者たちが正確な日本語を操れず、日本的な行動様式に適応していないこと、日本人でないことをもって、彼ら(彼女ら)を自分より下の存在だと思いこんでおり、一段上の立場から、自分たちが「被収容者たちには精いっぱい『よく』してあげている」と信じている。ところが、被収容者たちは職員たちの温情に応えないばかりか、言うことを聞かなかったり反抗したりする。そのため、職員たちは、もともと自らのうちにある外国人嫌悪の芽を、大木へと育て上げるのである。法務省の上層部から与えられる「人権教育」に、職員たちはこう応える:「被収容者には人権はあるが、職員には人権がない」。悪循環のループに沿って、同じ物語がくり返される。 
 
 
医療  
 
 ウシクで医療に当たっているのは、週3回勤務する医師と常勤の看護婦であり、彼らは法務技官である。医務室は被収容者の収容スペースと別の場所にあり、医療の申請が許可されたら、鉄格子を空けてもらい、入国警備官に同伴されて医務室に行く。コンクリート打ちっ放しの灰色の収容スペースの中で、医務室だけはまともな壁紙が貼ってあるが、医療設備は整っているとは言えない。 
 看護婦は、被収容者が「大した病気でもないのにしょっちゅう医務室を訪れる」ことに腹を立てており、「にきびができたからといって治療に来る」と不満を隠さない。医師は診察にきた被収容者に「自分の国で治してもらえ」というのが口癖である。歯科治療のスペースは医師控室を改造した部屋で、歯科治療のためのイスがまん中に備え付けられているが、水回りは完備しておらず、バケツでくみ出している。ウシクの自慢は、被収容者のカウンセリングのために一部屋設け、カウンセリングルームを設置していることだが、カウンセリングのための部屋は小さく、コンクリ打ちっ放しの外壁が無機的で、形ばかりの応接セットに、シダ植物の植えられた鉢がもうしわけのようにおいてあるだけである。 
  
 
あとがき:閉塞の中のサバイバル  
 
 ウシクの被収容者にとって、収容所から与えられる文化的資源はテレビだけである。テレビが流しっぱなしになっており、静けさを愛する被収容者には耐えられない。戦争映画などが無配慮に流されることがあり、戦争体験をしてきた被収容者に精神的圧迫を与える。被収容者は、支援団体に頼んだり、郵便で取り寄せたりして、自分に必要な本や資料、文献を確保している。 
 被収容者たちはみな、国籍・民族・言語などが違う。衝突はあるが、お互い助け合って自己防衛することが多い。非識字の若者に書き言葉を教える、お互いの宗教や文化、政治についての情報をコミュニケートする、日本の出入国管理制度についての情報をシェアしあうなどして助け合っている。 
 収容所を出ると、そこは関東平野の中心部。監獄の外には、世界の広がりがある。この極端な両義性は、ウシクという場の両義性をも象徴している。ウシクの両義性、それはアジア・アフリカ・ラテンアメリカ、被収容者たちの体現する世界性と、収容所の体現する人種主義(レイシズム)と外国人嫌悪(ゼノフォビア)の閉塞性のコントラストのことである。  
 

 


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