シェイダさんの日本での長い闘い、ついに終わる
2005年3月30日、シェイダさん、
欧米先進国に第3国出国

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            チームSによる臨時声明>

シェイダさんの長い闘い、ついに終わる
〜2005年3月30日、欧米先進国に第3国出国〜

長かった闘いの終わる日が、ついに訪れました。3月30日、シェイダさんは16年近
くにわたって住み続けた日本の地を離れ、成田空港から、ある欧米先進国へと旅立ちました。第3国出国に先立って、3月21日、シェイダさんの友人たち20名以上が集まって「おめでとう!?日本脱出」パーティーが開催されました。また、第3国出国当日には、シェイダさんの友人たち数名と、関係機関の方たちが成田空港まで同行し、シェイダさんを見送りました。
 シェイダさんの第3国出国が早期に実現したことには、いくつか理由がありますが、基本的には、シェイダさん自身が第3国開拓のために努力したこと、受け入れ国のゲイ・レズビアンのネットワークが積極的に対応したこと、受け入れ国政府と複数の国際機関が前向きに対応したことが挙げられます。シェイダさんの第2審判決は1月でしたから、それから2ヶ月強で第3国出国が実現したことになります。こうした早期解決は異例のことであり、シェイダさんが持っていたいくつかの好条件がプラスに作用したものと言えます。
 欧米先進国への移住は、シェイダさんが1991年にイランを出国してからのたっての希望でした。シェイダさんの希望は、16年越しにようやくかなえられたことになります。私たちは、シェイダさんがついに、安定した在留資格とともに安住の地を得られたことを喜ぶととともに、第3国出国の実現に向けて努力をしてくれた多くの方々や機関に心からの感謝を表明します。また、シェイダさんの難民性を認め受け入れてくれた第3国政府にも、心からの感謝を表明します。
 私たちは一方で、シェイダさんを最後まで受け入れず、難民条約加盟国としての責任を放棄してきた日本政府に対して、恥辱と怒りの意を表明したいと思います。私たちは日本政府に対して、不名誉な難民排除政策を直ちに改め、すべてのマンデート難民を難民として受け入れることを要求します。
 なお、シェイダさんの第3国出国については、受け入れ国政府や関係機関との関係上、シェイダさんの第3国出国が完了するまで、一般に公表することを控えてきました。その点につ
きまして、一言、お詫び申し上げます。

 

2005年4月2日

喪失感とともにある勝利:闘いは続く
 〜シェイダさん第3国出国に当たっての臨時声明〜

チームS・シェイダさん救援グループ
チームS電子オフィス 大塚 重蔵
(本声明はチームS全体の見解を代表するものではありません。)

1.3月30日午前11時。16年間の歳月と数多くの友人を残して、シェイダさんはこの土地:ユーラシア大陸の東端に位置する弧状列島から、まだ見ぬ新しい土地へと旅立った。彼の手には、かの新しい土地を統治する政府が発行したパスポートが握られていた。此岸におけるシェイダさんの闘いは、ここに終わった。

2.彼が16年間過ごしたこの土地、日本の政府は、彼がこの国に住み続けることを頑なに拒否し、迫害が待ち受ける祖国に強制送還する決定を行い、1年と7ヶ月に渡って彼を収容し、その後も4年の長きに渡って、収容と強制送還の恐怖に彼を縛り付けた。裁判所は、二度にわたり、政府のその措置を是とする判決を下した。しかし、彼は2000年4月22日の逮捕以来、6年もの長きに渡って持ちこたえた。そしていま、かれは安定した在留資格とともに、ここではない、新たな安住の地を得ることができた。彼とともに、私たちは宣言する、私たちのこの闘いは勝利だった。

3.私たちはしかし、その勝利を、十分な喜びとともに祝うことはできない。むしろ、私たちは悲しみをすら感じている。それは、彼がすでにもうこの土地にはいないこと、私たちが彼と同じ土地において生き続けていくことができないことに由来する。この勝利は、私たちと彼との間に国境という分断線を引くことを前提にかちとられた。今、この土地に彼はおらず、私たちは、彼を拒絶する政府を持つこの土地で生き続けなければならない。この勝利は、喜びではなく、喪失感とともにある勝利である。

4.この喪失感が意味することはすなわち、私たちの=この土地に生き続ける者としての私たちの闘いは、終わっていないということである。私たちと彼との間に引かれているのは、彼を難民として受け入れる政府を持つ土地と、彼を拒絶する政府を持つ土地との分断線である。この分断線を消していくこと、「十分に理由のある迫害の恐怖」に直面した者たちを難民として受け入れる、当たり前の政府を、自らの土地に持つことが、私たちの課題として残された。

5.最後に。6年間にわたるこの闘いは、過酷な闘いだった。しかし、この過酷な闘いを、彼と私たちは、じつに豊穣な闘いとして闘い抜くことができた。この土地の政府が行使する暴力に、驚くほど多くの人々が憤った。不当な法制度とその不当な執行に直面した彼に、性的指向の違いを越えて、驚くほど多くの人々が連帯し、すすんで力を貸してくれた。その連帯が、この闘いに持続性、自立発展性と豊穣さとを与えた。私たちはこの豊穣と、それをもたらしてくれたすべての人々に感謝する。そして、6年間、この豊穣の起源となった彼に感謝する。


6.彼は、私たちは勝った。そして私たちの闘いはまだ続く。

A Lutta Continua...a Vitoria e Certa!

 



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