シェイダさんを救え!ニュースアップデイト No.71-


2005年1月21日〜

 

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シェイダさんを救え!ニュース・アップデイト
Save Mr. Shayda! The News Update
第71号 2005年1月22日発行(不定期刊)
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発行元 チームS・シェイダさん救援グループ
編集担当 チームS電子オフィス shayda@da3.so-net.ne.jp
■<今号の目次>
(1)シェイダさん在留権裁判 第2審も敗訴
 〜焦点は第3国出国と収容・送還の有無に〜
(2)入管はシェイダさんを再び収容するのか?
 〜2月14日、品川入管に集まろう〜
(3)シェイダさん在留権裁判判決に当たっての臨時声明
(4)シェイダさん裁判判決に関する新聞報道
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●「ニュースアップデイト」バックナンバーは以下をご覧ください。
 http://www.kt.rim.or.jp/%7Epinktri/shayda/newsupdate.html
●講読申込・講読中止などの手続は電子オフィスまでお知らせ下さい。
●シェイダさん裁判の経過を知りたい方は、
・すこたん企画シェイダさんページ
 http://www.sukotan.com/shayda/shayda_top.html
・果てしなき移民たちのためのホームページ
 http://www.kt.rim.or.jp/~pinktri/afghan/index.html
 をご覧下さい。

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(1)シェイダさん在留権裁判 第2審も敗訴
 〜焦点は第3国出国と収容・送還の有無に〜
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 屈辱の第1審判決から1年足らず、第2審の判決の日がめぐってきました。
 1月20日午後3時、東京高等裁判所第809号法廷。ここで、3つの訴訟の判決が同時に言い渡されました。最初は離婚裁判。次が、企業に対する損害賠償請求裁判。そして、最後がシェイダさんの訴訟。新しく着任した裁判長は、前の裁判長が書いた3つの判決の3つの主文を、合計1分足らずで読み上げました。全く異なった3つの裁判。しかし、判決の主文はすべて同じでした……「本件控訴を棄却する。訴訟費用は控訴人の負担とする。」
 残念な判決でした。しかし、その内容はもっと残念なものでした。
 第2審では、シェイダさんをマンデート難民として認定したUNHCRが、独自にシェイダさんのサポートに動きました。シェイダさん側は、UNHCRが発行した「シェイダさんが、『1951年の難民の地位に関する条約』および『1967年の難民の地位に関する議定書』に基づく難民であることを証明する」という証明書を証拠資料として法廷に提出しました。また、夏には、UNHCRが東京弁護士会の求めに応じて作成した、シェイダさんの難民としての地位に関する法的意見を法廷に提出しました。そこには様々なことが書いてありました。しかし、少なくともこのことは明らかになったはずだったのです:UNHCRは、シェイダさんを「条約難民」(つまり、上記の難民条約及び難民議定書に基づく難民)として認定したのだということは。
 ところが、判決には、次のように記されていました。すなわち、UNHCRは条約難民の他に国内避難民なども保護することになっており、UNHCRの難民認定は条約に基づくものとは限らない。だから、シェイダさんがUNHCRの難民認定を受けたからといって、それは条約難民として難民認定されたのかどうかわからない。そうである以上、日本政府も難民認定しなければならないというものではない。
 もう一つの理由は、シェイダさん側がUNHCRに出した証拠や文書と法務省に対して出した証拠や文書とが異なっていたかも知れず、もしそうなら、判断が異なっていてもおかしくない。ということで、いずれにせよ、UNHCRがなんと言おうが、法務省の判断に違法性はなく、高裁としては第1審判決を支持する。
 判決の要点はこれだけで、本文はわずか2枚しかありませんでした。
 UNHCRがシェイダさんを条約難民として認定していることは、証拠資料を少し見るだけで一目瞭然なはずです。彼らは、証拠資料を見なかったのか。それとも、証拠資料は見たけれど、そこに書いてある内容は黙殺して、法務省がいう通り一遍の理屈を引用して判決を作ってしまえばそれでよい、と思ったのか。結局、判決を受けた側は、その判決に反論できる機会があるわけでもなく、最高裁は一つ一つの事案にきっちりつきあうわけでもない。高等裁判所はいわば絶対権力です。絶対権力の砦の上で、何の緊張感もなく書かれ、言い渡される判決。2審の闘いの中で、日本の司法権力にいささかなりとも期待した私たちが愚かだったのかも知れません。
 もちろん、シェイダさん側は上告します。しかし、事実上、舞台は法廷ではなく、一つは、シェイダさんが第3国に出国できるかどうか、もう一つは、入管がシェイダさんに収容・送還攻撃を加えてくるかどうかに移ります。私たちは第3国出国の実現に全力を挙げ、シェイダさんが安全に第3国に脱出するのを見届けたいと心から願っています。

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(2)入管はシェイダさんを再び収容するのか?
 〜2月14日、品川入管に集まろう〜
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 シェイダさんが第2審でも敗訴したことによって、シェイダさんの収容の可能性が高まりつつあります。
 シェイダさんは現在、仮放免の状態にあります。何もなければ、毎月出頭して1ヶ月ごとに仮放免の更新を受けているわけですが、裁判に負けたことにより、仮放免が更新されず、収容される可能性があります。
 次回の出頭日は2月14日であり、収容を巡る最初の山場はこの日になるでしょう。
 法務省・東京入国管理局は最近になって、難民や在留資格をめぐって、以前にもまして、極めて凶暴な弾圧行為を繰り返しています。
 あるビルマ人の難民申請者は、仮放免について「就労禁止」の条件を付けられ、それを破った廉で仮放免を取り消され収容されてしまいました。仮放免といっても、実態は着の身着のままで日本社会に放り出されるということです。就労ができなければ生きていくこともできません。入管は一体どうしろというのでしょうか。
 さらに衝撃的な事件が起きました。UNHCRがマンデート難民として認定したクルド人(トルコ国籍)の父子について、法務省は仮放免を取り消して収容し、翌日にトルコに強制送還してしまったのです。続いて、在留権を求めて集団出頭したバングラデシュ人7名についても、強制送還されてしまいました。法務省のやり方はこれまでも苛烈なものでしたが、ここ最近は、ふだんから弾圧の話には慣れているはずの難民支援NGOや関係団体すら思いもつかないような凶暴な弾圧が次から次へと繰り出されています。こうした事例を見ると、もしシェイダさんが収容された場合には、このような事態に直面する可能性すらないとは言えません。
 こうした事態に対して、私たちチームSは、シェイダさんの次の出頭日である2月14日に、品川入管への付き添い行動を呼びかけます。もちろん、入管が収容する気なら、私たちはそれを力で止めることはできません。しかし、付き添うことによって、事態をなるべく早くつかみ、早急に行動を起こすことができます。
 行動は以下のように予定しています。皆さんぜひともご参加下さい。
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2月14日 シェイダさん付き添い行動
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(日時)2005年2月14日(月)午前10時(集合:9時50分)
(場所)東京入国管理局1Fロビー
・住所:東京都港区港南5-5-30
・地図:http://www.immi-moj.go.jp/soshiki/iten.html
・行き方:JR品川駅港南口(東口)から都バス8番乗り場「品川埠頭循環」で「東京入国管理局前」下車。都バスの時刻表は以下のウェブサイト参照
http://tobus.jp/cgi-bin/pctimetable.cgi?act=timel&bsn=13990605&lcd=TE050109&hcd=0
(連絡)チームS法務担当 稲場雅紀 090-1264-8110
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(3)シェイダさん在留権裁判判決に当たっての臨時声明
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 敗訴判決に当たって、チームSは本人・弁護士と共に司法記者クラブにて記者会見を開き、法務担当の稲場雅紀名義で以下の臨時声明を発表しました。チームS・シェイダさん救援グループ
法務担当 稲場 雅紀
(本声明はチームS全体の見解を代表するものではありません。)
 本日(2005年1月20日)、イラン人同性愛者難民シェイダさんの在留権裁判控訴審において、東京高等裁判所は、シェイダさんの在留権を認めず、シェイダさんの退去強制処分を妥当とする判決を言い渡した。
 これは、日本国家によるシェイダさんへの3度目の拒絶の意思表示である。
 シェイダさんはまず、2000年7月に、難民不認定処分と退去強制令書発付処分を受けた。これが一度目の拒絶である。その後、国連難民高等弁務官事務所は、シェイダさんを難民条約上の難民とする判断を下している。にもかかわらず、2004年2月、東京地方裁判所はシェイダさんに敗訴判決を下した。これが二度目の拒絶である。そして本日、東京高等裁判所は、シェイダさんの控訴を棄却した。これが三度目の拒絶である。
 シェイダさんも、支援するわれわれも、もはやこう言うしかない。ここまで拒絶されたら、もう嗤うより他に手がないと。
 日本国家に、シェイダさんを拒絶する理由はない。日本は難民条約に加盟し、これを批准している。日本国家には、難民条約に規定する5つの理由(人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、政治的意見)により十分に理由のある迫害の恐れを有するが故に、本国以外の土地におり、本国の庇護を受けることができず、もしくは庇護を受けることを望まない者を難民として受け入れる義務がある。イランでは、同性愛者に対する死刑を含む迫害が続いている。それを理由として、欧米諸国、ニュージーランド、オーストラリアでは、イラン人ゲイを難民認定する決定や判決が継続して出されている。難民条約は国連の条約であり、この条約に基づいて設置されている国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、彼を難民条約上の難民として認定しているのである。
日本国家の、シェイダさんに対する拒絶には、何の道理もない。ちなみに日本政府は、難民や外国人移住労働者に対して、道理なき拒絶と排除をますます苛烈に行っている。ビルマ人の難民申請者は、収容所からの仮放免にあたって「就労禁止」の条件を付けられ、それに違反した廉で再収容された。ベトナム人とペルー人の「超過滞在者」は、全身を拘束具で縛られ、実力で飛行機の中に押し込まれた。そして18日、クルド人の難民(UNHCRが難民条約上の難民として認定している以上、れっきとした難民である)2名が、収容後わずか1日にして、彼らの「国籍国」であるトルコ共和国へ暴力によって強制送還されるに至ったのである。これが国際法上最大の原則の一つである「ノン・ルフールマン原則」(迫害される可能性のある国に強制送還しないという原則)に違反していることは、誰が見ても明らかである。さらに法務省は、日本国に難民申請を行うわずか500人に満たない外国人の6割が「在留資格が切れた後に難民申請」している、この連中は難民制度を悪用しようとする意図を持っている、などとして、マスコミを使ったキャンペーンを仕掛けようとしている。これ以上稚拙なキャンペーンはない。それならば、法務省が難民認定した難民のほとんどが、「在留資格が切れた後」に難民申請した人たちであるのはなぜなのか。難民を、外国人を拒絶し排除しようというわが法務省官僚の欲望には際限がない。
 問題は単に人道や人権にのみ存在するのではない。われわれが例えば「日本人」という視点に位置どる時、そこから見えてくる最大の問題は、彼ら=法務省=の難民、外国人を拒絶しようとするこの欲望が、道理を持たないどころか、日本国の国益という観念に照らしても不条理なものにすぎないということにある。日本は2年後の2007年から、人口減少時代に突入する。地球人口が百億近くにまで増大し、中国とインドが欧州並みの経済力を持って君臨することが予測されている時代に、日本の人口は2050年には1億人を切り、2100年には6000万人へと半減すると予測される。この予測を前にしてなお、日本はこれに対して正面から取り組む前向きの改革ビジョンを立案形成して前に足を踏み出すことに躊躇し、「外国人犯罪の増大」、「テロリストの潜入」といった、実のところ自己の内なる恐怖に由来する幻影との闘いに、自らを耽溺させているのである。幻影への恐怖にとらわれた内向きの昏い力を、迫害から逃れ、翼をむしり取られた難民たちに向けて行使する……難民への拒絶と排除とは、国家が直面する真の課題に正面から取り組む力を喪失し、「幻影との闘い」に沈潜する悲しむべき日本国家の姿、国の力の弱りを象徴するものに他ならない。
 いささか大げさかも知れないが、誤解を恐れず、われわれはここにあえて言おう、れっきとした難民であるシェイダさんを拒絶し、日本から排除しようとするこの判決は、人口減少時代におけるわが日本の亡国への歩みを一歩進めるものであると。われわれに、それを押しとどめる力がない以上、われわれはその歩みを「他者の歩み」として見立て、それを嗤うしかない。結局、ふたたびの光へと向かう道は、いったんの亡国への歩みの果てにしか見えてこないのだ。
以上

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(4)シェイダさん裁判判決に関する新聞報道
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 シェイダさん敗訴判決に関して、朝日新聞が1月21日朝刊第2社会面において大きく取り扱っています。記事自体は短いものですが、配置は割と目立つところで見出しも大きかったです。また、UNHCRがマンデート難民と認めたと言うことで、シェイダさんを「難民申請者」ではなく「難民」と表記しているのは、適切な記述というべきでしょう。
■UNHCR認定の難民イラン人 退去処分を支持 東京高裁■
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が難民(マンデート難民)と認めたイラン人の40歳代の男性が、「同性愛者なので母国に送還されると死刑になる恐れがある」として、国を相手に退去強制処分の取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決が20日、東京高裁であった。村上敬一裁判長は請求を棄却した一審・東京地裁判決を支持し、男性の控訴を棄却した。
 マンデート難民は、UNHCRが難民条約上の難民にあたると判断した人。
 高裁判決は「UNHCRは、難民条約で定義された条件が満たされていなくても、保護が必要な『援助対象者』を独自に難民と認めている」と指摘。「難民かどうかの判断が、条約加盟国との間で分かれることは十分にあり、UNHCRの判断は加盟国を拘束しない」と述べた。
 そのうえで、男性について「帰国すれば刑に処せられる恐れがあるという根拠は認められない」とした一審判断を支持した。男性の代理人の弁護士は上告する方針だ。
 男性は91年に来日。00年に難民認定申請を退けられ、退去強制処分を受けた。01年にマンデート難民に認定された。
***次号は近日中発行の予定です***


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シェイダさんを救え!ニュース・アップデイト
Save Mr. Shayda! The News Update
第72号 2005年2月20日発行(不定期刊)
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発行元 チームS・シェイダさん救援グループ
編集担当 チームS電子オフィス shayda@da3.so-net.ne.jp
■<今号の目次>
(1)シェイダさん、仮放免延長される
 〜東京入国管理局はシェイダさんを収容できず〜
(2)シェイダさん裁判、最高裁へ
(3)シェイダさんの問題、東京新聞で大きく報道
 〜2月20日(日)朝刊特報欄「難民鎖国の壁国連基準とズレ」〜
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(1)シェイダさん、仮放免延長される
 〜東京入国管理局はシェイダさんを収容できず〜
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 1月20日の第2審敗訴判決で、仮放免の延長も打ち切りかと心配されたシェイダさん。「チームS・シェイダさん救援グループ」では、シェイダさんの身の安全を心配し、また、収容された場合にはいち早く行動できるようにということで、仮放免更新のための出頭日である2月14日(月)、シェイダさんとともに東京入管を訪問する「シェイダさんと東京入管ツアー」を開催しました。
 シェイダさんの身の安全がかかっているとあって、この「ツアー」にはほんとうに多くの方、総勢10名以上の方が参加してくれました。一方、クルド人のマンデート難民の強制送還事件との関係で、マスメディアの取材などもいくつかありました。
 参加者みんなを引き連れ、シェイダさんは6階の違反審査部門へ。シェイダさん以外にも、クルド人やアフガン人のマンデート難民の人たちが仮放免延長手続きに来ていました。シェイダさんはこうした中東系のマンデート難民の多くと知り合いで、緊張感の中でも、談笑しながら自分の番が来るのを待ちます。1時間ぐらい待ったのちにようやく手続き。とりあえず今回は、仮放免が延長になり、シェイダさんは収容されることなく出てきました。
 その後、マンデート難民という同じ立場ながら収容されている、シェイダさんの友だちのクルド人の面会をみんなでした後に、シェイダさんの無事を祝って、有志でお台場の地中海料理のレストランに行き、しばしお食事会。とりあえず収容を免れてシェイダさんもほっとしているようでした。
 しかし、これから毎月、収容や強制送還を心配しながら東京入管に出頭しなければならないことを考えると、非常につらいものがあります。第3国出国によるシェイダさんとの「お別れ」もさびしいものがありますが、シェイダさんのためにも、早く法的に安定した落ち着き先が決まって欲しい、と心から思います。

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(2)シェイダさん裁判、最高裁へ
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 こちらは短信です。1月20日に、極めて不当な敗訴判決を得たシェイダさんですが、最高裁への上告手続きを行いました。これでシェイダさん裁判は最高裁判所という日本の司法の最高権威において争われることになります。同時に、シェイダさんに対する退去強制令書の執行停止申立ても行っています。

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(3)シェイダさんの問題、東京新聞で大きく報道
 〜2月20日(日)朝刊特報欄「難民鎖国の壁国連基準とズレ」〜
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 この1月18日、UNHCRによりマンデート難民に指定されたクルド人難民を、法務省が難民条約への違反を省みず強制送還するという驚くべき事件が起こりました。法務省は、「日本の裁判所は、強制送還されたクルド人は難民ではないという判断を行っており、この人物は難民ではない」と強弁していますが、法務省のこの行為は国内外から強い反発を読んでいます。
 この事件に関連して、シェイダさんなど、他のマンデート難民への注目が集まっています。シェイダさんの第2審判決後最初の出頭と前後して、東京新聞の特報部の記者の方が、シェイダさんを一生懸命取材してくれました。その取材の成果として、今日、東京新聞の特報面を2頁ぶちぬいて、シェイダさんに関する大きな記事が掲載されました。題して、「難民鎖国の壁 国連基準とズレ」。シェイダさんの直面する現実をしっかりととらえた、とてもよい記事です。以下のウェブからアクセスできます。是非ともお読み下さい。
「難民鎖国の壁 国連基準とズレ」2005年2月20日
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050220/mng_____tokuho__000.shtml
 シェイダさんについては、これまで、英字新聞(デイリー・ヨミウリ)で大きく取り上げられたことがありました。あわせて、このデイリー・ヨミウリの記事のサイトも紹介しておきます。
「Gay Iranian Desperate to Stay in japan」March 24, 2001
http://www.sodomylaws.org/world/japan/jpnews002.htm

***次号は近日中に発行の予定です***

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シェイダさんを救え!ニュース・アップデイト
Save Mr. Shayda! The News Update
第73号 2005年4月 日発行(不定期刊)
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発行元 チームS・シェイダさん救援グループ
編集担当 チームS電子オフィス shayda@da3.so-net.ne.jp
■<今号の目次>
(1)シェイダさんの日本での長い闘い、ついに終わる
 〜3月30日、第3国出国がついに実現〜
(2)ボランティア募集:シェイダさん関係年表の作成
(3)今後のチームSの活動について
(4)喪失感とともにある勝利:闘いは続く
 〜シェイダさん第3国出国に当たっての臨時声明〜
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●「ニュースアップデイト」バックナンバーは以下をご覧ください。
 http://www.kt.rim.or.jp/%7Epinktri/shayda/newsupdate.html
●講読申込・講読中止などの手続は電子オフィスまでお知らせ下さい。
●シェイダさん裁判の経過を知りたい方は、
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 をご覧下さい。

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(1)シェイダさんの日本での長い闘い、ついに終わる
 〜3月30日、第3国出国がついに実現〜
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 長かった闘いの終わる日が、ついに訪れました。3月30日、シェイダさんは16年近くにわたって住み続けた日本の地を離れ、成田空港から、ある欧米先進国へと旅立ちました。第3国出国に先立って、3月21日、シェイダさんの友人たち20名以上が集まって「おめでとう!?日本脱出」パーティーが開催されました。また、第3国出国当日には、シェイダさんの友人たち数名と、関係機関の方たちが成田空港まで同行し、シェイダさんを見送りました。
 シェイダさんの第3国出国が早期に実現したことには、いくつか理由がありますが、基本的には、シェイダさん自身が第3国開拓のために努力したこと、受け入れ国のゲイ・レズビアンのネットワークが積極的に対応したこと、受け入れ国政府と複数の国際機関が前向きに対応したことが挙げられます。シェイダさんの第2審判決は1月でしたから、それから2ヶ月強で第3国出国が実現したことになります。こうした早期解決は異例のことであり、シェイダさんが持っていたいくつかの好条件がプラスに作用したものと言えます。
 欧米先進国への移住は、シェイダさんが1991年にイランを出国してからのたっての希望でした。シェイダさんの希望は、16年越しにようやくかなえられたことになります。私たちは、シェイダさんがついに、安定した在留資格とともに安住の地を得られたことを喜ぶととともに、第3国出国の実現に向けて努力をしてくれた多くの方々や機関に心からの感謝を表明します。また、シェイダさんの難民性を認め受け入れてくれた第3国政府にも、心からの感謝を表明します。
 私たちは一方で、シェイダさんを最後まで受け入れず、難民条約加盟国としての責任を放棄してきた日本政府に対して、恥辱と怒りの意を表明したいと思います。私たちは日本政府に対して、不名誉な難民排除政策を直ちに改め、すべてのマンデート難民を難民として受け入れることを要求します。
 なお、シェイダさんの第3国出国については、受け入れ国政府や関係機関との関係上、シェイダさんの第3国出国が完了するまで、一般に公表することを控えてきました。その点につきまして、一言、お詫び申し上げます。

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(2)ボランティア募集:シェイダさん関係年表の作成
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 シェイダさんが日本に入国してから第3国で安定した在留資格を得るまでに、16年の年月がかかりました。とりわけ最後の6年間は、逮捕、収容、裁判等々、多くのドラマがありました。
 この6年間については、ほぼ「シェイダさんを救え!ニュースアップデイト」(創刊は2000年8月)にだいたいフォローされています。
 そこで、「ニュースアップデイト」をまとめて、シェイダさんが2000年4月に逮捕されてから2005年3月に出国するまでの約6年間の年表を作ってくれるボランティアの方を募集します。いかがでしょうか。募集要項は以下の通りです。
○仕事:「ニュースアップデイト」各号(1号〜73号)に記載されている出来事をまとめ、年表を作成する。
○期限:1ヶ月間(2005年5月頭までに完成させる)
 いかがでしょうか。この6年間のプロセスを追ってみたいと思われる皆さま、ぜひともご応募下さい。以下の返信票に必要事項をご記入の上ご返信下さい。
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<返信票>pinktri@kt.rim.or.jp(稲場)まで
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○お名前
○メールアドレス
○電話・携帯など
○コメント
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(3)今後のチームSの活動について
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 シェイダさんの第3国出国が完了し、シェイダさんの救援を活動目的としていた「チームS」も、残務処理の上、その役割を終えることになります。
 チームSとしてどのような仕事をやり残しているか、まだ全部確認できていませんが、近いうちに、シェイダさんをめぐる取り組みの経過を整理し、その意義を確認する締めくくりの集会を開催したいと考えています。また、これまでの取り組みや提出した証拠資料等については、まとめ直して、可能ならば出版などを実現していきたいと考えています。
 また、今後、同性愛者であることを理由とする難民申請や裁判等があった場合には、シェイダさん裁判で活用した資料等の提供をしていければと考えています。

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(4)喪失感とともにある勝利:闘いは続く
 〜シェイダさん第3国出国に当たっての臨時声明〜
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(2005年4月2日)
1.3月30日午前11時。16年間の歳月と数多くの友人を残して、シェイダさんはこの土地:ユーラシア大陸の東端に位置する弧状列島から、まだ見ぬ新しい土地へと旅立った。彼の手には、かの新しい土地を統治する政府が発行したパスポートが握られていた。此岸におけるシェイダさんの闘いは、ここに終わった。

2.彼が16年間過ごしたこの土地、日本の政府は、彼がこの国に住み続けることを頑なに拒否し、迫害が待ち受ける祖国に強制送還する決定を行い、1年と7ヶ月に渡って彼を収容し、その後も4年の長きに渡って、収容と強制送還の恐怖に彼を縛り付けた。裁判所は、二度にわたり、政府のその措置を是とする判決を下した。しかし、彼は2000年4月22日の逮捕以来、6年もの長きに渡って持ちこたえた。そしていま、かれは安定した在留資格とともに、ここではない、新たな安住の地を得ることができた。彼とともに、私たちは宣言する、私たちのこの闘いは勝利だった。

3.私たちはしかし、その勝利を、十分な喜びとともに祝うことはできない。むしろ、私たちは悲しみをすら感じている。それは、彼がすでにもうこの土地にはいないこと、私たちが彼と同じ土地において生き続けていくことができないことに由来する。この勝利は、私たちと彼との間に国境という分断線を引くことを前提にかちとられた。今、この土地に彼はおらず、私たちは、彼を拒絶する政府を持つこの土地で生き続けなければならない。この勝利は、喜びではなく、喪失感とともにある勝利である。

4.この喪失感が意味することはすなわち、私たちの=この土地に生き続ける者としての私たちの闘いは、終わっていないということである。私たちと彼との間に引かれているのは、彼を難民として受け入れる政府を持つ土地と、彼を拒絶する政府を持つ土地との分断線である。この分断線を消していくこと、「十分に理由のある迫害の恐怖」に直面した者たちを難民として受け入れる、当たり前の政府を、自らの土地に持つことが、私たちの課題として残された。

5.最後に。6年間にわたるこの闘いは、過酷な闘いだった。しかし、この過酷な闘いを、彼と私たちは、じつに豊穣な闘いとして闘い抜くことができた。この土地の政府が行使する暴力に、驚くほど多くの人々が憤った。不当な法制度とその不当な執行に直面した彼に、性的指向の違いを越えて、驚くほど多くの人々が連帯し、すすんで力を貸してくれた。その連帯が、この闘いに持続性、自立発展性と豊穣さとを与えた。私たちはこの豊穣と、それをもたらしてくれたすべての人々に感謝する。そして、6年間、この豊穣の起源となった彼に感謝する。

6.彼は、私たちは勝った。そして私たちの闘いはまだ続く。
A Lutta Continua...a Vitoria e Certa!

***次号は近日中に発行する予定です***


 

 

 


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