グダーズ・エグテダーリ氏 1997年イラン調査研究センターでの報告

イラン・イスラーム共和国と
姦通・同性愛に関する死刑の執行

グダーズ・エグテダーリ氏は、米国ポートランド州立大学のシステム科学分野の博士課程に在籍しており、オレゴン州にあるフェニックス大学の情報技術分野の講師・技術者、およびポートランド州立大学の客員講師を務めている。その一方で、氏はイラン人権グループ米国支部 Iranian Human Rights Group-USA の議長を務めており、イラン人権ワーキンググループ Iranian Human Rights Working Group の執行委員会メンバー Board に就任している。本論文は、1997年にアトランタで開催されたイラン調査研究センター年間会議 the annual conference of the Center for Iranian Research and Analysis で発表されたものである。

< 目 次 >


要約
序論
背景
同性愛についての刑事訴追
姦通及び同性愛行為に対するイラン・イスラーム共和国刑法典及び刑罰
国際的な人権規定:「世界人権宣言」(UDHR)と 「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(ICCPR)
イラン・イスラーム共和国における刑法の適用と人権に関する国際的な要求との矛盾 
結論

要約

 イラン・イスラーム共和国の刑法では、姦通や同性愛について死刑に処することが要求されている。世界人権宣言と、国際人権規約(市民的政治的権利に関する国際規約)の二つは、市民生活に於ける人権の尊重を求める最も重要な文書である。この二つの文書は、拷問または残虐な、非人道的な、もしくは品位を傷つける刑罰はあってはならないと規定している。イランは、この二つの条約を批准している。しかし、世界人権宣言に定められた人権規定を非西洋諸国に適用することについては、文化相対主義的な観点から疑問が呈されている。この論文では、私人の基本的な権利としての性的指向 sexual preference (訳注:この場合、筆者は性的指向 sexual orientation の意味において本用語 sexual preference を使用しているため、「性的指向」との訳語をあてた)について調査し、イスラーム共和国の品行法 Islamic republic's code of conduct において正常とみなされない行為を行った場合にどのような処分がなされるのかを分析する。

序論

 イラン・イスラーム共和国は、自国が最も献身的に神の支配に従う唯一の国家であると宣言している。筆者は、この論文を執筆するにあたって、この宣言に見られるような宗教的な文脈に巻き込まれることを躊躇し、非宗教的な観点から問題を論じるように努める。筆者は、宗教は私人の信仰にもとづくものであり、創造主 creator −そのような存在があると仮定した場合−と個人との関係以外のいかなる場所においても、議論されるべきものではないと考える。
 また、本論文の目的は、姦通 adultery (訳注:婚姻相手以外との性交渉)や同性愛の善悪を論じることではないことを、予め断っておきたい。また、それらに関する社会の文化的背景や道徳に挑戦することも本論文の目的ではない。但し、私は、自分の家庭の中の問題についてさえも、個人の生活のスタイルを選択する自由を認めずに、市民社会を築こうとするのは、実現の可能性のない愚かな試みであるという私の信念を表明しておこうと考える。また、この論文の別の部分で、私はイランの文学や歴史における先行者たちの例を示すことで、イランにも同性愛が存在したということを示すつもりである。しかし、それとは別に、本論文の主旨はあくまで、同性愛や姦通に関する刑罰の不均衡について、イラン刑法のありかたに異議を唱えるということである。

背景

 1979年2月のシャー(訳注:イラン帝国皇帝)独裁制 the dictatorship of Shah の崩壊の後に誕生した制度 system は、実際には、シャー独裁制以上に人々の社会生活を制限した。パフレヴィー朝 the Pahlavi dynasty (訳注:20世紀初頭に成立したイラン最後の統一王朝)は西洋崇拝の様式において統治を行い、西洋の生活スタイルを現代化や民主主義の印として持ち込んだ。レザー・シャー Reza Shah (訳注:パフレヴィー朝初代皇帝)が登場する前には、変革と現代化の風は西洋からもたらされていた。パフレヴィー朝は、女性や男性の服装に関する規定 dress code を定めることによって、イランの伝統的な生活様式を力で変える試みをした最初の政権である。トルコでは、同時期にケマル主義 Kamalism (訳注:トルコ革命を断行した指導者ムスタファ・ケマルの思想。徹底した西洋化を目標とした)が同様の発想により改革を行った。レザー・シャーはイラン女性にチャドル(訳注:イラン女性の伝統的な服装。黒い布で頭部を含め全身を覆う)のかわりに帽子を被るように、男性には「パフレヴィー・ハット」 Pahlavi hat を被るように強制した。もし外圧がなかったとしても、伝統的な生活様式から現代化へと発展する時代の流れを押し止めることは不可能であった。もしこの改革が、底辺から行われたものであったとすれば、それはより安定的なものであっただろう。しかし、社会構造や社会的文脈の変革をともなわない、うわべだけの急速な近代化は、逆に、社会の伝統的・神権的な構造から逸脱する全てのものを疑おうとする国内的な抵抗運動を形づくっていった。
 イスラーム共和国は、個人のライフスタイルや好みに干渉することで、逆の方向から、パフレヴィー朝と同じ道を歩んでいる。現在明らかになっていることは、伝統を再確立しようとする試みは失敗しているということである。イスラーム共和国は、18年間にわたってイラン人の個人的な生活を全ての面において強制的に変化させようとしてきたが、人々の生活様式−人々がどのように考え、飲み、食べ、愛しあい、服を着、バイクに乗り、聞き、嗅ぎ、見る……かということ−について、人々を征服することに成功していない。

同性愛についての刑事訴追

イラン以外の地域

 東西を問わず、多くの国で、政府機関や民間人、また宗教的圧力によって、同性愛者がうけている不適切な扱いに対する抵抗が存在する。しかし、こうしたレズビアンやゲイの運動に対する社会の反応は、地域によりまったく異なっている。アメリカ合州国の多くの州やオーストラリア、イギリスなどから、多くの報告書が提出されている。合州国の多くの州では、同性間性行為は違法であり、私の住んでいるオレゴン州でも、その状況は同じである。また、ほとんどの非民主的な社会において、ゲイが迫害されたり、拷問にあったり、非公式に処刑されたりしてきた形跡がある。コロンビアでは、ゲイの被害者の多くが「社会浄化」 social cleansing の名の下に、夜の街で撃ち殺されたり、とらえられたり、車で連行されたりしている。アルゼンチンのゲイの人権団体の訴えによると、1973年にチリで起きたクーデター(訳注:議会制民主主義による社会主義化を訴えた人民連合のアジェンデ Allende 政権が、ピノチェト Pinochet 将軍による軍事クーデターで打倒された事件を指す)の後にチリで以下のような出来事が起こっている。「サンティアゴ Santiago (訳注:チリの首都)でロラ・プナレス Lola Punales というよく知られたウルグアイ人のゲイが、数名の軍人により拷問・強姦を受け、去勢された。他の同性愛者も同じ様な目にあっている。チリでは、このようなことは日常茶飯事である。死体は、人々を脅し、見せしめにするために、数日間町中に放置されている。」
 ブラジルやギリシア、メキシコでは、「死の部隊」 death squads (訳注:軍の別働隊として組織された民間警備隊)が、社会で望まれない人々とされたゲイの社会浄化を行っている。
 トルコでは、同性愛は違法ではないが、ゲイの人権活動家たちは嫌がらせや虐待を受けている。その他のイスラーム世界では、話は全く別である。死刑執行が行われている国々では、同性愛や姦通はしばしば死刑に処される。モーリタニア、サウディアラビア、パキスタン、スーダン、アフガニスタン、イェーメン共和国、オマーンにおいては、国の刑法の規定には同性愛者について明記されていないにも関わらず、イスラーム法の実践によって人々を死刑に処している。
 同性愛者に対する迫害や処罰が果たす最も重要な機能は、見せしめを作り出すことである。もし個人が、社会に於ける行動規範に反したり、それから逸脱するような個人的な好み、関心、需要に立脚して行動したらどうなるか……見せしめを作り処罰することによって、人々にその結果を知らしめることが可能になる。この処罰は特に、人間の最も個人的な欲求に基づく行動に対して科せられることで、より見せしめとしての効果を増す。さらにいえば、罰せられる者が誰からも守ってもらえない場合、処罰することはきわめて簡単なことである。
 「個人的な」欲求に対する処罰は、個人の興味関心に立脚することが、生命の危機をもたらすほど危険なことであるということを教える。寝室に於ける性的な欲求に基づいて何をなすか、ということは、社会の中で個人の利益追求において何をなすか、ということを端的に示している、というわけである。
 人間が自らの欲求を制限することは、快楽としてのセクシュアリティを放棄することからはじまり、そのうち、特定の食べ物を断つことになり、最後には、民主的な諸権利の制限に対する抵抗をあきらめることにつながる。それは、1928年の国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)によって出された同性愛に関する声明を見ても明らかである。「個人の利益より全体の利益を!個人が生きることではなく、ドイツ国家が生き残ることが必要なのだ!」この考え方に従わなかったり、個人の欲求を優先して行動する人々は、すなわち、己の欲望を実現しようとする人々は、ドイツ国家にとって有害であったのだ。ナチスの声明はこう続く。「男性らしさは、訓練を続ける場合にのみ保持される、特に愛に関しては。訓致の欠如は、継続なき自由恋愛に過ぎない。それゆえ、我々は国家を害するもの全てを拒否する。男同士、女同士の恋愛は我々の的である。我々は、我々の国家を女々しくするもの全てを拒否し、我々の敵の手に委ねる。なぜなら、我々は生存とは闘いであるということ、人間がいつか兄弟愛によって手を組むなどと考えることが狂気の沙汰であるということを知っているからである。自然の歴史が、我々にそれを教える。」

イラン

 我々に同性愛の問題はない、とか、もっと大事な問題に取り組まなければならない、などという人もいるかも知れない。ある信心深い人物は、「イラン人にはゲイはいないよ」と私に語った。しかし、このような意見とは裏腹に、イランの文学には、同性愛や姦通に関する記述が数多く存在する。同性愛や姦通が社会的に受け入れられてはいないにせよ、それらが存在した前例がイラン社会にあるということを、これらの証拠が示している。小児愛 paedophile と同性愛は異なるものであるが、イランの古典における有名な詩人・文学者であるサーディSaadi、イラジ・ミルザ Iraj Mirza、 ファリドディーン・アッター・ニシャブーリー Farid-ed-din Attar Nishaburi の詩や小説においても、過去において同性間の性的関係が存在したという証拠となる。また、宗教学校や軍隊の中でも、同性間の性的関係が存在したという証拠もある。
 革命前の10年間において、当時のメディアで少なくとも一組のゲイの結婚が報道されているなど、同性間関係が公的に承認されたことを示す事例がある。また、高校での女性同士の同性間の関係についての記録もある。これらのことに鑑みれば、もし同性愛を抑圧する宗教的な政権が成立していなければ、トルコのような他の非宗教的な国々と同様の割合で、イランでも同性愛が見られたのではないかと推測すべきであろう。
 イランでは同性愛者たちが大きな恐怖と共に生活しているにも関わらず、テヘランの日刊紙サラーム Sala'am(訳注:「サラーム」はイランの穏健改革派紙とされており、1999年、保守派が支配する司法部の命令で発行停止された。学生を中心とする改革派はこれをきっかけに蜂起した)は1992年10月に同性愛者たちが公の集まりを持ち、当局がこれを弾圧したと伝えている。国際ゲイ・レズビアン人権委員会(IGLHRC)の情報では、10代の少年2名が、二人の結婚許可を求めてテヘランの法廷に立った。また、同性間関係を持った罪により告訴されるケースが存在する。イランの風刺作家であるサイディ・シルジャーニー Saidi Sirjani 氏や、外科医のアリ・モザファリアン Ali Mozafarian 氏は、同性愛により告訴されている。IGLHRCは、同性愛者がイランから亡命した例を数多く把握している。これらは、イランでの同性愛が実際には珍しいことでも、驚くべきことでもないことを示している。イスラーム共和国の刑法で定められている、姦通や同性愛に対する刑罰は、社会の規範に従わない人々を罰することにより、社会規範を人々に強制しようとする試みの一つであると考えられる。

姦通及び同性愛行為に対するイラン・イスラーム共和国刑法典及び刑罰

 イラン・イスラーム共和国は、イスラーム政府が民主政体を採用するとの誓約をもって支配権を握ったが、そこでの民主政体とは、宗教上の規律と一致する限りにおいて人民の意思が尊重されることを意味するに過ぎない。ホメイニー師を含むこのシステムの支配者たちは、決して国家と宗教を分離しようとはしなかった。革命当初から、革命裁判所は 聖職者たる裁判官 ghazi share の判断の下に、イスラーム刑法典を運用してきたし、ほとんどの被告人に対し、「世界で最も堕落しているもの」mofsid fil arz 、「神の敵」 mohareb ba khoda として火あぶりによる死刑を宣告した。アムネスティ・インターナショナルは、1979年の2月から、ホメイニ師が一時的に革命裁判所の機能を停止させた3月までの間に、これらの裁判で少なくとも69件の死刑が執行され、そのうち19件はイスラームの性に関する規律に関連する犯罪で処刑されたと報告している。この期間中、イスラーム刑法典に基づく裁判が頻繁に行われたが、刑法典についてのイスラーム法の公式な適用には時間を多少要した。
 1906年のイラン立憲革命によって制定された欽定憲法は、王室政府はシャーを通して人民に与えられた神の賜物であると宣言している。同じ憲法の第2条は、地方の法律すべてにイスラーム法が優先するとし、人々の代表にイスラーム法に矛盾すると認められた法律はいかなるものも無効であるとした。しかしながら、その法は、パフレヴィー朝では書かれた通りには運用されなかった。1925年に承認されたイスラーム刑法典の第5章207条は、強姦についてと同じ文脈の中でソドミー行為について触れている。パートAでは、ソドミー行為は、異性の被害者に対する強姦と同様に、3年から10年、刑務所に送られることで罰せられる。次のような7つのより悪い条件が認められると、最大限の刑罰が宣告されうる。

1 被害者が18歳以下である場合
2 被害者が婚姻した女性である場合
3 被害者が処女である場合
4 被害者が精神病であり、意思決定能力がない場合
5 強制によりソドミー行為が行われた場合
6 加害者が被害者の教師や使用人あるいは、被害者より地位の高い者のために働いている場合
7 加害者が婚姻した男性である場合

加害者にとって被害者が一親等の姻族であるとき、あるいは、三親等の血族 sanguain であるとき、終身刑が適用される。
 パートBでは、女性が15歳以上18歳未満の時、強制のない性行為に関する条項が異性間に適用されると定めている。これらの加害行為に対する刑罰は、3年から7年の初級懲役刑である。パートAのもとでは同じケースは、7年という最大限の刑罰に処される可能性がある。15歳以下の女性との性的関係に対しては、その処罰は3年から10年の懲役刑である。
 この法律の212条は特に姦通について定め、有罪の判決を受けた当事者に6ヶ月か ら3年、刑務所に収監することで処罰するとする。(この条文の)適用があるケースは次の通りである。

1 婚姻した女性が不法な性行為を男性と行った場合
2 婚姻した男性が不法な性行為を女性と行った場合
3 男性が婚姻した女性と不法な性行為を行った場合
4 婚姻した女性が男性と婚姻する場合
5 男性が婚姻した女性と婚姻する場合

 はじめの3つのケースは市民的犯罪であり、処罰は私的な市民による告訴に依存す る。これに対し、残りのケースは刑事的な罪であり、国家の領域にかかわっている。
 革命前のイランの刑法典では同性愛について一般的な文脈での言及はなかった。これらの法律は、部分的には1991年の新しいイスラーム刑法典に取って代わられてはいるが、まだイラン・イスラーム共和国刑法典の一部をなしている。ほかの多くの法律と同様に、これは、過去の法典で公式にはまだ改正されていないものから、別個に並存する法典である。
 イスラーム刑法典は5編構成である。

1 序章
2 聖職者による処罰 Hodud
3 懲罰 Qissas
4 補償もしくは賠償金 Diyat
5 悔悟もしくは予防刑 Taazirat

 はじめの4編は1991年の12月に成文化され、最終編は、1996年6月に承認 された。この論文は第2編「聖職者による処罰」に関するものであり、第2編は63条から134条で姦通と同性愛行為について触れている。これらは、それぞれ「姦通」 zina'a、 「ソドミー行為および男性の同性間性行為」 la'vaAt 、「女性の同性間性行為」 mosaheqeh という3つのセクションで扱われている。それぞれのセクションは、犯罪、それとは異なる類型、証明のための条項、処罰のための条項を規定する個別の章を持っている。
 イスラーム刑法典は姦通と同性間性行為を犯罪としており、窃盗や殺人あるいは「神の敵」となることなど、ほかの犯罪よりも前に、姦通と同性愛について言及している。当該法典は、男性同性愛者と女性同性愛者についての条項を分けられたセクション、細目で厳密に区別しており、姦通についてのセクション全体も同様である。処罰は革命以前の刑法典に比べて劇的に増加した。現在の刑法典は、いずれの性に対しても同性愛行為は違法であるとしている。
 63条から81条では犯罪とそれを証明するための条項が規定されている。そこで は、故意に犯罪を犯した者であって、裁判官の前で4回それを告白し、あるいは4人の男性又は3人の男性と2人の女性に目撃された者を処罰することができると定めら れている。姦通は、死刑あるいは石打ち刑による死刑で処罰することができるが、いくつかのケースでは鞭打ちによって処罰できる。82条は次のような場合に処刑されると定める。

1 (性的関係を持つことが)禁止されている血族間での性交 fornication
2 義理の母との性交 fornication
3 イスラーム教徒の女性と性行為を持った having sex イスラーム教徒でない男性
4 強姦犯人

 83条は次のような場合石打ち刑による死刑に処せられると定める。

1 自身の妻がすぐそばにおり、望めば、いつでも妻と性交できるにもかかわらず、 その他の女性と性交した既婚の成人男性
2 夫がすぐそばにおり、夫と性交をすることができるにもかかわらず、その他の成 人男性と性交した既婚の成人女性

 同じ条文は、どちらも距離や懲役刑などのために自身の配偶者に接近できない当事者である場合は、石打ち刑は適用されないとしている。また、その条文は婚姻した成人女性が未成年男性と性交した場合は、鞭打ち刑に処せられると定める。88条は82条あるいは83条の定義に従って、適格が認められなかった場合には、姦通は鞭打ち百回で処罰されると定める。90条は、もし姦通者が4回の処罰の後、犯罪を繰り返した場合、その者は死刑に処せられると定める。このセクションの続きに、妊娠期間中あるいは赤ん坊を保育している女性に対する刑の適用の例外あるいは延期条項が置かれている。98条から107条は、一番初めの石を投げるべき人は誰かを含む刑の執行についての規定を説明している。103条は、男性は地面の穴に彼の腰にいたるまでうめられ、女性は大体胸のあたりまで埋められると定める。104条は石の大きさについて定義し、石打ち刑に際し、石は1発か2発で死んでしまうほど大きいものであってはならないと定める。103条はもし穴の中の人間が逃げることができた場合、目撃者によって犯罪が確証されたのであればその者は連れ戻されるが、もし、その者が自身の告白に基づいて刑が宣告されたのであれば、その者は連れ戻されることは無いと定めている。
 Hodud編の第2章はソドミー行為及び男性同性愛者に関連する。革命前の刑法典は10年を上限としてソドミー行為のみを処罰していた。108条から126条は犯罪を定義し、処罰規定を定めている。
 110条は、ソドミー行為 la'vaAt は、死刑に処し、手段と処罰条件は裁判官が定めると規定する。彼らが成熟しており、思慮分別があり、自由な意志に基づいて当該行為に及んだことは考慮されるが、能動的な当事者であろうと、受動的な当事者であろうと区別はされない。112条は、能動的な成人男性は死刑に処せられるが、未成年の受動的な当事者に対しては鞭打ち74回で処罰すると定める。両当事者が未成年者である場合、両者は鞭打ち74回で処罰される。法は続けて男性同性愛者(tafkhiz) の肉体関係を持たない関係についてさえも処罰を規定する。121条は性的な関係を持った場合鞭打ち100回で処罰すると定める。能動的な当事者がイスラーム教徒でない場合、その者は死刑に処せられる。ソドミー行為なしに性的な関係を繰り返しかつ4回処罰されると、その後には死刑が待ち受けている。123条は、親族関係に無い二人の男性が同じ屋根の元で何の理由もなしに裸でいるところを目撃された場合、彼らはそれぞれ鞭打ち99回で処罰される。性的な意味合いのあるキスは124条により鞭打ち60回で処罰される。
 Hodud編の第3章では、女性同性愛者を取り扱っている。革命前の刑法典では女性同性愛者について何の言及も無かったことに注意すべきである。127条から 134条で女性同性愛者条項 mosaheqeh が規定されている。
129条は女性同性愛者に対し鞭打ち百回の刑を定めている。130条は、女性同性愛者に対する刑罰 The hadd for mosaheqeh は、成熟しており、思慮分別、自由意志に基づき、故意にそれを行った者に対して定められるべきであると規定する。能動的か、受動的か、イスラーム教徒か、イスラーム教徒でないかでは区別されない。132条は女性の同性間性行為を繰り返し、3回処罰された後、4度目には死刑に処せられると規定する。134条は、親族関係に無い二人の女性が同じ屋根の下で何の理由もなしに裸でいるところを目撃された場合、それぞれ、100回以下の鞭打ちで処罰され、3回、それを繰り返したときは、鞭打ち100回で処罰される。

国際的な人権規定:「世界人権宣言」(UDHR)と
「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(ICCPR)

 1948年に国際連合(国連)総会で採択された世界人権宣言は、国連加盟国すべてに受容されている。サウディ・アラビアの例外について、宣言の採択時、すべての加盟国 は棄権したが、安全保障理事会の最終条項で、公式に採択された(ヘルシンキ 1975)。
 世界人権宣言は、すべての社会に対する「達成されるべき標準的基準」として、採択された。年を経るにつれて、宣言は法的な性格を帯びるようになり、多くの総会の決議は、満場一致で、国々の「義務」とは、「十分かつ誠実に」その条件を「守る」ことであると宣言した。人権支持者の大多数の間での支配的な解釈は、世界人権宣言の条項に違反するいかなる法律も国際法違反とみなされるというものであるが、宣言の法的性質については疑義が存在している。
 市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR) への展開の背景には、国内法での履行、批准及び国内法への採択の手段につ いてより具体的でなければならないという理由があり、その結果として規約は法的な義務を課すものになった。結果的に、ICCPRの作成についての議論が、世界人権宣言と同 時あるいはそれ以前からなされていたにもかかわらず、国連がICCPRを総会の投票にかけるのに十分な数の承認を得るのに18年かかり、1966年になってやっと総会の投票に付された。
 イランは1975年6月に規約を承認し、1978年2月に拷問 に対する国連宣言を支持すると再び明言した。その後イラン・イスラーム共和国が支配を確立した以降も、これらの宣言への国家としての同意は取り消されていない。実際、1984年12月3日、イラン代表は、国連総会の第三委員会に決議草案を提案し、その中で、同代表は拷問に対する国連宣言の重要性について再び明言し、拷問のための新しい技術及び社会的な法制度は個人および社会の将来にとって有害この上ないと認め、拷問について定めるすべての法律を非難した。
 世界人権宣言の第3条は「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。」と定める。第5条は、何人も、拷問又は残虐な、非人道的なもしくは屈辱的な取扱若しくは刑罰をうけることはない。」とする。
 ICCPR第6条1項は、「すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は法律によって保護される。何人も、恣意的にその生命を奪われない。」と宣言する。同じ条項の第2項では、「死刑を廃止していない国においては、もっとも重大な犯罪についてのみ科することができる。」とはっきり指摘している。ICCPR第6条5項では明確に、「死刑は、18歳未満のものが行った犯罪について科してはならず、また、妊娠中の女子に対して執行してはならない。」と定める。ICCPR第7条は再び、「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けない。」と定める。
 世界人権宣言とICCPRが、両方とも、生命に対する権利を重要視しているのは、生命がなければ、その他のいかなる権利も意味をなさないという事実に由来している。生命に対する権利は、比較するまでもなく、すべての人権の中でもっとも重要なものである。国連決議では、加盟国が死刑を廃止するように奨励されているが、生命に対する権利が死刑の廃止として解釈されるようには意図されていないということは、両文書で明確に示されている。しかし、その一方で ICCPRは、死刑は重大な犯罪以外には科してはならないとし、権限のある裁判所が言い渡した確定判決によってのみ執行することができると定めている。
 姦通及び同性間性行為についていえば、犯罪の重大性の解釈は、そのほとんどが加盟国の解釈に依存している。国連では、「重大犯罪」の語彙をすべての加盟国が受け入れ可能な方法で定義付けられてはいないが、いくつかのある文書では、非暴力的あるいは政治的な加害に対して死刑を科すことは、特に非難すべき事項として掲げられた。
 理解の手助けのために、暴力犯罪に対してと同様に犯罪の定義をここで示しておこう。ブラックの法律辞典 Black's Law Dictionary は「犯罪」という語彙を刑法に違反する積極的あるいは消極的な行為と定義する。一般の用法では、「犯罪」とはより本質的に重大な加害行為を意味するよう意図されているが、同辞典は、「犯罪」と「軽犯罪」は厳密に言うと、同義の語彙であるとも言う。同辞典は、「暴力犯罪」についても、人あるいは他人の財産に対する有形力の行使、意図的な行使あるいは脅迫のための行使という要素を有する加害行為、または、その他の重大な犯罪にあたる加害行為であり、加害行為の過程で本質的に人または財産に対して有形力を行使する実質的な危険を有する加害行為と定義している。暴力犯罪は、故意による殺人、殺人、強姦、故意の傷害行為、未成年者誘拐、強窃盗、夜間強盗、昼間強盗を含む。これらを参照すれば、 社会の規範に違反すると考えられている性的な行動に対する死刑の適用は、犯罪の重大性という条件を満足せず、国際法の基準に反している。
 イスラーム教徒の研究者でカナダのサスカチュワン Saskatchewan 大学の法学部で人権について教授をしているアブデュラー・アーメド・アン・ナイム Abdullah Ahmed An-naimは、彼の「人権の国際基準の定義に対する比較文化的アプローチについて」と題するエッセイの中で、「特異性および多様性の明確さにもかかわらず、人類とその社会は、普遍的人権という共通文化の骨組みとして特定できかつ明確に概念化できる、特定の最も基本的な利益、関心、資質、特徴、及び価値を共有している。」と述べている。
 文化相対主義の主導者の一人であるメルヴィル・J・ハースコヴィッツ Melville J. Herskovits は、次のように述べて、絶対性(absolutes)と普遍性(universals)を区別している。「『価値あるいは道徳の絶対的な基準は存在しない』ということは、そのような基準が、多様な形で、人類の文化の中で普遍性(多様性の広がりの中から抽出される最小限の共通の特徴)を構成しないということを意味しているわけではない。道徳性は普遍的であり、美の喜び、一定の標準的な真実もまた然りである。これらの概念には多くの形態が存在するが、それは、社会の特定の歴史的な経験の産物でしかない。その社会ごとに、基準は継続して投げかけられる疑義や、継続する変化に従う」。 道徳性は一般に普遍性を有する観念であるが、その中身は社会ごとに異なる。言い換えれば、西側世界で道徳的に受容されていることは、残りの世界においては拒絶されるかもしれない。
 これに対置する議論として、犯罪を処罰するために採用される道具の種類についての議論がある。ICCPRの第7条及び世界人権宣言の第5条は、「何人も拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けない。」とはっきり明言している。国連は、拷問とは「処罰、情報の入手、脅迫、弾圧のような目的あるいはその他の理由に基づいて、肉体的か精神的かにかかわらず、過酷な痛みあるいは苦痛を意図的に加える行為すべてであり、当局の黙認によりあるいは黙認に基づいて加えられる苦痛である。」とする。何が非人道的で屈辱的な取扱であるかについては、拷問とは何かについてと同じくらい膨大な量の文献がある。しかしながら、 先述のアン・ナイム An-Naimは、主として、本条文の後半部分が「残虐で、非人道的でありかつ屈辱的な取扱及び処罰」にさらされないことをすべての人に明確に保障しているために、これらの条項の2つの部分の間には重複があると論ずる。その一方で、彼は、拷問は「残虐で、非人道的でありかつ屈辱的な取扱及び処罰のうち、より程度が重く、意図的なもの」であり、それは、「法律で認められた制裁に本来的に備わっているか、必ず付随するようなものからのみ生ずる痛みあるいは苦痛は含まない」と定義している。彼は、別の言葉で、「合法的な制裁が、残虐で、非人道的でありかつ屈辱的な取扱及び処罰であることは可能である。」と結論づける。しかしながら、この解釈は一般的でないことは明らかである。処遇と処罰の区別、非人道的で残虐な行為についての定義、及びこれらの権利に従っているものとして認容されうる苦痛および痛みの程度について、多くの議論がなされている。死刑は人類の尊厳にとって不適切であり、非人道的な処罰に当たるとするべきだと考える人は多くいるが、世界人権宣言第6条は死刑を特定の手続き及び条件のもとに許容している。しかしながら、死刑が、拷問あるいはなかなか死に至らしめない方法によってもたらされる死を含む、すなわち生命の剥奪以上のものをふくむべきであるのであれば、それは、残虐で非人道的であるという考えは一般的である。それ故に、石打ち刑による死刑は残虐で非人道的でありかつ屈辱的な処罰なのである。
 イスラーム世界における残虐で非人道的な取り扱い及び処罰に対する解釈に関する限りでは、アン・ナイムは、「イスラーム法 Sharia は、イスラーム法が要求する処罰を執行する以前に、社会的および経済的な正義の確保および全ての市民に対し適当な生活水準を保障するという義務が実現された状態を要求している。」と信じている。彼は、「イスラーム法上の処罰を執行する上での必須条件は、実際上は、充足するのが非常に難しく、いかなるイスラーム教との国においても、近い将来、処罰が執行される資格要件を満たすことはありそうもない。」とも示唆する。しかし、アン・ネイムの言及とはうらはらに、サウジアラビア、スーダン、パキスタンおよびイラン・イスラーム共和国ではイスラーム法が実践されており、これは、いわゆるイスラーム政府が自身に法をそっくりそのまま実行する資格があると認識していることを示している。
 イスラーム主義者は、別の論点として次のようなことを主張することもある。それは、イスラームの信念においては、生命はこの世界に限られているのではなく、来世こそが最も重要な部分なのであるというものである。さらに、創造主による別の裁きが行われようとしており、この世で裁判され、処罰されていないものは、来世でより厳しい処罰に直面する可能性があるという議論が提示される。しかし、預言者ムハンマドは次のようにも述べている。「もし少しでも疑い shubha があるならば、『クルアーン』(訳注:ムハンマドの著述によるイスラーム教の聖典。一般には「コーラン」)に基づく処罰 the Quoranic punishment が科されるべきではない。疑いのあるケースにおいて、処罰を科す方向で誤りをおかすよりも、処罰を差し控える方向で誤りを犯す方が適切である」。
 アン・ナイムは、普遍的な概念理解を達成するために、差異についての文化相互の対話を提案する。この考えは、現在亡命中のイラン人学者であるソロウシュ博士 Soroush によっても提案されている。いずれにせよ、アン・ナイムは、「イスラーム教の国内的な再解釈、多文化間の対話のいずれも、イスラーム教に基づく処罰を完全に廃止するという方向には結びつきそうにない」と警告する。彼は最後に、より厳しい手続き的な要件を発達させるか、実行を制限することによって、社会はそのゴールにより近づくことができると提案する。彼は、その例として、手続要件を厳密にすることにより、イスラーム法と同様に厳しい処罰を実践面においては低減させているユダヤ法学にについて言及している。

イラン・イスラーム共和国における刑法の適用と
人権に関する国際的な要求との矛盾

 イラン・イスラーム共和国憲法第38条では、少なくとも条文の上では拷問は禁止されている。これは刑罰には適用されず、取り調べ・起訴のプロセスと自白に限定されたものである。しかし、1982年8月22日、ホメイニー師 Ayatollah Khomeini は講演の中で「旧体制において施行されてきた全ての法律は反イスラーム的であり、破棄されるべきである」と宣言した。翌日、イスラーム共和国高等司法委員会は、「法務省内のすべての裁判所および検察官事務所は、イスラームに矛盾する全ての法律を無効とみなすべきである」とする指示を出した。しかし、イランはこの指示によって世界人権宣言や国際人権規約(市民的・政治的権利に関する規約)を公式に脱退したわけではなく、この指示は、イランが国際法の原則を遵守しなければならないという義務をいささかも変更するものではない。
 国際連合の人権に関連する宣言で使用されている用語のうちのいくつかは、加盟国の解釈に委ねられている。しかし、ある部分についてはあいまいな解釈は許されない。例えば、「市民的政治的権利に関する国際規約」によれば、18歳以下の者はいかなる者も死刑に処されないと決められており、この年齢に関する規定には、国や社会による独自の解釈をする余地は認められていない。しかし、1981年の12月に13歳と15歳の児童2名が死刑にされたことが報告され、大きな反響を引き起こした。このとき、イスラーム判事であるギラニ師 Ayatollah Guilani は「イスラーム法においては、9歳の少女も合理的判断能力を有するとみなされており、この少女と例えば40歳の男性との間には法的になんらの差異もない。よって、イスラーム法では、刑罰を科すことは禁じられていない」と宣言した。
 現実には、革命裁判所を含むイスラーム共和国の司法システムによる実践のほとんどは自国の刑法やその他の法律に従って行われておらず、ほとんどは裁判を進行する判事の恣意的な決定に委ねられている。刑法110条は次のように規定している:「ソドミー la'vaAt の刑罰は死刑であり、その方法は判事によって決定される」。BBCの報道によると、イスラーム共和国最高裁判所長官(当時)であったムサヴィ・アルデビーリー師 Ayatollah Mousavi Aldebilli はテヘラン大学の講演の中で次のように述べている。「「同性愛者を拘束し、立たせ、剣により、頭から二分するか斬首するかして体を二つに割くべきである。死亡した後は、火葬とするか、山頂から投げ落とすべきである。その後死体を集め、焼却すべきである。あるいは、穴を掘り、生きたまま焼却してもよい」。
 言い変えれば、刑法では裁判官の判断を促進するため、裁判官に一定の解釈の自由が認められている。これらの勧告に従って、告発された人間をタワー・クレーンから投げ落とした事例も報告されている。
 残念ながら、イラン・イスラーム共和国において、何人の人間に死刑が執行されたかについての信頼できる記録は存在しない。以下のグラフは、イランに関するアムネスティ・インターナショナルの報告に基づいたもので、年度別に、合計13662人の人間が処刑されたことが示されている。アムネスティ・インターナショナルは、この年間報告が公式に発表された死刑執行数に家族等の証言が得られたケースを加算しただけに過ぎず、実際に処刑された数よりも格段に少ないであろうということを認めている。公式に発表されない、また、アムネスティ・インターナショナルに報告されていない死刑執行例はかなり多くあるものと思われる。 これまで、国際的な、あるいは独立した組織が、死刑のケースに関する政府の記録を確認したことはないが、記録された死刑ケースの大部分は政治的反対者に対する処刑と麻薬に関連した犯罪に対するものであると考えられる。次に続くのが、殺人と性的犯罪に対するもので、この17年間に、72人が石打ち刑によって処刑されている。この数は、イスラーム刑法が裁判に導入されたのちの5年間で、1985年の2名から増大し、86年には6名、87名には4名、89年には43名に登っている。1989年の4月には、ブシェール Bushehr のサッカー場で、12名の女性と3名の男性が性的な犯罪の疑いで石打ち刑により処刑された。同年、43名が全国各地域で石打ち刑により処刑されている。その後、石打ち刑による処刑ケースは減少したが、それでも10名以上の人々が石打ち刑に処されている。
 アムネスティ・インターナショナルは、1990年には、4名がマシュハード Mashad で男性の同性間性行為 lava'At の有罪宣告を受け、数名が斬首刑に処されたこと、少なくとも6名が石打ち、1名が崖からの投擲により処刑され、17歳の少年も死刑に処されたことを報告している。1995年のアムネスティ・インターナショナルのレポートでは、1名が石打ち刑により処刑され、2名も石打ち刑の判決を受けたが、国際的なキャンペーンによって執行が一時的に停止されたことを報道している。

結論

 国際的に、人権の擁護に関して大きな全身が記録されているにも関わらず、世界の多くの人々はいまだに、迫害、逮捕監禁、拷問、死刑の恐怖にさらされながら生きている。国連は、国連憲章と世界人権宣言において、全ての人の人権が尊重されなければならないと宣言している。しかし、異なった背景をもつ多くの人々が、不適切な処遇の犠牲となっている。これまでに議論してきたとおり、拷問とは、公的機関により、もしくはその黙認の下で、刑罰、情報提供の強要、脅迫、強制その他のあらゆる目的のために、厳しい肉体的・精神的な苦痛・打撃を故意に科すあらゆる行為として定義される。市民的・政治的権利に関する国際規約を始め、あらゆる国際条約が、拷問、人間の尊厳を奪う非人間的な取扱いや刑罰を禁止しているが、これらにはイランも加盟している。イラン・イスラーム共和国憲法第38条は、刑罰については除外するとしても、少なくとも、取り調べ・起訴および自白に関する過程における拷問を禁止している。市民的・政治的権利に関する国際規約は、死刑については重大犯罪に限定するように求めているが、イスラーム刑法は、他人を傷つけたり、損害を与えたりするような犯罪でない様々なことがらについて、死刑に処すことを定めている。総括的に言えば、イスラーム共和国の刑法は、以下の点について、人権に関する国際的な要求と以下の点で矛盾する。
(1)婚姻相手以外との性交渉 adultery および同性愛 homosexuality に関する死刑は、市民的・政治的権利に関する国際規約および世界人権宣言に違反する。これらの行為はあらゆる意味で「重大犯罪」や暴力的犯罪とみなされるものではないからである。いうまでもなく、これらの行為のいくつかは、犯罪等というものではなく、世界の他の地域では「人権」として認められているものである。
(2)石打ち刑、身体切断刑および斬首刑は非人間的で残酷な刑罰であり、拷問とみなされる。それゆえ、これらの刑罰はあらゆる国際条約や人権規定に違反する。
(3)イスラーム法学は18歳以下の児童に対する死刑執行を認めており、イランの司法システムでは18歳以下の児童への死刑執行が行われているが、これは市民的・政治的権利に関する国際規約、および人権に関する国際的基準と完全に矛盾する。
 結論として、イラン・イスラーム共和国は、世界人権宣言および市民的・政治的権利に関する国際規約の加盟国たる地位を破棄するか、もしくは刑法を改正することによって、これらの条約に明記されている法的な遵守事項に従うべきである。しかし、後者の方法は、完全な政教分離が実現するまでは困難であろう。

 


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