イラン人ゲイ難民シェイダさん在留権裁判

証人 グダーズ・エグテダーリ氏について



グダーズ・エグテダーリ氏の横顔

 グダーズ・エグテダーリ氏は1956年、イラン南部の拠点都市・シーラーズ Shiraz に生まれました。当時、イランは民主政権を樹立し石油を国有化しようとしたモサデグ首相の試み(1952〜53年)が西側と皇帝によって鎮圧されたばかりで、きびしいパフレヴィー朝の圧制下にありました。1978年〜79年のイラン革命期には、彼はテヘランのイラン科学技術大学で学ぶ学生でした。革命に参加した様々な諸勢力がイスラーム勢力による恐怖政治の中で徹底的に弾圧され、ホメイニー師の下で「法学者による統治」(ヴェラーヤテ・ファギーフ)体制が確立していく過程を、彼はシェイダさんより少し年上の人間の目でつぶさにみていたわけです。
 1990年、彼はついにイランを出国、アメリカ合州国に身を寄せることになります。「多様性を認め、リベラルで、かつ静かだから、私はこの街を選んだ」とエグテダーリ氏自身がいうオレゴン州のポートランドに身を落ち着けて、彼は情報工学の仕事に従事するかたわら、イランにおける死刑の廃止とイランの人権状況の改善のための調査・研究に身を乗り出します。彼は国際組織「イラン人権グループ」(Iranian Human Rights Group)の執行委員会委員を4年間つとめ、イランの人権問題の調査・研究とアピールに精力を傾注します。その中で行き当たったのが、同性愛者に対する死刑の問題、および女性の婚外性交渉に対する死刑の問題でした。国外で活動するイランの民主化運動、政治運動に携わる人々の多くが触れたがらなかった、とくに同性愛者に対する死刑の問題に、彼は積極的に関わりました。1997年には、アトランタで開催された「イラン研究センター」Center for Iranian Resource において、「イランにおける同性愛者および婚外性行為に対する死刑執行」というタイトルの発表を行い、イランでの同性愛者に対する弾圧を整理した上、イランにおける同性愛者の処刑が国連人権規約に違反するものであることをはっきりと主張しました。
 この論文は、シェイダさんの裁判を支援していた「チームS」のメンバーの目に止まり、チームSではこの論文を多くの方の協力を得て翻訳すると同時に、エグテダーリ氏に連絡をとり、これまでのイランの同性愛者弾圧についてまとめて陳述書を作成してもらうこと、シェイダさん裁判において証人になってくれることをお願いしました。エグテダーリ氏はこれを快く引き受けてくれ、これまでに二つの陳述書を提出して現在に至っています。
 一方、エグテダーリ氏はイランの人権問題全般の研究も積極的に行っており、死刑の問題については、現在イラン国内で司法府を握る保守派に抵抗している、いわゆる「改革派」の中に存在する様々な潮流の傾向や、これらの人々の「死刑」に対する見解などについても広く整理し、論文などにまとめています。また、その一方で、アメリカ合州国やヨーロッパの中東政策に対して、中東に生きる人々の立場から問題提起を行っています。その活動は、現在エグテダーリ氏が地元FM局(Radio KBOO)で持っているラジオ番組「中東の声」(Voices of the Middle East http://www.voicesofthemiddleeast.com/)に結実しています。このように、エグテダーリ氏は、同性愛者の人権の問題についてイランの国家や社会のあり方について専門家として証言することができるとともに、現代イランや中東のあり方について、的確な発言ができる人であるということができます。

 

グダーズ・エグテダーリ氏の証人尋問
何を達成するか

シェイダさんの裁判を扱っている裁判官たちは、「イランで同性愛者を死刑にする法律があり、実際に死刑が適用されている事例があるということはわかった、しかし、実際に死刑にされる危険性がどの程度あるのかということに関しては、未だ十分な論証がされていない」というようなことを法廷で述べています。
 国際的な難民条約解釈においては、迫害を受ける可能性について「合理的な可能性」が存在すれば難民とする、というのが通例ですので、同性愛者の死刑を要求する法律の存在および死刑執行の事例の存在で、難民とするには十分ではないか、という主張も当然成り立ちます。しかし、裁判官が上のようなコメントをする以上、私たちとしては、万全を期すために、シェイダさんが強制送還された場合に迫害の危険性がなぜ、また、どのように存在するか、ということを示さなければなりません。
 私たちは、シェイダさんが帰国した場合に迫害を受ける可能性について、主に(1)イランには、社会的に強い同性愛嫌悪が存在すること、(2)シェイダさんは「ホーマン・イラン同性愛者人権擁護グループ」という、亡命イラン人同性愛者の人権団体に参加して活動をしており、同性愛者の存在の公然化を許さないイラン政府によって弾圧されることは明らかであること、の2点をより積極的に立証していこうと考えています。
 また、エグテダーリ氏は上記2点に加えて、イランの司法システムが、死刑に当たって、例えば同性愛という主要な理由を隠し、他の理由をいろいろと付け加えるといったことを可能にするような形で成立しているものであるということを、実例をもって立証してくれると述べています。また、現在のハータミー政権を構成する「改革派」の潮流の多くが、実際には同性愛者の処刑をも規定しているイスラーム法による支配に反対しているというわけではなく、とかく問題にされることの多い司法府を握る「保守派」だけでなく、改革派の多くも、同性愛者に対しては厳しい姿勢をとっているということも立証してくれるとのことです。
 私たちとしては、エグテダーリ氏の証人尋問において、イランの状況をよく知る当事者から直接、こうした点を立証してもらうことにより、シェイダさんがイランに強制送還されたときに迫害を受ける合理的な可能性が存在する、ということを、はっきりと訴えていきたいと考えています。


エグテダーリ氏と会って

 11月19日、東京地方裁判所。第14回口頭弁論で市村裁判長が軽く流すように「本法廷はエグテダーリ氏を証人として採用するつもりですから」と言ったとき、私はちょっとした驚きと、これからエグテダーリ氏を招く上で必要な労力を予期した、目の眩むような感覚を覚えた。
 難民の裁判で、当該の国の迫害状況を立証するために、外国の専門家を証人に呼ぶというのは、これまでほとんど行われたことがない。これまでの難民訴訟のほとんどは、法務省の主張をほぼ全面的に採用する判決がほとんどだった。そんな判決を書くためなら、外国証人を呼ぶ必要はない。外国証人を呼ぶのは、同性愛者の迫害に関連して、「迫害」に関する難民認定の新たな地平を開くため、のはずだ。裁判官たちも、法務省の旧態依然たる「難民鎖国」政策により数百件の難民裁判を抱えて呻吟している。その打開のための突破口の一つを、裁判官たちはこの裁判に求めてきたのだ。私たちも覚悟を決めなければならない……。ふと感じた当惑は、徐々に覚悟と使命感へと変わっていった。
 12月13日。エグテダーリ氏が住むアメリカ合州国オレゴン州・ポートランドは、東京よりも幾分温かいが、雨が降らない日はないという。その日も雨で、エグテダーリ氏は、仕事が終わってから、私が宿泊した安ホテルのロビーに来てくれた。
 グダーズ・エグテダーリ。イラン科学技術大学を卒業したこの情報工学の専門家は、もう一つの別の顔を持つ。イランの人権問題の専門家であり、イランにおいて行われている死刑を撤廃するために調査活動を精力的に続けている。「イラン人権ワーキンググループ」の執行委員会メンバーを4年務め、1997年、イラン調査研究センター主催の国際会議で、同性愛者と女性の婚姻外性行為に対するイランの処刑の実態について発表を行い、長い論文を書いた。これまでのメールのやりとりで、彼はゲイではないということ、しかし、とても誠実な人物だということはわかっている。彼はシェイダさんのために、これまで彼が収拾したデータを整理し直して、長い陳述書を作成してくれた。
 彼はいま47歳。たくましい口ひげをたくわえた、身長190センチはあると思われる大男だ。ポートランド大学の近くにある喫茶店で、シェイダさん裁判の打ち合わせをした。彼の話しぶりは、とても穏やかで落ち着いていた。ときたま上げるちょっと皮肉な笑い声が印象的だ。彼の生い立ちと経歴、シェイダさん裁判の経過と現状、裁判官が何を考えているか、今までの私たちの主張の弱いところはどこにあり、証言では何を達成する必要があるか……打ち合わせはそうしたことに始まり、現在のイランの改革派の政治的な立場のあり方、ブッシュ行政が押し進めるイラク攻撃の問題点と、西海岸における反戦運動の現状……にまで話は及んだ。ポートランドでは、彼が執行委員会メンバーを務める平和運動のグループが、11月に二万人の参加するイラク攻撃反対のデモンストレーションを行ったという。また、これも驚きだったが、彼はオレゴン州の公共ラジオ「RADIO KBOO」(http://www.kboo.fm/)で「中東の声」(Voice of the Middle East)という一時間番組を持ち、中東地域にかかわる活動家や研究者の声を紹介しているという(ホームページ:http://www.voicesofthemiddleeast.com/)。
 彼とポートランド郊外にあるアラブ料理店で食事をし、翌日、彼が書いたイランの改革派勢力についての論文をもらい、こちらは、イギリスで難民として認められたイラン人のケースについて私が持っていた決定文を差し上げた。もうひとつ、彼がくれたのは手帳だった。13世紀のイランの詩人にしてイスラーム神秘主義者・ジェラルディーン・ルミの詩作が書かれた手帳には、「勝利を祈る」という彼のサインが書き込まれていた。(稲場)

 



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