庇護を求め受け入れられることは普遍的な権利
 〜第16回口頭弁論報告集会でのエグテダーリさんのスピーチ〜


 2月18日、エグテダーリさんは3時間30分にもわたる尋問で、
イランにおける同性愛者の迫害について立証しました。
その後の報告集会で、エグテダーリさんは、この日の証言のポイント、
イランの死刑の状況などについて講演しました。以下は、その講演録です。
非常に貴重なものですので、ぜひ目を通していただければ幸いです。

 

□■□まずは法廷の感想から……□■□

●司会:
 エグテダーリさんから今日の裁判の感想についてお話ししていただきたいと思います。実は2年前の10月16 日に原告側として、アメリカから証人として採用したいと裁判所に提出しており、一年以上かけて、やっと呼べたということをつけたしておきたいと思います。じゃ、エグテダーリさんの方よろしくお願いします。

●エグテダーリ:
 皆さんこんばんは。まず英語で話さなければいけないことをお許しください。
 今日の法廷についての感想ですがきわめて普通だったと思います。極めて普通に弁論側が弁論し、それに対して国側が反論するといった形でした。ただ少し驚いたのは国側がしつこく私のバックグラウンドであるとか、私の専門性についてしつこく質問されたというのは少し驚きでした。
 特にに国側はですね、わたしが情報工学というものを専攻しているのですけれども、それについて何をやっているのか、あえて技術者として何をやっているのか、それと同時に人権の研究ができるのかということに関して疑問を持っていたようでした。それは非常におもしろい観点かと思うのですけれども、西洋的な考え方と東洋的な考え方の違いかもしれません。私の同僚でも、情報工学に専念していて、政治家ではないから政治活動を行わないというような人もいます。
 東洋においては詩人であり、同性愛者であり、政治家であり、学者であり、というような一人がいろんな専門性を持っているということもあるのですけど、西洋においてはただひとつのもの専門家であることで考えられているようです。
 私は本当に今日の証言がチームSにとってよい結果をもたらすということを希望しております。チームSの皆さんは本当にここ数年、熱心に働いていらっしゃいました。私に1年半前に連絡をとられてからずっと、私を日本に招聘しようとよくはたらいてくださいましたし、それが、良い結果に結びつくことを祈っています。
 大橋さん、そして大橋さんのパートナーの事務所の弁護士さん、チームSの皆さん、この皆さんは本当にシェイダさんのためだけではなく、日本での権利の獲得を勝ち取るために熱心に働いていらっしゃるというふうに感じています。ありがとうございました。

●司会:
 じゃ、続いてエグテダーリさんにチームSの聞き手のほうから質問をしてイランの状況等について話していただきたいと思います。

□■□日本で証言をするにいたった経緯□■□

●聞き手:
 インタビュアーをする稲場です。チームSのほうでコーディネーター的なことをやっております。今日はエグテダーリさんに3時間にもわたる長い尋問でありまして、もうかなりお疲れかなと思っております。そこで私のほうからの質問は非常に簡単に三つか四つに絞らせていただきたいというふうに思います。
 まず日本からシェイダさんの弁護ということで証人に立ってくれということで、アメリカに住んでいるエグテダーリさんとして、日本に来るというのは大きな決断だったと思います。また、最初にそういうふうに聞いて本当にこちらを信用できるのだろうかとかいろいろ考えられたことと思います。そういう点で最初日本から証言の依頼が来た時どのように思われたかをお伺いしたいです。

●エグテダーリ:
 私は、日本について関心を持っていました。最初に言っておきたいのですが、私はイランの同性愛についての研究を始めたわけではなく、まず、初めにイランにおける死刑について研究を始めました。それが、きっかけとしてイランにおける死刑の適用の対象についての同性愛者について研究を進めるようになりました。
 私自身は論文等の中でもはっきり書いていますが、同性愛者ではないのですけれども、同性愛者の問題について、学会で発表するにあたって、非常に差別を受けているような気分になることが多くありました。他の学者の人達も学会の会場ではなくホテル等のロビーなどで会うと、同性愛者とみなしているのではないか、それによって私は差別を受けているのではないかと感じることもありました。
 私がイランにおける死刑の報告を書いたのは1997年でした。
 私が97年に論文を発表した後に私は弁護士さんからの問い合わせを受けるようになりました。それはカナダですとか、チリ、イギリス、そして、アメリカにおいても何人かの弁護士さんから依頼を受けるようになりました。そして私に供述宣誓書を書いて欲しいとか、意見書を書いて欲しいというようなことを依頼しました。そして、チームSから、私が以前書いた意見書を翻訳させて欲しいという依頼が来たとき、私は私の世界が広がって行くということで嬉しく思っていました。
 私はこの分野についてもっと多くの研究がなされるべきだと思います。本当にがっかりしているのは他の研究者がこの問題に触れようとしないところです。彼らはまだ同性愛者に偏見があるということに非常に大きな理由かとおもいますが、自分の社会的な地位を恐れてかこの分野に入ってこようとしません。同性愛者について研究するのは必ずしも同性愛者でなくても彼らの人権を守るということはできているのですけれども、なかなかそういうふうな人達が出てこないというのはがっかりしていますし、もっと多くの人たちが関わってくるべきではないかなと思っています。
 同性愛者の人権を守るということに関しては本当にもっと多くの仕事がなされるべきだと思っていますが、ヨーロッパにおいては多くの同性愛者が雑誌をだしています。それらは信頼性が高い文章というよりも彼らのコミュニティの中で情報をシェアするという目的が強いと思っております。ですから、もし私が同性愛者だったとしたら、法務省から「あなたは同性愛者だから彼らの立場を守っているのではないか」と攻撃されたのではないでしょうか。

□■□イランにおける死刑の問題□■□

●聞き手:
 どうもありがとうございます。私自身は同性愛者としてこの裁判に関わっているのですけれども、彼は同性愛者ではない。また彼はイランという非常に同性愛者に対して厳しい社会で人生を過ごしてきました。アメリカにおいても日本においてもイランにおいても、イラン人の社会は、非常に同性愛者嫌悪が強いと言われています。しかし、その中で、彼は死刑の問題に関連して同性愛者の問題について研究してきました。今や、この分野において最も知識を持っている第一人者と言えるのではないかと思います。逆に私としてはここで、エグテダーリさんの持っているフィールド、イランの死刑に関する問題についてお聞きしたいと思います。簡単にイランにおける死刑の状況について説明してもらえますか。

●エグテダーリ:
 イランの死刑に関しましては刑法に定められていまして非常に多く死刑が執行されています。1995年には、世界で2番目に死刑の執行が多かったのです。その他の年度においても、2番目、3番目とか4番目という非常に高い確率で執行がされています。1位は中国で、それに引き続いてアメリカ、イランというふうになっています。非常に多くの処刑数があるというのが実情です。
 死刑を廃止しようという動きはあったのですが、それに関しましてはハータミー大統領が権力の座について以降、非常に強くそのような主張がなされるようになりました。「イラン人権ワーキンググループ」という私が執行委員で関わっていた団体でもイランにおける死刑の廃止についても多くの紙面を割いて特集を行っていました。ハータミー大統領が就任して以降、言論の自由というのがある程度確保されてきまして、イランにおいてもある程度自由な言論が確立されてきたのですけれども、非常に死刑の廃止に関しては難しいということになりました。なぜならば裁判官が死刑を宣告できる裁量が非常に広く与えられていて、裁判官自体が死刑を廃止する全く前向きでなかったというのが現状です。
 1979年のイラン革命の後、前の体制を作っていた人たちが多く処刑されました。その中には学者もいますし、軍隊、警察にいた人たちも処刑されています。死刑というのは非常に高い規範でもって定められていてそれを覆して行くのが難しいという現状にあります。
 特に1988年に何千人もの人が死刑を執行されました。当時、ホメイニー師により、刑務所を一掃しろという命令がありました。そして刑務所に繋がれている囚人は2つか3つの質問を聞かれました。まず「あなたは反政府的な団体に入っていますか」。それに「イエス」と答えると次は「その団体の正しさを信じていますか」と。それについても「イエス」と答えるとすぐに処刑されたのです。両方にノーと答えた人は命を救われていたわけですが、その当時2〜3週間のあいだに4000人〜8000人が処刑されたというふうに言われています。
 現在は死刑を廃止するという方向ではなくて死刑の執行方法に関して議論がなされています。イランにおいては様々な執行方法がありますけれども、特に石打ちによる死刑というのは非常に苦しみを伴う拷問であると思います。私は今回、石打ちによる執行のビデオテープを持ってきました。それに通常は男性が腹部まで、女性は胸まで土のなかに埋められます。投げる石の大きさも定められています。大きすぎてはいけません。なぜなら1回投げただけでも死んでしまうからです。石打ち刑では、死にいたるまで20〜30分かかります。もし絞首刑であれば、5分程度で死んでしまいます。電気椅子であれば、1分かからない程度です。注射による死刑というのは痛みは伴いません。ですから石打ちというのは痛みを伴う拷問であると言えます。
 同性愛者の死刑執行について話を戻します。刑法に関してはどのような方法で執行するかは決められていません。それは裁判官の裁量で執行するというふうに言われています。ただ最高裁判所の方で示唆がなされています。二つ紹介しますが、まず一人このような処刑行為がいいと言ったのはソドミー行為を行った人は全て火に投げ込めばいいといった最高裁判所の裁判官がいました。そしてもう一人は高いところから突き落とすのがいいといいました。そしてクレーンで吊り上げられ処刑されたという人もいます。

□■□難民の庇護は普遍的な権利□■□

●聞き手:
 イランでは非常に厳しい処刑が行われているわけです。私達としてはイランにおける、また全世界における死刑というものが、適切ではないと強く感じています。
 そしてもうひとつ、この問題、シェイダさんの問題は、このような死刑をやっている国に彼を強制的に送還するという日本政府の処分が行われようとしていて、それに対する裁判を行っているわけです。ここで、この質問で終わりにしたいのですけれども、難民を受け入れる重要性についてどのように考えるているかということをお伺いしたいと思います。

●エグテダーリ:
 一般的に話しますと、庇護をもとめ受け入れられる権利というのは世界人権宣言にも書かれています。これは普遍的な権利であると言えます。日本政府においてもその普遍的な権利を受け入れている国際社会の一員として難民を受け入れていって欲しいと思っています。
 そしてもうひとつ、条約として、拷問等禁止条約というものがあります。これは拷問による処罰を禁止しています。この拷問による処罰というのはヨーロッパの国々によっても否定されているものであり、EUのメンバーになる条件のひとつでもあります。EUのメンバーになるというのには死刑の撤廃というものも挙げられています。そのためにトルコにおいては近年、EUのメンバーになるために死刑というものを廃止しました。死刑を待ちうける国にその人を返さないという規範も出来上がっているといえるのではないでしょうか。たとえテロリストでも返せないということがありました。昨年、フランスでは2001年9月11日に起きた悲劇的な事件に関係しているイスラム系のグループのメンバーと疑われた人が逮捕されアメリカに送還されそうになりましたけれども、アメリカにはまだ死刑は存在しているということで、フランスで送還が止まったというケースがありました。

●聞き手:
 どうもありがとうございました。はるばるアメリカのポートランドから時間をかけて日本に来ていただいてこういうかたちで、そして3時間にわたる尋問をシェイダさんのため、そして日本の人権状況の改善のため、このようなエグテダーリさんに私達としても深い感謝をしたいと思います。

●司会:
 どうもありがとうございました。エグテダーリさんにつきましては13ページにある紹介と明日シンポジウムが開かれるるので、そこでイランの状況についてもっと知れると思います。ここで何かエグテダーリさんにちょっと聞いておきたいこととかイランの状況とか今日の裁判の分からなかったこととかあればですね、ご質問していただければと思います。

●質問者1:
 死刑のことでお伺いしたいんですが、先ほどの法廷での証言の中で、石打ち刑という処刑方法と、シャリーア法というのは非常に結びついているとおっしゃったと思うんです。その辺についてちょっとお聞かせ願えないでしょうか。また石打ち刑という場合に処刑する処刑者とはどのような人達、複数のひとが関わるのではないかと思うのですが、どういう人が処刑者となるのでしょうか。処刑する人。執行人ということです。

●エグテダーリ:
 まずは一つ目の質問に関してですけれども、石打ち刑というのはシャリーア法の一部です。刑法というのは石打ち刑を認めています。この刑法が最終的に定められたのは1991年です。その規定によると、婚外性交渉であるとか、同性愛行為、その他裁判官が、その人を石打ち刑にしたいと思ったら、誰でも石打ち刑になるということです。
 一時、法務省が石打ち刑をとめようということはありました。しかし現在までにそれは実現に至っていません。
 石打ち刑は基本的に公開で行われます。なぜ公開で行うかというと多くのひとにこのことを知って欲しいということになります。もし隠れた場所で処刑するのであれば、誰もそのことを知らずに終わるということになります。なぜ知らせるかというとそれは見せしめのためで、例えばクレーンで吊るというとして見せしめにするということもあります。これは人々にこのようなことをしないようにという教訓を与えるようにということです。つまり、「この人を見なさい。この人は不貞行為を働いたから、婚外性交渉もしくは同性愛行為を行ったからこのようになった。あなたも同じようなことをしたらこうなります」という教訓を与えるためだだからであると思います。人民に、倫理に関する罪を犯させないように、そのような教訓があるのではないでしょうか。現在では石打ち刑に変わる刑罰を導入すべきではないか、というような議論がなされています。それは死刑をとめるのではなくて別の方法で公開ではなく、わからないように公衆の目にさらさずにするほうが良いのではないかというふうな議論で、本質的な解決策ではありません。
 二つ目のご質問に関してですけれども、基本的に定められるところには、罪を犯していない人のみが石を投げられるとなっています。けれども罪を犯していない人などはいないのではないでしょうか。私が弁護士の大橋先生に差し上げたビデオの中では、これが全くの公開であるかどうかは分かりませんが、軍の施設において行われていました。一番はじめにに石を投げたのは裁判官でした。

 


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