イラン調査研究ジャーナル 2002年11月号(通算18巻2号)

改革運動、市民権、そして人権

本論文は、グダーズ・エグテダーリ氏がイラン国内におけるいわゆる「改革派」運動のもつ多様な政治的立場を分析したものである。イラン・イスラーム共和国における、実践と結びついたイスラーム国家論研究の深まりについて知ることの出来る、非常に興味深い論文である。

 

 パフレヴィー朝体制の最後の10年には、ゲリラによる運動と武装抵抗とが二つながらにして生じたが、イランの帝政を最終的に終わらせたのは、人民による大規模な非暴力運動であった。イスラーム革命により、帝政は共和制に取って代わられたが、それは徐々に、名前のみが共和制で、実質上、共和制としての真正の性格をもたない体制へと置き換えられていった。「至高なるものとしての法理学」Supreme Jurisprudence (ペルシア語でヴェラーヤテ・ファギーフ Velayat-e-Faghih。訳注:日本語では一般的に「イスラーム法学者による統治」と訳される。以下、「ヴェラーヤテ・ファギーフ」と表記する)という要素が、憲法草案に付け加えられ、それは短期間に共和制の主要なアイデンティティになっていった。アーヤトッラー・ホメイニー師の革命前のインタビューにおける発言を基礎にして、イスラーム法学者たちは、ほとんどすべての重要な地位を引き継ぎ、諮問的な役割を果たすことになった。厳格なイスラーム法が導入されたことにより、普遍的な人権の多くが否定され、多くの青年、女性、マイノリティたちが反体制派として国境を越えることとなった。さらに、革命国家の機構の中にいながら、宗教主義体制からの完全な信頼を勝ちうることが出来なかった男性・女性たちが、徐々に体制の外に押し出されるようになった。彼らはイラン革命の相続権を主張しながら、実際にはあらゆる意味で管理・統制する権限を喪失した、疎外された集団を構成することとなった。このグループこそが、ついに変革に向けた人民の要求の波にのることとなった内部者たちのグループであり、現在ではイラン・イスラーム共和国の内部からの「改革運動」とも呼ばれているものなのである。
 
 民主主義は、二つの区別された属性によって定義することができる。すなわち、組織と内容である。組織の観点から言えば、自由な選挙、市民の選挙・被選挙権、司法・立法・行政の各府が、市民の監視の下に分離・独立して存在すること、これらは最大限の合意を得た民主主義の属性を構成している。この点から見て、イスラーム共和国は、わずかながらではあるが成功を達成している。イスラーム共和国は分離された各府を持っているが、そのいくつかは市民の管理・監視の下には存在していない。また、イスラーム共和国は公式の選挙制度を有しているが、それはいかなる意味でも、全ての市民の被選挙権を保障したものであるとはいえない。しかし、改革派の中でも、後者の選挙権の問題については、そのアプローチにおいて大きな違いが存在している。その違いとは、いわゆる疎外された人々 outsiders の権利をどの程度受け入れるかと言うことに関する違いである。実際には、改革派に属する人々のかなりの割合が、監理評議会 Guardian Council によって、選挙への出馬を認められていないのであるが。

 民主主義の定義の第2の観点には、例えば社会正義、統治権限、代議制を通じた市民の立法権、普遍的な人権など、内容的な側面が含まれる。この点に関して言えば、改革派内部における不一致の主要な点は、意見対立のある問題に関して、市民権とイスラーム規範とをどのように調整するか、言い換えれば、市民の監視の外に存在する最高権力(イスラーム法学者による統治)の問題、または、人々の意志が、監理評議会や戦略評議会 Council of Expediency など、選挙によって選出されたのではない主体によって拒絶された場合の問題である。そこにおいて、市民社会と宗教との境界線をどこに引くか、教会と国家の分離は必要なのか、ということが最も重要な問題として浮かび上がってくることは明らかである。以下の段落においては、「改革」という連続体における異なった要素の存在を指摘し、この問題について、それぞれの団体や個人がどのような立脚点に立っているかを明らかにすることを試みるものである。

 キルタシュ Khiltash(1)は構造の側面から、改革運動を二つの集団に分類する。まず改革派 Reformers, eslahgara 、つまりハータミーの地滑り的勝利の後に統治機構の中に参入した人々、次に改革主義者 Reformists, eslahtalab 、つまり改革を要求しながら、現体制の中に受け入れられていない人々である。後者のある部分は、迫害され、投獄されることさえある。
 これらの改革派の主張をイデオロギー的な実質に基づいて分類するなら、最も右(R)にカルゴザラン Kargozaran を、最も左(L)にアクバール・ガンジー Akbar Ganji と全国学生戦線 National Student Front (ペルシア語で Tabarzadi)を挙げることができる。この両極端の間に、例えばハータミー大統領と「闘う聖職者協会」Jame'eh Rohanioun が中道寄り右派(RC: Right Center)、モジャヘディーネ・エンゲラブ Mojahedin-e Enghelab が右派寄り中道(CR: Center Right)、モシャレカト党 Mosharekat Party とシャムソラヴァエジーン Shamsolavaezin のような個人が中道(Center)、カディヴァール kadivar、ハッジャリアン Hajjarian そしてアッバース・アブディー Abbas Abdi のような人々を左派寄り中道(CL: Center Left)、ソロウシュSoroushやシャベスタリー Shabestariのような人々を中道寄り左派(LC: Left Center)という形で位置付く。もちろん、これは彼らの考え方を単純に捨象しすぎているとはいえ、左派から右派までをこのように分類することにより、市民生活における宗教の役割、または自由主義から保守主義に至る流動性の中で、それぞれがどこに位置するかを描き出すことができる。また、この尺度により、異なった個人や集団が、改革運動の中で普遍的な人権や市民権に関してどのように参画しているかを評価することができる。

L→LC→CL→C→CR→RC→R

 中道よりも右側にいる人々は、ヴェラーヤテ・ファギーフ体制の正統性を認容し、その権威に対抗する必要性を感じていない。第6回国民議会 Majilis の開会時に行われた討議において、報道統制法 Press Law に基づいてヴェラーヤテ・ファギーフ体制によって出された勅令 order を無条件に容認するという結論が出されたことは、この態度の典型例として指摘できる。これらの集団を構成している改革派の人々は、行政府や立法府の様々な地位について権力を占め続けてきたのであるが、これらの人々はこれまで、差別や人権抑圧に反対して立ち上がった経験のない人々なのである。しかし、社会正義 edalat-e-ejtemai や経済政策に関しては、こうした右派の改革派の人々とアスガロラディ Asgaroladi (mo'talefeh)や「聖職者協会」 Majma'e Rohaniat などの右派強硬派 right wing hard-liners との間には常に意見の違いが存在している。

 改革運動の中道派は、いわゆる西側の民主主義の原則について教育を受ける機会のあった若い世代の宗教思想家たちによって占められている。モシャレカト Mosharekat および彼の改革派運動の同志たちは、モンタゼリ師 Montazeri やヌーリ師 Nouri などのイスラーム法学者を含め、ヴェラーヤテ・ファギーフという概念が多元的民主主義への対抗物として存在しなければならないとは考えていない。彼らは、もしヴェラーヤテ・ファギーフという概念が憲法の枠内で機能するなら、イスラームは人権の普遍的な原則と両立するはずであるということを強調している。

 一方、カディヴァールは、既存のイスラーム文献および伝統をより平和的に、もしくは柔軟に読み込むことができれば、その宗教の枠組みの中で必要な変化をもたらすことができる、と示唆している(2)。また、ハッジャリアンは、近代的な宗教解釈、伝統的な宗教解釈のいずれも、その他の社会的要素の介入を切り離してそれ自体について見た場合には、新しい民主主義的な価値を肯定するものでも、否定するものでもない、と指摘している。もう少し右派寄りの傾向を持つ、ホジャッティ・ケルマーニー Hojatti Kermani 、ハータミー、モハジェラニ Mohajerani などの宗教思想家たちは、政府はハディース hadith (ムハンマドの言行録)のうち、差別的な規定を無視し、普遍的な人権に違反しない規定について選択的に実行することができる、と指摘している(3)。

 逆に、ソロウシュやシャベスタリー Shabestary など、中道よりも左に位置する学者たちは、イスラームがその内部の思考過程を大規模に改革し、民主主義や人権の保護を保障することができるようになる必要がある、と結論づけている。彼ら「新しい宗教思想家」 nowandishan-e-deeni として知られている人々は、学者たちの中で、イスラームにマルティン・ルター型の改革的な解釈変更 gharat-e-jadeed が必要かどうかについて、大規模な論争による意見交換を行い続けている。シャベスタリーは統治の原則における市民の参加、市民社会、人権、民主主義、非暴力の領域についての人類の達成について言及する中で、「伝統的なイスラーム sunnat-e-rassoul に存在する政治的原則を強要することは、現代の私たちの問題を解決するものではない」と述べている(4)。彼は現代の生活のあり方の問題に対する回答を見いだすために、イスラームの枠組みを新しく解釈し変化させる必要があると考えている宗教学者の一人である。ソロウシュは、シャリーア(イスラーム法)の暴力的で非人間的な側面を批判していることで特筆される。ソロウシュは、イスラームの宗教指針を国内的に変更するだけでは、イスラームと社会を障壁から解き放つことはできないと考えている。ソロウシュは、神と人間、宗教と日常生活の関係は、現代の価値制度の中で再評価されなければならないと示唆している。ソロウシュは、通常は非宗教的な問題であるところの市民と統治の問題は、宗教の境界線の外において定義されなければならないと明言している(5)。

 最後に、改革運動の左端に位置するアクバール・ガンジーについて取り上げる。アクバール・ガンジーは、ヴェラーヤテ・ファギーフ体制が市民による統治の権利といった民主主義的原則と両立する可能性はない、と大胆に宣言する。アーヤトッラー・ホメイニー師の著作をも含め、すべての宗教的権威を批判する彼の「共和国宣言」(6) Republic Manifesto において、彼は憲法とイスラーム共和国の刑法・民法について議論し、イスラーム刑法・民法が民主的社会の人権と自由権の原則と非和解的に対立することを暴露している。彼は、哲学的・科学的な観点からは、イラン・イスラーム共和国を真の共和国にすることは可能だが、現行憲法と現行体制がそのような改革を許さないだろう、と正しく結論づけている。その上でガンジーは、イスラーム共和国の通常の基準に照らせば、神への冒涜として死刑に処されかねないような内容の主張を行う。彼は、ヴェラーヤテ・ファギーフ体制をして、国家をありうべき政府の下に戻すための国民投票の実施を受諾させるために、大規模な市民的不服従運動を呼びかけるのである。



(1) Shahram Khiltash, Iranian National Front Bulletin, November 2000, page 6
(2) Mohsen Kadivar, "Religion, non violence, and violence, [ din, modara, va Khoshounat]" round-table, Kyan Magazine, No. 45, Tehran, 1998
(3) Saeed Payvandi, "A critique of political violence in Iran", www.iran-mrooz.de/maqal/peyvand810608.html, 2002
(4) Mohsen Mojtahed Shabestari, "religion, Non Violence, and Violence, [ din, modara, va Khoshounat]" round-table, Kyan Magazine, No. 45, Tehran, 1998
(5) Abdolkarim Soroush, "Analysis of Meanings of a religious State, [tahlil mafhoum hokoumat-e dini]", Kyan Magazine, No. 32, Tehran, 1996
(6) Akbar Ganji, repblican Manifesto "manifest-e jomhourikhahi", http://www.iran-emrooz.de/iemrooz/ganjimanifest.html, Spring 2002

 


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