展示は四部に分かれていて、第一章が青銅器・銅鏡・玉器の「鬼神と神仙の世界」、第二章が仏像「救いへの厳かな祈り」、第三章が陶磁器「土の造形と釉の輝き」、第四章が絵画・書「文人たちの高雅な境地」という構成になっている。そごう美術館では「第三章」の陶磁器と「第四章」の書画が広い展示室に向かい合わせに展示されていて、どちらを先に見てもいいような順番に配置されていた。
「第一章」の青銅器・銅鏡・玉器は、紀元前2000年より前あたりの竜山文化・良渚文化の時代から紀元後1〜3世紀の後漢王朝の時代までのものを展示している。
王朝時代以前の竜山・良渚文化のものは玉器だけで、山東竜山文化と良渚文化のものが展示されている。良渚文化は博物館の地元の上海周辺で栄えた王朝以前の文化だ。そのためか、良渚文化の出土品は玉器10点のうち4点を占めている。こういうところに「地元色」が出ているのかも知れない。
なお、この展示では、紀元前18〜16世紀を伝説の王朝「夏」の時代とし、紀元前16〜11世紀を殷王朝の時代としている。殷王朝の後半までは現在の漢字につながる漢字を使っているので確認可能なのだが、殷の前の王朝は漢字を使っていないので、どれが「夏」王朝なのかが確定できていない。殷の直前または殷王朝初期の都市国家の遺跡としては、いずれも黄河中流の河南省の
いずれにしても3000年から4000年も前の遺物である。それなのに、玉器などはついこのあいだ作ったようにつるつるぴかぴかでキレイだ。そのキレイさは、こないだ北京の骨董店街
これは「第三章」の最初に展示されていた
「鳳文
トラの頭をかぶっている人間をかたどった青銅器もあった。トラが人間を食っているところという説明もあるようだが、それにしては人間の表情が落ち着いている気がする。これは――たぶんいまから3000年前に優勝を祈願してタイガースファンが作った青銅器に違いない。あるいは、トラ猫帽子を被っている『デ・ジ・キャラット』のぷちこのデザインの祖型か? だとすると、オタク系のデザインは江戸時代に遡るという説はやはり誤りで、それは中国の青銅器時代まで遡るものらしい。
トラといえば、陶器のコーナーに12〜13世紀に作られたトラ型の枕というのも展示されていた。この枕で寝ればタイガース優勝の夢を見ることができて、ファンは毎日この枕で寝て優勝を祈願していたに違いない。
こういう「時代を超える感じ」が展覧会を見ていておもしろいところだ。ずっと昔に作られたものがごく最近に作られたもののように感じたり、いまのデザインとしておもしろいと感じたりする。
「時代を超える感じ」は展示されている遺物が作られた時代と私たちの時代だけにあるのではない。この良渚文化の玉器に描かれている神の顔は、吊り上がった目の端のかたちが四角になっているところに特徴があるが、こういう目をした聖獣の姿は殷の時代の青銅器にも描かれている。良渚文化から殷の時代までは1000年ぐらいの隔たりがある。そのあいだ、同じデザインが脈々と受け継がれていったのか、それともたまたま似ただけなのか。しかも、この吊り上がった目の端が四角いデザインはそのあとの時代の青銅器などからは姿を消し、今日の中国にも残っていない。こういう変化も興味深いところだ。
ただ、目の角を強調するようなデザインは京劇など伝統劇の隈取りに似ていなくもなく、だとすると3000〜4000年前の「中国」人(「
また、中国の遺物のばあい、文字で知っていたものと目の前のものがつながるというのもおもしろいところである。公爵とか伯爵とかいうときの「爵」というのはさかずきの一種だときいていた。この「爵」が展示されていた。お燗する容器らしい。たしかに酒をお燗して飲むのにこれを使うと偉そうだな〜とは感じる。う〜ん「〜爵」を名のる偉い人はこういうもったいぶったものでお燗して飲んでいたのか。
尊敬の「尊」というのも酒を入れる器のようだ。これは壺型の大きな青銅器である。こうやって大きい壺からみんなに酒を注いでごちそうしてやると尊敬されるのだろう。「爵」と違って、「尊」が酒入れであるのは「樽」という文字に「尊」が使われていることからも推測はできる。なお、中国語ではたしか大砲を「尊」で数えたはずで、たしかに金属で作った太い筒という点では大砲はこの「尊」に似ているかも知れない。
青銅器の「
良渚文化の出土品として展示されていたうちの一つに、今日、「完璧にょ!」などというときに使う「
青銅器など古い時代のものは「異世界」観があふれているが、仏像や陶磁器、書画は私たちにはなじみ深いものである。とくに仏像や書画は日本のお寺や偉い人の家の床の間にあってもぜんぜん違和感なさそうである。焼き物は日本の焼き物とはちょっと違うが、世界的に知られている中国の陶磁器だ。そういえば、前に「トルコ三大文明」展に行ったときに、中国の青花(白地に青で模様を描いた磁器)の酒の瓶があり、その注ぎ口のところにトルコっぽい黄金の飾りがつけ加えられていて「なんじゃこりゃ?」と思ったのを覚えている。青銅器や玉器の多くが作られた時代の中国はまだ「世界の中国」ではなかったが、仏像や陶磁器、書画の時代になると、中国文化はインド起源の仏教の影響を受けるし、中国の文物もその領域を超えて広がっていく。
仏像は今日では日本のほうがなじみ深いものかも知れない。展示されていたのは5〜6世紀の北方から唐の時代までの仏像だったが、奈良や京都のお寺で見るものとあんまり違わない感じがした。私は美術史には詳しくないけれど、たぶん、この時代に日本に伝わった仏像のデザインが日本では基本的に現代の仏教彫刻まで受け継がれてきているということだろう。ただ、お寺などではなく、美術館に異国のものとして展示されていると、やはり見かたが違ってくる。衣服の前に垂らされているさまざまな装身具のデザインなど、美少女キャラに転用したらけっこう「萌え」かも――などと罰当たりなことを考えてしまったりするのだ(正確なことはいま思い出せないが、仏像彫刻と「オタク」的画像の共通点みたいなことを論じている美術家か評論家かがいたのではないかと思う)。京都のお寺の薄暗いお堂とかではまず考えないだろうと思う。
また、水墨画などの中国古典風の絵画というのの何がいいのか、愛好者には失礼ながら、これまでちっともわからなかった。今回、博物館の解説つきで眺めてみて、おもしろさの一端がわかったように感じた。その一つは、写実的で描きこみが細かいところとデフォルメされたところや様式化されたところの落差である。細かい部分はたとえば鳥の羽毛の一本一本の毛筋までじつに写実的に描いているし、水の流れや雲は様式化して描いてある。その両方が一枚の絵に描きこまれていて違和感を起こさない。それにはやはりほとんど何も描かれていない部分の「空間」感の役割が大きいのかなと思っている。
また、中国風絵画独特の遠近感を無視した配置も、見ていると、そこに描かれている世界の「感じ」が伝わってくる。たとえば、山の絵だと、屋敷があって役人っぽい人がおり、世捨て人みたいなのが住んでいるらしい山のなかの草庵があり、畑が見えて、岩が見えて、遠くに山の峰や滝が見えたりする。たしかにそれが一度に見えることはないかも知れないが、山を登っていくときに見えるようなものを一枚に凝集した感じで、山に登ったときのトータルな感覚が伝わってくるようだ。
かと思うと、15世紀末の「草庵図案」などは、自分の住んでいる家に入ってから畑を抜けていく道まで描かれていて、なんかRPGのマップみたいだったりする。目で道をたどって行くと、最初の門を入って正面に人が立っている。たぶんここで「こっちはやしきじゃないよ。おやしきはとなりだよ」とか言われて、引っ返してとなりの屋敷に向かうのだろう。そういうふうに視線を誘導する仕組みは、スーパーファミコン時代のテレビゲームに似ている気はした。
というわけで、「様式は完成されているけれども型どおりで息苦しい古びた文化」という古い時代の中国文化についての印象をいろいろと変えることのできた展覧会であった。
横浜以外では島根と岐阜で開催され、2004年には高知(高知市文化プラザ「カルポート」)と大阪(大阪市歴史博物館)に巡回する予定のようである。
―― おわり ――