『第6回アートドキュメンタリー映画祭』の上映作品の中から、コンテンポラリー・ ダンスのドキュメンタリーを2作続けて観たので、併せて軽くコメント。 『ウィリアム・フォーサイス』 _William Forsythe: Just Dancing Around?_ - 1995 / UK / color / 52min / video. - Directed by Mike Figgis. - William Forsythe & Frankfurt Ballet 『マイケル・クラーク』 _The Late Michael Clark - 1999 / UK / color / 50min / video. - Directed by Sophie Fiennes. - Michael Clark, etc. William Forsythe も Michael Clark も、バレエをベースに持つコンテンポラリー・ ダンスを展開しているわけだが、この2本のドキュメンタリーを続けて観て、この バレエやダンスの文脈では、有閑階級/労働者階級という区別と密接に結びついた 形でのハイアートというものが、しっかり生きているのだなぁ、と感じてしまった。 Clark の場合は、実際の所の出自は不明 (13歳でロイヤル・バレエ学校に入学して いるということを考えると、中産階級なのではないと思う) だが、少なくとも 労働階級っぽさを表に出しているし、それが、彼がスキャンダダラスであると 見なされる理由の一つになっている。そういうことがスキャンダルになるところが、 階級の明確さを象徴しているように思うし。その対比で Forsythe を見ると、 彼は明白なほどに上流階級的だ。 ドキュメンタリーを観た限りでは、Forsythe は、バレエの語彙を身体の部位毎に 分節化し、それぞれに裏返したり速度を変えたりして再構成して新たな動きを作り 出していくような感じなのだが、そのような脱構築はあくまで身体表現のレベルに 留まっていて、むしろ、社会的文脈に対しては自律性を主張する感がある。 Forsythe が自身の作品に使う音楽として、P-Funk の音楽を試してみるシーンが あるのだけれども、元の音楽のファンキーさが脱色されてしまうような感じも 興味深かった。 それに対して、Clark の表現はもっと社会的文脈に近い。といっても、僕が初めて Clark を知る契機となった post-punk バンド The Fall とのコラボレーション _I Am Kurious Oranj_ (1988) では、(少なくともレコードのジャケットに使われた 写真で見る限り) サッカー、パブ、ハンバーガーなどの意匠を使ってジャンクさを 炸裂させたステージに、バレエの動きを置くという感じのずらし方なのだけれど。 このドキュメンタリーで撮られている復活を期した作品 _Current/See_ (1999) は、 基本的な構図は同じだが、ぐっとミニマルなステージになっている。bass guitar 5人からなるバンド Big Bottom の演奏は、音響派ギターサウンドを低音にズラ したような演奏だし、その5人とベースアンプに囲まれただけでオブジェなどを 排した空間で踊るダンサーの衣装もシンプル。もちろん、Forsythe のようなハイソな 感じはさほど無いし、むしろ、1990年代に見られた post-rock のような音楽の流行を 反映したものかもしれないが。それでも、パブでのファンとのディスカッションで、 自身の反逆児的な立場について「もっと突き詰めて考える必要を感じる」と言って いたのが印象に残ったし、単にジャンクな舞台をすればいいという話でもないの だろうなぁ、とも思った。 と2本続けたおかげで興味深く観ることができたのだが。こういう楽しみ方で映画を 観たのも、これらのドキュメンタリー映画が、完成した舞台を捉えたというのでも、 それを映画向きに演出して撮影したものでもなく、制作過程も捉えたものだった からなのだとも思うが。また、僕自身、バレエに関する知識がほとんど無く、 ダンスを観ていても、なんとなくバレエっぽいという以上のものが判らなかったの だけれど、こういう制作過程を捉えた映画を2本続けて見て、バレエの身体の動き についてかなり勉強になった、というのも、意外な収穫だった。 2000/12/3 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕