爽やかな秋空、秋風の中、自転車を駆って都心に向かったTFJです。月末は土曜とは いえ自動車が多いが。走り出してすぐ、二俣川から法政大学に向かうランドナー 乗りと会い、皇居まで一緒に走った。こういう出会いって面白い。 ・ ・ ・ Man Ray写真展 1917-75 - ダダ・シュルレアリスムの演出者 東京ステーションギャラリー 96/9/14-10/20, 10:00-20:00(土日祝10:00-18:00), 月休 レイヨグラフ、ソラリゼーションといった技法の発明者、Marcel DuchampとFrancis PicabiaとNY Dadaを興したDadaist、Surrealistとして知られるMan Rayの写真作品の 回顧展。それも、撮影された直後にプリントされたヴィンテージ写真が中心のもので、 資料的にはとても興味深いものがあった。 Man Rayの回顧展といえば84年に国内を巡回したときに、小田急グランドギャラリーで 観たことがある。当時はまだDadaを知り傾倒しはじめたばかり。Dadaistの展覧会と いうことで勇んで行って、実物を観られたということにかなり刺激を受けたものだった。 が、今回、この回顧展の様々な技法やDadaistic、Surrealisticなモチーフの写真を 観て、刺激を受けるというより微笑ましくさえ感じてしまった。それは、去年末に ひさびさにKurt Schwitters "Ursonate"を聴いて微笑ましく感じたのに似ている。 まだ美術に対しての知識がほとんど無かった十余年前の僕にとってDadaは反芸術の 衝撃そのものだったけれども、今や20世紀のさまざまな芸術運動の一つとして比較的 冷静に重要なものとして捉えられるようになっている。むしろ、Dadaに傾倒した 若かった自分に対する微笑ましさかもしれない。それでも、今でもDadaが僕の原点の 一つということには変りないが。 よほどのモダニズムかぶれでもない限り、このMan Ray展を観てもDadaの辛辣さを 感じることはない、と今の僕は思う。回顧展という展示のせいもあるが、教科書的な 20世紀写真史の一幕という感すらある。モード写真もポートレートもDada/Surrealな 作品も同じように回顧展的に展示されているのだ。例えば、モード写真はそれらしく、 DadaisticなものはDada流儀に展示する、という工夫があっても良いように思う。 もうDadaにそういう展示はできないのだろうか..。 まあ、去年の夏の忌まわしい思い出の一つの某所でのMan Ray展 (多くは語りたくない) よりは遥かにましだったが、あんなのと比べてましと言ってもしょうがないな..。 ・ ・ ・ その後、ひさしぶりに日本橋から銀座まで画廊をめぐった。どうも収穫がない。 杉本博司展、都立写真美術館の"Gender Beyond Memory"展、Man Ray展と、妙に 写真づいているような気がするのだけど。 ・ ・ ・ 松江 泰治 作品展 Zeit-Foto Salon 96/9/9-30, 日祝休 主にアフリカの広大なブッシュを撮影したと思われるモノクロ写真は、抽象画の ようであり、どれもあまり大きな違いがないこともあり、杉本 博司 「海景」連作に 似ている。が、ほとんど全く同じ構図で徹底している杉本の作品に比べて、この作品は 地形の微妙な違いが反映されているし、その手の徹底はあまり感じられない。 そこそろ奇麗な作品だと思うけど、で、この個展だけではそれ以上はよくわからない。 まあ、ちょっと気にかけるようにしようという気にはなったかな。 96/9/28 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕