NY, USA の独立系の映画監督 Hal Hartley の新作 − 長編5作目が、恵比寿 ガーデン・シネマで公開中だ。 「フラート」 "Flirt" - USA / Germany / Japan, 1995, color, 1h24m - a film of Hal Hartley. - New York) Bill Sage (Bill), Martin Donovan (Walter), Parker Posey (Emily); Berlin) Dwight Ewell (Dwight), Geno Lechner (Greta); Tokyo) Miho Nikaidoh (Miho), Toshizo Fujiwara (Mr. Ozu), Hal Hartley (Hal) Hal Hartley の新作映画は、長編とも、ニューヨーク編、ベルリン編、東京編の 三つの短編からなるオムニバスともいえる作品だ。それも、特に最初の二編に おいては、舞台や登場人物の性別の違いはあれど、ほぼ同じ粗筋とセリフで話が 展開する。その形式の特異性だけでも面白い映画だ。 この映画は、映画によるタイポグラフィーだ。共通する粗筋 − 六ヶ月の付き合いの 恋人との三ヶ月の別れを前にした状況であることなど − や、共通するセリフ − "I want you to tell me if there is a future for me and you" − は、共通の 「構図」だ。杉本 博司の「海景」シリーズの写真の画面を二等分する水平線の ような。そして、この映画では、それぞれの粗筋とその中で発せられるセリフに というよりも、粗筋の説明やセリフを引用することでは説明できない他の短編との 差違の中に意味が生まれる。そして、同じ粗筋やセリフを繰り返すことにより 個別の状況を平均化し、その粗筋やセリフの形式的な探求に観客を誘い出すのだ。 それぞれの短編における個別の状況でなく*一般に*、恋愛 − に限らないのだが − のある局面において「フラート "flirt"」とは、つまり、決断する/しないと いうことはどういうことなのか? といった。 Hal Hartley にとってこの映画はコンピューター編集を学ぶための一種の練習問題 だったようで、「このテーマを使えば、無限に連続するオムニバスが作れる」と 彼は言う。形式性を際立たせるならば、三編ということではなく一編を短くして 十編くらい作るべきだったろう。ただ、ベルリン編の中でこの実験が失敗して いると登場人物に語らせ、最後の東京編と他の二編と話をかなり違えているところ からして、Hartley がこのような形式性を徹底追求するつもりは無かったのだろう。 もちろん、各短編を個別に観たとしてのディティールの面白さもある。Hartley は もともと形式的な作風の作家であり、こういったタイポグラフィカルな形式だけが その技ではない。設定された状況、登場人物、セリフといった各要素間にあるズレ − 顔面の麻酔の際に語られるセックス描写、トイレの浮浪者や現場の労働者たちに よってなされる恋愛についての抽象的な議論、など − は、各要素をばらばらに 抽象化し、笑いとともに互いを異化する。これが、Hartley の映画の魅力だと、 僕は思っている。 Hartley は、こういう手法 − だけでなく設定の極端さ、などもあるが − を用いて、 例えば、「トラスト・ミー "Trust"」('90) では信頼と愛 − sense and sensuality − について、「愛・アマチュア "Amateur"」('94) では記憶と忘却について、 形式的な探求をしてきた。そして、この形式性を支えるもう一つの鍵は、その矛盾 したまま終わってしまう結末だったと、僕は思っている。それは、信頼、愛や 記憶、忘却のある形が答ではない、という保証になっていたからだ。 そういう意味で、東京編の、そして「フラート」全体の結末は、東京編における 「構図」の乱れ同様に、この映画の形式性を損なっている。東京編は、形式的な 探求から、物語と登場人物への感情移入へ、観客を引き戻す。このような東京編は 「フラート」全体を*親しみ易く*しているとは思う。 Hartley はこれについて、 「第3話に自分が出演してしまったのは、このストーリーを単なるおとぎ話として 終わらせたくなかったから。ドキュメンタリーみたいな強さを持たせて、 このストーリーを"現実"にしたかったからなんだ。」と言う。その意図自体は 悪くはないのかもしれない。しかし、そのドキュメンタリーというのが、結局の ところメロドラマチックなノロケ話になってしまった感があるのだ、そして、 それがこの映画の最大の欠点だと、僕は思う。 そういう欠点はあるとしても、形式性を強調することよってばらばらになった 各構成要素が微妙に矛盾することによって生まれる笑いで、充分に楽しめる映画に なっている。形式主義的な映画に慣れ親しんでいる人はもちろん必見だと思うが、 心理的リアリズムなどというものをいまだに信じている人が観るのも丁度いい映画 かもしれない。 _ _ _ 「フラート」の公開に合わせてHal Hartley の短編集のセル・ビデオが出ている。 「ハル・ハートリー短編集」 "Hal Hartley Short Films" (ポリスター, PSVR-5036, '97, VHS) - 1)"Surviving Desires" (USA, 1991, color, 56m) 2)"Theory Of Archievement" (USA, 1991, color, 17m) 3)"Ambition" (USA, 1991, color, 9m) - films of Hal Hartley - 1) Martin Donovan (Jude), Mary Ward (Sofie); 2) Elina Loewensohn (Lori), Bill Sage (Bill) 1時間弱の中編 "Surviving Desire" に同じ年の2本の短編を併せたというもの。 Hal Hartley ならではの、ギクシャクしたディスカッション・ドラマなのだが、 短編2編はスケッチ程度か。というわけで、やはり、"Surviving Desire" が 一番楽しめた。 「たぶん "Perhaps"」といのが口癖の Jude (Martin Donovan) のダメ男っぷりが いい映画だ。特に Jude が Sofie (Mary Ward) の初めてのキスの後、踊り出す シーンが笑えていい。このビデオで一番好きなシーンだ。というわけで、ダメ男 小説・映画研究家 (なんているのか?) は必見。 しかし、"Surviving Desire" の Sofie 役の Mary Ward がいい。くりっとした 目にヴェリーショートという髪型もいいのだが、喋るときに限らないが、口元の ちょっと気が強そうでいたずらっぽい感じの動きがいい。くうううううう(悶)。 Mary Ward って他に主演している映画はないのかな。 97/3/23 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕