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談話室 / Conversation Room

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[3438] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 29 23:36:19 2016

土曜は昼過ぎまでゆっくり休んでいたのですが、夕方にお台場へ。サーカスを観てきました。

お台場ビッグトップ [特設会場]
2016/05/28, 16:30-18:50.
Acts: Part I: 1)High bars “Carapace” 2)Hoops Dancer Part I (The Amerindian dancer) 3)Rings Trio 4)Unicycles and bowls 5)Clown “Sad Fisherman” 6)Contorsion 7)“Monkey Business” (from Ape to Businessman With Cell Phone) 8)Chinese pole “Escalade” Part II: 9)Diabolo “Toreador” 10)Fix trapeze duo “Lovebirds” 11)Manipulation “The Scientist” 12)Clown “Waterski” (Italian Tourist) 13)The Hoop Dancer Part II (The Amerindian dancer) 14)Roler skates 15)Russian bars 16)Finale
Writer and director: Robert Lepage.
Premiere: April 22, 2010 at Montreal.

カナダ・ケベック州モントリオールを拠点とするサーカス Cirque du Soleil の Totem 東京公演を観てきました。 現代的なサーカス・パフォーマンスを目当てに自分が大道芸をよく観るようになった1990年代半ば頃から Cirque du Soleil のことは度々耳にする機会がありましたが、観に行くきっかけが無く観そびれていて、今回初めて観ました。 映像や照明でトリッキーな演出をする現代演劇の演出家 Robert Lepage [鑑賞メモ] が作・演出を手がけているということで、それが今回観に行くきっかけとなりました。

劇場公演で観るような作品性の高い現代サーカスの作品と比べると、 比較的独立性の高い個々の演目を、アクロバティックな演目とコミカルなクラウンの演目を交えつつ、 ある世界観を使って緩くまとめ上げたもの。 Lepage のような演出家を使う程なので、もっとガッチリと構成・演出された作品になっているかと構えていましたが、 普通にエンターテインメント的なサーカス・ショーでした。 照明や映像を駆使したところが現代的と言えるかもしれませんが、 最近の大規模なエンターテインメント・ショーとして見れば標準的でしょう。 緑や青、蛍光などの不自然に立体的なライティングに Lepage らしさを垣間見ましたが、 トリッキーと感じるような映像使いはありませんでした。

むしろ、Lepage というと、電話使いも象徴的な都会の孤独な男の感傷を描いた舞台という印象が強かったので、 現代社会を舞台としておらず、人類の進化と文化の多様性、それも西洋近代化以前の文化をテーマとしていたのも、かなり意外でした。 このようなハイテンションなエンターテインメント・ショーを演出できるのか、と、感慨深いものがありました。

個々の演目は、類した技を大道芸フェスや他の現代サーカスの公演で観たことがあるものでしたが、 難易度や完成度が高いものが多く、音楽や照明も良い状態です。 男性2人女性1人の吊り輪でのダイナミックにスイングさせるながらの Rings Trio や 空中ブランコ上で揺らさずに男女がハンド・トゥ・ハンド的な空中アクロバットを見せた Fixed Trapeze Duo “Lovebirds” のようなエアリアルの演目は特に、 このように演出された場で観た方が格段に映えます。 小ぶりのフープを使った女性 Hoops Dancer のダンスのキレの良さも印象に残りました。 高い一輪車の上でボウルを使った芸を見せた Unicycles and Bowls など中国雑技でお馴染みですが、 衣装や音楽を変えることでこう織り込むことができるのか、と、新鮮な印象。 完成度の高いエンターテインメント・ショーとして充分に楽しむことができました。

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土曜の晩は地元三軒茶屋の行きつけの店で呑んでいたのですが、 Cirque du Soleil を観てきたと言ったところ、行った方が良いかと訊かれてしまいました。 「普段、どんなものを観ているかによりますね……。」とはっきりしない答えになってしまいましたが……。 コンテンポラリー・サーカスの入門編にうってつけだと思いますが、 コンテンポラリーなダンスや演劇にある程度親しんでいる人なら、 やっぱり、東京芸術劇場、世田谷パブリックシアターのような公共劇場が呼んでくる現代サーカスの公演の方を薦めたいです。

自分としても、 去年観に行ったミュージカル Pippin [鑑賞メモ] と同じで、チケットが1万円強とけっこういい値段するので、 さすがに、気楽に足を運んでみるというわけにはいかないなあ、と。

日曜は完全休養日。週に1日はちゃんと休まないと辛いなあ、と (弱)。

[3437] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 29 21:11:23 2016

水曜の晩、仕事帰りに初台へ。毎年恒例になりつつありますが、このコンサートを観てきました。

The Music Of Toshi Ichiyanagi
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル, 初台
2016/05/25, 19:00-20:50
1)Between Space and Time for chamber orchestra 『ビトゥイーン・スペース・アンド・タイム』 (2001) 2)Piano Concerto No. 6 “ZEN” 『ピアノ協奏曲第6番《禅—ZEN》』 (2016) 3)Symphony “Berlin Renshi” for soprano, baritone and orchestra 『交響曲《ベルリン連詩》』 (1988) - 連詩: 大岡 信 [Makoto Ooka], Karin Kiwus, 川崎 洋 [Hiroshi Kawasaki], Guntram Vasper
秋山 和慶 [Kazuyoshi Akiama] (conductor), 一柳 慧 [Toshi Ichiyanagi] (piano) on 2, 天羽 明惠 [Akie Amou] (soprano) on 3, 松平 敬 [Takashi Matsudaira] (baritone) on 3, 東京都交響楽団 [Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra].

現代音楽 (contemporary classical) の作曲コンペに合わせて開催されるコンサート『コンポージアム』。 今年の審査員は 一柳 慧。 1960年代の日本への John Cage への紹介者として (そして 小野 洋子 の最初の夫として) 名を知るものの、 その音楽をちゃんと聴いたことがなかったので、聴く良い機会かと足を運んでみました。

『コンポージアム』の審査員をフィーチャーしたコンサートというと、 ondes Martenot を使った Tristan Murail (2010) [鑑賞メモ] flute / saxophone 200人のオーケストラを使った Salvatore Sciarrino (2011) [鑑賞メモ]、 和楽器の笙 [sho] を使った 細川 俊夫 (2012) [鑑賞メモ]、 percusshon 奏者のパフォーマンスも楽しかった Peter Eötvös (2014) [鑑賞メモ]、 マルチメディアアーティストの映像を伴う演奏会形式オペラだった Kaija Saariaho (2015) [鑑賞メモ] と、 通常の classical なコンサートとは一味違うものになることが多く、 それも楽しみの一つです。 今回は目に見えて特殊な楽器や編成は無く、比較的普通のコンサートでした。 Symphony “Berlin Renshi” では指揮者が時々紙を掲げつつ指揮をしていたので、 ゲームピースなのかと見ていたら、単に数字が1から順に増えていくだけでした。 これも作曲家の指示なのでしょうか。

John Cage の紹介者というイメージから、モダニスト的な抽象的な曲調を予想していたのですが、 とっつきやすいフレーズが聴こえるときもありました。 むしろ、2曲目の piano concerto での内部奏法も使った倍音成分も上手く使った piano の響きや、 Symphony “Berlin Renshi” での厚めの contrabass を使った orchestra の響きなど、 サウンドの面白さが印象に残りました。 これは、『コンポージアム』の Murail や Sciarrino を聴いたときにも感じたことですが、 特にオーケストラを使った作曲の場合、 オーケストラの響かせ方というのも重要なイシューなのだろうと。 そんなことに気付かされたコンサートでした。

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[3436] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon May 23 0:08:33 2016

土曜午後に観た公演の終演が早かったので、初台から六本木へ移動。この展覧会を観てきました。

Miyake Issey Exhibition: The Works of Miyake Issey
新国立美術館
2016/03/16-2016/06/13 (火休;5/3開), 10:00-18:00 (金10:00-20:00).

ファッション・プランド Issey Miyake 設立者としられるファッション・デザイナー 三宅 一生 の展覧会。 1998年から2000年にかけて世界を巡回した『三宅 一生 展』 [鑑賞メモ] から約15年ぶりです。 前回同様、ブランドとしての展覧会ではなく 三宅 一生 の作家性高いプロジェクトに焦点を当てた内容でした。 前回の展覧会よりは回顧展らしい面もあって、導入部は1970年代のデザイン。 続いて1980年代からは布ではない素材を使った彫刻的な服の取り組みとして「ボディワークス」を取り上げていました。 1970年代はリアルタイムで見ていませんが、造形や素材にその後の方向性は見えつつあるものの、 まだカウンターカルチャー色濃いデザインに時代を感じました。 藤や竹を編んで作った「ラタン・ボディ」 (1981/1982) の彫刻的な衣装など、ほぼ同時代で見ており、少々懐かしく感じたりもしました。

そして、大きくギャラリー空間を取っての1990年代以降の「一枚の布」のコンセプトを強く出した仕事。 前回の展覧会でも大きくフィーチャーされていた Pleats Please と A-POC は今回も大きくフィーチャーされていました。 しかし、今回の展覧会で興味引かれたのは、 2007年に活動を開始した三宅デザイン事務所の Reality Lab と 三宅 一生 の研究開発の成果として 2009年に始めた新しいライン 132 5.。 一枚の布に切り込みを入れて折りたたんでプレスして作る平面へ折り畳み可能な立体的な造形の服。 平面的に畳めるにもかかわらず変化に富んだ立体的な造形になるという意外さもあるのですが、 単に見るだけでなく、ミニチュアの服を小さなトルソに着せることができるコーナーがあり、 布の折り畳まれ方を手に取って知ることができたのが、とても面白く感じました。

Issey Miyake の服は1980年代半ばから同時代的に見てきていて、 最近は色や素材感が好きで Issey Miyake Men の服をよく着ているのですが、 既にデザイナーの座を離れているそういったブランドの服とは違って、 三宅 一生 のデザインの本領は造形的な面白さにあるんだな、と、 132 5. の展示を観ながら 実感した展覧会でした。

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展覧会の後にちょっと呑んでいくかと寄った店が2軒とも入れなくて、 その上、夕立に遭ってしまい途中で一旦足止めを食らうなど、結局土曜の晩は無駄に過ごしてしまい残念な感じでした。 土曜は丸一日動き回って疲れてしまったこともあり、日曜は休養に充てたのでした。

[3435] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 22 20:59:55 2016

土曜は午前中に野暮用を済ませて、午後には初台へ。この舞台を観てきました。

高谷 史郎 (ダムタイプ)
『クロマ』
Takatani Shiro / Dumb Type: Chroma
新国立劇場 中劇場
2016/05/21, 14:00-15:10.
総合ディレクション [Director]: 高谷 史郎 [Takatani Shiro]
Adapted and directed by Peter Brook et Marie-Hélène Estienne.
出演 [Performers]: 薮内 美佐子 [Yabuuchi Misako], 平井 優子 [Hirai Yuko], Olivier Balzarini, Alfred Birnbaum.
音楽 [Music]: Simon Fisher Turner, 原 摩利彦 [Hara Marihiko], 南 琢也 [Minami Takuya].
照明 [Lighting]: 吉本 有輝子 [Yoshimoto Yukiko].
Premier: びわ湖ホール [Biwako Hall], 2012. 共同制作 [co-production]: 公益財団法人びわ湖ホール with Dumb Type Office

2012年にびわ湖ホールで初演されたダンス作品ですが、観るのは今回の再演が初めて。 小道具も最低限に映像プロジェクションと照明駆使した舞台でした。 特に、中盤で多く見られた、 フロアに抽象的な映像を投影しつつ、その上のパフォーマーをひざ下が暗くなるよう横から照明することで、 まるで床に光の水を張ったようにように見せる演出はさすが。 そんな床を光の帯を走査させると、Dumb Type らしい光学スキャナの走査光源のようでもあり、 そこで 平井 優子 が赤いドレスで踊ると、光の波打ち際で戯れているよう。

そんなスタイリッシュなダンスの演出もあり、 2012年に観た『明るい部屋』 [鑑賞メモ] よりも楽しめたのですが、 ダンスがメインではない場面では少々退屈に感じたのも確か。 展覧会を観たときにも感じたことですが [鑑賞メモ]、 テーマの「光」「色」に関連して選ばれ、ナレーションで流された西洋の古典的なテキストと 舞台上で起きていることの関係ががピンときませんでした。 むしろ、それとは対照的な俗っぽい日本語のセリフとのギャップに「西洋コンプレックス」を見るようなひっかかりを感じてしまいました。

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この後の話はまた後ほど。

[3434] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon May 16 0:02:05 2016

土曜は夕方に東京へ戻ってきて、軽く家事を済ませて、晩には新宿へ。このライブを観てきました。

Susanne Abbuehl
新宿 Pit Inn
2016/05/14, 20:45-22:00.
Susanne Abbuehl (voice), Clément Meunier (clarinet), Wolfert Brederode (piano), Øyvind Hegg-Lunde (drums), Tijmen Zinkhaan (sound engineer).

ECMにアルバム3タイトル録音を残しているオランダ出身でスイスを拠点に jazz/improv の文脈に活動する女性歌手 Susanne Abbuehl の来日ライブ。 オランダの Wolfert Brederode は変わらないものの、 最新の録音 The Gift (ECM, ECM2322, 2013, CD) での編成ではなく、 フランスの Clément Meunier、ノルウェーの Øyvind Hegg-Lunde という編成。 ECMの3タイトルからだけでなく、未録音の曲も交えて演奏した。

低音が抜けた間合いを感じる音空間に Abbuehl の低く落ち着いた歌声。 最初のうちは少々硬く感じられ、CDの方が雰囲気が楽しめるのではないか、と思いつつ聴いていたが、 ゆったりした歌声と clarinet と細かく刻む drums と piano が多層的な音空間を作る “Soon (Five Years Ago)” (The Gift 所収) から、ぐっとよくなって、引き込まれた。 続く “A.I.R. (All India Radio)” (April (ECM, ECM1766, 2001, CD) 所収) の ゆったり波打つようなグルーブ感も良った。 James Joyce: Finnegans Wake から言葉を取った “Sea, Sea!” (Compass (ECM, ECM1906, 2006, CD) 所収) の の語るような声と、piano や clarinet と静かに対話するような演奏も良かった。

バックのミュージシャンのうち Wolfert Brederode はECMからリーダー作もあるが、 Clément Meunier と Øyvind Hegg-Lunde はこのライブで初めて聴いた。 しかし、Susanne Abbuehl の過去の録音と比べて聴き劣りしない演奏。 そんなところにも、ヨーロッパのミュージシャンの層の厚さを実感した。 ちなみに、Øyvind Hegg-Lunde は Mari Kvien Brunvoll (voice), Åsmund Weltzien (synth) と Building Instrument というグループで活動しており、Hubro からもリリースがある。

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移動疲れもあっていいコンディションで観られなかったけど、十分に楽しめました。 最近すっかり疎くなってきてしまっていますが、こういうライブを観ると、またいろいろ聴きたくなってしまいます。

日曜はぐったり。ということで、休養に充てたいところだったのですが、職場に出て仕事していたのでした……。

[3433] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon May 9 0:19:50 2016

土曜の晩、ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016 で観る最後の演目として、この舞台を観てきました。

『少女と悪魔と風車小屋』
静岡県舞台芸術公園 野外劇場「有度」
2016/5/7, 18:30-19:40.
Adaptation et mise en scène: Olivier Py
Décor et costumes: Pierre-André Weitz
Musique: Stéphane Leach
Lumière: Bertrand Killy
Avec: François Michonneau (Le Père, Le Prince, L'Enfant et Le premier squelette), Léo Muscat (La Mère et Le Jardinier), Benjamin Ritter (Le Diable et Le deuxième squelette), Delia Sepulcre Nativi (La Jeune Fille puis La Princesse).
Production Festival d'Avignon, Théâtre de la Ville-Paris
Recréation 2014.

元 Théâtre de l'Odéon 芸術監督で、2014年より Festival d'Avignon のディレクターを務めるフランスの演出家による、 グリム童話の『手なしむすめ』 (Das Mädchen ohne Hände) に基づく作品。 1995年出版1997年上演の作品を、2014年に再演出したもの。 元の演出のヴァージョンは、「Shizukoka春の芸術祭2009」のプログラムとして 『グリム童話』に基づく Py の他2作品と共に上演されているが [公園情報]、 この頃はまだSPACまで足を運ぶようになる以前で、それらは観ていない。

旅回りの道化芝居の一座が上演しているかのようなシンブルな舞台装置と演出で、 俳優自ら楽器を演奏しつつ、歌い、踊り、時には手品の技も見せたり。 俳優の佇まいから雰囲気があって、アコーディオン、クラリネット、太鼓などによる音楽もぴったり。 そんな演技・演出におとぎ話に着想した物語がぴったりはまって、その世界にぐっと引き込まれた。 子供向けのお芝居のようで、実際に子供の歓声も上がっていたけど、 脚本テキストも演技も変に子供向けに分かりやすくと媚びたところは感じられなかった。 野外劇場という場所も旅回りの一座という雰囲気を盛り上げてくれた。 マルチメディアを駆使するというわけでなく奇を衒わない比較的オーソドックスな演出だと思うが、 芝居と踊りと音楽が自然に一体になった、というか、それらが分化する前とも感じられる素敵な舞台を楽しむことができた。

良質なサーカスや大道芸を観たような楽しさ面白さを感じた一方で、 最近観にいくことが増えたオペラ、バレエでも、 例えば、Alban Berg: Wozzeck [鑑賞メモ] や Igor Stravinsky: L'Histoire du Soldat [鑑賞メモ] などは、 このスタイルの演出でも面白くなりそうだ。 サーカスとかオペラ、バレエとかに限らず、様々な舞台作品を観に行く際に自分が期待しているものの一つの形が、 この作品に凝縮されていたようにも感じた。

今年の ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016 は、 静岡へ日帰りで三回行って、全7演目を観た [他演目の鑑賞メモ 1, 2, 3, 4]。 La Jeune Fille, le Diable et le Moulin, d'après les frères Grimm はフェスティバルの最後を締めくくるのにもうってつけの、楽しい作品だった。 残念な演目もあったけれども、最後にこれを観て、フェスティバル全体として楽しかったな、と。 確かに It's Dark Outside も良かったけれども、 全7演目の中のベストは La Jeune Fille, le Diable et le Moulin, d'après les frères Grimm だ。

[このレビューのパーマリンク]

土曜は、当初は、彩の国さいたま芸術劇場で、 Akram Khan & Israel Galván: Torobaka を 観る予定だったのですが、Galvån の怪我のため公演中止に。 急遽、静岡に行くことにしたのですが、おかげで La Jeune Fille, le Diable et le Moulin, d'après les frères Grimm を観ることができたわけで、結果としてはラッキーだったな、と。 Torobaka が観られなかったのは、やはり残念ですが。

結局、ゴールデンウィーク中は、 ふじのくに⇄せかい演劇祭の3日に、TACT/FESTIVALの1日と、久々に演劇というか舞台作品三昧。 さすがに一日観続けると疲労困憊なので、休養日を挟みつつ観たのも、いいペースだったかな、と。 それなりに充実したゴールデンウィークが過ごせたような。 観に行くと刺激になるし、公演情報も入ってくるのでも、 これで腹いっぱいというより、ますますいろいろ観に行きたくなってしまいます。うーむ。

土曜の疲れもあったし、家事もあったので、日曜はゆっくり休養日にしたのでした。

[3432] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 8 21:31:38 2016

土曜は昼前には静岡入り。 ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016 の会期最後の週末の公演を観てきました。まずは最初の2本を。

Sawsan Bou Khaled
Alice
静岡県舞台芸術公園 稽古場棟「BOXシアター」
2016/5/7, 12:30-13:20.
Adaptation, direction and performance: Sawsan Bou Khaled.
Set design and video animation: Hussein Baydoun.
Premier: 2013.

Sawsan Bou Khaled はレバノン・ベイルートを拠点に活動する俳優で、 昨年の ふじのくに⇄せかい演劇祭 で Page 7 『ベイルートでゴドーを待ちながら』 [鑑賞メモ] を演じた Issam Bou Khaled の妹。 思春期の女性の眠れない夜の悪夢を、可愛らしいくかつちょっとグロテスクに舞台化。 ディテールに違いはあるが、TACT/FESTIVAL 2015で観た Claire Ruffin: L'Imsomnante 『眠れない…』 [鑑賞メモ] と共通するテーマで、私的なようで一般的な題材。 身体的な動きで展開していくのではなく、オブジェや映像を用いてちょっとグロテスクに内面に入っていく所が演劇的に感じられた。 敷布の毛虫に食べられる場面で、敷布の毛虫の面にキューピー人形がたくさん付けられていた。 このイメージなども、初期の「怒りの時代」の Niki de Saint-Phalle [鑑賞メモ] や、 Annette Messager [鑑賞メモ] などの、女性の現代美術作家に連なるよう。 新鮮さは無かったけれども、レバノン出身というバックグラウンドを感じさせない内容は逆に興味深かったし、 フェスティバルのラインナップ中の小品として楽しめた。

『火傷するほど独り』
静岡芸術劇場
2016/5/7, 15:00-17:00.
Texte, mise en scène et jeu: Wajdi Mouawad
Dramaturgie, écriture de thèse: Charlotte Farcet
Production: un spectacle de Au Carré de l'Hypoténuse (France) and Abé Carré Cé Carré (Québec).
Créé en 2008.

Wajdi Mouawad はレバノン・ベイルート出身ながら、内戦による亡命で、フランス経由でカナダ・ケベック州を拠点に活動する俳優/演出家。 2016年にパリの Théâtre National de la Colline の芸術監督に就任するなど、フランス語圏で活躍している。 Seuls は2008年の Festival d'Avignon で上演された作品で、 Robert Lepage: The Far Side Of The Moon [鑑賞メモ] へのオマージュという面もある作品だった。 中盤過ぎまでは、ローテクな Robert Lepage とでもいうような自伝的一人芝居が続く。 のだが、終盤になって、脳内出血で昏睡状態になったのは父ではなくて、 自分が昏睡状態の中でそのような「夢」を観ていたという所で、演出スタイルが一転。 録音された他人のセリフは流されるものの、 セリフを使わずペンキをブチまけてぐちゃぐちゃになってのアクションペインティング的なパフォーマンスをひたすら繰り広げた。 このような演出スタイルが一転してめちゃくちゃになる作品というと、 FESTIVAL/TOKYO 2015 で観た Angélica Liddell / Atra Bilis Teatro: All the Sky Above the Earth (Wendy’s Syndrome) [鑑賞メモ] も連想させられたのだが、 Seuls の場合は、そうなる直前の昏睡した父親に向けられた長い独白も効果的で、 その時に使われた音楽もあって、ぐちゃぐちゃのパフォーマンスですら感傷的に感じられた。 たしかに、ぐちゃぐちゃのパフォーマンスは長く感じたけれども、そんな演出の巧さもあって、 All the Sky Above the Earth (Wendy’s Syndrome) と違って、演出スタイルの落差も楽しめた舞台だった。

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この後、もう1本観てますが、その話はまた後ほど。

[3431] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Fri May 6 2:01:45 2016

東京芸術劇場で毎年GW恒例の家族向けの演劇祭 TACT/FESTIVAL。 今年も5日に、3本を観てきました。

東京芸術劇場シアターイースト
2016/5/5, 13:30-14:40.
Created and Performed by: Bruno Rudolf and Ricardo Rodrigues.
Direction: Rodrigo Matheus
Created in 2007.

フランス出身の Bruno Rudolf とブラジル出身の Ricardo Rodrigues が ブラジル・サンパウロで2007年に結成したカンパニーによる作品。 国際空間の入国審査で引っかかって入国できず足止めを食らった二人。 そんな状況を、ユーモラスなエアリアルのアクロバットで表現した作品でした。 といっても、エアリアルの技をブランコやティッシュといったいかにもエアリアルな道具立てで見せるようなパフォーマンスではなく、 荷物のトランクを宙に吊るし、そこで宙ぶらりんな生活を始めるという、 その描写にエアリアルのテクニックを使っていました。 そんあ不条理な状況が生み出すユーモアが楽しめた作品でした。

次の公演までの時間は、ロワー広場で毎年恒例の Corpus: Les Moutons 『ひつじ』 [2010年のレビュー]、 何回も観ているので、座って遠目に観てましたが、相変わらずの盛り上がりです。 今年は、5月7, 8日に別演目 Camping Royal が予定されていて、 それも少々気になったのですが、7日はふじのくに⇄世界演劇祭2016へ行く予定。 もし余力があったら8日に観に行きたいものです。

東京芸術劇場シアターウエスト
2016/5/5, 16:00-16:50.
Conception et jeu: Clémence Rouzier et Brian Henninot.
Mise en scène: Johan Lescop.
Création 2014.

ひょろりと背が高い男性 Brian Henninot と小柄な女性 Clémence Rouzier による フランス南西部トゥールーズの凸凹2人組による、可愛らしいマイムによるコメディ。 マイムだけでなく、 あまり明確な筋は無く、派手な技やネタ無しに、反復を少しズラしていく中に笑いを仕込んでいじゅなsy。 細かな仕草の積み重ねで作り出す雰囲気も良。コメディのミニマリズムを見るようでした。 最後は、Henninot のアコーディオン伴奏で Rouzier の歌を、やはり反復で笑いと取るように。

東京芸術劇場シアターウエスト
2016/5/5, 18:00-18:50.
De et par: Jive Faury et Kim Huynh.
Création lumière et régie: Lionel Vidal.
Regard chorégraphique: Brendan Le Dilliou.
Première en mars 2011.

Cie Jérôme Thomas で活動していたKim Huynh と Jive Faury が2006年に結成したフランスの男女ペア。 男女ペアによるロープをメインとしたジャグリング、マニピュレーション、そして、マジックの要素も少し入れたショー。 女性パフォーマーの Kim Huynh は 2012年に Cie 14:20 の一員として来日して “Constellations” 『星座』という、グローボールを使ったジャグリングショーをやっていた [鑑賞メモ]。 縄を浮かび上がらせるようなライティングなど共通点はありましたが、 ちょっとワガママな女性とマイペースな男性のカップルのやりとりという形で、 技を繋いで見せていくという結構オーソドックスな演出。 それも悪くはなく、こういう雰囲気って日本のカンパニー/パフォーマーはなかなか出せないんだよなあ、と思いながら観ていました。

かっては二階のプレイハウスを会場にしての公演がありましたが、 去年に続いて今年も地階の小劇場、シアターイースト/シアターウエストが会場。 サーカス中心の演目を楽しみましたが、 各作品小粒で、全体としてもこじんまりした印象は否めませんでした。 やはり、予算が削られているのでしょうか。

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[3430] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu May 5 3:31:31 2016

5月3日は、静岡芸術劇場で Ubu and the Truth Commission を観た後、静岡市街地というか駿府城公園方面へ急いで移動。

駿府城公園, 静岡市街地
2016/5/3-5.

ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016 関連企画として開催された、演劇寄りの大道芸イベント。 大道芸の文脈で活動している演劇・ダンスの色の強いパフォーマーと、 演劇・ダンスの文脈で活動しているカンパニーが入り混じっての、野外でのパフォーマンスを繰り広げていました。

まずは、15時から静岡市役所の御幸通り側玄関前で FUKAIPRODUCE羽衣。 ミュージカル劇団ですが劇場公演は未見。 主宰の 深井 順子 ら劇団メンバー3人と静岡のゲスト5名の、 男女8名が劇中歌の『果物夜曲』と『サロメvsヨカナーン』を歌い踊りました。 庶民の人生を描いた皮肉と脱力感の「妙〜ジカル」。 レベルまではわかりませんが女優陣はバレエとか習ったことありそうで動けて踊れていたのに対して、 男優陣の身のこなしがダメだったのが、妙に印象に残りました。 このレベルの違いは、バレエのような習い事の男女間での根付き方の違いによる所もあるかな、と思ったり。

16時からは駿府城公園外堀の二の丸橋前歩道周辺で スイッチ総研。 光瀬 指絵 (ニッポンの河川), 大石 将弘 (ままごと, ナイロン100℃) , 山本 雅幸 (青年団) らによるハプニングのカンパニー。 街中に置いたオブジェに観客が触ることをトリガーに、1分弱のパフォーマンスをするというもの。 こちらも観るのは初めて。 基本的に、テンション高い口調で強引に観客を掴むようなパフォーマンスでした。

16時半から東御門・櫓ステージで、 バーバラ村田。 大道芸フェスでは一人で男女のダンスを踊る作品 (タイトル失念) [写真] のことが多いような気がしますが、 今回は静かな動きの『かたわれ〜Doppelgänger〜』。 仮面を使ったマイムですが、ずらして被った仮面で表情仕種を作るところが面白かった。

『ストレンジシード』はここまで。 この後、駿府城公園内の「フェスティバルgarden」でのプレトークの後、 この野外公園を観ました。

The White Hare of Inaba-Navajo
駿府城公園 紅葉山庭園前広場特設会場
2016/5/3, 18:00-20:00.
演出: 宮城 聰; 台本: 久保田 梓美 & 出演者一同による共同創作; 音楽: 棚川 寛子.
Cast:
制作: SPAC・静岡県舞台芸術センター.
共同制作: Musée du quai Branly.
A program commissioned by Musée du quai Branly, to mark its 10th anniversary.
世界初演.

パリにあるフランス国立のアフリカ、アジア、オセアニア、アメリカの芸術と文明の博物館 Musée du quai Branly [ケ・ブランリー美術館] の開館10執念記念として 宮城 聰 へ委嘱された作品。 付設の劇場が Le Théâtre Claude Levi-Strauss ということで、 Levi-Strauss の日本に関する著作集 『月の裏側』 (L'Autre Face de la Lune, 2011) にあるという、日本の創世神話である『古事記』中と「因幡の白兎」のエピソードと、 北アフリカの先住民族 Navajo 族に伝わる神話の類似性の話に着想した作品でした。 三部構成で第一部が『古事記』、第二部がナバホ族の神話、第三部がこれらの神話の原型を想像したものでした。 ムーバーとトーカーに 着想してイメージを広げる、というより、プロットを説明するような演出に、 『マハーバーラタ 〜ナラ王の冒険〜』 [鑑賞メモ] の祝祭性を強引にくっつけたよう。 委嘱元の劇場空間に合わせたのだと思いますが、 スクエアな舞台の後方に楽団を並べてその前で芝居をするため、 空間の奥行きがあまり使えていなかったのも残念な限り。 舞台後方の木々ライトアップして静岡県舞台芸術公園 野外劇場「有度」に近い雰囲気を作ろうとしていましたが、 「有度」が舞台だったら空間使いももっと面白くなったかもしれません。 ク・ナウカ以来のトーカーとムーヴァーを分けての演出や、 打楽器アンサンブルの祝祭的な生演奏など、 宮城 聰 らしさをそれなりに楽しみましたが。

結局3日に観た Ubu and the Truth Commission のプログラム中にはとても良かったという作品はありませんでしたが、 『ストレンジシード』もあってか、一日通して振り返ると大道芸フェスを丸一日緩く楽しむのに近い楽しさはありました。

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往復に新幹線を使っているとはいえ、静岡日帰りは疲れます。 4日はぐったり。休養に充てたのでした。

[3429] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu May 5 0:23:30 2016

4月30日 [鑑賞メモ] に続いて、5月3日も ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016 へ。 まずは東静岡へ。この舞台を観てきました。

静岡芸術劇場
2016/5/3, 13:00-14:10.
Conceived and directed by William Kentridge.
Written by Jane Taylor.
Produced by Handspring Puppet Company.
Animation: William Kentridge, Assistant animators: Tau Qwelane, Suzie Gable, Choreography: Robin Orlin.
Cast: David Minnaar (Pa Ubu), Busi Zokufa (Ma Ubu); Gabriel Marchand, Mandiseli Maseti, Mongi Mthombeni (pappeteers).
First performed in 28 May 1997 at The Laboratory, Market Theatre, Johannesburs, South Africa.

現代美術の文脈で知られる南アフリカ出身の作家 William Kentridge が1997年に演出した舞台作品。 Kentridge 演出はもちろん、 イギリスの National Theatre が2007年に制作した War Horse で実物大の馬のパペットを操ったことで知られる 南アフリカ・ケープタウンのカンパニー Handspring Puppet Company の作品ということもあり、 楽しみにしていました。

1994年にANCが総選挙に勝利してアパルトヘイト撤廃された後にアパルトヘイト時代の人権侵害に対して設置された真実和解委員会を題材にした作品。 ユビュ王は人権侵害をした政府、その妻は疑わしいと感じていたものの真実を知らされていなかった国民のメタファーといった所でしょうか。 この二人を演じる俳優による演技がメインで、 昨年 Metropolitan Opera で演出した Lulu [鑑賞メモ] ような凝ったアニメーションの投影や、 War Horse のような大掛かりにパペットを使った演出はなく、そこは肩透かし。 この舞台に使われたアニメーションは 2012年に東京国立近代美術館での個展 [鑑賞メモ] で “Ubu Tell The Truth” (1997) として観ているのですが、 アニメーションだけ観た時に感じたマジックリアリズム的なイメージを、 舞台での演技が説明してしまうような印象も受ける時もありました。

期待が大きかったので物足りなさを感じましたが、下手にドキュメンタリー的な演劇よりは良かったかな、と。 しかし、最近は、Metropolitan Opera での The Nose (2007) や Lulu (2015)、 BAM Next Wave 2015 の Refuse the Hour (2015) など、オペラをよく演出していますし、 このような最近の作品で来日して欲しかったものです。

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長くなったので、一旦話を切ります。この後の話は、また後ほど。

[3428] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 1 23:57:33 2016

祝日金曜に開幕した ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016。 連休初日の混雑を避けて土曜に日帰りでまずは2演目、観てきました。

静岡県舞台芸術公園 稽古場棟「BOXシアター」
2016/4/30, 13:00-14:00.
Created and Performed by Tim Watts, Arielle Gray and Chris Isaacs.
Music Composed by Rachael Dease.
Produced by The Last Great Hunt.
A Perth Theatre Company commission.
Premier: 29 June 2012, State Theatre Centre of WA.

素晴らしいアニメーションや人形を使った一人芝居 The Adventures of Alvin Sputnik - Deep Sea Explorer [鑑賞メモ] を2012年に見せてくれた オーストラリアの Tim Watts が、今回は3人による作品で再登場。 認知症の老人が夕暮れ症候群で家を出て徘徊をする様を西部劇に見立てて、幻想的に、かつ、感傷的に描いた作品でした。 家を出て徘徊する際のパートナーは持って出たテント。 西部劇ということで、まるで馬のようなパートナーに、そしてもちろん夜露をしのぐ場所としても。

老人は何故か指名手配犯として追われていて、 虫取り網を持った保安官らしき追う男との決闘シーンがハイライト。 西部劇映画というかマカロニウェスタン映画のカメラワークやモンタージュを、 ペンライトを使った影絵芝居で見事に表現。 影を使ったトリッキーな表現といえば Philippe Decouflé も連想させられたが、 Decouflé のように影の形の面白さの方に重きを置くのではなく、もっと物語的だった。

追っていた男は、実は老人を捕まえようとする保安官ではなく、 認知症で徘徊する老いた父を保護しようとする息子だったのだが、 決闘の場面の直後、そうと老人が気づいたか気づかないかというところで、老人は死んでしまうという。 その死の描写も、静かに帽子や衣服を脱がせ肉体を消失させることで直接的ではなく象徴的に、 しかし、記号的にではなく非常に感傷的に描いたのはさすが。 この場面に、思わず、涙してしまった。

確かに、この作品のキーフィギュアとなっていたテントが、馬という見立てという面が強過ぎて、 前半は少々物足りなく感じた。 映像を投影する円形のスクリーンを様々に見立ててイメージを広げていった The Adventures of Alvin Sputnik - Deep Sea Explorer の方が良かったとは思う。 しかし、それでも、ミニマルな道具立てに様々にアイデアでイメージを作り出し、 セリフを一切使わずにイメージだけで観客をその世界にぐっと引き込んで感情移入させるだけの物語る力のある、 素晴らしい舞台だった。

公演後のトークによると、制作の最初の段階にあったのは、テントを使った動きだったとのこと。 これが馬のようと感じた所から、西部劇の要素が、そして、認知症の老人の夕暮れ症候群というプロットが加わったとのこと。 最初から認知症の老人の問題を表現する、というようなアプローチで無かったことが、 結局、アイデア満載のイメージによる物語る力の強い作品として成功したのだろうか。

彼らのプロダクション The Last Great Hunt のウェブサイトに、 制作中の Tim Watts と Arielle Gray による新作 New Owner (仮題) のページがある。 写真を見ると Arielle Gray をメインにフィーチャーしたとっても可愛らしい作品そうだ。 この作品でも是非来日して欲しい。

静岡芸術劇場
2016/4/30, 16:00-18:40.
Directed by Ong Keng Sen.
作: 野田 秀樹 (1990).
Cast: 中村 壱太郎 (リチャード三世, りちゃあど), 茂山 童 (シェイクスピア, ジョージ), Janice Koh (マーチャン, シャイロク), Jajang C. Noer (ハハバイ (シェイクスピアの母), 家元夫人), I Kadek Budi Setiawan (チャボーズ, 影絵人形使い), 江本 純子 (カイロプラクティック, シンリー), たきいみき (ワルカツマー (シェイクスピアの妻), アン), 久世 星佳 (裁判長, チチデヨカ (シェイクスピアの父), 家元, ワスレガダミ)
美術: 加藤 ちか; 照明: Scott Zielinski; 衣裳: 矢内原 充志; 映像: 高橋 啓祐; 音楽: 山中 透.
主催: SPAC・静岡県舞台芸術センター.
共催: 東京芸術劇場, Singapore International Festival of Arts.
世界初演.

夢の遊眠社時代、1990年の野田 秀樹の戯曲を、シンガポールの演出家 Ong Keng Sen が演出した舞台。 日本、シンガポール、インドネシアの三ヶ国の俳優による日本語、英語、インドネシア語の三ヶ国語を交えての上演で、 各国語によるストレートな演技だけでなく、 中村 壱太郎 の歌舞伎女形、茂山 童 の狂言、久世 星佳 の宝塚歌劇の男役、I Kadek Budi Setiawan による Wayang Kulit といったものが舞台上に併置さえていた。 クラブのVJのような半ば抽象的で時にドラッギーな映像が舞台いっぱいい絶えず投影され、 アンビエントなテクノ、エレクトロニカのようなBGMがセリフを聞き取るのを妨げるようなレベルで絶えず流され、 メリハリの感じられない単調な舞台だった。 多文化的な要素も有機的に組み合わされているというより、 そんなVJ的な映像とアンビエントな電子音の上物としてサンプリングさたもののような扱いに感じられた。 1980年代後半に同時代体験した小劇場ブーム時代を思い出させる饒舌だが軽くて言葉遊びの多いセリフもあって、 ポストモダニズムの空疎さを見せつけられたようだった。

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日曜は高円寺びっくり大道芸に行っても良いかなと思っていたのですが、 家事もしなくてはいけないし、金曜土曜の疲れも残っていたので、大人しく休養日にしたのでした。

[3427] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 1 21:36:12 2016

ゴールデンウィーク初日の金曜は、昼前から渋谷へ。 シネマヴェーラ渋谷 の特集上映『孤高の天才 清水宏』で、この映画を観てきました。

『女醫の記録』
1941 / 松竹大船 / 95 min / 白黒.
監督: 清水 宏
田中 絹代 (夏木女醫), 森川 まさみ (本間女醫), 佐分利 信 (神谷訓導), etc

あらすじ: 夏休み中の奉仕活動として東京女子医学専門学校の女子医学生たちが女医に率いられて山あいの無医村へやってくる。 受け入れた村の分教場の訓導の神谷先生は都会出身の青年。 先生としてだけでなく、村のよろず相談事に乗り、因習や迷信に囚われがちな村人の生活を改善しようとしてる。 女子医学生や率いる女医たちは健康診断や治療を通して村の問題に直面していく。 出稼ぎに出た娘や息子が都会で結核となって帰ってくることで、村には結核が蔓延している。 衛生という概念がなく風呂に入る習慣すらない村人たちは、 金を取られると健康診断や治療をいやがり、結核を家の恥と思いツベルクリン検査を拒むが、 その一方で、祈祷をする行者を呼ぶ。 その行者は実は出稼ぎの手配師でもあり、体の弱い娘を女工として人買しようとする。 日差しと風を遮り不衛生の原因となっている家を取り囲む木を、先祖に申し訳ないと切ろうとしない。 そんな問題に、女医たちと神谷先生が、村人の抵抗も受けつつ、 抵抗する村人の立場も慮りながら、しかし時として毅然とした態度で取り組んでいく。 そして、夏休みの終わり、夏木女医は村に残ることを決心する。

近代的な医療や衛生を啓蒙するドキュメンタリー映画のような内容ながら、 暑苦しかったり、嫌味だったり感じなかったのは、 子供の視点を上手く使った淡々とそしてちょっぴりユーモラスな描写と、 ロングショットを多用したゆったりとしたテンポの美しい画面のおかげでしょうか。 「こんな所で燻って焦りは感じないのか」と問う夏木女医に 「焦りや寂しさを感じたときは尺八を吹く」と答える神谷先生。 神谷先生の身の周りの世話の仕事を子供たちから取ってしまったことを子供に詫びる夏木先生。 そういったエピソードも、夏木女医や神谷先生が、 絶対的に正しいことに迷いなく取り組んでいるというわけではないことを浮かび上がらせるよう。

夏木女医を演じた 田中 絹代 ももちろん良いのですが、 神谷訓導を演じた 佐分利 信 がとてもカッコ良いのです。 熱さを秘めた朴訥な好青年というのは、彼のハマり役の一つですね。 この二人の仲を、 これこそ『女醫絹代先生』 (松竹大船, 1937) [鑑賞メモ] のような 男女の恋仲として描くことも出来たでしょうに、 むしろ村の因習や迷信と闘う同士のように描いていたのも良かったし、 佐分利 信 の朴念仁な雰囲気が良い意味で生きていました。

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[3426] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Apr 27 0:23:38 2016

シネマヴェーラ渋谷 で4月23日から特集上映『孤高の天才 清水宏』が始まっています (5月20日まで)。 ということで、さっそくこの土日に戦前の松竹映画を3本観てきました。

『金色夜叉』
1937 / 松竹大船 / 77 min / 白黒.
監督: 清水 宏
夏川 大二郎 (間 寛一), 川崎 弘子 (鳴沢 宮), 武田 秀郎 (お宮の父), 吉川 満子 (お宮の母), 上山 草人 (鰐渕 直行), 佐野 周二 (息子 直道), 三宅 邦子 (赤樫 満枝), 佐分利 信 (荒尾 讓介), 笠 智衆 (風早 庫之助), 近衛 敏明 (富山 唯継), 高峰 三枝子 (箕輪 俊子), etc

あらすじ: 高等中学校の学生 間 寛一 と彼を養っている 鳴沢 の家の娘 お宮は、結婚を約束したも同然の仲。 しかし、富山銀行の若旦那から お宮 へ縁談の話が来ると、お宮は家のことを考えて富山と結婚してしまう。 寛一 は学校を辞め、復習のため 高利貸し 鰐渕 の手代として働くようになる。 寛一 は学生時代の友人の家にも情けをかけず取り立てに行くほど冷酷になり、 寛一 に好意を持つ鰐渕の妾 満枝 からの誘惑も相手にしない。 一方、富山銀行の経営状態は悪化し、富山は馴染みだった満江を介して鰐渕から金を借りようとする。 その手代と現れたのが 寛一 だった。 富山は金を借りるが、結局、借りた金で利益は出せなかった。 富山は寛一とお宮が密会していると誤解する一方、財産を失ってお宮を愛する資格を失ったと悟り、返済期限の直前に家出してしまう。 そして、富山の家で、寛一とお宮は、返済取立ての手代と債務者の妻として再会する。 寛一は金のために結婚したお宮を詰るが、 お宮は結婚しようとするときどうしてぶってくれなかったのかと言い、富山の子を宿していることを明かす。 寛一 は手形を破り捨てて、自嘲しながら富山の家を後にするのだった。

尾崎紅葉の小説『金色夜叉』 (1897-1902) は、数多く映画化されていますし、新派劇の古典にもなっていますが、これは1937年の映画化。 お宮 を演るのが 川崎 弘子 ということもありますが、メロドラマも得意とした 清水 宏 だけあって、松竹メロドラマらしく感じました。 特に、原作のようにはお宮を不幸な結婚生活としては描かず、 寛一が高利貸しの手代として富山へ金を貸すことで直接的に復讐するように描いていること、 そして何より、偶然を綾に寛一、お宮、富山、満江の四人の関係が手繰り寄せられていく展開など。 というか、『金色夜叉』は松竹メロドラマのルーツの一つなんだろうな、と再認識しました。

熱海の海岸で寛一がお宮を蹴飛ばす有名な場面をどう撮ったのかという興味もあったのですが、 月夜でもなく浜辺というより海を望む崖の上の道のような所で、さらりと流していました。 この映画では見せ場としなかったのか、と。

佐分利 信 と 佐野 周二 が出演していましたがちょっとした脇役。 三羽烏の中で 寛一 が最も似合いそうなのは 佐分利 信 でししょうが、 夏川 大二郎 の根から冷酷というより頑張って振舞おうとしている雰囲気も、良かった。 高峰 三枝子 がお宮の親友の役で出てくるのですが、モダンな洋装を見慣れているせいか、和装で丸髷姿に違和感覚えました。うーん。

『簪』
1941 / 松竹大船 / 70 min / 白黒.
監督: 清水 宏
田中 絹代 (惠美), 川崎 弘子 (お菊), 齋藤 達雄 (片田江先生), 笠 智衆 (納村), 日守 新一 (廣安), 三村 秀子 (奥さん), 河原 侃二 (老人), 横山 準 (太郎), 大塚 正義 (次郎), 坂本 武 (宿の亭主), etc.

あらすじ: 舞台は夏の伊豆の山中の温泉宿。 大学教授の片江田先生、脚の負傷からの療養中の (おそらく負傷で戦地から復員した) 納村、廣安夫妻、 子供を二人連れた老人、などが夏休み中の長期滞在で同宿している。 法華講の団体客の一人として恵美はその温泉宿に宿泊する。 団体客が去った後、納村は湯船の中で簪を踏み、足を怪我する。 その後、簪を失くしたという 恵美 の手紙が温泉宿に届く。 失くした簪で客が怪我をしたと知った恵美は、お詫びに再び温泉宿を訪れる。 そのまま恵美も、納村たちと温泉宿に滞在することにする。 恵美を呼び戻しにお菊がやってくるが、恵美は妾であることは止めて東京へは戻らないという決意を伝える。 夏休みも終わりに近づき、長期滞在の温泉客も帰ってしまい、松葉杖なしに歩けるようになった納村も帰ってしまう。 東京へ戻った馴染みの客たちで「常会」を開くという納村からの手紙が、温泉宿に残った恵美に届き、 彼女は雨の温泉宿を物思いに耽りつつ歩くのだった。

伊豆山中の温泉宿を舞台としたグランドホテル形式の映画。 それだけでなく、旦那から逃れてきた妾という訳ありの女がヒロインという点でも、 『按摩と女』 (松竹大船, 1938) [鑑賞メモ] と似ています。 『按摩と女』は、訳ありゆえに互い踏み切れない 美千穂 と 真太郎 の仲や、 徳市の片思いなど、上手く噛み合わない恋心を感傷的に描いていました。 しかし、『簪』は恵美と納村の関係もさほどロマンチックには描いていません。 むしろ、気難しい片江田先生や先生にやり込められてばかりの廣安など個性的な客を多く配して、 温泉宿での生活をのんびりユーモラスに描き、 そんな生活を通して、恵美が更生する様を描くような映画でした。 片田江先生演ずる 齋藤 達雄 や廣安を演ずる 日守 新一 も面白く、とても楽しめました。 しかし、ちょっと感傷的で時にメロドラマチックですらある『按摩と女』の方が、好みでしょうか。

『子供の四季 春夏の巻・秋冬の巻』
1939 / 松竹大船 / 春夏の巻 (不完全版) 70min, 秋冬の巻 (不完全版) 72min / 白黒.
監督: 清水 宏
河村 黎吉 (父 [青山]), 吉川 満子 (母), 葉山 正雄 (善太), 横山 準 (三平), 坂本 武 (祖父 [小野]), 岡村 文子 (祖母), 日守 新一 (俊一), 西村 靑兒 (老曾), 若水 絹子 (光子), 古谷 輝夫 (金太郎), etc

あらすじ: 山あいの青山牧場の夫婦には善太と三平という二人の子がいる。 二人は祖父母はいないと聞かされて育ってきたが、 近頃、何かと二人に優しくする馬に乗った老人が現れるようになった。 実は祖父は駆け落ちした母を勘当したのだったが、孫見たさに来ていたのだった。 やがて、それをきっかけに祖父母と母は和解する。 町で工場を経営する祖父 (小野) は、善太と三平を将来の跡取りと言うようになる。 しかし、それを面白く思わない平重役の 老曾 は、 小野に伏せて青山に貸した会社の金の話を持ち出し、小野と青山を仲違いさせる。 やがて、青山は病気で倒れ死んでしまう。 善太・三平は母と一緒に小野家に引き取られることになる。 老曾 は小野の会社の乗っ取りを計るようになり、 青山へ貸した会社の金の処理をするということで、小野に大きな借金を追わせる。 小野家の屋敷は差し押さえられ、小野家と老曾の家の仲は険悪となる。 しかし、善太・三平は老曾の子 金太郎 と遊び友達。 親の関係の影響を受けて子供の間の関係もギクシャクするが、 むしろ子供の関係が、険悪となった親の関係を改善させていった。 やがて、老曾が同業他社の重役と兼務したことが明るみになり、老曾は小野会社から追放されることとなった。

清水 宏 は子供を主人公とした映画も得意としていたとは知ってたけど、観るのは初めて。 あらすじに書いた物語はむしろ背景で、善太と三平の日常をのんびりユーモラスに、 そして親たちから受ける子供たちの生活への影響をちょっと感傷的に、 強く物語ることなく、美しい絵で細かいエピソードを積み重ねていくところが良い映画でした。 メロドラマ映画とは演出や画面作りが異なり、どちらかといえば『簪』などに近い雰囲気。 見たことのある 清水 宏 の映画の中では、『信子』 (松竹大船, 1940) が最も近く感じました。 静かな中で人を探す声が響く場面など、清水 宏 得意の演出だな、と。

駆け落ちした青山の夫婦と勘当した小野家の和解をとりもつのも、 会社経営を巡って険悪となった小野家と老曾の家の間をとりもつのも、善太・三平ら子供たち。 現実にはそんな上手くいくことは少なく、子供の関係はもっと残酷なものになりうるとも思います。 しかし、それでも子供の仲が大人の世界を変える可能性を信じたくなるような、 微笑ましいユーモアと抒情溢れる映像からなる、詩的な映画でした。 良かっただけに、春夏の巻、秋冬の巻の両方とも、最終リール欠落の不完全版なのは残念でした。

2013年に東京国立近代美術館で特集上映 『生誕110年 映画監督 清水宏』 があったのですが、 それは戦前松竹映画にのめり込む半年前。 通って観なかったことを悔やんだものでした。 この特集上映は通いたいものです。

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[3425] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Apr 18 0:53:13 2016

土曜の大崎の後は吉祥寺へ移動。晩に舞台のライブ・ビューイングを観てきました。

『夜中に犬に起こった奇妙な事件』
Royal National Theatre
Based on the novel by Mark Haddon, adapted by Simon Stephens.
Directed by Marianne Elliott.
Movement Directors: Scott Graham & Steven Hoggett for Frantic Assembly
Cast: Luke Treadaway (Christopher John Francis Boone), Niamh Cusack (his Mentor, Siobhan), Nicola Walker (his mother Mrs. Judy Boone), Paul Ritter (his father Mr. Ed Boone), Sophie Duval (Mrs. Shears, Mrs. Gascoyne, etc), Nick Sidi (Roger Shear, etc), Una Stubbs (Mrs. Alexander), etc etc
Premier: 2 August 2012 at the Royal National Theatre
Originally broadcast live from the Royal National Theatre in London to cinemas around the world on Thursday 6 September 2012.
上映: 吉祥寺オデヲン, 2016-04-16 18:30-21:30 JST.

自閉症児を主人公としたイギリスのベストセラー小説を舞台作品化したもので、2012年制作の舞台ですが、 良い評判を聞くので National Theatre Live のアンコール上映を観てきました。

スウィンドンに住む数学が得意で宇宙飛行士になる夢を持つ15歳の自閉症児 Christopher は、父親 Ed Boone と二人暮らし。 ある晩、近所の Mrs. Shears の飼犬 Wellington が庭で殺された現場にいたことで警察に連れていかれたことをきっかけに、 その犯人探しをするうちに、犬殺しの犯人だけでなく両親の Shears 夫妻の秘密を知ってしまいます。 数学のAレベル試験に Christopher が合格するというハッピーエンドのようですが、 両親の離婚など苦いしんみりさせる部分も多い物語でした。

自分がこの舞台に興味を持ったのは、そういった物語の部分ではなく、 舞台装置を使わず、フロアをスクリーンに見立てた映像のプロジェクションと身体表現を駆使して空間を描く演出でした。 コンピュータで描いた映像プロジェクションを駆使した部分は、 この作品では自閉症患者から見える世界を描くという点で必然が感じられ、ギミックにぽく感じることはありませんでした。 特に良かったのは、スウィンドンからロンドンへの鉄道、そして、ロンドンの地下鉄の場面の描写。 床に車窓の風景の線描を投影して横になって演じたり、 駅の雑踏や車内の混雑の様子を数人の象徴的な動きで描いたり。 俳優をリフトすることもあり、コンテンポラリー・ダンスほどではないものの、 マイムというかフィジカルシアター的な表現は Simon McBurney / Complicité を連想させられました。 クレジットに Movement Directors というのがあるのも納得。 Movement Directors の2人 Scott Graham & Steven Hoggett のカンパニー Frantic Assembly も、面白そうです。

もちろん俳優も良く、自閉症児を演じきた Luke Treadaway も凄いと思いましたが、 いかにもイギリスのおばあちゃんという感じの Una Stubbs がツボにはまりました。 Mrs. Shears だけでなく Christopher の学校の校長先生を演じた Sophie Duval も良く、 女優が楽しめました。

フォトジェニックな舞台というか、映像で観ているからかっこよく見えているのかもしれません。 しかし、このようなフィジカルな演劇なら、できれば生で観てみたいものです。

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日曜は昼過ぎまで大荒れの天気。 風は強かったものの晴れた夕方に買物に出たりしましたが、 家でゆっくり過ごしたのでした。

[3424] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Apr 17 21:31:17 2016

この土曜は午後に大崎へ。この展覧会を観てきました。

佐藤 雅晴
『東京尾行』
原美術館
2016/01/23-2016/05/08 (月休;3/21開;3/22休), 11:00-17:00 (水11:00-20:00)

若手作家を紹介する原美術館のプロジェクト「ハラ・ドキュメンツ」の第10回。 佐藤 雅晴 [tumbler] は 実写映像や写真をトレースして制作したアニメーション映像、ドローイングを作風とするとのこと。 この展覧会で初めて観ました。

入ってすぐのギャラリー1の「Calling ドイツ編」 (2009-2010)、「Colling 日本編」 (2014) は、 作家が10年間滞在したというドイツと、戻ってからの日本の 人気の無い街などの風景の中で携帯電話や公衆電話が鳴るようすを描いたアニメーション。 人物が写っていないということもあるのか、ぱっと見、実写と感じられるような映像でした。 1970年代の絵画に Superrealism も少し連想しましたし、 1980年代の Simulationism のアニメーション版と感じられるところも。 しかし題材はポピュラーに流通するイメージのようなものではなく、 むしろ受け手のいない電話のコール音という状況から感傷的で私的な物語がほのかに立ち上るようでもありました。

「東京尾行」 (2015-2016) は、実写とアニメーションを組み合わせた映像。 アニメーション部分は「Calling ドイツ編」などと違い、むしろフラットな色面による絵。 メインの建物や人物を抜き出してアニメーション化していることもあり、フラットさが際立ちます。 都心の皇居周辺の風景などの何気無いスナップ映像を短いループで回していることもあり、 スナップ写真的な「液晶絵画」 [関連レビュー] だな、と。

「トイレットペーパー (ナイン・ホール)」 (2012-2013) トイレットペーパーの写真を元に描いた絵画 Gerhart Richter: “Klorolle” (1965) を参照したという、 現代美術らしいネタのアニメーション。 Richter のような絵画的なテクスチャを感じるものではなく、むしろフラッットな描き方でした。

実写映像の精緻なアニメーション化という所など興味深く観たのですが、 扱っている題材が少々私的に感じられ、自分の興味とすれ違ってしまったようにも感じた展覧会でした。

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先週末土曜は清澄白河へ。東京都現代美術館で 『MOTアニュアル2016–キセイノセイキ』 (5/29まで) を観てきました。 表現の規制をテーマとした展覧会ですが、 社会問題を扱った展覧会のつまらない面を見てしまったような (多くは語らない)。

翌日曜は朝から親族方面の用事、夕方からは一年間の海外滞在から戻った友人の歓迎会。 ということで、鑑賞メモを書く時間も無く、モチベーションも上がらず、先週末はこのサイトの更新をせず仕舞いでした……。

この土曜の晩の話は、また後ほど。

[3423] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Apr 3 22:41:49 2016

土曜の夕方、ライブを観た後は、この展覧会を観てきました。

『ファッション史の愉しみ−石山彰ブック・コレクションより』
世田谷美術館
2016/02/13-2016/04/10 (月休;3/21開;3/22休), 10:00-18:00.

服飾史の研究者 石山 彰 のブック・コレクションに基づく展覧会。 16世紀以降の服飾史関連資料とのことでしたが、 メインはファッション・ブックやファッション・プレート (版画) が発行されるようになった 18世紀末のフランス革命前後から20世紀初頭戦間期にかけてのフランスの上流階級の女性の服。 資料と合わせて、神戸ファッション美術館所蔵の同時代の衣装が並んでいました。 20世紀以降のファッション史については書籍や展覧会で触れる機会がそれなりにありましたが [関連発言]、 フランス (を中心とした欧米) の19世紀ファッション史は疎かったこともあり、とても勉強になりました。

盛った髪型にパニエ (panier) で横広がりの18世紀末のロココ (Rococo) の正装 Robe à a la française から、 フランス革命を経て帝政スタイル (Robe style Empire) のコルセット無しでスラリとしたシュミーズ・ドレス (chemise robe)。 王政復古期の1830年代以降、再びスカートが膨らむロマン主義時代のスタイルを経て、 そして、1950年代にはクリノリン (crinoline) で大きくスカートを広げるスタイル、 続いて、1970年代にはヒップを強調するバッスル (bustle) のスタイルへ。 そして、1890年にはアール・ヌーヴォー (Art Nouveau) のS字のシルエットとなり、 戦間期にはシンプルなアール・デコ (Art Deco) になる、という。 こういったスタイルの変遷が、資料だけでなく衣装の展示も含めて見て掴むことができたのは収穫でした。 こういう違いがわかると、今後、19世紀美術を観る際に、描かれた女性の服装をチェックして楽しめそうです。

18世紀以前の資料は服飾風俗を伝える服飾誌的なもので、これも近世の博物学と並行するものなのだろうなあ、と。 日本についても、江戸から明治にかけての浮世絵などの資料が展示されていました。 疎い分野だったこともあり、興味深く見ることができましたが、 現在の服飾デザインに通じるものとして良いと感じるのは戦間期以降だな、ということも再確認した展覧会でした。

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この後は帰って、毎年恒例の大家さん宅の花見。 寒さも忘れて、雨が降り出す23時頃まで外で呑んでました。 そんなわけで、連日の呑み疲れで、さすがに日曜は休養に充てたのでした (弱)。

[3422] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Apr 3 21:00:49 2016

金曜の呑み疲れもあって、土曜はぐったり。 午後の散策のネタ探しで展覧会情報をチェックしていたら、ライブ情報に目が止まったので、砧公園へ。 このライブを観てきました。

Sin Fronteras
世田谷美術館 講堂
2016/4/2 15:00-17:00
Sin Fronteras: Ana Karin Rossi (vocals), Carlos "el tero" Buschini (electric bass); with Olivier Manoury (bandoneon); with guest: Giovanni Guido (guitar).

アルゼンチン出身で Tango Negro Trio 等でイタリアを拠点に活動する bass 奏者 Carlos Buschini による ウルグアイ出身パリ在住の女性歌手 Ana Karina Rossi をフィーチャーしてのプロジェクト Sin Fronteras。 Sin Fronteras (Abeat, 2015) というアルバムを昨年リリースしているが未聴。 このアルバムにも参加していたパリ在住の bandoneon 奏者 Olivier Manoury を伴って来日。 イタリア・ナポリ出身で現在は東京在住という guitar 奏者 Giovanni Guido がゲスト参加している。 欧州の folk/roots 寄りの jazz の文脈で時折見る名前ということもあり、ライブに足を運んでみました。

ウルグアイのモンテビデオ (Montevideo)、アルゼンチンのブエノスアイレス (Buenos Aires) の両首都の間を流れるラプラタ川沿いの tango, milonga, candombe といった音楽を jazz をベースにミクスチャした音楽です。 milonga や candombe はMCで説明して演奏するほどでしたが、予想よりも tango 的なニュアンスは薄め。 ゲストの guitar の澄んだ音色が加わったせいか、 felmay (Tango Negro Trio をリリースしていたイタリアのレーベル) が1990年代にリリースしていた Simone Guiducci や Enzo Favata の汎地中海的な folk/roots 寄りの jazz に近い雰囲気を感じるときもありました。 Olivier Manoury のソロの時の improv 色濃くアブストラクトな展開がもっとあった方が好みだし、 女性歌手にもう一癖あった方がいいかなとは思いましたが、それはこのグループに求めるものではないかな、と。

当日の朝に気づいてふらりと行ってみた程度ですが、たまに生演奏を聴くというのは、良いものです。

[このレビューのパーマリンク]

用賀駅から砧公園へ向かう通りが、普段は無いような混雑だったので、何事かと思いきや、花見客だったのですね。 花見のことなどすっかり忘れてましたよ。 曇って冬のような寒さでしたが、花見客で公園は溢れていて、すごいなあ、と。

この後の話は、また後ほど。

[3421] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Mar 27 23:25:45 2016

土曜は午前中には神保町へ。 神保町シアターで、 特集上映 『生誕110年 女優 杉村春子』 が始まったということで、さっそく、 島津 保次郎 (dir.) 『浅草の灯』 (松竹大船, 1937)。 約1年前に移動時間を使って iPad mini で観ているわけですが [鑑賞メモ]、 やはり、映画館で観るとディテールの見え方が違います。 凌雲閣のある震災前の浅草の様子が伺えることが興味深い映画ではあるのですが、 再現したセットは大画面で観るとと書割感が増してしまったようにも感じました。

一方、根津本郷にあるボカ長の下宿からニコライ堂が見えることに気付きました。 おそらく、弥生美術館のあるあたりという設定だと思うのですが、当時はあのあたりから見えたのですね。 ボカ長は麗子のことを「ドガの踊り子」というわけですが、 下宿で彼女をモデルに描いていた絵は、ドガのように踊っている様子を印象派風に描くのではなく、むしろキュビズムの影響を感じる肖像画でした。 浅草オペラは震災前で、震災後に東京は急速にモダン都市になるわけですが、この頃にキュビズム的な絵というのは早い方かもしれません。 ボカ長の下宿友達は、当時の東京帝国大学の学部による学生のカラーの違いをカリカチュアライズしてるということに気付いて、そこもちょっと面白く感じました。 ボカ長は帝大ではなくて、根津の谷を挟んで向かいの東京美術学校 (現 東京藝術大学美術学部) でしょうけど。 確かに浅草がメインの映画ですが、その対比となる根津本郷の世界も、それなりにディテールを描き込んでいたことに気付かされました。

主役の若い 上原 謙 と 高峰 三枝子 ももちろん良いのですが、 麗子の匿うための前借りを踏み倒して、麗子を逃した責を被って、新劇運動に参加すべく関西に行く劇団員 香取 を演じる 若い 笠 智衆 が飄々とした好青年で良いなあ、と見直したりもしました。

続けて、小津 安二郎 (dir.) 『晩春』 (松竹大船, 1949) も。 こちらは、生誕百年の時に観て以来ということで、 始めのの方の場面は記憶に残っておらず「ひょっとして観てなかったっか?」と思ったり。 京都での場面など見覚えがあったので、やっぱり観てるんだと思うのですが。 今回最も良く感じたのは、視線で描く能を観る場面でした。 それにしても、原 節子 の濃さはやっぱり苦手です。

『晩春』も父親役が 笠 智衆。杉村 春子 の特集上映ですが、笠 智衆 を楽しんだ2本でした。 ま、こういうこともあるでしょう。

年度末の飲み疲れもあって、日曜は休養日。 掃除というか、CDの山の整理をし始めたら、大変なことになってしまいましたが……。

[3420] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Mar 21 22:13:17 2016

珍しく2週連続になりますが、今週末のCD/DL聴取メモは、 ベラルーシ / スイス 混成の folk meets jazz なグループのアルバム2タイトルを合わせて。

Kazalpin [Казальпін]
East Side Story
(Double Moon, DMCHR71509, 2011, CD)
1)Viasná Krasná [Вясна Красна] / Lacieła Striala [Ляцела Стряла] 2)Siadzmo Mamko [Сядзьмо Мамко] / Talisman 3)Sestra [Сестра] 4)Winter / Čyrvonaja Višnia [Чырвоная Вішня] / Valsakana 5)Oj Na Dełeniko [Ой На Делеіко] 6)Minsk 7)Zinačka [Зіначка] 8)Oj Na Vialikadnia [Ой На Вялікадня] 9)Aysom Sander 10)East Side Story / Viaśnianka [Вяснянка] 11)Rości Korovaj [Росці Коровай] 12)Jungle Bells / Išła Kalada [Ішла Каляда]
Recorded 16-18 November 2010.
Irena Kotvitskaja [Ирэна Котвицкая] (vocals), Rusia [Руся] (vocals), Nadzeya Tschuhunova [Надя Чугунова] (vocals), Albin Brun (soprano- and tenorsax, swiss diatonic accordion, overtoneflute, duduk), Patricia Draeger (accordion), Claudio Strebel (double bass), Marco Käppeli (drums).
Kazalpin [Казальпін]
Śniežki [Снежкі] - Schnee
(Double Moon, DMCHR71509, 2011, CD)
1)Svatki-Bratki [Сваткі-Браткі] 2)Jechaŭ Ivańka [Ехаў Іванька] 3)Magic Circle 4)Swiss Barocco 5)Ni Žhar Zagoriaje [Ні Жар Загоряе] 6)Schnee 7)Žyto Połovieje [Жыто Половее] 8)Iskarka-Pryhaŭka [Іскарка-Прыгаўка] 9)Ararat 10)Śniežki [Снежкі] 11)Ho-Ho Kaza [Хо-Хо Кажа] 12)Kolado [Коладо]
Recorded 3-5. 12. 2014.
Irena Kotvitskaja [Ирэна Котвицкая] (vocals), Rusia [Руся] (vocals), Nadzeya Tschuhunova [Надя Чугунова] (vocals), Albin Brun (tenor- and sopranosax, swiss diatonic accordion, waterflute, duduk), Patricia Draeger (accordion, flute), Claudio Strebel (double bass), Marco Käppeli (drums, asa chan, waterphone).

Kazalpin [Казальпін] は、 ベラルーシ出身の “ethno-jazz” 女性ヴォーカル三人組 Akana [Акана] と、 スイスの jazz/improv の文脈で活動する Albin Brun の folk 的な要素を取り入れたグループ Alpin Ensemble という2つのグループが合わさってのプロジェクト。 2010年録音の1作目のみの一時的なプロジェクトと思いきや、活動を継続しており、14年録音の2作目をリリースしている。 2作目になっても作風はほとんど変わってはいない。

Akana は東方正教会キリスト教が入ってくる以前の儀式の歌をベースにしているとのこと。 ベラルーシの民謡等には疎いが、 例えば Moscow Art Trio 等で知られるロシアの Sergey Starostin [Сергей Старостин] [関連レビュー] のプロジェクトで聴かれるようなヴォーカルワークや、 kalyuka [калюка] らしき overtone flute の音色が楽しめる。 folk 的な歌い方が多いが、“ethno-jazz” と自称しているように、jazz 的な軽快なスキャットを聴かせる時もある。

もう一方の、Alpin Ensemble のアルプス地方の folk の要素は、 yodel や alphorn のような解りやすい要素は無いが、accordion や clarinet に近い sopranosax の音が folky な雰囲気を盛り上げている。 しかし、むしろ、複合拍子を多用するキレの良い contemporary jazz 的な演奏が良い。 rock 的な要素は無いが、Akana の歌声と合わさると、 Starostin や女性歌手 Inna Zhelannaya [Инна Желанная] を フィーチャーした Farlanders [関連レビュー] を連想されられるときもある。

中でも特に気に入っているのは、 “Siadzmo Mamko [Сядзьмо Мамко] / Talisman” (East Side Story 所収)。 ベラルーシの伝承曲らしい森の中から響いてくるようなコーラスラークと kalyuka [калюка] の音に始まり、 それが軽快な accordion とキレの良いリズムによって Luis Gonzaga や forró (ブラジル東北部の音楽) 思わせる曲調に繋がれ、 彼女たちの歌声もむしろそれらしい明るいスキャットとなる。 そんな中、一旦ベラルーシ民謡風に戻ったりするが、そんな展開が無理なく自然に繋がっているのが楽しい。 このグループの魅力が良く現れている曲だろう。

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月曜祝日。土日外出の疲れもあったので、ゆっくり休養に充てたのでした。

[3419] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Mar 20 23:17:40 2016

土曜は朝から雨。しかし、雨が上がった昼過ぎに渋谷へ。 シネマヴェーラ渋谷 で開催中の特集上映『ミュージカル映画特集−ジャズで踊って』 で上映されたこの2本を観てきました。

Carefree
『気儘時代』
1938 / RKO Radio Pictures (USA) / 83 min / 白黒 (デジタル上映).
Director: Mark Sandrich.
Starring: Fred Astair & Ginger Rogers
Lyrics & Music by Irving Berlin.

華麗なタップダンスで有名なRKO時代の Astair & Rogers のRKOの映画のうちの一本。 Astair & Rogers の映画はダンスの場面のみであればいろいろ観る機会がありましたが、 映画として通して観るのは実は初めて。 Astair 演じる精神分析医が、結婚を躊躇する親友の婚約者 (Rogers が演じる) を患者として観ることになったことをきっかけに、 彼女に好意を抱くようになり、結婚式に向けてドタバタを繰り広げるというスクリューボール・コメディ。 繊細に恋心の機微を描くような物語・演出ではないので、正直に言えばそこは物足りなく感じましたが、やはりダンスシーンは楽しいものです。 ゴルフのティーショットをしながら踊る場面も凄いと思いましたが、 やはり、カントリークラブのクラブハウスで Rogers の歌う “The Yam” に導かれるように部屋を移動しながらの群舞が楽しかった。

New Orleans
『ニューオリンズ』
1947 / United Artists (USA) / 89 min / 白黒 (デジタル上映).
Director: Arthur Lubin.
Starring: Arturo de Córdova, Dorothy Patrick, Billie Holiday, Louis Armstrong, Woody Herman.

ニューオリンズの赤線地帯 Storyville で生まれた音楽が、1917年の閉鎖に伴いミュージシャンがシカゴに移り、 jazz となって世界に広まっていく様を描いた映画です。 Billie Holiday が出演している唯一の映画で、まさに当事者だった Louis Armstrong が出演しているといるということ、 もっとドキュメンタリータッチかと思いきや、史実等はさほど重視せずに、 そんな時代を背景に、Storyville の顔役でミュージシャンを支えた男と jazz に惹かれたオペラ歌手の間の恋愛を メロドラマ的に描いた映画でした。 といっても、Louis Armstrong の演奏の様子や Billie Holiday の歌はもちろん、 当時の Storyville の様子はこんな感じだったのだろうかと垣間見られただけでも興味ふかくみられました。 店でのセッションの様子はある程度は想像の範囲内。 むしろ、店の広告のために荷車風の台車に乗って街に繰り出して演奏している様子が、面白く感じられました。

特集上映に気付くのに遅れて、 RKO時代の Fred Astair &: Ginger Rogers の代表作 The Gay Divorcee (『コンチネンタル』, 1934)、 Top Hat (『トップ・ハット』, 1935)、 Shall We Dance (『踊らん哉』, 1937) を見逃したのは残念。 中川三郎 & ベティ稲田が出演した 鈴木 傳明 (dir.) 『舗道の囁き』 (加賀プロダクション, 1936) も観られませんでしたが、 先週土曜は京都にいたので、どのみち観られなかったということで、少々諦めがつきました。

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どうせ空いているだろうと気楽に行ったのですが、立見や通路階段に座る人が出る程の混雑。無事座れてよかった……。 何事かとおもいきやトークショーもあったのですね。 混雑した会場も息苦しかったので、苦手なトークショーはパスしてしまいましたが。

日曜は晴れ。ということで、土曜から延期した春の彼岸の墓参に浅草へ。 その帰りに、西浅草の ASAKUSA で、 『『1923』−アクション、マヴォ、未来派美術協会、DVLほか』 を観てきました。 小さなスペースでの資料のコピー、スライド等の展示でしたが、 筑波大学 河口 龍夫 教室 『劇場の三科 1925→1997』 (1997) の記録ビデオを久々に観ることができました。 『モボ・モガ 1910-1935』展で観たときは「写りがとても悪くてよく判らなかった」こともあり、内容の記憶がかなり朧げ。 今見るとまた違うかなと期待したところもあったのですが、さほどではありませんでした。ふむ。

ASAKUSA というスペースへの興味もあって行ったのですが、 迷ったという程ではありませんでしたが、まさかこんな所に、という所にありました。 その一角には、ASAKUSA 以外にアトリエ風のスペースもありましたし、面白いなあ、と。

[3418] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Mar 14 23:06:07 2016

久しぶりの週末明けのCD/DLレビューは、 アメリカのアンダーグラウンドなクラブ・ミュージックのレーベルのアンソロジーの紹介。

disco 以降の dance music の再発を精力的に行っている 英 Demon 傘下のレーベル Harmless が、 1970年代から1990年代かけてアメリカでクラブ向けのリリースを行っていたアンダーグラウンドなレーベルのアンソロジーを10タイトル、リリースしている。 アンソロジーの編纂を手がける Bill Brewster は、 Frank Broughton との共著による20世紀のDJ史の本 Last Night a DJ Saved My Life (1999) で知られ、 DJの歴史をテーマとするウェブサイト djhistory.com も運営している。 CD 3枚6時間弱に有名な曲からレア音源まで、もちろん12″シングル音源をメインに収録している。 パッケージは3面デジパック。 付属のブックレットには、レーベルの歴史だけでなく各曲解説もあり、ジャケットやレーベル面の図版も多数掲載している。 DJ史の専門家による決定版アンソロジー・シリーズだ。 リリースされている10タイトルは、次の通り。

全10タイトルいずれも良いのだが、まずは、特にお勧めのものを紹介。

Sources: The Sleeping Bag Records Anthology
(Harmless, HURTXCD132, 2015, 3CD)
[収録曲等の情報]

コアラのロゴで知られる Sleeping Bag は1981年に Will Socolov、Arthur Russell らによって設立され、 1992年まで活動した New York のレーベル。 Mantronix の Kurtis Mantronik が A&R をしていたことでも知られる。 avant-garde な disco から electro な hip hop がそのカラーだ。

CD1は1980年代前半、UK/US post-punk に近い avant-garde な funk/disco が楽しめる。 リミックスを手がけるのも Larry Levan や François Kevorkian だ。 再発の進んでいる Arthur Russell の変名名義での録音が半分近く締めている。 他に有名どころでは、Les Disques Du Crépuscule からリリースがあり、Soul Jazz からアンソロジーも出た Konk など。

CD2、CD3にかけては1980年代後半。 Mantronix をはじめ Kurtis Mantronik がらみの曲が増えるが、 トラックこそ electro hip hop だが、rap というより女性歌手をフィーチャーした free style な曲が並んでいる。 Todd Terry や Louie Vega、Frankie Nuckles がリミッスクを出がけた曲もあるが、まだ house 以前。 しかし、Nocera: “Let's Dub (Original Little Louie Vega 12″ Mix)” や Ann-Marie: “With Or Without You (Original Little Louie Vega & Todd Terry Dub Mix 11 12″ Mix)”、 Ann-Marie: “Just Waiting For You (Original Master Dub 12″ Mix) など、 その後の展開の納得の面白いリズムの曲が楽しめた。

Sources: The Fresh Records Anthology
(Harmless, HURTXCD134, 2015, 3CD)
[収録曲等の情報]

Fresh は Sleeping Bag 傘下に1985年に設立されたレーベル。 Kurtis Mantronik が A&R で、親レーベル以上に hip hip 色が濃い。 CD1は、The Todd Terry Project など Todd Terry がらみの曲を中心に 女性歌手をフィーチャーした freestyle な曲が集められており、 Sleeping Bag のCD2、CD3とほぼ同じ色のトラックが楽しめる。

CD2、CD3は、Just-Ice、T La Rock、EPMD などの rap が並ぶ。 1980年代後半は既に new school hip hop の時代だが、 さすが Kutis Mantronik が A&R ということで、 old school というか electro な音作りのトラックが並んでいる。

Sources: The Streetwise Records Anthology
(Harmless, HURTXCD136, 2015, 3CD)
[収録曲等の情報]

1981年に Boston から New York へ来た Arthur Baker は、 同年に設立された Tommy Boy レーベルの Tom Silverman と仕事し始めるのだが (代表的な仕事が Afrika Bambaataa & The Soul Sonic Force: “Planet Rock” (1982))、 その Baker が自身のアイデアを実現するために設立したレーベルが Streetwise だ。 このアンソロジーでは、1982年から1985年にかけての音源が収録されており、1980年代前半が主要な活動期間だ。

自身のプロジェクト Rockers Revenge はもちろん、ヒットした New Edition など。 トラックは electro で rap する部分もあるがむしろ歌物が中心の freestyle なトラックが並んでいる。 New Order: “Confusion” や Freeze: “I.O.U.” などイギリスのグループの曲を収録しているのも、Arthur Baker ならではだろう。 1980年代前半の Arthur Baker の乗りに乗った electro な仕事がCD3枚堪能できた。

Sleeping Bag や Streetwise のアンソロジーを聞いていると、同時代のイギリス、 Factory の Be Music (New Order) や DoJo (Donald Johnson of A Certain Ratio) プロデュース音源や、 Depeche Mode、Yazoo、Colourbox や Shriekback、Virgin 時代の Cabaret Voltaire のような post-punk の影響源を聴くよう。 しかし、リリース年を見ると必ずしも Sleeping Bag や Streetwise の方が先とは限らない。 Red Bull Music Academy による当時の証言集からなる記事 “Freestyle: A Oral History” (2015-09-21) で、Louie Vega が Sleeping Bag レーベルについて “For us, the hero were Sleeping Bag Records” と言及している。 同記事の中で Arthur Baker は “A lot of the freestyle sound come down to Latin singers trying to sound British, especially the guys; they wanted to be Depeche Mode” と言っている。 大西洋を挟んで影響は双方向与え合っていたのだろう。

Fac. Dance: Factory Records 12″ Mixes & Rarities 1980-1987
(Strut, STRUT087CD, 2012, 2CD)
[収録曲等の情報]

Harmless レーベルの Sources シリーズではないが、 Sleeping Bag や Streetwise のイギリスのカウンターパートの一つ Factory の同時代のダンスフロア向け音源を集めたアンソロジーも Bill Brewster は編纂している。 同時代の試みとして聴き比べることのできる内容だ。

このアンソロジー編纂に協力し、続編である Fac. Dance 02: Factory Records 12″ Mixes & Rarities 1980-1987 (Strut, STRUT098CD, 2012, 2CD) [収録曲等の情報] の編纂を手がけているのは、 Factory Records: Communications 1978-92 (Rhino UK, 564-69789-0, 2008, 4CD+book box set) の収録曲解説を書いていた LTM レーベル主宰の James Nice [関連レビュー]。 LTM からは、Be Music や DoJo のプロデュースした曲を集めたアンソロジー Cool As Ice: The Be Music Productions (LTM, LTMCD2377, 2003, CD) [収録曲等の情報] と Twice As Nice: The Be Music / DoJo / Kamins / Baker Productions (LTM, LTMCD2398, 2004, CD) [収録曲等の情報]、 それらの色が濃かった1984年の Factory 音源を集めた Auteur Labels: Factory Records 1984 (LTM, LTMCD2534, 2009, CD) [収録曲等の情報] もある [関連レビュー]。

[このレビューのパーマリンク]

このアンソロジー・シリーズについては、約半年前から twitter で度々呟いていたのですが、 全10タイトルを聴き通すことがなかなか出来ず、ある程度まとめた形で紹介できずにいたのでした。 去年のリイシュー/アンソロジーのベストと言える企画なので、遅ればせながらこのサイトにも書いておきます。 今回、紹介できなかった他のタイトルについても、余裕があるときにでも紹介できれば、と思っていますが……。

所用で京都へ行っていたので、土曜の昼は、京都東山を軽く散策。 蹴上インクラインから琵琶湖疎水資料館を経て、南禅寺水路閣と、近代化遺跡を堪能。 その流れで、美術館も覗いてきました。

京都市美術館では『モネ展』。 パリの Musée Marmottan Monet のコレクションに基づくフランス印象派の画家 Claude Monet の展覧会。 去年、東京都美術館でやっていたときはスルーしましたが、これも何かの縁かと観ましたが、 まさかこんなところで、“Impression, soleil levant” (1872) の実物を見ることになるとは。 目の補正が入るせいか、図版とかで見るより明るく感じました。

京都国立近代美術館ではコレクション・ギャラリーで 『キュレトリアル・スタディズ10 写真の〈原点〉再考―ヘンリー・F・トルボット『自然の鉛筆』から』。 初期の写真であるカロタイプの発明者として知られる William Henry Fox Talbot による 世界最初の写真集 Pencil of Nature (1844) の復元プリントと、 畠山 直哉 の写真作品を対比させる展示でした。 復元プリントということでビンテージ写真にしては鮮明でしたが、 東京都写真美術館休館中でビンテージ写真観る機会減ってたので、こういう企画は良いなあと、つくづく。 京都近美で 畠山 直哉 をコレクションしてたのですね。 しかし、2007年の神奈川県立近代美術館 鎌倉での 畠山 直哉 の個展 Draftsman's Pencil [レビュー] はそういうことか、と、ようやく腑に落ちたような。

京都国立近代美術館では企画展 『志村ふくみ 母衣への回帰』 も観ましたが、普段観慣れないジャンルだけあって、さすがに見所が掴めず。 「こんな柄、質感のシャツが Issey Miyake Men から出たら、買ってしまいそうだ」 なんて思いつつ観ていました。ふむ。

土曜のうちには帰ったのですが、さすがに疲れたので、日曜は休養したのでした。

[3417] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Mar 6 23:42:59 2016

土曜の夕方は、成増町から吉祥寺駅北口行きのバスに乗って、吉祥寺へ移動。 この舞台のライブ・ビューイングを観てきました。

『ハムレット』
Barbican Theater
By William Shakespeare
Directed by Lyndsey Turner.
Cast: Benedict Cumberbatch (Hamlet), Siân Brooke (Ophelia), Anastasia Hille (Gertrude), Ciarán Hinds (Claudius), Karl Johnson (Ghost of Hamlet's Father), Jim Norton (Polonius), Kobna Holdbrook-Smith (Laertes),
Originally broadcast live from the Barbican in London to cinemas around the world on Thursday 15 October 2015.
上映: 吉祥寺オデヲン, 2016-03-05 18:30-22:00 JST.

去年、ロンドンの Barbican で上演されて話題となった Benedict Cumberbatch 主演の HamletNational Theater Live での上映です。 日本では1月末に上映があったのですが、多忙で行かれず。 去年、Cumberbatch が Victor を演じる Frankenstein が楽しめたので [鑑賞メモ]、 こちらにも足を運んでいました。

全五幕構成を全二幕構成と変えており、服装だけでなく、カメラ女子な Ophelia に、ナードっぽい親友 Horatio など現代的な味付けになっているものの、 現代の物語として翻案しているという程ではありませんでした。 第一幕は美術も演出も平凡に感じられ、Cumberbatch の演技に救われていた感がありましたが、 Hamlet がイギリスへ追放となり暗闇の砂嵐で第一部が終わり、第二幕では砂利が敷き詰められた舞台に。 この砂利引きの舞台に、ライティングも一層象徴的になり、殺伐とした雰囲気をぐっと盛り上げて良くなったように感じました。

しかし、Franken Stein の Victor といい、 この Hamlet といい、近代的な合理主義者でありながら、それゆえ半ば狂った人物を演じる Cumberbatch は面白い、と、つくづく。 Cumberbatch の少し常人離れした顔つき佇まいが、実にはまっていて、3時間半見入ってしまいました。 (他に観ているわけではないので、もっと Cumberbatch にはまった役があるのかもしれませんが。) Frankenstein に続いて Hamlet を観て Cumberbatch 人気が少しわかったような気がしました。

[このレビューのパーマリンク]

板橋区立美術館と吉祥寺オデヲンへの移動は面倒なのでハシゴはやめようかと思いつつ、 美術館で Google map 検索したら、成増から吉祥寺へのバスのルートが出て、これは行けということかと。 乗り換えの煩わしさもなく、ずっと座って行かれたのは楽でしたが、 土曜夕方の渋滞に巻き込まれて到着が遅れて、観る前に夕食する程の余裕は無くなってしまいました。 映画館のフードでなんとかしようと思ったら、吉祥寺オデヲンはシネコンではなくフードの類はほとんど無かった、というのも計算外でした。

吉祥寺であれば時間が遅くても食べるところはあるだろう、と、期待したのですが、 終映後の22時過ぎでは呑み無しの普通の夕食は難しく、呑みかラーメンの類か牛丼屋の類という程度の選択肢しかありません。 結局、アイリッシュ・パブで呑んで夕食代わりにしてしまいました。 映画館では、途中の20分程の休憩時間に、駅ビルかデパ地下で買って持ち込んだ弁当を食べている人もいました。 次にここで観るときは、そうしようかしらん。

さすがに午後の美術館の後、晩に長丁場のライブ・ビューイングを観て疲れてしまったので、 日曜は大人しく休養日としたのでした。

[3416] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Mar 6 21:26:36 2016

土曜は午後は、板橋区は成増からバスで赤塚城址公園へ。この展覧会を観てきました。

板橋区立美術館
2016/02/20-2016/03/27 (月休;3/21開;3/22休), 9:30-17:00.

婦人之友社によって1914 (大正3年) 年から1943 (昭和18) 年まで発行された子供向けの絵本雑誌 『子供之友』の資料を、原画を中心に構成した展覧会です。 絵を描いていたのは、北澤 楽天、竹下 夢二、武井武雄から、村山 知義、夏川 八朗 (柳瀬 正夢) まで。

北澤 楽天 は初代の絵画主任。この展覧会の中では、最も細かく描き込んでいた作家でした。 イベント等の様子を風刺やユーモアを込めてパノラマ的に描く作風や、比較的リアルな動物キャラクターを使うところなど、モダンな鳥獣戯画のよう。そんな所が楽しめました。 竹下 夢二 は同じ婦人之友社の雑誌『新少女』 (1915年創刊) の絵画主任で知られますが、 こちらでも多くの絵を描いていました。 男女を問わない子供向けの雑誌ということで、乙女的な表現は控えめ。 そんなこともあってか、余白の多い絵は、村山 知義 の作風と共通する所も感じられました。

1920年代になると「童画」の 武井 武雄 [関連する鑑賞メモ] や 村山 知義 などが登場します。 村山 知義 の絵本の仕事については、『すべての僕が沸騰する——村山知義の世界』 [鑑賞メモ] でも観る機会があったが、同時代の他の作家と比べるとモダンさが映えます。 出展作家の中でも最も楽しめました。 描かれている子供の服髪型もしゃれているのですが、 斜め上から見下ろしたように少女が木馬を牽く様子を描いた「東京のまちの馬」 (1924) の 背の高い順に並んだ子供たちを背中側から描いた「せいの順」 (1926) など、アングルにも面白さがあります。 村山とマヴォ (Mavo) 繋がりの 柳瀬 正夢 も 夏川 八朗 名義で描いており、 露天掘りの炭鉱を描いた「石炭」 (1942) が出ていました。 手前のパワーショベルから鉱山の向こうの遠景までダイナミックに画面に入れるところなど、 題材も含めモダンなセンスが映えているようで、実は、浮世絵の手法にも通じる所もあり、そこが面白く感じました。

原画だけでなく、雑誌本体を含めて他の資料も展示されています。 欠巻も1〜2割ありましたが『子供之友』の雑誌がずらりと並べて展示されており、 その表紙の変遷に、時代の変化を感じました。 初期の絵を中心としたシンプルでモダンなものから、絵がリアルになったり、写真を使ったりと、次第に細かくなるのも、技術の進歩のせいでしょうか。 特に、原色に三色を背景に子供の黒いシルエットが描かれた1932年から、 リアリズム的な動物の絵となる1933年の変化が、大きく感じられました。

描かれている題材も今の自分の目から見てさほど違和感の無いものが多く、 この絵本の頃にはクリスマスは既に子供の行事だったのだなあ、と、感慨深いものがありました。 そんな感じで、大正のロマンチックな時代から震災後から戦中にかけてのモダンな時代の雰囲気を、 十分に楽しむことができました。

[このレビューのパーマリンク]

先月、東京国立近代美術館で観た 『恩地孝四郎展』や『ようこそ日本へ:1920‐30年代のツーリズムとデザイン』に続いて、 またしても戦前日本モダンの展覧会。やっぱり、この時代のものは好みです。

この後、土曜の晩の話はまた後ほど。

[3415] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Feb 28 21:04:53 2016

土曜は午後に府中へ。この展覧会を観てきました。

『若林 奮——葉飛と振動』
府中市美術館
2016/01/9-2016/02/28 (月休;1/11開;1/12,2/12休), 10:00-17:00.

20世紀後半に活動した彫刻作家 若林 奮 の回顧展です。 去年、神奈川県立近代美術館 葉山でやっていた展覧会の巡回です。 抽象的な金属彫刻ですが、ミニマルアートやもの派の直前。 「振動尺」など常設展等で観てもピンとこなかったのですが、この展覧会でそのコンセプトを知り、 指先を静かに添えて振動を感じ取るイメージが喚起されました。 展示は、彫刻作品だけでなく、むしろ、庭園の作品を多く紹介していました。 ランドアートではなく作庭というところに、世代的なセンスを感じました。 セゾン現代美術館 (開館当時は軽井沢高輪美術館) の庭園が、若林のものだったの今更ながら気付かされました。 熱心にチェックしていた作家ではなかったこともあり、気付かされた事もありましたが、 資料中心の展示は物足りなく感じたのも確か。 しかし、庭園を多く取り上げるとなると、仕方ないでしょうか。

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この週末は二日とも晴れ。 といっても、花粉症シーズンが到来で、散策日和とは言い難いものがあったりしますが。 日曜はオフにして、ゆっくり読書などして過ごしたのでした。

[3414] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Feb 21 20:49:32 2016

土曜は昼から雨。初台駅から雨に濡れずに行かれる美術館ということで、この展覧会を観てきました。

Simon Fujiwara: White Day
サイモン・フジワラ 『ホワイトデー』
東京オペラシティアートギャラリー
2016/01/16-2016/03/27 (月休;3/14,21開;3/22休), 11:00-19:00 (金土11:00-20:00).

2010年代に入って注目されるようになった日本人の父とイギリス人の母を持ちベルリン在住の現代美術作家 Simon Fujiwara の個展。 名前は聞いたことはあったけれども、作品を観るのはおそらくこれが初めて。 社会的な問題を背景に持つコンセプチャルなインスタレーションからなる展覧会だった。 といっても、アイデンティティ・ポリティクスに係る個人的な心象をごちゃっと並べたようなものではなく、 白を基調とした空間を使ったすっきりしたインスタレーション。

入口からの暗い通路に照明で物を浮かび上がらせたり、 最初のギャラリーに入って目に入る奥に向かって高さも使って多層的に物を配置したりと、 空間への作品の配置がとても巧みでスタイリッシュな展示で、そこに引き込まれた。 しかし、最も展示場所を割いていた “Rebecca” (2012) — 2011年ロンドン暴動に参加した若い女性に取材した作品 — にしても、ビデオや並べられた石膏像から訴えかけられるような所が無かったのも確か。 そういう所に空虚さも感じてしまった展覧会でもあった。

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合わせて、NTTインターコミュニケーションセンターで展覧会 John Wood & Paul Harrison: Some Things Are Hard To Explain を再見。 前回ゆっくり観れなかったので、観直そうかと。 しかし、会期末の週末ということで、会場はかなりの混雑。 いくつかの作品を通して観直すことができましたが、ゆっくり観ていられる状況ではなかったので、早々に退散。 “Tall Buildings” を通して観て “10 × 10” とは違う作品だと確認できたのが収穫でしょうか。

日曜は晴れて暖かく。 今年に入ってから、展覧会や公演の予定を入れてしまったり仕事に出たりで、二日とも潰れる週末が続いていたので、久々に完全にオフの日。 懸案の掃除等の家事ももちろんしましたが、のんびり休養に充てたのでした。

[3413] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Feb 15 23:33:04 2016

映画館で観たわけではありませんが、田中 絹代 主演の戦前松竹映画の鑑賞メモ。

『母と子』
1938 / 松竹大船 / 白黒 / 88 min.
監督: 澁谷 實.
田中 絹代 (知栄子), 吉川 満子 (おりん), 佐分利 信 (寺尾), 河村 黎吉 (工藤), 徳大寺 伸 (孝吉), 水戸 光子 (しげ子), etc

あらすじ: 会社の専務 工藤 の妾 おりんは娘 知栄子 と二人で暮らしている。 老いて病がちな おりん の所へ工藤は行こうとしないが、単に忙しいからと おりん は考えている。 しかし、知栄子 は おりん が工藤に疎まれていることに気づいている。 知栄子 の兄 孝吉は工藤の会社で働いているが、妾の子という自分の出自から、私生活は荒んでいる。 工藤は おりん を厄介払いするため、保養地に家を与え、部下で孝吉の同僚である 工藤 に 知栄子 との縁談をもちかける。 両親を亡くして下宿住まいの 工藤 は、結婚の約束をしたも同然の下宿近くの食堂の娘 しげ子 のことを伏せて、出世のために縁談に乗る。 工藤は おりん に対して母のように接し、知栄子もやぶさかではない。 しかし、知栄子は、工藤の下宿を訪れた際にしげ子と出会い、工藤としげ子と仲を知ってしまう。 そのことを知った工藤は しげ子 と絶縁し、知栄子へ弁解に訪れる。 しかし、知恵子は工藤に出世のために執着していると指摘し拒絶する。 そんなやりとりの最中におりんは死んでしまう。 そして、工藤はその知らせに動ずることなく、仕事をするのだった。

タイトル通り、重役の妾 (吉川 満子) とその子 (田中 絹代) が物語の中心にいる映画ですが、 その重役の会社に勤めている男(佐分利 信)が、娘との縁談の話が出るや、 出世のためにその話に乗って、結婚の約束をしたも同然の下宿近くの食堂の娘(水戸光子)を捨てる、という所がツボにはまりました。

清水 宏 『家庭日記』 (松竹大船, 1938) でも婿養子になるために恋仲の女を捨てた男を演じていましたが [鑑賞メモ]、 このような役は当時の 佐分利 信 のはまり役です。 ピケティ『21世紀の資本』 (Thomas Piketty: Le Capital au XXIe siècle, 2013) は、 20世紀初頭ベルエポック期まで資産格差が労働所得だけで埋められる水準を大幅に上回る社会だったことを、 データで示すだけでなく、 バルザック 『ゴリオ爺さん』 (Honoré de Balzac: Le Père Goriot, 1835) の「ヴォートランの説教」を引きつつ描いています。 つまり、努力しても、資産家の(養)子には敵わない社会だった、と。 『母と子』や『家庭日記』で 佐分利 信 が演じる男のエピソード(出世のために金持ちの婿になる)も、 まさにこのような資産の格差がある社会ならではの話です。

ちなみに、『21世紀の資本』よると、この資本所有集中は第一次大戦から第二次世界大戦の間に崩壊して、不労所得生活者が没落したとのこと。 第一次世界大戦で戦場にならなかった日本の事情は少々違うかもしれませんが、 日本においても戦後ではなく1938年から1945年にかけて急激に所得格差が縮まっています (図9-3 大陸ヨーロッパと日本での所得格差 1910-2010年)。

戦前戦中の松竹メロドラマ映画においても、1930s前半サイレント期の作品、 例えば、島津 保次郎 『麗人』 (松竹蒲田, 1930) [鑑賞メモ] や 清水 宏 『七つの海』 (松竹蒲田, 1931) [鑑賞メモ] では、 資産家の没落は復讐の結果のような形で描かれていました。 しかし、1940年前後になると、吉村 公三郎 『暖流』 (松竹大船, 1939) [鑑賞メモ] や 小津 安二郎 『戸田家の兄妹』 (松竹大船, 1941) [鑑賞メモ] のように、 復讐されるような悪行が描かれることなく、むしろ物語の背景的な設定として資産家の没落が描かれるようになります。

以前に 清水 宏 『銀河』 (松竹蒲田, 1931) を観たときも、『暖流』と比較しつつ 「恋愛が成就しない理由も、克服し難い階級対立というより、生活様式の違いや本人の階級意識による躊躇。 これが1930年前後から1930年代後半の社会の雰囲気の変化なのでしょうか。」 [鑑賞メモ] と書いたのですが、なるほど、このような格差の変化があったのかと、『21世紀の資本』を読んで気付かされました。 というか、『21世紀の資本』を読みながら、ピケティが『ゴリオ爺さん』から引いている描写を 戦前の松竹メロドラマ映画でのエピソードに置き換えてみることで、理解が深まったようにも感じました。

そして、『暖流』や 大庭 秀雄 『花は僞らず』 (松竹大船, 1941) [鑑賞メモ] において、 資産家の娘に惹かれつつも最終的にそれを選ばない男を演じるのも、佐分利 信 です。 『母と子』や『家庭日記』と対称的とも言えますが、 いずれも貧しい出自ながら強い出世欲のある青年という役どころ (『ゴリオ爺さん』でいうならラスティニャック (Eugène de Rastignac) か)。 松竹三羽烏の中で、こういう役が似合うのは、やはり 佐分利 信 です。 上原 謙 はむしろ資産家のお坊ちゃん、佐野 周二 は強い出世欲を感じさせない庶民的な青年 という役がはまっています。 戦前の松竹三羽烏の中で 佐分利 信 が最も魅力的に感じるのは、 格差は残るものの資産家が没落し始めた社会において野心的な青年のアンビバレントな2つの選択肢を演じていた所だと、 『母と子』での 佐分利 信 を見ていて気付きました。

『絹代の初戀』
1940 / 松竹大船 / 白黒 / 82 min.
監督: 野村 浩将.
河村 黎吉 (父 三好), 田中 絹代 (姉 絹代), 河野 敏子 (妹 光代), 佐分利 信 (昌一郎), 坪内 美子 (房江), etc.

あらすじ: 絹代 と 光代 の姉妹はホテルマンの父と3人暮らし。 しっかり者の 絹代 は母代わりとなって父と妹を面倒見、家の煎餅屋を切り盛りしているが、男に縁が無い生活をしている。 お転婆な 光代 は株屋で事務員として働いている。 老いた父は朦朧が始まり、仕事で失敗して、ホテルを馘になり、隠居することになる。 光代 の勤める会社の社長の若旦那 昌一郎 は、家業を継がされようとしているが、仕事に身が入らない。 あるとき、昌一郎 は職場で弁当を食べている 光代 を見初める。 昌一郎 は 光代 に話かけるが、光代は遠慮のないずけずけとした対応をする。 そして、昌一郎 はそんな 光代 にますます惹かれるようになる。 昌一郎 は馴染みの芸者 房江と歌舞伎を観ようとするが、すっぽかされる。 歌舞伎を観ようとするが売切で困っている 絹代 たちに特に名乗らず券を与える。 絹代 はそんな 昌一郎 に一目惚れしてしまう。 その後、昌一郎 は 光代 に自分のことをどう思うか訊くが、 光代は「一番いけないのは、やっぱり、ご自分の一生を賭けたお仕事の無いことだと思います」と率直に答える。 しかし、その率直な対応を見て、昌一郎 は 光代 への求婚を決意する。 絹代 は 光代 の縁談の相手が、一目惚れの相手だと気づくが、それを圧して、 光代を立派な花嫁として送り出すことを決意するのだった。

観る前は、1940年と言ったら 田中 絹代 ももう初恋という歳じゃあるまいし、と思っていましたが、 ちゃんと年相応の役でした。 主演の 田中 絹代 も好演していましたが、 お転婆で若旦那へも率直な物言いをする 光代 役の 河野 敏子 (後に 井川 邦子 へ改名) が魅力的な映画でした。 やはり 昌一郎 が結婚することになっても、忍んで耐える馴染みの芸者 房江 を演じる 坪内 美子 も、 メロドラマ的な要素を盛り上げていました。

佐分利 信 の相変わらずな朴念仁な男っぷりも堪能。 ここでは株屋の御曹司という役だったので、恋愛不器用な理系男子ではなく、単に女にデリカシーの無い男でしたが。 絹代姉妹の父親役が 河村 黎吉 で、 大庭 秀雄 『むすめ』 (松竹大船, 1943) や 五所 平之助 『伊豆の娘たち』 (松竹大船, 1945) [鑑賞メモ] のように、 娘の恋をめちゃくちゃにするのかとハラハラし観ていました。 結局、ちょっと耄碌しはじめたのではなく、もともと粗忽だったんじゃないかとは思うものの、いいお父さん役。 こういう役も似合っているなあ、と。

『私の兄さん』
1934 / 私の兄さん / 白黒 / 69 min.
監督: 島津 保次郎.
林 長二郎 (文雄), 河村 黎吉 (重太), 田中 絹代 (須磨子), etc.

重太と文雄は腹違いの兄弟。 重太は家業のタクシー会社を継いでいるが、文雄 は自らの不出来を後ろめたく感じつつ、 家にほとんど帰らず与太者暮らしをしている。 ある日、文雄が酔い潰れ、連れられて帰ってくる。 翌晩、病みがちな母に会って行けと兄は言うが、こんなヤクザな姿では会えないと弟は答える。 そんな所に、二人の男性客が現れ、文雄が車を運転することにする。 代々木まで送り届けると、文雄は二人に家の前で待っているように言われる。 文雄が待っていると、洋装のお嬢さん (須磨子) が逃げ出してきて、助けを求められる。 文雄は事情も聞かず須磨子を乗せて走り出すが、行き先を訊くも、甲州街道をどこまでも行けと言われ、八王子の多摩川の橋のたもとまで行く。 そこから宛てもなく戻りつつ、男に追われている事情を須磨子に訊くと、継母の弟との結婚を強いられて家出したと。 文雄は与太者仲間のアパートに須磨子を預けて、一旦、会社に戻る。 会社で待ち受けていた男二人と喧嘩となるが、文雄は八王子まで行ったとだけしか言わない。 文雄はアパートに戻ると、家に戻って縁談を断るよう、須磨子を説得する。 須磨子は文雄のタクシーに乗って家に帰る。 そして、文雄はこの件を機会に改心して、真面目に働くようになる。 それからしばらくして、須磨子がタクシー会社に現れ、文雄を運転手に指名して、八王子まで走らせる。 須磨子は、縁談話は案外簡単にかたがついたと告げ、八王子から先に車を走らせるのだった。

田中 絹代 が演じる家出して追われているお嬢さんは、ちょっと高飛車でわがままな感じ。 そんなお嬢さんを行きがかりで助ける運転手 (林 長二郎、後に 長谷川 一夫 へ改名) は、与太者といってもむしろ気の弱そうな男。 そんな二人の間の恋愛映画というより、それに至る以前の微妙なやりとりが微笑ましくも可愛らしい映画でした。 夜の永代橋でタクシーが客を拾うというオープニングも、 当時、震災復興事業の第一号で「帝都東京の門」とも言われたアーチ鉄橋ということで、いかにもモダンな設定。 銀座などの繁華街は登場しないものの、田中 絹代 が演じるのは洋装のお嬢さんですし、 甲州街道を送電線の鉄塔が見える河原のある八王子まで車で走らせるなど、ディテールはモダン。 当時はおしゃれな映画だったのでしょうか。

一方、物語は少々物足りなさも。 文雄の場合は実母、須磨子の場合は継母、という違いはあるものの、 母が後妻であるために上手くいっていないというのが二人の共通点で、 二人の逃避行を通して和解の契機を得るというのが、もう一つのテーマですが、 そちらの説得力はいまいちに感じられました。

文雄 の自称が「私」だったので、「私の兄さん」というのは 重太 のこと。 しかし、あくまで 文雄 と 須磨子 の映画なので、『私の兄さん』という題は腑に落ちません。 自称が「私」と、文雄は今の感覚からすると女性的な言葉使いなのですが、 島津 保次郎 『浅草の灯』 (松竹大船, 1937) [鑑賞メモ] でも ペラゴロの画学生 ボカ長 も女性的な言葉使いだったことを思い出しました。 当時、ある文化的背景を持つ男性はこういう言葉使いをしていた、ということなのでしょうか。

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実は、出張がちだった去年の11月に移動の時間などを使って観た映画で、 twitter に感想を書き散らしたっきりになっていました。 やはりちゃんとまとめて書いておいた方がいいだろうと思いつつも、 なかなか書き上げられずにいたのでした。 先日、『ようこそ日本へ:1920‐30年代のツーリズムとデザイン』展で 映画『日本三週間の旅』を観て、意を新たにして、書き上げたのでした。 というか、戦前松竹映画をまた映画館で観たいなあ、と。

[3412] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Feb 14 21:46:35 2016

土曜は午後に恵比寿へ。毎年2月恒例の映像祭を観てきました。

Yebisu International Festival Art & Alternative Visions 2016
ザ・ガーデンホール, ザ・ガーデンルーム, 恵比寿ガーデンシネマ, 日仏会館, STUDIO38, 恵比寿ガーデンプレイス センター広場, ほか
2016/02/11-02/20, 10:00-20:00 (2/20 10:00-18:00)

毎年2月に東京都写真美術館で開催している映像作品を中心とした展覧会。 東京都写真美術館が改装のため休館中ということで、去年に続いて今年も、 ザ・ガーデンホールをメイン会場に、ガーデンプレイス界隈の各所を会場に開催している。 美術展向けではないスペースでの展示で、会場が雑然とした雰囲気になてしまっているのは、仕方ないとはいえ残念。 全体としては漠とした印象になったが、印象に残った作品について。

クワクボリョウタの新作「映像と風景」は、照明を落とした暗いギャラリーに作られた鉄道模型のジオラマの上で光源を載せた車両をゆっくり走らせるインスタレーション。 「10番目の感傷(点・線・面)」 [レビュー] のバリエーションだが、 車窓の風景を思わせる動く影のノスタルジックな美しさは、相変わらず良い。 このインスタレーションは2編成を走らせることで、投影される影も重層的。 すれ違いによる互いのシルエットの動きにはスピード感もあり、1編成の時よりも楽しめた。

中谷 芙二子 はガーデンプレイス センター広場を使って「霧の庭“ルイジアナのために”」を展示していた。 霧の彫刻は、以前にヨコハマトリエンナーレ2008の出展作品「雨水物語 — 懸崖の滝 Fogfalls #47670」を 三渓園 で観たことがあるが [レビュー]、 それに比べるとセンター広場という場所は風情が無く、まるでダンプカーの形をした特殊な噴水のよう。 観た2月13日は風が強く、霧が静かに立ち込めるというより、激しく吹き付け舞い上がっていて、それはそれで迫力は楽しめたけれども。

絵皿に砂と岩絵具の粉末を敷いてアリジゴク (ウスバカゲロウの幼虫) に砂絵を描かせた 銅金 裕司 「シルトの岸辺−動く絵」や 虫の足音をコンタクトマイクで拾って増幅して聴かせる 佐々木 有美 + ドリタ 「Bug's Beat」など、 小さな虫のささやか動きを可視化・可聴化するような作品も、その仕上がりの綺麗さも含めて印象に残った。 3種類の臭いの入った小瓶をグリット状に吊るし並べて観客に同じ香りを辿って歩かせるインスタレーション 上田 麻希 「嗅覚のための迷路」は、 飾り気の無いサンプルのような小瓶に香水等ではなく工業的な溶剤を使っている所に、 純粋に嗅覚のみを対象とするようなミニマリズムを感じられて良かった。

展覧会のテーマ「動いている庭 (Garden in Movement)」は 荒地の植生に着想したフランスの庭師 Gilles Clément の庭から取られている。 しかし、それに関する展示よりも、採石場跡の荒廃した大地に大量のアスファルトをぶちまける 1960年代末のランドアート作品 Robert Smithson: Rundown の Jane Crawford & Robert Fiore によるドキュメンタリー映像の、暴力的とも言える衝動が印象に残った。 その違いに、環境問題等が前景化する前後の美術に関わる人々の意識の変化を見るよう。

こうして振り返ると、映像祭とはいえど、ビデオインスタレーション等のビデオを使った作品よりも、 そうではない作品の方が印象に残った展覧会だった。

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恵比寿映像祭は、大抵、 TPAM 国際舞台芸術ミーティング in 横浜 と日程が被って、年度末の忙しい中、どちらに行くのか悩ましいのですが。今年は恵比寿の方にしたのでした。 こちらの方が疲れないかな、なんて考えていたところもあったのですが、結局、晩はぐったり使い物になりませんでした。 こういうアートフェスは歩き回るので、けっこう疲れるよなあ、と。

日曜午前は春一番の嵐。雨が上がった午後から少し仕事に出たりしていたのでした。 というわけで、今週末のネタはこれだけです。

[3411] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sat Feb 13 22:17:33 2016

祝日の木曜は午後に竹橋へ。戦前日本のモダン文化に関する展覧会を観てきました。

Onchi Koshiro
東京国立近代美術館 企画展ギャラリー
2016/01/13-2016/02/28 (月休,月祝開,翌火休), 10:00-17:00 (金10:00-20:00).

戦前1910sから戦後1950sにかけて活動したモダニズムの版画を主に制作した美術作家 恩地 孝四郎 の回顧展。 初期の関東大震災前の『月映』を発行していた頃は表現主義やキュビズムの影響色が濃く、試行錯誤している感が強く感じられたが、 震災後、題材もダンスホールやカフェーなどの都市のモダンな文化・風俗を題材に得て、ブックデザインや写真も含めて一気にモダンに。 音楽に着想した幾何学的なコンポジションや、ブックデザインにおける写真使いやタイポグラフィなど、モダニズムな作品が多く楽しめた。 戦後は色使いも明るい抽象版画が中心となり、安定感はあれど少々面白みに欠けた。 恩地としての強烈な個性を感じたという程ではないが、 震災後戦前のモダン都市東京の雰囲気を感じられた展覧会だった。

Visit Japan: Tourism Promotion in the 1920s and 1930s
東京国立近代美術館 企画展ギャラリー
2016/01/09-2016/02/28 (月休,月祝開,翌火休), 10:00-17:00 (金10:00-20:00).

戦前の日本における旅行や観光に関するポスター、パンフレットなどのグラフィックデザインを集めた展覧会。 『アールデコ展』 (東京都美術館, 2005; Art Deco, 2003) [レビュー] の第五部は「交通の発達と世界への広がり」だったのだが、まさに、その日本版という内容。 川瀬 巴水 の浮世絵の流れを組む近代風景版画から、アールデコ色濃いグラフィックまで。 外国向けの日本観光ポスターと、日本国内向け台湾朝鮮満州南洋のポスターに、オリエンタリズムの両面を見るよう。 特に、満鉄こと南満州鉄道の制作したポスターが多くあり、興味深く見ることができた。 オリエンタリズム的なステロタイプはあれど、素直にモダンな文化を謳歌している勢いで見せてしまうような所もあって、観ていて引き込まれた。

ギャラリーで鉄道省国際観光局による宣伝映画 Three Weeks' Trip in Japan (『日本三週間の旅』, 1936, 25min, 白黒トーキー) が液晶モニターで上映されていた。 横浜に上陸して、日光、箱根や奈良、京都を経て、九州の別府、阿蘇、雲仙まで。 ポスターほど日本趣味を感じさせず、当時の日本映画と雰囲気が変わらず、 フラットに日本観光の魅力を捉えているようで、とても楽しめた。 客船、鉄道や自動車を使ったモダンな旅行の様子、特に、Frank Lloyd Wright 設計の帝国ホテルの当時の様子が垣間見るようで、興味深かった。 この映画の制作は松竹が請け負っており、さりげなく松竹の俳優が出演いることにも気付いた。 さすがに、主役級の俳優は出演していなかったと思うが、例えば日光の場面では 森川 まさみ が出演していた。 監督等のクレジットは無かったが、誰が撮ったのか、少々気になった。 乗合バスの車内の場面などもあり、野外ロケを得意とした 清水 宏 の映画を連想させられた。 思えば、この宣伝映画は『有りがたうさん』 (松竹大船, 1936) [レビュー] と同じ年の撮影。 このような映画制作のノウハウも、観光宣伝映画に生かされているのだろう。 そういう点でも興味深い映画だった。

『恩地孝四郎展』と『ようこそ日本へ:1920‐30年代のツーリズムとデザイン』を合わせて、 1920年代から30年代にかけてのモダンな日本を雰囲気を堪能することができた。

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展覧会のハシゴなどはせずに疲れ過ぎない程度の外出に止めたつもりだったのですが、 晩は頭痛がしてぐったり (弱)。日頃の疲れが出てしまったのでしょうか。うーむ。

[3410] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Feb 8 22:16:07 2016

日曜は午後遅くに渋谷へ。 ユーロスペースで開催中の トーキョーノーザンライツフェスティバル 2016 のプログラムで、ピアノ生伴奏付きサイレント映画上映を観てきました。

Der var engang
『むかし、むかし』 [Once upon a time]
1922 / Sophus Madsen Film (Denmark) / 78 min / 白黒 / サイレント.
Director: Carl Theodor Dreyer.
Cast: Clara Pontoppidan (Prinsessen af Illyrien), Svend Methling (Prinsen af Danmark), etc.

La Passion de Jeanne d'Arc (『裁かるるジャンヌ』, 1928) で知られる、デンマークの映画監督 C. Th. Dreyer の初期の作品です。 Holger Drachmann の戯曲に基づくということですが、 Hans Christian Andersen や Brüder Grimm の童話を連想させられるような、 中世〜近世のお姫様、王子様が主人公の童話風の物語でした。 求婚者を拒み続ける傲慢なイリヤのお姫様に、デンマークの王子が精霊に教わった策でアプローチするというもので、 乞食に身をやつした王子の策にはまり、王国を追放されたお姫様が、 乞食 (実は王子) との焼物小屋での貧しい生活を通して贅沢や娯楽以外の人生の意味を知り、 最後にはデンマーク王子の妃となる、というもの。 このお姫様の変化は少々教訓臭く感じましたが、これも時代でしょうか。

フィルムが完全に残っておらず仕方ないのですが、欠落部が予想以上に多かったのは残念。 Dreyer ということで期待したのですが、画面作りもカットもまだ素朴なもの。 架空の中世といった舞台設定で、去年の Gunnar Sommerfeldt: Markens grøde [鑑賞メモ] のような、その国の歴史を見るような感じでもありませんでした。 ピアノ伴奏の助けもあって、飽きずに最後まで楽しめましたが、いまいちピンとくる所が無かった鑑賞でした。

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1月がギチギチに余裕が無かっただけに、つい土日とも予定をいれてしまっていますが、やっぱりキツイですね。 渋谷で映画を観る程度なら負担にならないかな、なんて思っても、いざ出かけてみると、時間も体力も取られてしまい、結局、あまり余裕が無くなってしまうという。 やはり、週に1日はのんびり過ごす日を作りたいなあ、と。

[3409] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Feb 7 21:59:09 2016

忙中閑あり、ということで、土曜は晩に六本木へ。このライブを観てきました。

Atomic
Super Deluxe
2016/2/6 19:30-22:00
Atomic: Fredrik Ljungkvist (tenor saxophone, clarinet), Magnus Broo (trumpet), Håvard Wiik (piano), Ingebrigt Håker Flaten (doublebass), Hans Julbœkmo (drums).

スウェーデン出身の reeds 奏者 Fredrik Ljungkvist と ノルウェー出身の piano 奏者 Håvard Wiik を核とする free jazz/improv グループ Atomic。 もっと頻繁に来ていたかと思いきや8年ぶりの来日。彼らのライブを観るのはこれが初めて。 オリジナルの drums Paal-Nilssen Love から Hans Hulbœkmo へ編成が変わっている。

アコースティックな piano 入り2管 5tet という、ある意味オーソドックスな編成で、 1960s-70s の free 〜 post-free の jazz を動態保存しているかのようにすら感じるスタイル。 といっても、即興による長いセッションに突入することなく、アウトな音の出し合いになることもなく、 抑制された作曲部分を多く感じさせる演奏だ。 特に Wiik の piano が強い音を使うときもあれど、熱い演奏にはならない。 drums と doublebass に煽られるよう trumpet が強く吹きまくる中、 piano と sax が淡々としたフレーズを弾き続けていたり。 そんな所に、単に free jazz の動態保存以上の演奏を感じる演奏だった。 いろいろ連想させられる演奏だったけれど、 クールな piano 入りという点で、Marilyn Crispell のいた頃の Anthony Braxton を思い出したりもした。 しかし、アンコールでのノリの良いを聴くと、決してコンセプト先行でやっているのではなく、 jazz のイデオムが好きなんだろうなあ、と。

普段、piano less とか bass leas とかの変則的な編成を好みがち。 Atomic のライブに今まで行きそびれていたのも、その編成に腰が引けていたことも否めない。 しかし、たまにはこういう王道の編成での演奏を聴くもの良いものだと思ったライブだった。

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実は、今年に入って初ライブ。やはり、ライブはレコードで聴くのとは違う楽しみがあります。 最近は平日晩にライブに行く余裕もありませんが、 週末の晩くらいは、たまにはふらりとライブに顔を出したいものです。