AOTAKA's web Copyright(c)AOTAKA 1995-2003 - www.aotaka.jp 1995-06 掲載
GYOKU-SAI NIPPOU 2655.06.
愛と勇気と希望の名の下に1億2500万総玉砕

ペンチ無用!
今日 大枚をはたいて最新鋭を買うか、普及機に甘んじて次世代に備えるか

この原稿を書いたころはまだP5(第一世代Pentium Processor)の時代でありP54C(第二世代)は無かったか有っても一般の手に届く時代ではありませんでした。P5ユーザーの将来性は絶望的とさえいわれる現状を当時から予測しての記事でした・・・・ってSocket4用のPODPがいちおう出ましたね。とーぜん今後の将来性はP54C-90の1/1000ほども無いくさいけど。

 パソコンの技術は秒進分歩と言われるほどの勢いで進化を遂げ、今日、新たなる革新の時を迎えようとしている。 そのキーワードがWindows95 である。 14年もの間、パソコンを根底から支えてきたMS-DOS文化を自らの手で払拭し、21世紀のマルチメディア全盛時代をも睨んだGUI型OSである。 当然このOSには高度な処理が可能なパソコンが必須であり80系CPUでは最速であるPentium Processorが望ましいと思われがちである。

 しかし、その思考パターンには大きな落とし穴が待っているのではないだろうか。 幾らパソコンの処理能力が向上したとしても、それだけで未来を担うに値する機構を持っているとは限らないのである。 そして現在のパソコン界は、次世代を目指す数々の規格が混沌の海の中で産声を上げ始めたばかりなのである。

 ちなみに規格とは何であろうか。 我々はふだんの生活の中で、ほとんど全ての行動に「規格」という枠が適応される。 我々はMKS単位系により時間や長さや重さを比較し、B5かA4規格の紙に情報を書き、NTSC規格のテレビジョンで世の中の情報を得る。 この様に規格は、ほとんどの人為的事象に関係してくる重要な要素となっているのである。

 そして規格は現在のコンピューターでも重要な要素であることは間違いない。 たとえばIBM-PC/ATの規格は全世界の70%パソコンの基本規格として採用され、 これらのパソコンでは同じソフトを使うことができるようになっている。 国内に於いてもPC-9801Vm2を基本とした規格が全盛期には70%(1994年末現在50%程度)のパソコンに採用された計算になる。 同じ規格に則っているということは使用者にも生産者にも利益となることが20年前のマイコン(今でいうパソコンのことも当時はマイコンと言った)と比較すれば容易に想像がつくであろう。

 話はPentium Processor に戻るが、この通称ペンティアムと呼ばれる半導体は世界で最も汎用性に富み、高速ではある。 しかしながらその周りを取り巻く周辺装置や管理機構は旧態然としていたり不安定であったりする。 また次世代を見越したはずの機構も今後の動向により変わってしまうことを公言しており、実際に短い間に数世代分も進化してしまった物すらある。

代表的な例としてはPCIである。 この規格はパソコンの情報通路に関する統一的規格として華々しく登場してきた。 32ビット/33MHzの超高速汎用バスとしてである。 98系のパソコンではEPSON PC-486HXなどに初めて採用されたが、今やそのパソコンのPCIバスは他のパソコンとは一部の論理的互換性すら損なわれてしまっている。 当時としては形状は現行の物と異なれど正式な規格に準拠していたにも関わらず‥‥。

初期のPCIバスは論理的規格が最初の目標であり形状的規格はAT(IBM−PC互換機)アーキテクチャー内での約束ごとだったのが、後に、形状的規格が前面に押し出され当初の目論見とは違った方向性に進化した。

 もう一つの代表であるのがプラグ&プレイ。 これはパソコン周辺機器を新たに接続するときの面倒な設定(IRQ・DMA・チャネルなどの複雑で素人には不条理とも思える設定)をパソコン本体側に代行させるための仕組みを取り決めようという物だが、統一的に普及するには至ってない。

ちなみにプラグアンドプレイはPnPと書くことも多い。

 以上のことは次第に改善されるであろうが、PC95ともいわれるパソコンの規格が方向性すら完全には定まってない今、Pentium Processor 搭載機に資金をみすみす投入して良いものだろうか。 来るWindows95 時代、すなわち1996年初頭には時代遅れの機構と1世代前のCPUになってしまうのではないだろうか。 この様なPentiumマシンに多大な未来を描くことができるであろうか。

平成7年6月2日 アオタカ

[ index ]