いまさらながら「時計じかけのオレンジ」を見ました。何故「時計じかけのオレンジ」というタイトルになったのか全くわかりませんでいた。原作を買いました。インターネットで調べました。映画以上にとんでもないことになっていることを知りました。インターネットってすごいとあらためて思いました。
 
 
 
 

見よう見ようと思っていて、後回しにしていたキューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」

2002年4月に1,500円の特別価格でDVDが出たので、やっと買いました。

直前にみた「A.I.」が消化不良ということもあり、「時計じかけのオレンジ」の高い完成度に満足し、A.I.もキューブリックがやっていたらなあと思いました。

「1984」や「未来世紀ブラジル」も大好きな私として「時計じかけのオレンジ」もどっぷりはまりました。それにしてもキューブリックの洞察力は素晴らしいですね。とても1971年作品とは思えないほど今の時代の到来をぴったり予言しています。2002年の今見ても全く古びていないです。
 

とまあ、私の陳腐な感想はさておき、見終わった後で「時計」「オレンジ」も出てこないのに何で「時計じかけのオレンジ」なんだ?と一晩悩みました。「時計じかけのオレンジ」って突拍子もないタイトルで耳目を驚かしておきながら、さっぱり意味がわからないではないかと。100回見ればわかるのでしょうか?と

翌日にハヤカワ文庫で「時計じかけのオレンジ」を買いました。電車の中でばーっと読んで、「時計じかけのオレンジ」というタイトルに納得。深いなあと感慨に浸りました。何故「時計じかけのオレンジ」というタイトルなのかは皆様も自分で読んでお確かめください)

あとがきを読むと『なお、この作品の初版本には第三部の終わりにもう一章(12ページほど)あるのだが、その後の新版を見るとその一章が省かれている。おそらく作者があとで考えて省いたのに違いないと思われるので、本版も新版の方によることにした。』とあり、ふーんと思いました。
 

ところが、これが全く違うことが後で判明します。
 

インターネット以前の私なら、「ふーん」というところで終わっていたと思うのです。例えばTVの放映で「時計じかけのオレンジ」を見て小説を買って、あとがきでその一章がちょっと気になってもそこで終わり。日本の洋書店で初版本を見つけるのは不可能とあきらめていたことでしょう。

今では、インターネットなら本も見つかるかもしれないし、何より日本人でも誰か情報載せていてくれるだろうと思って、早速検索。

まず、失われた最後の章が手に入るかどうか。これは結構すぐ見つかりました。わざわざ映画で削除された一章も収録されていますと書かれた原作をamazonで注文。

「時計じかけのオレンジ ペンギン・ミューズ・コレクション」
 
 

しかし、この本を探す過程でとんでもない情報を入手!!!

最後の一章を削ったのは作者の意図に反することだというではないですか。となると、ハヤカワ文庫のあとがきの解説は一体。。。
 
 

インターネットをざぶんざぶんと渡り情報集めた結果。

最後の一章を削ったのはアメリカで出版されたもので、本家イギリス版をはじめ他の国では削っていない(日本版はアメリカ版に倣ってしまったため削除)
作者は最後の一章を削ることにかなり抵抗したが、金欠のため最後には許可してしまった
最後の一章があるかないかで、作者の意図するところがかなり違うようにとれる。その削られた映画と小説のため作者の評価が一人歩きし、晩年作者は疲れている
 

私でも最後の一章がないほうがエインターテイメント的にはすぐれていることは認めます。だからニューヨークの出版社や映画ではカットしてしまったのでしょう。ラストにかかわることなので、具体的な記載を避けますが、皆様も是非、映画「時計じかけのオレンジ」を見て終わりではなく、原書購読し作書の意図するところを掴まれんことを希望します。

それにしても、インターネットのおかげで短期間に情報が集められるということにはあらためて驚かされました。趣味一つとっても理解が深まるので楽しいです。ただ、同時にこんなことも思いました、情報を集めて我々は次にどこへ向かうべきだろうか。
 

「君もそう思うだろ、アレックス?」「ハラショーなトルチョックをお見舞いするぞ」
 
 
 

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