Lisp: 良い知らせ、悪い知らせ、大成功への提言

Richard P. Gabriel

Lucid, Inc

(Original article: Lisp: Good News, Bad News, How to Win Big. Japanese translation by Hisashi Morita.)

この記事は当初1991年に公表された。

要約

Lispはこの10年以上の間、順調に進んできた:ほぼ標準化された状態になり、商業部門の基盤となり、優れた効率を達成し、良い環境を備え、アプリケーションを仕上げることができる。しかしいまだにLispコミュニティは理想には遠い状態にある。この論文で私は成功と失敗、そして次に何をすべきかを見ていく。

Lispの世界は非常によく発達している:10年前は標準化されたLispというものはなかった。最も標準に近いLispはInterLispで、PDP-10とXerox Lispマシンで動作するものだった(Vaxで動作したと言う人もいたが、それは誇張だと思う)。2番目がMacLispで、これはPDP-10でしか動作しなかったが、そのマシン上では最も人気がある3種類のオペレーティングシステム上で動作した。3番目はPortable Standard Lispで、これは多くのマシン上で動作したが、使いたがる人はほとんどいなかった。4番目はZetalispで、2種類のLispマシン上で動作した。5番目はSchemeで、いくつかの異なるマシン上で動作したが、使いたがる人はほとんどいなかった。今日の標準によれば、これらはどれも貧弱なあるいは許容できるぎりぎりのパフォーマンスでしか動かず、環境は存在しないか満足ぎりぎりのものしかなく、他の言語やソフトウェアとの統合は存在しないか貧弱なものであり、可搬性は低く、受け入れられておらず、商業利用は見込みが薄かった。

今日ではCommon Lisp(CL)があり、これは主要なすべてのマシン、主要なすべてのオペレーティングシステム、および実質的にすべての国において動作する。Common LispはANSIによって今まさに標準化されようとしており、効率は良好で、優れた環境に取り囲まれており、他の言語やソフトウェアとうまく統合されている。

しかし、ビジネスとしては、Lispは悪い状況に置かれているとみなさざるを得ない。実用的なアプリケーションを納品する際の言語としてLispを使うことを断念したという噂話は常に流れており、それが本当であることもあった。

ある程度までは、問題は人々の認識にある――世間で一般に信じられているよりも明らかに優れたLispのソリューションは存在する。むしろ、リソースが正しく割り当てられていないか、あるいは全く割り当てられていないこと、プロジェクトが着手されていないこと、実装戦略が手つかずのままであることが問題である場合が、嫌になるほど多い。

問題の一部は、人工知能(AI)ビジネスの分野にいる我々の実に親愛なる友人たちに端を発するものだ。AIには、人間の知識と問題解決能力を形式化する優れたアプローチが数多くある。しかしながらAIはその該当分野のただ一つにおいても、万能薬を提供してはいない。初期にAIをビジネスの世界に持ち込んだ推進者のなかの誰かが、期待の水準をあまりに高く持ち上げすぎてしまったのだ。この期待はエキスパートシステムベースのアプリケーションの有効性および完成可能性に影響した。

この期待が裏切られたとき、スケープゴートを探す輩がいた。そしてしばしばLisp企業が生贄になった――特に、完成可能性が問題になる時には。もちろん、納品されたAIソフトウェアに対する市場の最終的な要望について、AI企業が何かしら知っていても、彼らは私が知っているどのLisp企業ともそれを分かち合おうとはしなかった。私の記憶では、AI企業の態度はこういうふうだった。Lisp企業は勝手に生き延びるだろう、顧客名簿や情報を彼らと共有する必要などあるものか、と。

問題はほかにもあって、それはLispに対する論評がかなり悪いことだった。時として非常に立派な出版物で叩かれることもあった。私はForbes(1989年10月16日号)でJulie PittaのWhere Lisp Slipped(Lispのよろめき)という記事を見かけた。しかしながら、この記事はSymbolicsとその浮沈に関するものだった。記事中におけるSymbolicsに対する最大の批判は、SymbolicsはAIが離陸すると信じていたことと、AIにおいては独自ハードウェアが進むべき道だという見方を誤って推し進めたことだとしていた。記事中には、人工知能ではなんだかよく分からないプログラミング言語が大々的に使われていたということを除いては、Lispに関する記述は何もなかった。

Lispビジネスがつまずいた原因の一端が、Julieが自分の記事にLispという名前を利用して気が利いたタイトルを付けられそうだと思ったせいだったとは、気の毒なことだ。

しかし、Lispには本物の成功があり、問題があり、そして問題を解決する道がある。

1 Lispの成功

先に述べたように、Lispは今日ではかつてないほどに発展した状態にある。Lispの成功談をいくつか振り返ってみたい。

1.1 標準化

大きな成功は、標準化されたLisp――Common Lisp――が存在することだ。今日では多くの傍観者たちが、もっと単純で小さくきれいで標準化に適したLispがあればよいのにと思っているが、しかし我々が今日手にしている標準化の準備が整ったLispはCommon Lispだ。将来より良いLispが標準化される可能性がないと言っているわけではないし、もちろんそうあるべきだ。さらに言えば、どんな言語でもそうであるように、Common Lispは需要が変化するにつれて改良され変わっていくべきだ。

Common Lispは、ARPAから資金援助を受けてSRIで開催されたLispの将来を決定する会合の後で、草の根的な取り組みとして1981年に始まった。当時USでは、以前MITにいた人々によって数多くのLispが定義され実装されていた:Greenblatt(LMI)、MoonとWeinreb(Symbolics)、FahlmanとSteele(CMU)、White(MIT)、そしてGabrielとSteele(LLNL)だ。Common Lisp委員会の中心人物はこれらのグループから来ていた。その中心人物とは、Fahlman、Gabriel、Moon、Steele、およびWeinrebで、Common Lispはこれらの人々のお気に入りのLispが一つに融合したものだった。

Common Lispに取り入れることができただろうLispはほかにもあったが、それらはMacLispの流儀にあまりはっきりと沿っておらず、それらの支持者たちは草の根活動で定義されたどんな標準lispよりも自分たちの方言のほうが成功すると予想したので、標準化活動に活発に加わろうとしなかった。そういったLispにはScheme、Interlisp、Franz Lisp、Portable Standard Lisp、およびLisp370があった。

そしてUSの外では、Cambridge LispとLe-Lispを含む、Lispに関する大きな取り組みが存在した。USの慎ましやかな草の根活動はUS外には参加を呼びかけなかったが、それは誤りだったと言って差し支えない。率直に言って、Common Lispのグループが、この純粋にアメリカ的な取り組みがUS以外で関心を持たれるだろうと想像することは一度もなかった。なぜなら、標準Lispに対する需要を北米以外に広めるような未来がAIにあると察した人が、グループにはほとんどいなかったからだ。

Common Lispが定められ、/Common Lisp: the Language/(CLtL)と呼ばれる本が1984年に出版された。そして既成のハードウェアにCommon Lispを載せてLispマシン企業に対抗すべく、いくつかの企業が立ち上げられた。それから4年以内に、事実上すべての主要なコンピュータ企業が、自身による実装か、もしくはCommon Lisp企業のプライベートレーベル版によるCommon Lispを持っていた。

1986年には、Common LispのANSI版を作るべくX3J13が発足した。それまでに、Common Lispの曖昧さと不備を修正し、condition systemを追加し、オブジェクト指向拡張を定義するには、大幅な変更が必要であることが明らかになっていた。

数年の後、十分な定義のある成熟した言語であったとしても、標準化のプロセスは容易ではないことがはっきりした。Common Lisp Object System(CLOS)の仕様策定だけでも、2年近くの歳月とX3J13の最も才能ある7人のメンバーを必要としたのだ。

また、国際的なLisp標準化に対する興味が増してきているということもはっきりした。しかしCommon Lispには法定推定相続人がいなかった。Common Lispを酷評する者は、特にUS外の人間は、Common Lispが実用的な開発基盤として失敗していることに批判を集中した。

1988年には、Lispの標準化に関する国際的なワーキンググループが結成された。グループの名はWG16といった。完全にはっきりしていることが2つあった:当面の標準LispはCommon Lispであること。より長期的な視点に基づいた、Common Lispを超える標準の存在が望ましいこと。

1988年に、SchemeについてIEEEのそしてできればANSIの標準を作るべく、IEEE Schemeワーキンググループが発足した。このグループは1990年に作業を終え、比較的小さくてきれいなSchemeが標準となっている。

現在、X3J13はANSI Common Lispのドラフト標準を1年以内に控えている。WG16は国際間の口論によって立ち往生している。SchemeはIEEEによって標準化されたが、商業的な関心は乏しい。

Common Lispは国際的に利用されており、論争を好むのを常とするLispコミュニティが協力して働くことに同意するまでは、少なくとも事実上の標準として役に立つ。

1.2 効率の良さ

Common Lispは効率良く動作する。現在の実装のほとんどは、当時でさえ非常に原始的とされていたコンパイラ技法(techniques)を使っていた古いLisp実装とは対照的に、モダンなコンパイラ技術(technology)を利用している。効率について言うと、今日Common Lispを使っている人は、ほとんどのプラットフォーム上で、1980年代半ばの年代物のPDP-10やLispマシンをシングルユーザで動かして得られるよりも良いパフォーマンスを期待できる。ほとんどのCommon Lisp実装はマルチタスクとnon-intrusiveなガーベジコレクションを備えている――どちらも10年前は既成のハードウェアでは無理だと思われていた機能だ。

実際、Common LispはCと比較したベンチマークでも良好な成績を示している。次の表は3つのベンチマークでLispの所要時間およびコードサイズをCの所要時間およびコードサイズと比べた比率だ。

CPU Time
Code Size
Tak
0.90
1.21
Traverse
0.98
1.35
Lexer
1.07
1.48

Takは関数呼び出しと固定小数点数演算を計測するGabrielベンチマークだ。Traverseは構造体の生成とアクセスを計測するGabrielベンチマークだ。LexerはCコンパイラのトークナイザで、ディスパッチと文字の操作を計測する。

これらのベンチマークは1987年にSun 3上で標準のSun Cコンパイラを使って最高度の最適化を有効にして実行された。Lispはnon-intrusiveなガーベジコレクタを走らせていない。

1.3 優れた環境

モダンなプログラミング環境がLispとAIの伝統に由来するということは間違いない。初めてのビットマップ端末(Stanford/MIT)、マウスポインティングデバイス(SRI)、フルスクリーンテキストエディタ(Stanford/MIT)、およびウィンドウ環境(Xerox PARC)はすべてAIの研究に携わっていた研究所から出てきている。今日でもなお、Symbolicsプログラミング環境は最高の水準にあると言える。

次に挙げる開発環境の機能も間違いなくLispの世界に由来するものだ:

今日のLisp環境は、1970年代の最も優れたLispマシン環境に匹敵する。ウィンドウ、凝ったエディタ、快適なデバッグは当たり前のものになっている。Lispシステムのなかには、ソース管理機構やクロスリファレンスの自動生成や自動テストを使って、ソフトウェアライフサイクルに相当の配慮をしているものがある。

1.4 優れた統合性

今日ではLispはC、Pascal、Fortranその他のコードと同居できる。これらの言語はLispから呼び出すことができ、一般的に言って、さらにこれらの言語からLispを再度呼び出すこともできる。そういったインタフェースのおかげでプログラマはLispデータを他の言語のコードに受け渡したり、他の言語のデータをLispに受け渡したり、他言語のデータをLispで操作したり、Lispのデータを他の言語で操作したり、他の言語のプログラムを動的にロードしたり、他の言語の関数とLispの関数を自由に混ぜ合わせたりできる。

この機能を実現している機構は非常に徹底したもので、いくつかの異なる言語を同時に混在させる手段を提供している。

1.5 オブジェクト指向プログラミング

Lispはあらゆる言語のなかで最も強力で包括的で広汎なオブジェクト指向拡張を備えている。CLOSは他のどんなオブジェクト指向言語にも見られない機能を実現している。それには次のものが含まれる:

(CLOSを含む)Common Lispが標準化された最初のオブジェクト指向プログラミング言語になる可能性は高い。

1.6 納入(delivery)

Lispで書かれたアプリケーションを納入することは可能だ。現在手に入るツールは悪くないがまだ理想的とは言えない。これらの解決策には、未使用のコードやデータをアプリケーションから取り除くことや、必要なコードとデータだけを用いてアプリケーションをビルドすることや、Lispコードから.oファイルを生成することが含まれる。

納入のためのツールはLucid、Franz、およびIbukiから商品として提供されている。

2 Lispの明白な失敗

Too many teardrops for one heart to be crying.
Too many teardrops for one heart to carry on.
You’re way on top now, since you left me,
Always laughing, way down at me.

? & The Mysterians

だがこの幸福な物語には、悲しい幕間がある。それはAIが離陸に失敗したせいにされるかもしれないが、多分真の原因は他にもあり、我々はそれに注意しなければならない。今日のLispにおいて鍵となる問題は、2つの対立するソフトウェア哲学の緊張関係から生じるものだろう。その2つの哲学は、The Right Thing(正しいもの)およびWorse is Better(劣っているほうが優れている)と呼ばれる。

2.1 Worse is Betterの台頭

私をはじめ、Common LispとCLOSの設計者なら誰でも、MIT/Stanford式の設計に極度に慣れ親しんできている。このスタイルのエッセンスは、the right thingという言葉に集約することができる。そのような設計者にとって、次の特徴をすべて正しく実現することは重要なことだ:

ほとんどの人が、これらが良い特徴であるということに同意してくれると思う。私はこの設計哲学を用いることをMITアプローチと呼ぶ。Common Lisp(CLOSを含む)およびSchemeはMITアプローチによる設計と実装の代表例だ。

worse-is-better哲学はほんのわずかしか違わない:

初期のUnixとCはこの学派による設計が用いられた例で、この設計戦略を用いることを私はNew Jerseyアプローチと呼ぼう。私はworse-is-better哲学を意図的に戯画化した。それが明らかに悪い哲学であり、New Jerseyアプローチは悪いアプローチであると分かってもらうためだ。

しかしながら私が思うに、論破するための貧弱な対立意見として提示された場合であってすら、worse-is-betterにはthe-right-thingよりも生き残りやすい特性がある。ソフトウェアに用いられたときには、New JerseyアプローチはMITアプローチよりも優れたアプローチなのだ。

MIT/New-Jerseyという区別が妥当であり、両派の支持者が自説のほうが優れていると実際に信じているということを示す話から始めさせてほしい。

かつて2人の著名な人物*がオペレーティングシステムの問題を議論するために会う機会があった。一人はMITから、もう一人はBerkeleyから(ただし彼はUnixに取り組んでいた)。MITから来た人物はITS(MITのAI研のオペレーティングシステム)に詳しく、その時までにUnixのソースを読んでいた。彼はUnixがどうやってPC loser-ing問題を解決しているのかに興味を持っていた。PC loser-ing問題とは、ユーザプログラムが、(例えばIOバッファのように)重要な状態を持つ可能性がある、時間のかかる操作を行おうとして、システムルーチンを起動するときに起きる。操作の途中で割り込みが入れば、ユーザプログラムの状態は保存されなければならない。システムルーチンの呼び出しはたいてい1命令なので、ユーザプログラムのPC(プログラムカウンタ)はプロセスの状態を適切に捉えて保存しない。システムルーチンは取り消し(back out)するか押し進む(press forward)か、どちらかしかない。正しい対処法は、取り消しを行って、システムルーチンを呼び出した命令のところにユーザプログラムのPCを復元することだ。割り込み後のユーザプログラムの再開が、例えばシステムルーチンに再入するように。これはPC loser-ingと呼ばれる。というのもPCが強制的にloser modeにされているからだ。ここでいうloserは、MITにおけるuserの愛称だ。

MIT派の男はこのような場合を扱うコードを見つけ出せず、New Jersey派の男にこの問題がどう扱われているのか聞いた。New Jersey派の男は、Unixの連中はこの問題に気づいているが、解決策はこうだと言った:システムルーチンは常に完了するが、システムルーチンが失敗して動作を完遂できなかったことを示すエラーコードを返すことがある、というものだと。正しいユーザプログラムは、だから、システムルーチンを単純に再試行するかどうかを決めるためにエラーコードを確かめる必要がある。MIT派の男はこの解決策が気に入らなかった。なぜならそれは正しいことではなかったから。

New Jersey派の男はこう言った。Unixの解決策は正しい、なぜならUnixの設計哲学は単純さであり、正しいことはあまりに複雑だからと。その上、プログラマがこの余分のテストとループを付け加えるのは簡単だった。MIT派の男は、実装は単純だが機能へのインタフェースは複雑だと指摘した。New Jersey派の男は、Unixでは正しいトレードオフが選択されていると言った――すなわち、実装の単純さがインタフェースの単純さよりも重要なのだと。

MIT派の男はそこで、柔らかい鶏料理を作るには屈強な男が必要なこともあるのだとぶつぶつ文句を言ったが、New Jersey派の男は意味が分からなかった(私にも分かっているかどうか定かではない)

さて私はworse-is-betterの優位を主張したい。CはUnixを書くために設計されたプログラミング言語であり、New Jerseyアプローチを用いて設計された。よってCはそれ自身のまずまずのコンパイラを書くのが容易な言語で、コンパイラにとって翻訳しやすいテキストを書くようプログラマに要求する。Cのことを飾り付きのアセンブリ言語と呼んだ人もいた。初期のUnixとCコンパイラはどちらも簡単な構造で、移植が容易で、動作するのにわずかな資源しか必要とせず、オペレーティングシステムとプログラミング言語に対して我々が求めるものの50-80%ほどを提供した。

どの時点でも、存在するコンピュータの半分は平均よりも劣っている(小さいかまたは遅い)。UnixとCはそういったコンピュータ上でも満足に動く。worse-is-better哲学とは、実装の単純さが最高の優先度を持つということであり、それはUnixとCがそういったマシンに移植しやすいということだ。したがって、UnixとCがサポートする50%の機能で満足であるなら、あらゆるところに普及するだろう。そして実際にそうなった、違うだろうか?

UnixとCは究極のコンピュータウイルスである。

worse-is-better哲学から得られるさらなる利益は、いくらかの安全と利便性を犠牲にして、効率の良さと控えめなリソース消費を実現するよう、プログラマが条件付けされるということだ。New Jerseyアプローチを用いて書かれたプログラムは小さなマシンと大きなマシンの両方でうまく動作する。そしてコードは可搬になる。ウイルスの上に載せる形で書かれるからだ。

最初のウイルスは基本的に良いものでなければいけないということを覚えておくことは大事だ。もしそうであれば、ウイルスに可搬性がある限りその拡散は保証される。いったんウイルスが広まったら、それを改良しようとする圧力が生じるだろう。おそらく機能を90%近くまで増強することによって。しかしユーザは既にthe right thingよりも悪いものを受け入れるよう条件付けされている。よって、worse-is-betterソフトウェアはまず受け入れられて、次にユーザが多くを望まないように条件付けし、その次にほとんどthe right thingに近いところまで改善されるだろう。具体的に言うと、1987年のLispコンパイラはCコンパイラと同じくらい優秀だったけれども、Cコンパイラを改善したいと思うコンパイラの専門家のほうが、Lispコンパイラを改善したい専門家よりもずっと多いのだ。

良い知らせは、1995年には我々は優秀なオペレーティングシステムとプログラミング言語を手にしているだろうということだ。悪い知らせは、それがUnixとC++だろうということだ。

worse-is-betterの利点の最後の一つはこれだ。New Jerseyな言語とシステムには、複雑で一枚岩のソフトウェアを構築するだけの強力さが欠けているので、大規模システムはコンポーネントを再利用するよう設計されなければならない。よって、統合にまつわるよくある話が持ち上がる。

the right thingと比べるとどうだろう? 基本的なシナリオは2つある:巨大で複雑なシステムというシナリオと、ダイアモンドのような宝石というシナリオだ。

巨大で複雑なシステムのシナリオはこのようなものだ:

まず、the right thingが設計される必要がある。そしてその実装が設計される必要がある。最後にそれは実装される。それはthe right thingなので、要求された機能のほぼ100%を備え、実装の単純さは全く考慮されないので実装には長い期間がかかる。それは大きくて複雑なものになる。正しく利用するためには複雑なツールを必要とする。最後の20%が労力の80%を必要とし、そのためにthe right thingは出荷されるまでに長い時間がかかり、最も洗練されたハードウェア上でしか満足に動作しない。

ダイアモンドのような宝石のシナリオはこのようなものだ:

The right thingは設計に永遠の時間がかかるが、過程のどの時点においても非常に小さい。それを高速に動作するように実装するのは、不可能か、そうでなくてもほとんどの実装者の能力を超えている。

この2つのシナリオに相当するのがCommon LispとSchemeだ。

最初のシナリオは古典的な人工知能ソフトウェアのシナリオでもある。

The right thingはしばしば一枚岩のソフトウェアだが、the right thingがしばしば一枚岩に設計されていることの理由はそれ以外には存在しない。つまり、この特徴は偶然によるものだ。

ここから学ぶべき教訓は、最初からthe right thingを目指すのは望ましくない場合がしばしばあるということだ。ウイルスのように広がるよう、the right thingの半分を提供するほうがよい。いったん人々が引っかかって夢中になったら、時間をかけてthe right thingの90%まで改善するのだ。

誤った教訓は、この寓話を文字通りに受け取って、AIソフトウェアを実現する正しい手段はCであると結論づけることだ。50%の解決策は基本的には正しくなければならず、この場合にはそれは正しくない。

しかし、LispコミュニティはLispの設計に関する態度を真剣に考え直す必要がある、とだけ結論付けることも可能だ。これについては後で詳しく述べる。

2.2 良いLispプログラミングは難しい

多くのLispファンはLispプログラミングは簡単だと確信している。これはある点までは真実だ。本物のアプリケーションを納品しなければならない時、コードの効率が良好である必要がある。Cでは、プログラミングは常に難しい。というのも、コンパイラはあまりに多くの記述を要求し、データ型があまりに少ないからだ。Lispでは効率がひどいプログラムを書くのはとても簡単だ。Cではそれはほとんど不可能だ。以降に挙げる非効率なLispプログラムの例は、優秀なLispプログラマによって、実運用のための本物のアプリケーションを書く過程で書かれたものだ。私はこれらをとても残念に思う。

2.2.1 悪い宣言

この例は犯しやすい誤りだ。このプログラマは配列を完全な形で宣言すべきであったのにそうしなかった。よって、配列へのアクセスは毎回数命令で済むはずだったところが関数呼び出しと同じくらい遅くなった。オリジナルの宣言は次のようだった:

    (proclaim '(type (array fixnum *) *ar1* *ar2* *ar3*))

3つの配列は偶然にも固定長で、それが次の正しい宣言には反映されている:

    (proclaim '(type (simple-array fixnum (4)) *ar1*))
    (proclaim '(type (simple-array fixnum (4 4)) *ar2*))
    (proclaim '(type (simple-array fixnum (4 4 4)) *ar3*))

誤った宣言を変更すると、システム全体のパフォーマンスが20%改善された。

2.2.2 実装に関する知識の不足

次の例は、一般的な機能の特殊なケースを実装が最適化していないところで、プログラマが高速だろうと考えて一般的な機能を使ったというものだ。ここでは、副作用の順序が決定的な影響を持つ状況で、5つの値が返されている:

    (multiple-value-prog1
      (values (f1 x)
               (f2 y)
               (f3 y)
               (f4 y)
               (f5 y))
      (setf (aref ar1 i1) (f6 y))
      (f7 x y))

この実装は偶然multiple-value-prog1を3つの戻り値までは最適化するようにできていたが、5つの値の場合にはCONSするようになっていた。正しいコードは次のようになる:

    (let ((x1 (f1 x))
           (x2 (f2 y))
           (x3 (f3 y))
           (x4 (f4 y))
           (x5 (f5 y)))
      (setf (aref ar1 i1) (f6 y))
      (f7 x y)
      (values x1 x2 x3 x4 x5))

この書き換えが必要であるとプログラマが知っているべきである理由は何もない。その一方で、パフォーマンスが期待したほどではないと分かったとしても、問題となっているプログラマのマネージャは、(彼がそうしてしまったように)Lispが間違った言語だと結論付けるべきではなかった。

2.2.3 FORTRANのイディオムを使う

Common Lispコンパイラのなかには最適化を他と同じようには行わないものがある。次の表現はたまに使われることがある:

    (* -1 <form>)

ただし次のような書き方をしたほうがコンパイラがより良いコードを生成することが多い場合に、だ:

    (- <form>)

もちろん、最初のものはFORTRANのイディオムをLispで近似したものだ:

    - -1*<form>

2.2.4 全く不適切なデータ構造

この例は信じるられないと思う人がいるかもしれない。これは私が見たなかで本当にあったコードだ:

    (defun make-matrix (n m)
      (let ((matrix ()))
        (dotimes (i n matrix)
           (push (make-list m) matrix))))

    (defun add-matrix (m1 m2)
      (let ((l1 (length m1))
             (l2 (length m2)))
        (let ((matrix (make-matrix l1 l2)))
           (dotimes (i l1 matrix)
             (dotimes (j l2)
               (setf (nth i (nth j matrix))
                      (+ (nth i (nth j m1))
                         (nth i (nth j m2)))))))))

さらに悪いことに、その特定のアプリケーションの中では行列はすべて固定サイズで、行列演算はLispでもFORTRANと同じくらいに高速だったろうということだ。

この例は苦々しく残念なものだ:コードは完璧に美しいのに、行列を加えるのは遅い。よってプロトタイプとしては素晴らしいが実運用コードとしては役に立たない。あなた方も知っているように、Cではこんなにひどいプロダクションコードを書くことはできない。

2.3 統合は神の御技

worse-is-betterの世界では、統合とは、自由に関数を相互に呼び出して、同じ基本的なデータ表現を使って、.oファイルを結合することだ。他の言語のローダなどはないし、関数呼び出しの境界を越えて型を強制変換することもないし、あるひとつの言語を支配的な立場に置くこともないし、自分の実装技術がシステム全体に影響を与えてしまうことを嘆くこともない。

最も優れたLispの他言語関数呼び出し機能も、そういった現実に直面した場合にはただのジョークだ。Lisp実装では、リスト上のどの要素もアドレスされうる。これは、Lisp実装がthe right thingの世界で作られた流儀とは、ただただ違うのだ。

複雑な組織が死産に終わるのを横目に、ウイルスは生き延びる。Lispは適合しなければならない。その逆ではない。The right thingしか頭にないのではだめなのだ

2.4 非Lisp環境の巻き返し

これを認めるのは辛いことだ。例えば、ほとんどのC環境は――最初はLisp環境の真似だったものが――今では非常に良くなっている。現時点で最高のC環境は次のものを備えている:

もうすぐインクリメンタルなコンパイルとロードを備えることだろう。これらの環境は他の言語用にも容易に拡張できる。多言語環境も遠からず実現するだろう。

いまだに最高のものではあるが、現在のLisp環境にはいくつかの目立った失敗がある。第1に、ウィンドウベースであることが多いが、あまりうまく統合されていない。すなわち、関連した情報が、関係が分かるように表現されていないのだ。ウィンドウがたくさんあれば統合されているというわけではないし、同じ言語で実装されて同じイメージ内で動作しているからといって統合されているわけではない。実際のところ、現在手に入るLisp環境で高度な統合を成し遂げているものはないと私は思う。

第2に、永続性がない。単一のログインセッション向けに作られたように見える。永続的なデータを保持するためにはファイルが使われている――なんて1960年代的なんだ。

第3に、他の言語のインタフェースが提供されている場合ですら、多言語化がなされていない。

第4に、ソフトウェアのライフサイクルを拡張可能なやり方で扱えない。ドキュメンテーション、仕様、メンテナンス、テスティング、検証(validation)、変更、および顧客サポートがことごとく無視されている。

第5に、情報が正しいタイミングで提供されない。コンパイラは何らかの情報を提供できるが、環境は一般的に何が完全に定義されており何が部分的に定義されているか知ることが可能なはずだ。パフォーマンスモニタリングが退屈な作業であってはならない。

第6に、環境を利用するのが難しい。知るべきことが多すぎる。操作するだけでも、ただただ大変すぎる。

第7に、興味深いソフトウェアは今やほとんどすべてがグループで書かれるという時代だというのに、Lisp環境はマルチユーザではない。

本当の問題は、この10年間Lisp環境にはほとんど何の進歩もなかったということだ。

3 いかにしてLispが大成功を収めうるか

When the sun comes up, I’ll be on top.
You’re right down there looking up.
On my way to come up here,
I’m gonna see you waiting there.
I’m on my way to get next to you.
I know now that I’m gonna get there.

? & The Mysterians

幕間が憂鬱だったとしても、ハッピーエンドを迎えられる。

3.1 標準化を進展させ続ける

我々はISOレベルで差異を埋める必要があり、短期的な需要と長期的な需要が存在することを認識する必要がある。短期的な需要はCommon Lispに違いなく、長期的な需要は実用的なアプリケーションに関係した問題に対処するものであるに違いない。

the right thingという考え方(attitude)は、非常に大きく理解するのも実装するのも難しいLispをもたらした――あまりに多くの問題を解決する、Common Lispを。我々は未来に向かってCommon Lispを超えていかなければならないが、それは今あるCommon Lispに見切りをつけるということではない。それがアプリケーションを納品することが可能であることを我々は見てきた。そして展開向けのアプリケーションをもっと簡単に書けるようにしてくれるツールを提供することは可能だと私は考える。Common Lispをいろいろな意味でright thingなところまで到達させるために多くの労力が払われた。その結果、成熟した商用の実装がある。しかし我々は納品と統合の問題を問答無用で解決する必要がある。

先に私はMITアプローチの特徴を、しばしば死産にいたるやり方だと言った。Common Lispの標準化を今止めるのは堕胎するに等しく、LispコミュニティにとってはLispを見捨ててしまうことに等しい。もし我々がNew Jerseyアプローチを受け入れるのならば、Lispを見捨ててしまうのは間違っている。なぜならCは明らかにAIのための正しい言語ではないからだ。

またCommon Lispを今投げ捨ててしまって新しい標準に取り組み、早々に標準化を済ませることも、率直に言って不可能だ。現在我々が手にしているのはCommon Lispだけだ。他の方言で標準化の準備ができているものはない。

Schemeはより小さなLispだが、これもまたMITアプローチの弊害に苦しんでいる。あまりに窮屈で、大規模なソフトウェアに適していない。少なくともCommon Lispにはそれに立ち向かうための機構がある。

私が思うに、国際的に認知されたCommon Lispの標準があるべきだ。それがたまたま商売上の問題に対する最良の解決策でないからといって、今日のCommon Lispへの取り組みを捨てて何が得られるのか、私には分からない。Lispが死んだか死にゆくものだと信じている人々には、私はこう言いたい。Common Lispを殺してしまうということが、Lispコミュニティが同族殺しをしていると人々を確信させる以外に何を達成するというのか。複数のLisp標準があってもいっこうに構わないのだから、Common Lispが標準となることが邪魔立てされないよう私は望む。

一方で、次世代のLispに向かう強力な取り組みもあってしかるべきだ。今私たちにできる最悪のことは、コミュニティとして何もせず突っ立っていることだ。そしてそれこそが実際に起きていることなのだ。

関係団体はすべて長期的な取り組みに向かって歩を進めるべきだ。

3.2 環境の優位性を保つ

環境に関して、一枚岩の環境を構築しようという道を選ぶのは間違いだと私は考える。環境ではさまざまなツールを使えてしかるべきだし、新しいツールを作った人がそれを環境に統合できてしかるべきだ。

言語処理系を含めてすべてのツールがプロトコル駆動であるオープンなアーキテクチャの上に、緊密に統合された環境を構築するのは可能だと私は考える。多言語に対応していて、ユーザに特定のソフトウェア方法論を押し付けることなくソフトウェアライフサイクルを扱うことができる環境を作り出すことは可能だと私は考える。

我々の環境は、既存の環境がしているように、非Lispプログラマを差別するものであってはならない。Lispは世界の中心ではないのだ。

3.3 正しく実装する

Common Lispはカーネルとライブラリの組み合わせとしては構成されていないが、そのように実装することはできる。カーネルとライブラリルーチンは他の(非Lispかもしれない)モジュールとリンクしやすいよう.oファイルの形にしておけばよい。この実装は例えば小さなユーティリティプログラムを書くことが可能でなければならない。また、既存のコンパイラ、特に共通のバックエンドを使うものに頼る形にすることも可能だ。Lispコードに対して(おそらく拡張を追加することで)標準のデバッガを使えるようにLispを実装することも可能だ。

標準ツールの開発者たちがLisp向けに彼らのツールを拡張することに同意してくれるには時間がかかるかもしれないが、我々の(例外的な)言語がもっと普通の言語と同じように実装されない限り、それは全く起こり得ないのだ。

3.4 完全な統合を実現する

Lispとそれを取り囲む環境を、他の言語に対するひいきや差別がないものとして実装することは可能だと私は考える。多言語環境、Lispデータの気の利いた表現、保守的なガーベジコレクション、および慣習的(conventional)な呼び出しプロトコルを利用して、完璧に統合されたデメリットのないLisp環境を作ることは可能だと私は考える。

3.5 Lispを一流のプロトタイピング言語にする

Lispはいまだに最高のプロトタイピング言語だ。我々はこれをさらに押し進める必要がある。多言語環境は多言語のプロトタイピングシステムの基礎ないし基盤となりうる。すなわち、Lispの長所を生かす新しい方法を見つけ、そして新しい強みを取り入れるために、さらなる研究を行うということだ。

プロトタイピングは複雑なシステムの初期的な実装を作るという行為だ。プロトタイプは試験・監視・変更が簡単にできる。プロトタイプは新しい目的に合わせて作られた異質な部品から作られることがよくある。プロトタイプの作成を説明する際には、既存のプログラムの振る舞いを変更するという表現が用いられることがよくある。例えば、ツリーをトラバースするプログラムがあるとする。このプログラムを用いたプロトタイプの説明は、このような言い回しで始まるかもしれない:

        
ツリーT1上でPが訪れるリーフノードのシーケンスをS1とし、 ツリーT2上でPが訪れるリーフノードをS2とする。S1とS2の間の対応関係を Cとする(f: S1 ! S2 が要素を対応する要素にマップするものとする)。

続く文章は対応関係を操作し、fを用いるものになるかもしれない。いったんリーフノードの定義が明確になれば、システムが対応関係とfをサポートするようにトラバースルーチンを変更するために十分に正確な記述になる。

既存のシステムの変更と制御を記述する言葉は、プログラム言語(program language)と呼ばれうる。プログラム言語は一つないし複数の下位にあるプログラミング言語(programming language)の上に構築され、実際にプロトタイピング環境の機能の一部として実装されうる。この視点は、環境とは、ソーステキストを作成することも含めて、プログラマが動作するプログラムを生み出すことを支援する仕組みであるという洞察に基づいている。環境が生のソーステキストを扱うことだけに制限される必要はない。また別の例として、チャネルを通してやり取りするいくつかのプロセスから成るシステムもある。システムのこの部分を作り出すのは視覚的であってもよい。それに付随して環境によって作り出される最終的な結果は、いくつかの言語で書かれた一連のソースコードと、ビルドスクリプトと、リンク命令と、オペレーティングシステムのシステムコールとなる。プログラム言語は単一のプログラミング言語でできているわけではないので、そのような言語はエピ言語(epi-language; 間言語)と呼んでもよいだろう。

3.6 来るべきLisp

来るべき次世代のLispというものがあると私は考えている。このLispは、我々がworse-is-betterに見た成功の原則を用いて、注意深く設計されねばならない。

単純で容易に実装できる、Lispのカーネルとなるものが必要だ。そのカーネルは、Scheme――モジュールとマクロ――を超えるものでありと同時に、Scheme――継続が、それさえなければきれいなSchemeの手稿についた醜いしみとなって残っている――よりも小さなものでなければならない。

カーネルは実装上の単純さを重視すべきだが、インタフェースの単純さを犠牲にしてはならない。一方が他方と衝突するところでは、機能はカーネルの外に置かれるべきだ。一つの理由は、カーネルが他のシステムの拡張用言語として使われうるようにだ。ちょうどGNU EmacsがLispの一種を使ってEmacsマクロを定義しているように。

Common Lispの極端に動的な性質のなかには、再考されるべき側面がある。そうでなくても、少なくともトレードオフは再検討されるべきだ。例えば、本物のプログラムがこのようにすることは、どれだけあるだろうか?

    (defun f ...)

    (dotimes (...)
      ...
      (setf (symbol-function 'f) #'(lambda ...))
      ...)

来るべきLispの実装は、この演算を高速化するために従来の実装からの影響を受けるべきではない。特に、他のすべての関数呼び出しの効率が悪くなるような犠牲を払ってはならない。

言語は少なくとも4つの層に分割されるべきだ:

  1. カーネル言語は単純で実装しやすいものとなる。どんなケースにおいても、動的な再定義は再考を加えて、このレベルでのサポートが必要かどうかを判断するべきだ。私は再定義可能なものがカーネル内に必要だとは思わない。
  2. 言語を肉付けする言語学的な層。この層は実装上の困難が若干伴うかもしれない。そしてここには多分、カーネルで実装するには高価すぎるが割愛するには重要すぎる動的な側面が含まれることになる。
  3. ライブラリ。Common Lispにあるものの大半はこの層に置かれる。
  4. 環境として提供されるエピ言語的機能。

1番目の層に私は、条件式、関数呼び出し、すべての基礎データ構造、マクロ、単値、非常に基礎的なオブジェクト指向のサポートを含める。

2番目の層に私は、多値とより進んだオブジェクト指向サポートを含める。2番目の層は、環境が提供するに任せるにはあまりに重要すぎる、難易度が高いプログラミング上の構造、しかしそれでいて正確な定義を正当化するだけの意味論的な重要性が十分にある、そういうもののためにある。何らかの形の再定義機能はここに置かれるかもしれない。

3番目の層に私は、シーケンス関数、手の込んだ入出力関数、その他1番目の層と2番目の層に単純に実装できなかったものすべてを含める。これらの関数はリンク可能であるべきだ。

4番目の層に私は、環境が提供でき、またそうすべきであるが、標準化されなければならない機能を含める。典型的な例はCLOSのdefmethodだ。CLOSでは、総称関数はメソッドから成っており、各メソッドは特定のクラスに適用可能である。1番目の層には完全な総称関数のための定義式――つまり総称関数およびその全メソッドの定義が一箇所に集まったもの――がある(第1層のコンパイラがそれらをどう見たいかを反映している)。名前を総称関数に結び付ける手段も用意される。しかしながら、システムを発展させていく途上で、クラスはさまざまな場所で定義され、関連した(適用可能な)メソッドがクラスの隣に見えたほうが道理にかなっている。メソッドを作るその仕組みはdefmethodで、defmethod式は他の定義式の中のどこにでも置ける。

しかしメソッドは、そのメソッドが特殊化された(specialized)クラスのそれぞれについて、そしてそれらのクラスのサブクラスのそれぞれについて関連している。であれば、ユニークなdefmethod式はどこに置くべきだろう? 本当の定義はどこか特定の場所に置かれるべきである一方で、環境はプログラマがこれらの場所のどこからでもメソッド定義を見られるようにすべきだ。その場所は単一の総称関数の定義式にあってもよく、必要に応じてdefmethodの同等品を関係したクラスの近くに見せ、defmethodの形式のソースを入力として受け入れる(そして総称関数の定義にそれを置く)ことは、環境の仕事だ。

我々はdefmethod式を標準化したいが、それは環境によって提供される言語学的な機能だ。同様に、例えばキーワード引数のように、手の込んだlambdaリスト構文の多用は、環境がテキストを修飾する色などを使って提供することが可能な、言語学的なサポートの例だ。

実際、関数対関数のインタフェースの分野では、引数に名前を付ける方法としてどのようなものが必要か、そしてどの層にそれを配置すべきか、再検討すべきだ。

最後に、第2層の機能はすべて、環境によって第1層の機能として提供されうるかもしれないことに注意してほしい。

3.7 アプリケーションの書き手が成功するよう支援する

Lispコミュニティにはアプリケーションを書く人間があまりに少ない。Lispベンダはこれらのアプリケーションの書き手が成功することを確実にする必要がある。これを実現するには、関連する各陣営が自分たちの抱える問題に関して、敵対的ではなくオープンである必要がある。例えば、エキスパートシステムシェルの企業が問題を発見したならば、Lispベンダに自分たちのソースコードを開示して、より高速でより小さくより納品が容易な製品を作るという共通のゴールに向かって両者が働けるようにすべきだ。そしてLispベンダも同様にすべきだ。

AIコミュニティのビジネスのリーダーたちは、ビジネス慣行のうちでも最悪の、まるで風刺画のような気質を選んでしまったようだ:秘密主義、不信、弱い者を叩くことも辞さぬ点数稼ぎ式の競争心。我々の業界では、自分と同程度の相手を探すまでもなく、万人にとっての商売敵が十分にいるのだ。

日がまた昇るときもある(Sometimes the sun also rises)。

リファレンス

[1] ? & the Mysterians, 96 Tears, Pa-go-go Records 1966, Cameo Recordsから1966年9月に再リリース。