ささやかだけど、大切なこと

 個人的な読書の趣味でいえば、専門は現代米国文学です。アン・タイラーとか、ジョン・アーヴィングとか、エリノア・リプマンとか。それぞれの作家の話はまた別にしたいと思いますが、エンターテインメントではない、純文学系の小説がいちばん好きです。どうしてそうなのかといえば、彼らのセンシビリティがいちばん私にしっくりくるから、だと思います。現代米国人の、クールでドライなんだけど、じゃっかん神経症的で精神的に弱い面を持っているその思考傾向になんか共鳴できるんですよ。着物は着てても、中身は日本人じゃないのかもしれない(笑)

 「停電の夜に」(小川高義訳、新潮社刊、本体1,900円)は、デビュー作で昨年のピュリッツァー賞を取っちゃった大型新人ジュンパ・ラヒリの短編集。もちろん、受賞対象作品です。エキゾチックな名前から察せられるとおり、彼女はインド系アメリカ人の2世で、33歳。両親はともにインド・カルカッタの出身だそうです。著者近影を見るかぎり、むちゃくちゃ美人です。

 この本には、米国に在住するインド系米国人や移民、あるいはインド在住のインド人を主人公にすえた短編が9つ収められています。どれも大事件は起こらなくて、日常生活のちょっとしたできごとの中での出会いや交流やすれ違いを繊細な観察力で描いています。人間が生きていく上で、ささやかだけど大切なことがそこにあります。

 うまい。うますぎる。書き出しがうまい。舞台設定がうまい。ストーリーテリングがうまい。スライス・オブ・ライフがうまい。完全にノックアウトされました。たいした才能です。一生のうち一度でも雑誌「ニューヨーカー」に作品が載れば、作家の勲章になるといわれているそうなんですが、彼女は何と一年で3回も作品が掲載されてしまいました。でも、正当な評価だと思う。ピュリッツァー賞の目も節穴じゃない。日本の芥川賞や直木賞の目は節穴だと思うけど。

 私の最もお気に入りは、表題作の「停電の夜に」。米国のある町に結婚して3年になるインド系カップルが暮らしています。熱烈な恋愛結婚だったはずなのに、今は魔法がとけたようにお互いの欠点が目につくように。関係が急速に冷めたのは、待望の赤ちゃんを死産してしまったのがきっかけだったかもしれません。
  
 あるとき、電力会社が5日間、毎日夜8時から9時の1時間だけ停電になることを通知してきます。そのようにして、ろうそくディナーという特別な夜が始まりました。妻はふと持ちかけます。「これまでお互い秘密にしてきたことを毎晩一つずつ告白しあおう」と。最初は乗り気でなかった夫でしたが、ゲームめいたおもしろさに思い出を手繰り寄せるようになります。そして5日目の夜…。

 えっ? という展開があるので、結末は書きません。この物語が私の心に響くのは、いったん壊れてしまった関係が、ひとつ屋根の下に暮らすのは一人でいるより最悪のこと、と感じた経験によるところもあります(笑)。しかし、二人の心の距離の遠さやそれでも続いていく日常が、熱くもなく冷たくもない平温の感情で描写されていて、この作品だけを評価しても秀逸だといえます。

 ラヒリがすばらしいのは、自らがインド系米国人であることをしっかり認識していながら、作品でそのエキゾチシズムをことさら訴えるのではなく、人間の普遍性を描くことを核にしている点だと思います。インドの人にとって胸のいたい話は、米国人にとっても、日本人にとっても胸のいたい話。読者にそう思わせるところにラヒリの才能を感じます。

 この本の表紙に一言。著者がインド系米国人だからスパイスを出すというのは知恵がなさすぎると思います。作品の精神をちっとも理解していない。この発想は、日系米国人の作品だからフジヤマ・ゲイシャを持ってこようというのと同じです。ただ人目をひけばいいという考え方には再考をうながしたいですね。

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