他人との垣根

 ちょっとしたステージのある人気ジャズバーだというのに、その店の婦人用トイレは2つしかありませんでした。昨年、米国はニュー・オリンズでの話です。その夜も繁盛していて、トイレに並ぶ人も列をなしています。これも米国南部のお土地柄かな、とおとなしく並んでいました。やっと私の番がきて、空いた方の個室に入ったのですが、今まで米国の公共施設で体験してきたものよりははるかに狭くて、この国もすべてが大きいというわけでもないのね、と新発見気分で、腰をおろしました。所用を終えてトイレットペーパーを探ると、ほとんど切れかけていて、私の使う分がぎりぎりあるという分量でした。補充してあげようと個室内を見渡したのですが、どこにもロールはありません。しかたなく戸を開けて、次の人にいいました。「ここはトイレットペーパーが切れてしまいました」 すると彼女はーー30代ぐらいの白人だったのですがーー、「OK」といってそのまますたすた入っていってしまいました。

 Tシャツにジーンズ姿でカバンを持っていなかったから、彼女がティッシュペーパーを持っているとはとても思えなくて、いったいどうするんでしょう、米国人女性は拭かなくても大丈夫なんだろうか、とちょっと不安げに手を洗いながらちらちら個室の方を見ていました。そうしたら、その個室の下の開口部分から隣の個室の下の開口部分へ手がニュッと伸びていくではありませんか。そして彼女はいったのです。「ちょっとペーパーをパスしてくんない?」 すると、隣の個室に入っていた女性も即座に「OK」といって、トイレットペーパーをからからとまわして一定の分量をカットすると、伸びてきたその手につかませたのです。うーん、この人たちは他人との垣根がとても低い。日本じゃ絶対ありえない、と思いました。

 やはり出張でいったサンフランシスコで、ある晩タイ料理屋さんに行きました。私はタイミングよくすぐ座れたのですが、人気のある店だったらしく、そのあとからたちまち順番待ちの列ができてしまいました。その列は、頭から、1人客のお客さん、カップルのお客さん、3人客のお客さん、というふうになっていました。次にあいたテーブルは私の隣の4人席でした。日本なら、効率上この4人席に1人客を座らせることはないと思うけど、ここはどうするだろう、と思って観察していると、ウエイトレスは何の逡巡もなく、次の方どうぞ、と1人客を案内しました。さすが。ファースト・イン、ファースト・アウトなのね、と私がひそかに感心していると、待っていた3人客の一人が隣の席にやってきました。“僕たち3人なんだけど、一緒に座らせてもらっちゃだめかな”と交渉を始めました。1人客は考える風でもなく“どうぞ”といい、それで4人席は見事に埋まって、初対面どうしというのにそこからなごやかな会話のある食事が始まったのでした。これも日本じゃなかなかありえない、と思いました。

 日本人はいったん知り合ってしまえば、冷たい人というのはそうはいなくて、親切だし、いろいろ話もするのですが、そうなるまでは、他人との垣根はとてもとても高いものがあります。最近は人の親切を逆手にとった凶悪な犯罪も増えているので、警戒心が先にたっちゃうのも無理はありません。私も土屋さんのような人は恐いです。しかし、米国人のそうしたフレンドリー精神をまのあたりにすると、昔は日本人だって“袖すりあうも多少の縁”といったよなあ、どうにか対抗できないかなあという気持ちになります。

 行きたい映画や芝居があると、つい忙しい友達を口説くのに気がひけて、一人で出かけてしまいます。人気作品だと映画館や劇場のロビーはカップルがいっぱいで目のやり場もないって感じなのですが、見渡してみると、どうやら私のような人種も少なくないようなのです。つまり、同好の士を募れなかったんだけど、見たいものは見たいのよ、という文化ラバーな女性。最近は待ち時間の手持ちぶさたのあまり、そういう人に声をかけてみています。それにはちょっとばかり勇気が必要で、“相手を探している飢えたレズビアン”に見えないよう気をつけなければいけない、というそれなりの気苦労もあるのですが(笑)、割とうまくいくんですね、これが。この方法で、最近2人の年若い友人をゲットしました。趣味の話で盛り上がり、まったく違う業界、世界の話が聞けて、すごく新鮮だったりします。少しは他人との垣根を下げられるようになったかなあと思って、自慢げにこの話を古い女友達にしました。そうしたら彼女はいうのです。「それはフレンドリー精神じゃなくて、あんたがオバサンになったってことよ」 …そうかもしれん、と素直に思うのでありました。

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