童話ざんまい

 今、何を読んでると思います? 「あしながおじさん」(笑)。その前は「ハイジ」。そして、その前が「不思議の国のアリス」。おもしろいんですよ、それぞれに再発見があって。子供むけなのですいすい読めるし。金鉱発見、って感じです。

 どうしちゃったのって? 事の発端はこの4月に姪が9つになったことなんです。誕生プレゼントを何にしようかと考えていて思いついたのが童話の本。いつもなら彼女に「何がほしい?」と聞くのですが、どうせまた「カードキャプターさくら」の人形とか、「おじゃ魔女ドレミ」のステッキだとかキャラクターグッズがほしいというに決まっているので、この際、私は教育おばちゃんになってしまおうと思ったのです。

 この姪は親に似て根っからの体育会系で、体を動かすのは大好きなのですが、本は進んで読まない子なんです。国語で生きているおばちゃんとしてはこの状況は許しがたく(笑)、毎月1冊ずつ世界の童話を送りつけることにしたのであります。物流をシンプルにするのであれば、オンライン書店ででも買って、送付先を彼女の住む大阪にすればいいのですが、実はこの名作童話シリーズ、私自身が読みたかった(笑)。福音館書店の古典童話シリーズといって全37巻あるのですが、結構私が読みそびれているものもあるんです。「アーサー王と円卓の騎士」とか「ハックルベリー・フィンの冒険」とか。だからまず私の手元に取り寄せて、私が読んで、彼女に送る。一挙両得。

 第1回配本の「不思議の国のアリス」は、おもしろかった、と彼女はいってくれました。どうおもしろかったかは説明できないようなんですけどね(笑)。読み返してみると、あの作品に出てくるアリスは、作者ルイス・キャロルの性格を色濃く反映していて、にやにや笑いのチェシャーネコやパイプ吸いの芋虫に負けずおとらずニヒリストでした。大人が口の端をいがめて浮かべるような類の笑いに満ちているので、今日、童話として評価されているのは不思議な気がします。姪はほんとにおもしろいと思ったのかなあ。でも、出てくるキャラクターは確かにどれもオリジナリティにあふれていて強烈ですよね。生まれた時代が違っていれば、ルイス・キャロルことドジスン先生はウォルト・ディズニーとタメをはれたのではないかしら。

 さて、今度の「ハイジ」はどうかなあ。厚さがアリスの本の倍はあるからなあ。彼女は読み通すことができるかな。
 私も「ハイジ」は初読でした。すでにアニメの「アルプスの少女ハイジ」でストーリーは知っている気がしていたから手が出なかったんです。読んでみて思ったのは、アニメは原作にほぼ忠実に作られていたんだなということ。ハイジの性格も、クララの性格も、そのまんま。ただし、原作はクリスチャンのための物語という色彩が非常に強いです。神さまにお祈りを捧げるのを忘れてはいけません、とか、神さまとの対話をないがしろにするとバチがあたります、とか。幼いハイジの展開の激しい人生もさることながら、世捨て人になっていた偏屈者のおじいさんがハイジとの出会いによって心を開き、信仰を取り戻すというのが重要なサブストーリーとなっています。クリスチャンではない私には、そこがちょっと面映い感じがしましたね。

 「あしながおじさん」もおもしろかったな。私の発見。あしながおじさんとジョディの関係は、ちょっと光源氏と紫の上の関係に似ていると思いました。うがった見方をすると、あしながおじさんも光源氏も、最初から色気含みの扶養者なんですよね(笑)。ジョディは相手を知らなくて、紫の上は相手を知っていたという違いはありますが。でも、紫の上も最初は相手がそんなことを考えているとは思っていないから、光源氏のことを“おじさん”と思っていたことでしょう。
 ジョディの性格設定でいいなと思ったのは、人の好き嫌いが激しくて、勉強も得意科目があれば、ほんとにできない科目もあって、孤児院で禁欲的に育った割には物欲が強くてと、すごく人間的に作られていること。“汝の隣人を愛しましょう、ほしがりません、勝つまでは”みたいなことになっていないのがよかった。でも、ジョディが大学でどういうことを勉強しているか、なんて話も出てくるから、姪にはちょっと難しすぎるかもなあ。
 読んでいてふと、この小説が手紙ではなくて電子メールでやりとりされる前提だったらどうなっただろうと思いました。話が一日で終わってしまったか、それともこの原作の10倍ぐらいの分量になっていたか。CCやBCCの機能が駆使されて、もっと陰謀と嫉妬うずまく物語になっていたかも(笑)。

 いやー、意外なところに読書の楽しみを発見。以後「ピーターパンとウェンディ」「三銃士」「レ・ミゼラブル」など続々と名作が続きます。美桜(みお)ちゃん、読んでくれてもくれなくても、おばちゃんは童話を贈れて幸せです。

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