落としものの女王

 ものを落とさせたら、私の右に出る人はいません。これには2つの意味があります。1つはものを物理的に落とす。もう1つはものを紛失する。両方とも大の得意技なのです。

 まあ、自分でもあきれるぐらいよく落とします。お箸、生卵、包丁、どんぶり茶碗、ブラシ、ドライヤー、携帯電話、MDプレーヤー、ノートPC、小銭、薬、書籍、ビデオテープ。およそ私の手に握られるすべてのものは、床に落下するという災難を免れることはできません。私に殺し屋は務まらないでしょうね。ピストルも、ナイフも、構える前に落っことしちゃって、拾っている間に殺されてしまうから(笑)。赤ちゃんを抱くというのも、考えてみると私には許されざる行為かもしれない。
 
 おそろしく握力がないんだろうか、それとも注意力がないんだろうか、それとも目が悪いんだろうかと考えるんですが、おそらくどの要素もあるんでしょう。ゆえに私の部屋の下に住む人は、とても迷惑を被ります。毎日、ガツンとかドシンとかガシャーンとかいう音を聞かされる(笑)。幸いなことに、今のマンションは下の階が靴工場になっていて住居ではないので、“いいかげんにしてください”とどなりこまれるような羽目には陥っていません。引っ越しをしたいなあと思いつつも今ひとつふんぎれないのは、“今度は現在のように大目に見てもらえないかもしれない”という不安が大きな理由の一つになっています。

 こういうのってどういうお医者さんに見てもらえばいいんでしょうかねえ。「どうしました?」と聞かれて、「ものを落っことすんです」と答えても、目が点になったり、笑いだしたりしないでくれるお医者さんって何科? 周りからはコントをやってるみたいに見えると思うんですけど、本人は結構真剣に悩んでいたりします。包丁を落としたときは、さすがに“私の手は、神経は、いったいどうなってるの?”って頭をかかえこんでしまいました。 

 ものを紛失するのもしょっちゅうです。一時は、この対策として“高いものを買う”という対抗策を講じたこともありました。そうすれば“なくすわけにはいかない”という気持ちが働いて、持ち続けられるかと思ったのです。しかし、効果はありませんでした。瀟洒なレースひらひらの日傘20,000円也は、たったひと夏のおつきあいで終わってしまいました。とても気にいっていたのに(泣)。ウォーキング用にと買った日よけ帽子ももはや手元にありません。およそ会員証などというものはことごとく再発行の憂き目にあっていて、いつも通っている美容院の会員証にいたっては4回作り直してもらいました。“今度なくしたらもう知りませんよ”といわれる始末。まったく情けない(笑)。
 
 いちおう致命的な欠陥を自覚して、いくつか行動原則を作ってはいるんです。

1、絶対に3つ以上の荷物を持たない 

 荷物が3つ以上になるともう、覚えていられないんです。どれかをどこかへ忘れてきてしまう。そのため、すべての荷物は2つまでで収まるよう整理して持ちます。どうしても2つで持てない量になったら、ホテルなどに飛び込んで宅急便で自宅に送ってもらいます。お金はかかってしまうけれど、紛失するよりは精神衛生上好ましいのではないかと。

2、高いものは買わない

 これは日傘の経験の反省によるものです。なくしてショックを受けるようなものは買わない。なくしやすい小物もなるべく買わない。かくして腕時計は1つだけ。メガネも1つだけ。指輪なんかとんでもないです。買いたくなったときは“どうせあんたはなくすでしょ”と自分にいい聞かせると、大抵あきらめられます(笑)。 

3、同じものを複数買う

 どうしてもなくしたら困るもので、時期を逸したら手に入れられないおそれのあるものは、最初に複数買うことにしています。ノートPCのバッテリーとか、とても気にいっている作家やミュージシャンの書籍とか、CDとか。これは大抵“ああ、買っておいてよかったな”という結果になりますね(笑)。困ったことですけれど。

 人が当たり前にしていることを当たり前にできないというのは、なかなかつらいものです。家族に“どうしてそんなにものを落とすの? どうしてちゃんとできないの?”なんて問い詰められたりすると、もっとストレスをためちゃうだろうな。すでに自分でもそう思っているんですから。そういう意味では家の中に人の目がなくて助かっているなと思います。せいぜい気に病まないようにして生きていくしかないかとあきらめるそばから、むいていた甘夏をゴロンと床に落としてしまうのでありました。

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