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フレグランスエリア

 ホテルのトイレの個室から出てくると(私の話はどうもトイレ関連が多いですね(笑))、突然、ウッと頭を締めつけられるような衝撃に襲われました。“いったい何なんだ、この匂いは?” こんなドギツイ匂いのするものは、決まってます、香水です。洗面台には一人の若い女性。霧吹き状のアトマイザーを手に、耳の後ろや、胸元、手首の内側に、シュッシュ、シュッシュやってました。“犯人はおまえかー。それはつけすぎじゃー”と心の中で悪態をつきながら、彼女の後ろを通る一瞬だけするどーい目線で一瞥して(笑)、彼女から一番遠い洗面台の前に陣取りました。でも、彼女は私の視線や行動の意味にはまったく気づいていません。ハミングさえしかねない様子で、御髪をなおしておられました。そのあまりの匂いの強烈さに私はほとんど正気を失いかけていて、“香水、きつすぎるってば!”という言葉がノドもとまで出かかりました。しかし、これをいうと私は正真正銘のおばさんになりさがってしまう(笑)、とぎりぎりのところで踏みとどまり、身づくろいもそこそこに酸素を求めてトイレを後にしたのでした。あー、死ぬかと思った(笑)。

 いきすぎた匂いは暴力である、とは私の格言であります。食べ物の匂いはまだしも、こういう人工の匂いは特に。“まブタはあるけど、耳ブタはない”というのは、野田秀樹の名舞台「贋作 桜の森の満開の下」の中のセリフですが、鼻ブタだってないから、匂いというのは音もなく鼻からしのびこんで脳天を直撃するんですよね。鼻はいつだって無防備なんです。だからこそ、香水は誘惑の小道具として太古の昔から活躍してきたんですが、いきすぎると元も子もなくすってことを、香水メーカーは製造物責任の中で(笑)、もっとアピールしてほしいですね。消費者金融の会社だって“ご利用は計画的に”っていうじゃありませんか。

 すごい匂いをふりまいて歩いている人って、自分が現役なのをことさらに主張しているようで、しかも、それをまわりが感じていることに本人が気づいていないので、こっちが複雑な心境になるんですよね。「あなたがもてたいと思って香水を大量におつけになっているお気持ちは、とってもよく理解できるんです。人間の本能ですからね。でもね、あなたの鼻はバカになってしまっているからわからないと思うんですけど、ちょっとその程度がね、許容量を越えてしまってるんですよ、残念ながら」 あー、こういえたなら、どんなにすっきりすることか!

 女友達数人に、香りの暴力に会ったらどうしているか聞いてみたことがあります。誰もが「どうにもできない」といいました。「いくら窒息しそうな匂いでも、アカの他人に“あなたの香水はくさい”とはいえない」と。それがマナーというものなんだそうです。でも、と私は反論しました。「これはさー、気づいていないのが原因なんだから、いってあげなくちゃ。そのほうが人間として親切なんじゃない?」と。 友達は私をこう諭しました。「やめておきなさい。女が女に忠告したってけんかになるだけ。こういうのは男性からそっといってあげるのが一番なのよ」と。そうであるなら、男性の皆さま方、お願いです。あなたの周りに該当する人がいらしたら、最大級のフェミニズムを発揮して、「飾るものなんていらない。素のままのきみがいちばん魅力的さ」といってあげてください。その勇気ある一言が、全地球の民を救います!

 一朝一夕には解決できない問題です。ええ、それはじゅうじゅうわかっています。でもときどき、耐えきれなくなると思うんです。スモーキングエリアというのがあるんだから、フレグランスエリアというのがあってもいいんじゃないか、と。香水をつけている人には専用の空間を設けて、駅のホームでも、レストランでも、全員そこに集まっていただく。間仕切りがあるとベターですね。香水愛好家の方はいろいろな香りが集まることで、一元的に情報収集ができ、非香水愛好家の方は香りの襲撃から解放されるという点で良策なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。ちょっと、ファッショかな。

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