なかったことに…

 「なかったことにしてくれない?(してあげる)」という広告コピーが大はやりです。ビデオカメラが、クレジットカードが、化粧品が、郷ひろみまでが(笑)、私たちのしでかしたこと?を尻拭いしてあげるといっています。元コピーライターだった人間としては、こうして同じ説得のロジックがあちこちで使われていることに、“ちょっとイージーなんじゃないの?”と苦言を呈したい気分です。私が現役だったときは、それがどんなに対象の製品に合っていて、どんなに画期的なアイデアでも、誰かに先を越されたら、その時点でアウトでした。私は決して第一線級のコピーライターではなかったけれど、それでも“人真似はしない”という意気地ぐらいはありました。だから、車中広告などで“いつか使おう”とひそかにストックしてたコピーを見つけしまったときは、とてもくやしい思いをしたものでした。

 「なかったことにしてくれない?(してあげる)」という考え方にしても、問題を感じています。確かに、「行動に責任を持つ」のが常識だった昔の日本にはなかったもので、その分でいえば衝撃的で、好むと好まざるとに関わらず人の気をひくことのできるフレーズだといえます。広告は、これまでのタブーを破ることがひとつの仕事ですから、方向性としては合っています。嫌われるより最悪なのは、心にぜんぜん残らないってことですからね。でも、やっぱり人の道に照らして考えるとですね、「なかったことにする」というのはよくないことだと思うのですよ。それでなくても軽薄になりつつある日本人が、ますます軽薄になるじゃないですか。“行き過ぎたっていいじゃない。あとでチャラにできるんだから”という意識がはびこるのは、とてもとても危険なことです。

 起こしたことは、なかったことにできないのです。言ってしまった言葉は取り戻せないし、使ってしまったお金は返ってこない。だから行動する前にはよく考えなくちゃ。行動しちゃいけないといってるんじゃないですよ。今それをして後から後悔しないか。自分でほんとうに納得しているのか。納得しているならいいんです。自分の起こした結果に責任が持てますもの。でも、なあんにも考えないで行動して、あとから「なかったことにしてくれない?」っていうのは、ちょっと虫がよすぎると思うんですよねえ。

 もしかして、こんな考え方があちこちで採用されるようになってきたのは、デジタルの世界が生活の中に浸透しはじめているからですかね? サイバースペースではなかったことにするのは簡単ですからね。パソコンのリセットボタンを押せば(簡単に押しちゃいけないんだけど)、とりあえず事態は白紙に戻っちゃう。そういう風に現実も解決できたらいいと人々が思い始めているとしたら、まったくゆゆしき事態だなあ。だからって、いまさらデジタルの、ない生活には戻れないんですけど。きっとやらなくちゃいけないことは、誰かがリアルの世界は「なかったことにはできない」ってことをちゃんと教えることなんでしょうねえ。それは誰の役割なんだろう? 学校の先生? 親? 小泉総理?(笑)

 このコラムを読んでくださっている皆さんはせめて、 どうぞ広告の甘い「なかったことにしてあげる」攻撃にだまされませんように。あの世界もウソとはいいませんけれども、美しくデフォルメされたバーチャルワールドなんですから(笑)。まあ、コピーライターやっているときは、それを作りあげることがおもしろかったんですけどね。その一方でまた、あとで「なかったことにしたくなる」ような行為は、どうぞおつつしみくださいませね(ウインク)。 

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