男は逃げる、ものなのか

 書こうか書くまいか迷っていたんですが。実はこの夏、母がちょっと倒れまして、しばしバタバタいたしました。診断は脳梗塞。しかし、詰まったのは末端の細い血管だったようで、これという後遺症も残らず、3週間の入院で自宅に帰ることができました。ほんとに幸運でした。でも、さすがに妹から電話が入ったときは、「とうとう来たか」と思いましたね。

 母は深夜トイレに行こうとして、起き上がれないことに気がついたそうです。無理に体を起こそうとすると、グルングルンめまいはするし、吐き気はするしで、どうにもこうにも動けない。これは非常事態と覚悟して隣で眠っていた父を起こし、父が妹に(階上で夫と子供とともに暮らしている。つまり二世帯住宅。夕食後いったん寝て、夜中に起き出して台所の後片付けをするのが彼女の習慣)に知らせたそうです。
 
 これは救急車を呼ぶしかないということになりました。いざクルマが到着して救急隊員が母を搬送し、あとは家族が同乗して出発するだけという段階になって、父がクルマに乗らないのです。妹が最初に乗り込んだところで「行ってくれるか? 頼んでええか?」といって、家に残ろうとするのです。妹は「自分の奥さんの大事やろ。お父さんが行かんでどうすんの!」と憤慨し、無理やり救急車の中へひっぱり込んだそうです。妹からこの話を聞いたときは、私も不思議に思いました。ついているよりも、家に残った方が心配だろうに、なんでそんなことをいうんだろう、と。
 
 通常なら病院は選べないんですが、母が前々からかかっていた総合病院へ運んでもらいました。病院ははじめ、事前に聞いていないと受け入れを拒否し、朝に外来として来いといったそうです。しかし、吐き気が止まらず、青黒い顔をした母自身が、「こんなにしんどいのに、帰れ、出直せ、なんて殺生や」(さすが大阪の女!)と訴えたので、なんとか空いた病室に入れてもらうことができました。
 
 朝になって主治医も決まり、母の入院生活が始まりました。CTスキャンはしたものの原因は特定できず、じゃあMRIということになったのですが、担当の先生が出張で留守。しかたがないので、症状を抑えながらその先生の帰院待ちです。主治医の先生は母の病気の可能性を父に説明しようとするのですが、父は「娘にゆうてください。娘の方がしっかりしてますから」と、話を聞こうとしません。奥さんのことは旦那さんにいうというのが普通でしょうから、主治医の先生も不思議な顔をされていたようです。
 
 一応完全看護の病院なんですが、母は起き上がれない状態が続いていたので家族が交替でそばについていようということになりました。それなのに、父は自分の番になるととっとと帰ってきてしまいます。妹が「お父さん、なんで帰ってくんの」と問い詰めると、「別にすることなかった。看護婦さんが全部やってくれはる。わしにも家でせんなん(する)ことがある」と言い訳するのです。自分ではいいませんが、どうもいつもとはまったく違う病人の母を見ているのがたまらないようです。
 
 一連の父の言動に妹は怒りまくり、「聞いてえや、お父さん、こんなんゆうねんで」と私に切々と訴えかけるので、とりあえずはよしよしとなだめながら、二人でじっくり原因を考えてみました。結論は「お父さんには問題が重大すぎて、直面できないんだ」。自分が一人取り残されるかもしれないなんてことを死んでも考えたくない父は、正面きって目の前の問題に向き合えないのです。でも、娘としては“いざというとき頼りになる父”であってほしかったので、いささかがっかりしてしまいました。ただ、父の名誉のために少しだけ言い添えますとと、母が入院している間、父は朝と昼の食事を自分で作り、母の着替えの洗濯なども熱心にやってくれ、彼なりに一生懸命ではありました。でも病院へは行こうとしなかったなあ。
   
 というような話を友人にしたら、それはうちの父だけのことではなくて、男性全般にいえることだとなぐさめてくれました。男性は独身のときはお母さんが世話をし、結婚したら奥さんに世話をしてもらい、勉強や仕事さえしていれば世の中まわっていく変わりばえのしない人生を送るから、基本的に危機管理ができておらず、変化対応型ではない、と友人の一人は喝破しました。なるほど、と思いましたね。特に“男の人は自分より先に奥さんが死ぬなんて考えていない”というのには手をたたいてウケてしまいました。まったくそのとおりじゃないでしょうか。

 一方女性は、世話をされる立場だったのが世話をする立場になったり、子育てしなくちゃいけなかったり、どんどん環境が変わっていくから、変化慣れしています。だから、家族の一大事にも肝を据えて対応できるんでしょうね。そういえば私が上京すると打ち上げたときも、母は「この子はいい出したら聞かへん。嫁にやったと思うしかない」とすぐに頭を切り替えたのに対し、父は「生き馬の目を抜く東京なんかにやれるか」などといって長い間抵抗していました。生き馬の目を抜くうんぬんというくだりを聞いたときは、対立しているにもかかわらず、「今どきこんなこという人ないで」と肩を震わせて笑ってしまいました。
 
 男は逃げる、ものである。どうでしょうか男性の皆さん、反論はございますでしょうか。それともそのとおりとお認めになりますでしょうか。ただお認めになっても、逃げざるを得ない気持ちに対して同情はしてあげられませんのであしからず(笑)。

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