錦糸町まで

 あんまり運動不足が甚だしいので、ちょっと歩くことにしました。そのため、ウォーミングアップウェアとウォーキングシューズを購入。目的がないと歩けない性格なので、スーパーマーケットをめざします。ゴールは錦糸町のクイーンズ伊勢丹。距離はかなりあるんですけど、前から一度やってみたかったんです。

 迷子になると困るので、わかりやすい道を通ることにしました。まずは明治通り沿いにずーっと東へ。
 韓国料理食材の専門店などを発見しながら淡々と歩いていたら、もうすぐ三ノ輪という交差点で一人のご婦人に話しかけられました。「ここの信号、長いのよね」私は社交性を発揮して答えます。「五叉路ですからね」「あら、ほんとだ。ここに越してきてまだ日が浅いから、気がつかなかったわ」 そのご婦人も健康のために歩いていたようで、なんだかそのまま会話が始まってしまいました。彼女は私の母ぐらいの年代でしょうか。ご主人と二人暮らしなのだそうですが、ご主人は家に閉じこもりがちで、一緒に外など歩いてくれないらしい。話し相手に飢えていらっしゃったんでしょうね、若いときにお姑さんにいじめられた話や自慢の息子さんの話など、彼女の住むマンションに到着してもご婦人の話は尽きず、結局30〜40分の立ち話になってしまいました。不思議な展開でしたが、ちょっとその状況を楽しんでいる自分もいました。「世間見ず」という言葉も教えてもらったし。世間知らずのことですが、ご婦人の故郷ではこういうみたい。確かに「向こう見ず」という言葉があるんですから、「世間見ず」があってもおかしくない。でも、響きがとても新鮮でした。

 ご婦人と別れて、明治通りをさらに東へ進みました。泪(なみだ)橋から白髭橋へ。なぜ泪なんて叙情的な名前がついているかというと、このあたりは昔、日雇い労働者の多く集うところだったそうなんです。仕事や人生の過酷さに泪が流れるから泪橋。界隈には素泊まり2100〜2400円の「ビジネスホテル」がたくさん軒を連ねていて、なんとなく今でもその面影が残っています。でも、そうしたホテルの中には「バックパッカーズホテル」とコンセプトを変えて、外国人観光客相手の商売を始めたところも。したたかです。

 白髭橋は隅田川にかかる橋です。たもとにはある華族の別邸があったことを示す石碑がありました。明治天皇が行幸したこともあるらしい。時代はずれているのかもしれないけれど、てっぺんの生活と底辺の生活が隣り合わせの土地柄だったんですなあ。

 渡ったら隅田川沿いに南下を開始です。このあたりに来ると、だんだん首や肩が痛くなってきました。歩く姿勢がなってないんでしょうな。もう、これ以上歩けないかも、と思ったところで、言問団子と長命寺さくら餅の店に行き当たり、これ幸いと休憩することにしました。どっちに入るか迷ったんですが、食べたことのないさくら餅に挑戦することにしました。店はちょうど、歩こう会かなにかの団体さんでごった返している最中。歩いていったのでなければやめていたと思うんですが、座りたい気持ちの方が勝ちました。さくら餅二個と煎茶で450円。さくら餅は豪勢にも3枚のさくらの葉っぱでくるまれていました。あんこが甘くて、皮が上品で、葉っぱがしょっぱい。その組み合わせの妙が名物の所以なのでしょう。でも、やっぱり関西人としては、さくら餅はさくら色の餅米であんこがくるまれていないと気分がでないなあ。台風一過で団体さんが去ると、明らかにビジネスで来たとわかる二人の男性が入ってきました。だって背広着ているんですもの。たぶん百貨店の人でしょう。催事に出店してもらうのかな。 
 
 休憩して元気を取り戻したので、そこから先は向島をジグザグに南下していきました。大きな通りを選んで歩いたせいか、首都高の入口出口は見たけれど、この街の色気みたいなところは感じずじまい。いつか向島を主体に裏道を歩いてみるとおもしろいかもしれないなあと思いつつ、業平橋に到着。そこから四つ目通りに流れて、あとは錦糸町まで一直線に南に約1キロ歩いてゴール。視界にLOTTE PLAZAの看板が目に入ったときはうれしかったですねえ。12時すぎにうちを出て、錦糸町に到着したのは4時でした。

 錦糸町の駅前広場に出ると、一台のワンボックスカーがちょうど私の目の前で止まりました。降りてきた人を見てびっくり。長命寺さくら餅の店で最後に入ってきたビジネスマン二人組だったのです。商談のあと、お店の人に送ってきてもらったんでしょう。向こうは私のことを認識していないのですが、まったく別の活動をしていながら、同じ日に二度も遭遇するなんて。こんな偶然ってあるんですね。

 錦糸町には太平商店というちょっと卸っぽい乾物屋さんがあります。そんなに珍しいものはないんですけど、普通の店より量が多くて価格が安め。伊勢丹とここでかなり買い込みました。東南アジアの食材を扱う店にも行きたかったんですが、すでに荷物が重かったので、バスと電車を乗り継いで帰りました。

 次の日。体がガクガクになるかと思ったら、意外に平気でした。私の体もまんざら捨てたものではないかも。でも、この日は刺繍をしなかったので、ちょっと後ろめたい気持ちになりました。

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