不精モノの例外項目

 サイトのタイトルを見ておわかりのとおり、筋金入りのインドア人間であります。とにかく家でじっとしていることが好き。でかけるのは、運動不足のあまりウエストを消失したり、足が退化してはまずいからしかたなく…、という感じ。基本的には縦のものを横にするのもいやという不精モノです。

 なかでも至福の時間は、ビデオで映画を見ているとき。こう、レンタルビデオをかたわらに5、6本積み上げてですね、次から次へとひたすら見る。微動だにせず、せんべいもポップコーンも食べずに見続ける、というのが昔からの最高の映画鑑賞法。ただ、そういう日は、もう年に2、3回しか持てなくなっちゃいましたけど。

 その私が料理に関してだけはなぜこまめに体を動かすのか、自分でもずっと不思議でした。乾物の品揃えがいいときけば千里を遠しとせずに出かけ、棒だらの戻し水を毎日毎日忘れずに取り替え、エトセトラ、エトセトラ。食いしん坊だからというのは、確かに一つあります。食べたいものを食べたいときに作るには、自分で作るしかない。でも、一人暮らしなんだから、別にもやしのひげ根はとらなくても誰も文句いわない。なのに、とるんです私。面倒くさいんですよ。とても面倒くさいんだけど、なぜかやってしまう。なんでだろう? 自分ながらその理由がよくわかりませんでした。

 あるとき、テレビにニット作家の広瀬光治先生が出演していて、司会者が「先生はどうして編み物をずっと続けてこられたんですか」と聞いて、彼がこういったんですよ。「手を動かしていると、心のトゲが抜けていくのよね。」(このキャラクター、大好き。広瀬先生は無垢な人です。)ああ、これだ、と思いました。私が名うての不精モノにもかかわらず、料理にだけにはまめな理由。

 スーパーの棚から一番いい大根を探し出している時間。そら豆のさやをむいている時間、粕漬けのかす床を作っている時間。小松菜をゆでている時間。私のまわりには食材の色やにおいや感触が確かにあって、すごく人間的な時間が流れていたんですよね。

 私が身を置いているITの世界は、ラットイヤーといわれて1秒でも先に前に出た方が勝ちというような効率を争うところだけど、促成のふろふき大根なんてありえない。ちゃんと手を動かして、それ相応の時間を使って初めてできあがるモノ。太古の昔から、人が生きるために営々と繰り返してきたコト。それを自分の生活とすることで、私は心のバランスを取っているのかもしれません。

 問題は、この精神が現在料理にだけしか生かされていないこと。もう少し、もう少しでいいから、掃除や整理整頓という分野にも情熱を注ごうね、育代さん(笑)。

戻る このサブジェクトについてメールを書く