こんなに重いと思わなかった

 「21グラム」を観てきました。ベニチオ・デル・トロの最新公開作だったからです。アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされた作品だったからです。しかし。シリアスな話だとは聞いていましたが、予想以上に重かった。それなりに救いのようなものは用意されているのですが、ハッピーエンドにはほど遠く、劇場の客電がついてもすぐには立ち上がれませんでした。周囲からもうめき声が聞こえてきました。いまだに心の中に重いものを引きずっています。
 
 重い心臓病を患って余命1ヶ月を宣告された数学者とその妻、これが家族A。やさしい夫と幼い二人の娘を持つ妻、これが家族B。その昔悪行の限りを尽くしたけれども今は信仰を得て悔い改め、しかし昔の悪行のためにどん底の生活を送らざるを得ない男とその妻子、これが家族C。物語はこの3組の家族をめぐって進みます。ベニチオが演じるのは、家族Cのどん底の男です。
 
 ある日、どん底の男があやまって家族Bの夫と二人の娘を車ではねて逃げます。目撃者はなく、放置されたために二人の娘は命を落とし、夫も脳死状態になります。夫は心臓移植のドナー対象者となり、妻はしぶしぶ承諾。その夫の心臓は家族Aの数学者に提供されます。それにより数学者は奇跡的に回復するのですが、彼は元の生活に戻らず、心臓を提供してくれた人物とその家族を探し始めます。そしてたった一人この世に取り残されて、悲しみに打ちひしがれている妻に近づいていくのです。一方、どん底の男はその後自首して刑に服します。しかし、自分の犯した罪の大きさに苦しみ続け、出所後しばらくして逃げるように家を出ます。

 突然幸せのすべてを奪われてしまった家族Bの妻は、麻薬やアルコールに溺れていきます。そんな彼女をなぐさめ、愛を告白する数学者。彼女がひき逃げ犯に復讐したいと知った彼は、彼女にかわって失踪したひき逃げ犯を探し出し殺そうとします。しかし、そこでまた新たな事実がわかってくるのです。数学者の体は新しい心臓に拒絶反応を起こし始めており、再び別の心臓を移植しなければ遠からず確実に死ぬということが。絶望的な状況に取り巻かれながら、数学者が最後に取った行動とは・・・。
 
 この数学者をショーン・ペンが演じているんですけどね。どう見ても数学者には見えないという点を除けば、死の淵に瀕し、奇跡的に回復し、また死の淵に帰っていく男を好演していました。これでアカデミー賞の主演男優賞を取ったと思っていたんですが、調べてみると彼は「ミスティック・リバー」の演技でもらっていたのでした。
 
 海外の放送局が製作したテレビ番組を日本で編集して流す番組がありますしょう? そこで、心臓は脳に似た働きをする組織を持っているという話を放送していたことがあります。数学者が家族Bの妻に近づき、理屈を越えた愛情を注いでいくあたりを観ていて、この映画の製作者は絶対その番組を観たなと思いました。心臓の記憶がこの物語を動かしていく大きな要素になっているんです。しかし、「21グラム」というタイトル自体は、老若男女に関わらず、人間は死ぬと正確に21グラムだけ体重が減るという事実から来ているようです。そうするとその21グラムは魂の重さなわけで、心臓そのものとは直接関係ないような気がするんですけどね。
 
 悲しみのどん底に突き落とされる妻を演じているのはナオミ・ワッツです。彼女の失意や荒れようの描写がしつこいくらい克明で、寿命以外の理由で親しい人を亡くしたことのある人にはこの映画はつらすぎると思います。そういう経験のない私でも、なんともいえない喪失感に襲われましたから。なにもあそこまでやらなくてもいいのに。

 この映画は、時系列が飛び飛びに編集されていて、観客は自分の頭の中で時間の経過を整理していかなければなりません。クリストファー・ノーランの登場以来、こういう編集をほどこした映画が増えました。映画的にはその方がおもしろいし、斬新に見えるんですけど、観ていてすごく疲れるんですよね。映画を観ているときには画面に集中したい私としては、頼むから素直に時間を追ってくれよ、と思ってしまいます。

 私のベニチオは、白髪を増やして、ビール腹を作って、不精ヒゲも生やして、“おっさん臭”を前面に押し出してどん底の男を演じていました。この人はほんとに作品の中に溶け込んでしまうのがうまいです。何をやっても地が出る俳優がいるけれど、彼はその逆。まったくカメレオンみたいな人です。

 ハリウッド的なオチを作らず、命という重いテーマに真正面から立ち向かった意欲作であったことは確か。でも、じゃあ結局メッセージは何なのっていうと、あんまりストンと落ちてこなかったんですよねえ。役者の好演が際立っていただけに、そこが残念といえば残念かな。 

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