感謝されなかった人命救済

 日比谷線の銀座駅で電車を待っていました。足がつらくなっていたので、かばんを床に置き、柱に体の右側を持たせかけていたら、いきなり背中にものすごい加重がかかってきました。「えっ? えっ?」と何が起こったかわからないまま、その重みに押されるようにして前へ2、3歩つんのめるように進んでしまいました。

 振り返ってみると、おじいさんが私のかばんの上にばったりと倒れています。おじいさんは動きません。思わず「救急車!」といったら、おじいさんは「いや、いい」と声を出しました。どうやら杖がわりに持っていた傘が濡れた床ですべって、バランスを失ってしまったようです。元気なのは判明したのですが、立つ気配はありません。しっかり意識はあるのですが、腕や膝に力が入らないのか立つことができないようです。周囲にいたサラリーマンが「おじいさん、立てないの? 起こしてやろうか」と声をかけました。おじいさんは「ああ、起こしてくれ」といいました。サラリーマンが二人がかりでおじいさんを起こしました。おじいさんは満座の中で転んだのが恥ずかしかったのか、「いやいや、どうも」といってそそくさとその場を立ち去ろうとします。しかし、傘を杖にしていても、おじいさんの歩行はかなり危うい感じです。そのとき若い駅員さんが飛んできました。ひょこたんひょこたん歩いているおじいさんに彼が「大丈夫ですか」と声をかけると、おじいさんは「大丈夫」といいました。でも、ちっとも大丈夫そうじゃないので、駅員さんはおじいさんのズボンのベルトの後ろをつかんで、一緒に歩いていきました。傘は杖がわりにはならない。後ろ姿を見送りながら、私はそう思いました。

 それで現場は解散となったのですが、そこで思ったことは「私への謝罪と感謝は?」。よく考えてみると、そこに私がいて、私のかばんがあったから、おじいさんは頭から床に落ちずにすんだんですよ。雨コートを着ていなかったら、おじいさんの頭が帯の太鼓に引っかかって私も転ばされていたかもしれません。かばんにたまたまノートPCを入れていなかったのもラッキーでした。こんな風に二次災害の危険があったんです。偶然とはいえ大事故を防いだ私に、もうちょっと何かあってもいいんじゃないの、と思ってしまいました(笑)。

 同時に思ったのは、背中を無防備にさらしていることの怖さです。背中だけに何かが触れるのって怖いですよー。あれが通り魔だったら、私は完全にアウトでした。これからは背中をぴったりと柱か壁につけていよう。どちらかの手も必ずあけておかないと。プロの殺し屋のように気をはっていないと、今の世の中、何に遭遇するかわかったもんじゃありません。

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