私は信じます

 「Life of Pi」を読みました。刊行されたのは2001年なのに、いまだにアマゾン・コムの小説・フィクション部門のベストセラーにとどまっている作品です。ベストセラーがすべてと思っているわけじゃないんですけど、読んでそれだけのことはあると思いました。

 Piはインド人の男の子。ほんとうはもっと長い名前があるんですけど、誰にもちゃんと読んでもらえないので、自分でPiをあだ名にすることに決めました。ピじゃないですよ、パイ。円周率のπと同じ発音。実はこれが物語の伏線であったりします。

 Piはなぜか小さなときから神さまが大好きで、民族の宗教であるところのヒンズー教のみならず、キリスト教、イスラム教の信者にもなります。どれか一つじゃなくて、全部の信者なんです。そして、どの宗教の集会にも熱心に通います。あるとき、町なかでそれぞれの宗教の指導者とPiの家族が鉢合わせするんですが、3人の指導者がPiは自分の宗教の信者だと言い張ります。宗教家がお互いの神を批判しあっておかしい場面です。お父さんは自分の子ながら神さま好きのPiをどう扱っていいかわからず混乱しています。

 さて、Piのお父さんはインドの小さな町で動物園を経営していました。しかし、先行きが暗いので動物を売り払い、一家揃ってカナダに渡ることにしました。何匹かの動物と一緒に、パナマ船籍の日本船に乗り込んで一路カナダに向かうPi一家。ところが、あろうことかその船がマニラ沖で沈んでしまうのです。奇跡的に生き残ったのがPiとシマウマとハイエナとオランウータンとベンガルタイガー。そこから、一そうのライフボートを舞台にPiの漂流生活が始まったのでした。

 1977年7月2日、マニラ沖で日本船が沈んだのは事実です。227日後の1978年2月14日、インド人の男の子が救出されるのも事実(227日というのは漂流記録で世界一らしい)。そう、Piは実在の人物です。このとき彼は16歳の少年でした。この物語はたった一人のサバイバーであるPiの回想をもとに綴られています。その内容はものすごくリアリティに満ちていながら、ものすごく幻想的でもあり、一体全体こんなことが起こりうるのかという思いにとらわれずにはいられません。これがドキュメンタリーではなく小説という形で発表された理由がわかるような気がします。
 
 ライフボートには非常用食品やサバイバルグッズが搭載されていて、最初はPiの生活にも余裕がありました。ところが、広大な太平洋でそばを通りかかる船はなく(一回遭遇したが発見してもらえなかった)、しだいに食料も水も尽きていきます。そしてベンガルタイガー(名前はRechard Parkerという)の存在! あとの動物は弱肉強食の世界でいなくなってしまいました。今はRechard Parkerも運よく魚や亀が釣れた日にその肉を分け与えてくれる存在としてPiに敬意を表しています。しかし、極限の飢餓がやってきたらどうなるか誰にもわかりません。Piは二重の意味で死の恐怖を感じつつ、神と明日を信じて毎日をサバイバルするしかないのでした・・・。

 作者の記述でPiが救われることはわかっているんですけど、どうやって救われるのか、Rechard Parkerとの関係はどうなるのか、最後の最後までわからなくてドキドキしました。そして、それは予想をはるかに裏切る結末でした。淡々とした語り口なんですけどね。内容がほんとに極限の話なんです。これを読んでいる間、日常的に不自由なことが起こっても、太平洋上にいたPiの環境とは比べものにならないわと自分で自分を戒めたりしていました。

 話の最後に日本人が出てくるんですよ。日本船沈没の理由がわかるんじゃないかと思って、Piを事情聴取しにくる役人2人がそうなんですが、3人のやりとりを録音したテープがそっくり残っていて、そのまま再現されているんです。なんかここだけすごいコメディなんですよね。質問がいちいち的外れで、これだけ読むと、日本人ってバカなんだ、って思います。

 円周率πって3.141592・・・って割り切れずに、循環もせずにひたすら続いていくじゃないですか。そのこととPiの終わりの見えなかった漂流生活が掛けられているんですよね。円周率はおよそ3、なんてアバウトな教え方をしている国では楽しめない類のウイットです。

 Piの奇跡の体験を、欧米人は神の存在を証明する宗教的なものにしたがっているみたい。でも、私はそれとはまた違って、人生の振れ幅と地球という自然の極限例として彼の身に起こったことを信じたいと思います。

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