自主規制という逃走

 この本のことはある人への取材中によもやま話で教えていただきました。「放送禁止歌」(森達也著、解放出版社刊、本体1,800円)。

 放送禁止用語という言葉はなじみが深いですよね。ときどきテレビで「ピー」という音が入って、発言者の言葉が消されていますから。あのとき、発言者は“テレビでいってはいけない言葉”をしゃべっているらしいです。それと同じように、テレビの世界には放送禁止歌というのもあるのだそうです。----歌詞に人権侵害、暴力、セックス、退廃、下品と判断されるおそれのある表現が入ったものはテレビで歌ってはいけないことになっている----。その事実に着目したのは、フリーランスのテレビディレクター 森達也氏。ドキュメンタリー番組の題材としておもしろいのではないかと思い、テレビ局に対し、機会があればいくつかの企画の中にまぎれこませる形で提案してきました。しかし、インパクトのありすぎる印象のせいか、どこの局にも取り上げられず、長い間日の目をみることはありませんでした。

 ところが、1999年になってフジテレビがこの企画にGOを出します。条件は“やるなら徹底的にやること”というものでした。そこから、ドキュメンタリーを制作するための森氏の取材が始まります。放送禁止歌を持つ歌手、正式には「要注意歌謡曲一覧表」という名前のリストを制作し、各テレビ局に配布している民間放送連盟、ある歌を歌うことにクレームをつけたという部落解放同盟。関係者への取材を進めていくうちに、森氏は大変な事実につきあたります。歌ってはいけないと規制している主体が、どこにも存在しなかったからです。民放連のリストは単なるガイドラインにすぎず、最終的な放送の判断はテレビ局にゆだねられていました。部落解放同盟からは、“歌にクレームつけたことなどない”という答えが返ってきました。結局、テレビ局は“どうもこの曲は放送禁止らしいから放送しないでおこう”と、その理由をつきつめることもなく自らを規制していたのです。

 この本は、番組を見たデーブ・スペクター氏が森氏にすぐさま連絡を取り、放送までの経緯や取材のプロセスを、米国での放送禁止歌事情も含めて本を書くように勧め、それが実現したものです。最初はいくつかの企画の一つでしかなかったものが、突然現実となり、取材を進めていくうちにどんどん深みにはまっていく様子が、誠実に語られていて好感が持てます。請け負いもやるけれど、企画を出して採用されたら初めて仕事になるというフリーランスのテレビディレクター業は、私の仕事とオーバーラップするところがあって、“そもそもドキュメンタリーという表現ジャンルを、企画書という文章で撮影前に規定することに無理があると個人的には思っている”というところとか、うなづけるところが多かったです。

 ただ、このテーマのもともとの趣旨からいえば、日本の放送禁止歌事情が大命題なので、米国事情はばっさりカットして、テレビでは間に合わなかった取材対象者を追いかけて、より深く深く掘り下げてほしかったなあと思いました。

 放送禁止歌と聞いて、私はすぐになぎら健壱氏の「悲惨な戦い」を思い浮かべたんですが、リストは思ったよりかなり長いものでした。見たら驚きますよ。なかには、こんな曲まで放送禁止だったの?っていうものが。ピンクレディーの「S・O・S」とか、さだまさしの「朝刊」とか。黒沢年男の「時には娼婦のように」も、時間帯によっては配慮が必要な曲となっています。一時はあんなにガンガン放送してたのに。

 私が前述した“ある歌”というのは「竹田の子守唄」です。この本では、4章あるうちの1章がこの美しい旋律を持つ子守唄のストーリーのために割かれました。竹田は大分県の竹田市ではなく、京都府京都市の竹田。同和地区です。ここでは、どのように竹田の子守唄が世に出ることになり、どのように表舞台から消えていったかが詳細に記されています。

 この歌をレコーディングした赤い鳥は最初、そのことを知りませんでした。テレビ局も知りませんでした。しかし、全国的な大ヒットとなったことで、そのルーツが探られ、一気にこの歌は放送禁止に追いやられてしまいます。数年前、フォークのリバイバルブームで赤い鳥のベストアルバムがリリースされましたが、その中にも彼らの最大のヒット曲である「竹田の子守唄」は収録されていません。赤い鳥のメンバーであった後藤氏はこのことについて森氏に、“選曲はレコード会社によるもので、私たちは関与していない。ライブでは30年間、これが同和地区の歌であると知ってからも竹田の子守唄を歌いつづけている”と語りました。

 関西出身の私にとっては同和問題は他人ごとではありません。この書評を機会にちゃんと言及したいと思ったのですが、考えがどうもまとまりませんでした。さっきから何度も書いては削除する繰り返し。それだけ問題が深刻だということでもあるのですが、これについてはもう少し時間をかけて考えてから、別に項を設けて取り上げたいと思います。

 テレビなんか、数あるメディアの一つにしか過ぎません。放送禁止というと非常に強い否定の言葉に聞こえ、ショックを受けてしまうけれど、その規制の根拠がこんなにもあやふやなのを知って、嫌悪感を抱いてしまいました。くさいものにはフタをするだけでやりすごす人たち。テレビで放送されないからといって、その歌の本質とは何の関係もないのです。逆に、ほんとうに人の心に訴える歌、反骨精神に満ちた歌、おもしろい歌はテレビでは聞けないと思った方がいいのかもしれません。

 森氏はにいい問題提起をしたと思います。実は、2月3日から一週間、「放送禁止歌ショウ」というイベントが東中野でありました。このドキュメンタリー本編の上映とこの中に登場する放送禁止歌を持つミュージシャンのライブが日替わりで行われていたのですが、ちょうど腰を痛めてしまった時期と重なって行けませんでした。とても残念。また、機会があることを心から願っています。   

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