優柔不断という原罪

 男の人は基本的に優柔不断にできていると思います。「右? 左? さあ、どっち?」と尋ねたら、間髪をいれずに「右!」「左!」と答えてほしいのに、「うーん」とかはぐらかされちゃって、思わずカクッと来ることがこれまで何度あったか(笑)。父親を含めてこれまで私が接してきた男性のうち、かなりの確率でこの事実が当てはまるので、もうDNAに組み込まれちゃってる性格因子じゃないかとひそかに推測しています。私の人生の真理リストにもしっかり載せてしまいました。“男はすべからくグレーな生き物であり、女はすべからくブラック&ホワイトな生き物である”(笑)。

 優しいんでしょうね。そして欲張りなんだと思います。選ぶということは捨てるということでもありまして、すべてを手に入れたい、四方を丸く収めたいと考えている殿方にとっては、誠に耐えがたい決断なのでしょう。でも、そんな風には世の中いかないものなのだ。それをなかなか学習していただけないところに、相手役を務めるわれわれ女性陣の悲劇があり、喜劇があります。

 今まで、この真理の存在と切なさを一番認識しているのは女性、と思っていたのですが、何と男性の側から問題の核心に触れる小説が提示されてしまいました。それがハ・ジンの「待ち暮らし」です(早川書房刊、土屋京子訳、本体価格2,300円)。読んで最初の感想は、“あーあ、書かれちゃったよ。それも男性に”というものでした。

 ハ・ジンは中国に生まれ、現在は米国に在住している中国人作家です。現在44歳。中国にいたころは大学で米国文学を専攻したものの、作家になる気はありませんでした。29歳のときに米国にわたって、ボストンの大学で創作を本格的に学びます。このときもいずれは中国へ帰るつもりだったのですが、テレビで天安門事件を知ってショックを受けます。“もう母国で作家を続けることはできない”と悟り、英語で書くことを必死に学んだのだそうです。「待ち暮らし」はいくつかの短編小説集の後に発表された長編作品で、1999年の全米図書賞、2000年のPEN/フォークナー賞を受賞しました。1つの作品が2つの文学賞をダブル受賞するのは米国でも前例のないことなのだそうですが、本国中国ではこの快挙もまったく報道されておらず、ハ・ジンの作品は一冊も刊行されていません。

 すごく気の長い話なんですよねー。主人公、孔林(クォン・リン)は人民解放軍の軍医。自分たちの面倒を見てくれる働き手を必要とする両親に懇願されて、淑玉(シュユイ)と見合い結婚をします。しかし、彼女は性格はいいものの、容貌が今いちで、しかも時代遅れの纏足の持ち主。嫌いというわけではないものの、“自分とは釣りあわない相手”と林は軍の仲間に紹介するのを恥ずかしく思っています。そのため、妻子を田舎の実家に置いたまま、都会の陸軍病院の職員寮で一人暮らしをし、毎年夏にやってくる12日間の年次休暇のときだけ帰省する生活を送っています。
 そのうち、林は病院で看護婦として働く呉曼娜(ウー・マンナ)と恋仲になり、結婚を誓うまでになります。そして帰省するたびに妻に離婚してくれと頼むのですが、妻が裁判所で泣き出したり、妻の弟が邪魔したりして、毎年離婚の試みは挫折します。しかし、林にはなんとしても離婚を成立させてけじめをつけようという強固な意志もなく、かといって曼娜と別れることもできません。宙ぶらりんのまま彼は18年という長い歳月を待ち暮らします。なぜなら、軍の内規で別居が18年以上続くと配偶者の同意がなくても離婚を認められるからです。そうしてようやく愛する曼娜との結婚がかなうのですが、いざ結婚してみると、それが本当に自分の望んだものだったのかどうか林は迷い始めるのでした……。

 最初にいっておきますと、18年、林と曼娜はいわゆる愛人関係の間柄にあったわけなんですが、彼らには結婚するまで一度も性的関係はありませんでした。それでも愛人関係であると、本人も周りも認めてしまうところが、なんとも4000年?の歴史を持つ中国ですよねー。日本人ももともとは奥ゆかしい民族だったと思うけど、平安時代だって18年は待てなかったと思うなあ(笑)。この時間感覚の違いは、なかなかにカルチャーショックです。ほかにも中国ならではと思われる風習や価値観が随所にあって、観察するにはおもしろいけど住むには大変そうな国です。

 この林という男は、軍に所属している割には、高等教育を受けたからか、共産主義にはそれほど染まっていません。軍のやり方を俯瞰で見ているようなところがあって、日本でいえば夏目漱石がよく描いた高等遊民みたいな感じです。それでもやはり完全に自由にはなりきれていなくて、その姿を俯瞰で見ているハ・ジンがいます。そうした視線の入れ子構造がおもしろいと思いました。

 しかし、学はあっても、女の好悪は美醜がすべてで、思わず“しっかりせんかい!”と背中をたたきたくなるほど決断力がなくて(笑)。ここまで自虐的にならなくてもよかったかも、と思うぐらい、男の人の原罪がきめこまやかに描かれています。最初は私も登場人物の誰にも肩入れせず、客観的に読んでいたんですよ。“林の気持ちもわからんでもない”なあんて余裕を見せていたんですが、最後の最後になって、“あー、あかん、この人は。救いがたいほど情けない”と思ってしまいました(笑)。

 林の内面描写はよく書けているんだけど、まわりの人間が少しだけ類型的かな。まあ、気になるほどではありませんが。話は淡々と進むので、“小説はやっぱり血湧き肉躍らないとねー”と思っている方にはお勧めしません。でも、絵になり、、じゅうぶん心を打つ話なので、ぜひチャン・イーモウかアン・リーあたりに映画化していただきたいですね。それにしても、英語で書かれたものがここまで中国漢字入りの日本語翻訳になることに感激しました。訳者の熱意がしのばれます。

(ごめんなさい、表紙の写真はノートPC不調のため割愛します)

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