さて、この人物はだれ?

 「超難問 世界文学クイズ」(ジョヴァンニ・マリオッティ著、鈴木昭裕訳、白水社刊、本体価格1,800円)という本がありましてね。と聞いたら、どんな本だと思われます? 古今東西の名作が出てきて、“「嵐が丘」のヒロインの名前は?”とか“モビー・ディックとは何の名前ですか?”と聞かれると思うでしょう? それが違うんです。作家を当てるクイズなんです。作家の人生がミステリアスに紹介されて、最後に“さて、この人物はだれ?”と来るんです。たとえば、こんなぐあい。

中学教師になりそこねて

 ジョーゼフ・コンラッドはポーランドに生まれ、英語で書いた。サミュエル・ベケットはアイルランドに生まれ、フランス語で書いた。
 名声ではひけをとらないその作家は、杓子定規な役所の決定にはばまれさえしなければ、イタリアで中学教師になっていたかもしれない。
 五年間、イタリア語で文章を書きつづけ、イタリアの地方紙にも頻繁に記事を寄せていた彼が、イタリアの公立中学の英語教師の採用試験に臨んだのは三十歳のときのことだった。
 1912年4月24日から30日まで、試験はパドヴァで行われた。
 英語の書き取りを含め、数多くの科目を受験、いずれもみごとな成績で合格した。
 二ヵ月後、教育省の諮問委員会は、試験は無効であると彼に通告した。志願者の出身国での学位がイタリアでのそれとは「同等」とはみなされないというのが言い分だった。
 イタリアの中学教師になりそこねた青年作家は、まずチューリッヒ、つづいてパリに移住、そのパリで60年の生涯を終えた。

 さて、この人物はだれ?

 わかりました? 答えはジェームズ・ジョイスです。こういう問題が77問続くんですが、超難問というだけあってめちゃくちゃ難しいんですよ。私は6問しかわかりませんでした。答えを聞いて、“ああ、あの人”といえるならまだ救いもあるんですが、“一体それ、だれ?”という人がいっぱい。作者がイタリア人で、ヨーロッパの古今の作家を多くとりあげているので、ちょっと不利な戦いではあるのですが、それでも世界名作全集に登場するビッグネームもちゃんと並んでいて、いかに私が世界の小説に疎いかを思い知らされました。

 文豪と呼ばれる人たちって、素顔はかなり奇人・変人で、あまり幸福に生きていませんね。78年の人生のうち23年を精神病院で過ごした人や、奴隷生活を経験した人や、死ぬまで病気と闘っていた人や、死刑になった人や。バルザックはことごとく事業に失敗して、借金返済のために「ゴリオ爺さん」とか「従妹ベット」を書いていたのだそうです。そういう生活をしていたのに書かれたものがすべて人間喜劇だというのですからおもしろい。意外だったのは、「ガリヴァー旅行記」のスウィフトです。愛してくれる女性を激しく憎み、敵と接するように友とつきあい、最後には狂人になってしまいました。「ガリヴァー旅行記」はもともと同胞たちへの憎しみを書き綴ったもので、後年、その同胞たちが子供向けに書き直したのだそうです。

 77人の中に日本人作家は4人。少ないような気がするのですが、アジアから選ばれているのは唯一日本だけなので、これでよしとしなければならないのかもしれません。さて、この4人はだれでしょう? 答えは、紫式部、井原西鶴、谷崎潤一郎、三島由紀夫。この作家はどうやら耽美的な小説が好きみたいですね(笑)。でも、フィルターはかかっているにしろ、これが外から見た日本文学の見え方なのでしょう。

 最近、よく思うんですよ。小説にとって最も重要なことは、賞を取ることでも、同時代人に受けることでもなくて、時の淘汰に耐えることだなあ、と。「源氏物語」のように後世が伝え続けてくれる作品を残すことができるかどうか。それが作家として生きる人の最大のチャレンジなんだと思います。そんな作品が一生に一作持てればいいですよね。スティーブンソンは「宝島」、セルバンテスは「ドン・キホーテ」。もっとつきつめていえば、作家が誰かということすらどうでもいいのかもしれません。作品さえ永遠の命を得ることができれば。その意味では、「桃太郎」や「浦島太郎」のお話を作った人が、天国でいちばんハッピーな思いをしているのでしょうね。

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