ライ麦畑につかまった

 The Catcher In The Ryeは、私が学生時代に最初に読了した英書です。しかし、当時はよくストーリーが理解できませんでした。少年がやたら動きまわる話ということだけは何とかわかったんですが、内容をじっくり咀嚼するところまで英語のレベルが到達していなかったのです。でも、よくわからなかったのにもかかわらず、日本語で「ライ麦畑でつかまえて」を読むことはしませんでした。
 
 時は流れて幾星霜、村上春樹氏がこの本の新訳を出すという話を聞きました。村上訳なら読んでみたいかなと思ったのですが、私が実際にしたことは「サリンジャー戦記」という村上氏と柴田元幸氏による、この新訳プロジェクトをめぐる前後譚の新書を読むことでした。
 原作を把握しておらず、村上訳を読んだわけでもないのに、前後譚だけ読むのは本末転倒といえましたが、これがおもしろかったのです。この作品が誕生した背景や、サリンジャーという作家の人となりや、英語から日本語に翻訳するときのニュアンス表現へのこだわりが、私の中の好奇心をくすぐったんですね。で、私は向かいました。どこに? 今一度、原作に。二人のこだわりを理解するためにも、やっぱり英語でThe Catcher In The Ryeを読まないと、と思ったのです。
 
 この小説は、大雑把にいえば、全寮制の学校を成績不良で退学になったホールデン・コーフィールドという16歳の少年が、まっすぐうちに帰らずにニューヨークの街をさまよい続ける話です。このときのエピソードを病院にいるホールデンが誰かに語って聞かせているというスタイルをとっているんですが、この病院というのはどうやら精神科系の病院のようなのです。

 今回は難なく読めました。心にストンストン落ちてきて痛いほどでした。無垢なるものの傷つきやすさがよく描かれていて、なんだかホールデンに共感しちゃったんですよ。彼は、少年らしい潔癖さからか周りの大人や友人たちをすぐ“インチキくさい”と断罪するんです。私にもそういう風に世間に対して壁を立てて生きていた瞬間があったので、ホールデンは私に似てると思いながら読んでいました。あそこまで病的に意固地じゃないですけどね。最初に読んだときに、わけがわからなくてよかったと思います。そのときだったら、ホールデンと自分を完全に同一視してしまっていたでしょう。 
 
 「サリンジャー戦記」によると、ジョン・レノンを射殺した人やレーガン大統領の暗殺を企てた人の愛読書がともにThe Catcher In The Ryeだったそうです。どうもこの小説は心に問題を抱えた人のよりしろになってしまうみたい。それを読んでいたので、ホールデン君に共鳴してしまった私も心に何か問題があるってことかしら、とちょっと心配になったりしています。
 
 ペーパーバックを読了したので、次は村上訳と思って本屋さんに行ったのですが、買えませんでした。パラパラと立ち読みして、これは私が英語で意味を受け取ったものと肌合いが違うと思ってしまったのです。ホールデンのキャラクターがちょっと乱暴になっている気がしたんですよね。原作はもっとセンシティブなのに。原因は翻訳というものの限界性にあるのだろうと思いつつ、できあがった世界を壊したくなかったので、そのまま帰ってきてしまいました。
 
 もう一回頭から読もうかな。かなり気にいってます。愛読書はThe Catcher In The Rye、と公言するようになったら問題ですかね。

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