フレミングの法則
四谷から、よそいきの雰囲気を漂わせた親子連れが乗ってきた。
平日の昼間だから席は空いている。
お父さんはバーバリー風コートを着ていた。二人分の空間を目算してやり過ごし、両手をポケットにつっこんだまま、無造作に座る。ボタンの留め方がいい加減で、コートの下から濃紺のスーツがのぞいている。上半身をまるっきり座席の背に預けているから、がにまた座りをほどくとそのまま床へずり落ちてしまうだろう。なんだか、事件に巻き込まれてしまった通行人、といった表情を、お父さんは浮かべている。
お母さんはドアのそばに座った。真珠のネックレスに黒のツーピース。彼女は独身時代、相当ファッションにお金を使った人だろう。小ぶりのケリーバッグを膝に置き、前かがみで「学校案内」と書かれたパンフレットに目を通す。
男の子はといえば、グレーのブレザーに同色の半パンツ。エンジの蝶ネクタイも、この年頃ならかわいらしい。しかし、こちらの思いなど知らぬ気に、お父さんとお母さんにはさまれて、男の子はエナメルの黒い革靴をブラブラさせながら、鼻の穴をほじくっていた。
お受験のシーズン。東京の特異な親子愛。この三人は、面接で何を聞かれたのだろう。うまく、やりおおせたのだろうか。誰も、何も、しゃべらない。フレミングの法則みたいに、三つの顔は三つの方向を向いている。
見るとはなしに見ているうちに、三人は私の前で年をとり始めた。
このお母さんは、太れない体質の人らしい。だんだん胸の肉が落ち、体のカサがなくなっていく。細い指に続く手の甲に筋が走る。鼻筋の通った濃い顔だちに深いシワが刻まれる。眉尻にかすかにケンが浮かんだ表情。それは夢に描いたほどには思い通りにならなかった人生に控訴しているかのようだ。
お父さんは、お父さんの髪には幸と不幸が半分ずつ訪れた。前髪が後退して白髪になったのだ。漂白したおぼろ昆布のような頭は、人によってはダンディに見えるかもしれない。しかし、長年日にさらされた肌は、老人斑からまぬがれようもなかった。男は年をとると肩が落ちて猫背になるらしい。お父さんは、がっかりした人に見えた。おまけに大きなあくびのおかげで、生きることに飽きてもいるようだった。
男の子は、背が伸びた。膝があんなに上を向いている。その下の長さから察するに、地下鉄のドアならくぐらないと通れないだろう。パーマのかかった前髪がまゆ毛にかかる。その下の目は澄んでいる。だが、そこにたいした意志はない。まだ彼は何も見つけていない。
三つの顔はやっぱり三つの方向を向いたまま、それぞれの物思いにふけっていた。
“グッドラック”とつぶやいて、新宿駅で私は降りた。