出勤風景
その人は向こうからやってくる。私はそちらへ歩いている。午前9時。軍隊行進のような人の波。こんなにたくさんの人々がまるっきり他人で、一人一人に違う行き先があるなんて。都会はなんて多重構造なんだろう。
その人も他人だ。私たちは出会わない。近づいているのはわかっているのに、すぐそばにいるほかの人たちのことはよく見えるのに、私たちは出会えない。間に太くて丸い柱があって、その人と私は隔てられている。
会えばきっと、どうということはないのだろう。その人は生活を背負って働くタフな年配女性かもしれないし、生気のない顔をしたヘッドフォン青年かもしれない。でも、それでもいいから姿が見たい。あいまいな存在は不安をよけいに募らせる。
私が一歩足をだせば、その人も一歩足を出す。太くて丸い柱をはさんだ、気配で踊るフォックストロット。私たちは近づき続ける。でも出会うことはありえない。
本当に願うなら、このまどっろこしさを破う方法はある。私が止まってしまえばいい。私が止まって柱の陰からそっとのぞけば、その人が見える。でも果たしてそんなことができるだろうか。知らない人を柱からのぞいてみるなんて。でも、ああ。柱の向こうのあなたは誰?
その人は行き過ぎる。私も行き過ぎる。存在だけが記憶にとどまる。そして、次の太くて丸い柱の向こうに新しいその人の存在を感知する。こうして私は、出会えない人を数えて病み人になる。