■ロシア映画の現在■
最近10年間の変化を追って

はじめに

 かつてベルイマン監督の映画によって私たちは北欧に住む人々の内面世界を知ったように、あるいはヴィスコンティ監督の映画によってイタリア社会の諸問題に触れたように、映画は豊富な情報量と表現力とで、私たちにその文化に生きる人々の世界をまるごと伝えてくれる。ポーランドの政治状況は実感できないながら、アンジェイ・ワイダの『灰とダイヤモンド』によって、私たちなりに、当時の若者たちの出口のない苦しみには共感できたように思う。

 ペレストロイカ時代に始まる最近10年間で、ロシア映画は何を表現してきただろうか? 激動するソ連/ロシア社会のなかで、この芸術ジャンルはどんな機能を果たしてきたのだろう?

 講義ではロシア映画が海外に住む私たちに語ってくれるものについて、深刻に、また楽しく考えていく。


(1)激動の10年

 最初に対象となる10年間を振り返ってみよう。

 簡単な年表からも、この10年間の前半は、いわば混乱期であったのに対して、後半には、ロシア社会は少しづつ落ち着きを取り戻してきたということが伺われよう。ロシア映画のトーンもまた、私の見るところ、こうした社会の動きとほぼ連動して変わってきた。

1986年

2月

 第27回共産党大会で<ペレストロイカ>路線を採択。

12月

 タルコフスキー監督、亡命先のパリで死去。

1989年

4月

 グルジアで民族反乱。

6月

 中国、天安門事件。

11月

 ベルリンの壁解放。

1990年

3月

 ゴルバチョフ初代大統領に。

1991年

8月

 クーデター未遂。エリツィン、ロシア共和国での共産党の活動を禁止。

12月

 ソ連崩壊。独立国家共同体に。

1994年

12月

 ロシア軍、チェチェンに進攻。戦闘拡大。

1996年

7月

 大統領選挙でエリツィン再選。


(2)社会を動かす力

 ペレストロイカ期に先立ってソ連映画が果たした役割にはめざましいものがあった。

 映画こそが、全体主義を告発し、変革を呼びかけ、社会再生の道を示した芸術ジャンルであった。その象徴的作品として忘れられないのが『ざんげ』である。

●テンギス・アブラーゼ監督『ざんげ』(グルジア映画、1984年制作、1987年公開)

 ブレジネフのソ連時代に作られたテンギズ・アブラーゼ監督の『さんげ』は、スターリン独裁が人の心に落とす恐怖の影を描いて、ペレストロイカを予言した。

 この映画について山田和夫氏は次のように書いている。

 「『ざんげ』はグルジアのある町でベリヤに酷似した党指導者が専制君主然として振る舞い、多くの人が逮捕、投獄、収容所送り、処刑の悲運に遭う。グルジアの<ゴスキノ>はその製作を拒んだが、当時グルジアのシュワルナーゼ党第一書記(のちの外相)は、グルジア・テレビ局に資金を出させて完成させたが、モスクワの<ゴスキノ>は全国上映の許可を出さなかったという、いわくつきの作品である。映画はその話が白昼夢であるかのような構成を取り、<ゴスキノ>の抑圧を避ける工夫がとられているけれど、主人公の専制者をユニークな個性に仕立て上げる手腕、スターリン的粛清の真実に切り込む鋭利な眼は、やはり<ペレストロイカ>まで陽の目を見ることが出来なかったことを納得させられる。」(注釈1

 独裁者を型どったアドバルーンが空中に浮かび、罪人の遺体は大地に葬られない、といった台詞が出てくることから、映画の批判はあるいはレーニンにまで届いているかとも思わせる。体制を批判する男の妻が夢を見る。夫婦はオープンカーに乗った独裁者に追い回され、中世の騎士の格好をした秘密警察に追われ、生き埋めにされるという夢である。やがて夫は実際に逮捕され、妻と少女は面会に行く。差し入れを持った人々が窓口でひしめく。貯木場で夫の死体を捜しまわる二人。このおぞましい悪夢は事実にきわめて近いものだったのだろう。その後のグルジアの政治運動に、具体的にどのような役割を果たしたのだろうか。

 ロシアの映画評論家ワジム・ミハリョーフ氏は、映画『ざんげ』の、以後のロシア映画の歴史に果たした役割、意味について次のように書いている。

 「『ざんげ』では、メタファーのかたちでスターリン独裁の恐怖があますところなく描かれ、ヒューマンな価値への帰還という問題が提起された。この映画で企てられた監督と観客とのあいだの会話の目的を、登場人物の一人はこんなふうに表現している―『教会に続いていないなら、道はなんのために要るのだろうか?』と。もしも聖なるもの、輝かしいものを含んでいないのなら、人の生、民族の生活すべては、なんのために必要だろう? アブラーゼ監督のこの作品が現れて以後、映画人の探究のすべては<教会に通じる道>の探究となった。」(注釈2

 「道はなんのために要るのだろうか?」―この言葉が語られるのは『ざんげ』の終幕である。独裁者が死に、老いた女性の旅人が町を訪れ、窓越しに道を尋ねて立ち去る。その後ろ姿に宗教的な音楽が重なって、町の未来の再生が暗示されて終わる。反体制の男性が殺される場面でキリストの処刑と重ね合わされる、ということもあり、以後のロシア社会に見られた宗教回帰にも道を開いたと言えるだろう。実際、1989年のモスクワで、次々に復活、再建される教会の一つに続く雪道の傍に、木製の案内が立ててあり、「教会への道」と書かれているのを見た覚えがある。映画人にばかりでなく、ペレストロイカ期、社会ぜんたいに与えた映画『ざんげ』の影響は多大なものがあった。

 社会の問題を告発し、新たな価値を模索すること。タルコフスキイ監督の諸作品については言うまでもなく、また学校でのすさまじいまでのイジメの実態を暴いたロラン・ブイコフ監督の『転校生レナ』(1983年完成、1985年公開)を思い出してみればうなずけるように、潜在的にはこうした機能は、ソ連/ロシアの映画がずっと果たしてきたものである。(注釈3


(3)混迷を映し出す 

 企業の独立採算制への移行、やがて国家体制の解体といったシステム転換のなかで、社会の、また個人の価値の体系も大きく揺れ始める。1980年代終わりから90年代初めのロシア映画は、社会の不安と、混沌に生きる人々の苦しみを反映して、特に奇妙で不条理な感覚を表現していた。

●カレン・シャフナザーロフ監督『ゼロ・シティ』(1989年)

 『ジャズメン』(1983年)や『メッセンジャーボーイ』(1986年)で注目されてきたシャフナザーロフ監督は1951年生まれである。

 地方の小都市に主人公が降り立つところから映画は始まる。列車は去り、男はタクシーでホテルに向かう。なんの変哲もない出張風景である。翌朝工場に出かけ、独立採算制移行に伴うパネル・サイズの変更を申し入れようとする。秘書は一糸まとわぬ姿でタイプを打ち、工場長はそれを見ても驚かない。問答の末に、主任エンジニアは数カ月前に死んでいることが判明する。いつもながらの非効率的なソ連社会のありさまと映画内部の奇妙な約束事が結び合って独特の緊張が生まれる。レストランで食事をとっていると、頼みもしないデザートとして、主人公の顔を型どった首から上のケーキが運ばれ、ナイフが入れられ切り分けられる。男は怒って席を立つと、ケーキを作ったコックがピストル自殺してしまう。殺人の疑いをかけられた主人公は警察で調書を取られ、町を出てはいけない、と言い渡される。男はなんとかして町の外に出ようとするが、ソ連の歴史上の事件を展示する蝋人形館に迷い込み、またノストラダムスを信じるか? との終末論的な問答にも引き入れられる。転がり込んだ民家の小さな男の子は「あなたはこの町から出られないだろう」と予言してくる。

 カフカの『城』を思わせる奇妙で不安な映画は、やがて主人公がボートであてもなく流されて行くシーンで終わる。その光景の空は明るくも暗くもない。

●クズネツォフ監督『さまよえるオランダ人』(1990年)

 レストランとして黒海に係留されている古い帆船「さまよえるオランダ人」号。乗船を拒否された酔っぱらいが腹いせに深夜ロープを切断し、宴を楽しむニュー・リッチたち、権力を振りかざす軍人たちなど、怪しげな客を乗せた船は外洋へと押し流されてゆく。翌朝になって遭難に気づいた人々は国営より民営を、など自前の政府を作ろうと議論を始める。この悪趣味なドタバタ喜劇が当てこすっているのは、まずゴルバチョフやエリツィンの権力闘争、そしてもちろん行方定まらぬ「さまよえるロシア社会」である。映画の最後で船は発見されるが、そこに何の救済感も残らない。出口は見いだされないのである。

●パーヴェル・ルンギン監督『タクシー・ブルース』(1990年)

 古いソビエト的価値観のなかでそれなりに誠実に、したたかに生きてきたタクシー運転手は、乗り逃げしたサックス奏者を執拗に追い、寄食生活を改めさせようと教育を始める。サックス奏者を演ずるのは、有名なジャズ演奏家マモーノフ。この男は酒に溺れ、破滅的な生活に戻ってしまうが、偶然にアメリカから来たジャズ奏者と出会い、認められて世界にデビューしてゆく。モスクワのタクシーから、ビル壁面の大画面に映し出される成功したマモーノフの姿に驚く運転手。帰国歓迎の支度をして待つが心は通じない。やり場のない怒りに燃える運転手は……。

 旧社会の価値に縛られた人間と、かつては哀れむべき人間とされながら、国境が自由化され、解放されて突然に出世していく人間の確執のなかに、大きな変革期に生きる庶民の戸惑う姿が映し出されている。


(4)自己を問う

 時代の波に洗われながら、ロシアの人々は見失いそうになる自己の本来の姿を探究してきた。これもまた、ソ連/ロシアの真面目な映画が果たしてきた機能であり、その模索は今も続いている。

●ユーリー・ノルシュテイン監督『話の話』(1979年)

 アニメーション映画のノルシュテイン監督『とっておきの話(話の話)』は、監督自身が育った家の写真がもとになっている。そう本人から聞く機会があった。

 音と映像の断片の集積の中で、自分の根っことなる記憶を確かめているような作品で、その最初の記憶は、ロシアの代表的な子守歌「おやすみ、灰色狼が食べにくるよ」にまつわるものらしい。灰色狼の子の目に映ったソ連/ロシアの歴史は、悲しみに満ちたものでもあった。兵士を前線に送る貨車、風に舞う戦死公報。その記憶の向こう側には、牛と一緒に遊ぶ幸福な家庭生活も思い出されてくる。その頃は魚も空中に飛び、りんごを鳥たちとついばむ懐かさに満ちた世界だった。(注釈4

●ニキータ・ミハルコフ監督『太陽に灼かれて』(1994年)

 やはり歴史の意味を真剣に問う作品。革命の英雄が粛清の落とし穴に落ち込んでゆく。独裁者からの電話の指示を受けて働く秘密警察員もまた深い傷を負っている。

 1930年代ヨーロッパではコンチネンタル・タンゴが大流行した。映画の冒頭に流れる「太陽に灼かれて」という曲は、この時代を思い起こさせるという。ノルシュテイン監督の『話の話』でも、兵士と娘が踊る場面で鳴っていたもの。記憶を辿るとき、共有する同じ光景と歌とに出会うということか。

 スターリン独裁時代のソ連の人々のメンタリティをえぐって、現代ロシアの若者たちにとっても衝撃的な、ソ連史を証言する作品だった。


(5)希望と祈りを表現する 

 90年代にはいると、ロシアの社会は絶望的な時期を越え、次第に明るさを取り戻してゆくように見える。そうした変化は映画にも現れている。

●セルゲイ・ボドロフ監督『モスクワ・天使のいない夜』(1992年)

 地方都市サラートフから若者がオートバイにまたがってモスクワへやって来る。レスリング・チャンピオンだったが負傷して引退、マフィアのボディガードをしている。組織から逃げた友人から金を取り戻すために。友情を信じて、若者は一晩の猶予を与える。その一日の間に、若者は一人の娘と出会い、彼女の奇妙な住まいに導かれ、抱き合う。彼女はマドンナに会いに行くことだけを夢見ている。この孤独な魂と出会い、愛することを知った若者は二人の将来の生活を思い浮かべる。雪に埋もれた廃虚に立つ樹は、それを中心に再び世界が構築されるかも知れない神話的な宇宙樹のような象徴性を持っている。しかし若者たちの現実は厳しい。若者は友達に裏切られて殺され、少女はヒッチハイクで街を出ていく。おそらくアメリカに住むマドンナに出会えるはずもない。

 『自由はパラダイス』(1989年)で感化院を脱走した少年の過酷な運命を描き、最新作『コーカサスの虜』(1996年)ではチェチェン戦争を描いたセルゲイ・ボドロフ監督の『わたしは天使を見たかった(モスクワ・天使のいない夜)』は鮮烈な映像と叙情性が印象的である。この時代を生きるロシアの若者たちの絶望と祈りにも似た希望、そして悲惨な現実を雄弁に物語る。

●ユーリイ・マーミン監督『パリに通じる窓』(1993年)

 映画は、なぜかペテルブルグのアパートの窓からパリに空間が接続してしまった、というSF的な設定で始まる。小学校の音楽教師をはじめ、ロシア人たちがパリに繰り出しドタバタ喜劇の幕開け。やがて社会勉強と称して連れてきた子供たちは夜のパリで迷子になり、責任を感じて卒倒する教師。しかし子供たちは逞しい。サクレクール寺院の前でストリート・パフォーマンスで売り出す。「帰ろう、親が心配する」と言っても、金を稼いで親をこっちに呼んでやるんだと明るい。「じゃあ、病院で寝ているおばあちゃんは?」「ロシアの医療制度が悪いんだ」と、もっともな言い分に感心しつつ、「ここではなく、祖国を作り変えよう」と説得して、音楽教師は笛吹き男よろしくペテルブルグに連れ戻す。教育者としていいところを見せた教師だったが、パリジェンヌの恋人が忘れられず、新しいパリへの道を探して……。

 あくまで娯楽映画、大衆映画だろうが、現在の両都会のギャップを笑い、愉快で明るい未来の若い力を暗示するという点で解放感に満ちている。ロシアの子供たちのパフォーマンスも堂に入ったものだ。

●エレーナ・ラーイスカヤ監督『大統領とファーストレディ』(1996年)

 未来の大統領には選挙民に対していかなる秘密もあってはならない。それはプライベートにおいても。個人的な秘密は敵陣営からの攻撃材料として使われてしまう。そこで大統領候補は最初の妻を公開しなければならなくなる。彼はこの女性をかつて愛し、そして裏切ったのだった。

 新たな出会いに、二人は冷ややかに臨む。しかしいつしか以前の感情が芽生え、二人は熱烈に惹かれ合ってゆく……。

 この年に実施された大統領選挙に題材をとった作品。選挙に出る候補者の過去を洗う対立陣営は、今はボディペインティングで生計を立て娘を育てる捨てられた妻を攻撃材料にしようとする。しかし自立した彼女の姿は女性選挙民の熱狂的支持を集め、いつか対立する大統領候補としてテレビ討論までセッティングされる。フェミニズム的感覚の筋立ては、二人の愛の復活、家庭の復活というメッセージにとけ込んでゆく。

 ロシアの政治文化が変化したことをあらためて実感させられる。女性監督による、ヒロインへのかなり一方的な肩入れが目につくとはいえ、これはもはや、かつてのソ連型の権力をめぐる政治映画ではなく、善き社会の再建を訴えた良質のホームドラマになっている。


おわりに

 「聖なるもの、輝かしいものはどこにあるのか?」

 『ざんげ』によって提出されたこの問に、以後のロシア映画はさまざまな答を追い求めてきた。

 『モスクワ・天使のいない夜』では映画の中でアメリカ・ニューシネマの『イージーライダー』が言及される。1960年代にアメリカのヒッピームーヴメントの中で若者たちが解放を夢見たように、ロシアの現代の若者もいま解放の道を手探りしつつあるのだろう。『イージーライダー』でと同様に、物語は暴力による死で終わるにしても。娘がマドンナ(聖母)を求めている、という神話的なモチーフはロシア性とアメリカとの不思議な組み合わせになっている。

 『パリに通じる窓』『大統領とファーストレディ』で語られるのはもっと若い力、子供たちの力である。そしてそれを育てる家庭の再建がテーマだ。

 『天使のいない夜』ではレスラーは試合のあと、疑似的な死を体験している。またここでは家庭は崩壊している。1980年代末から90年代初めにソ連映画は社会ぜんたいのシステムの解体を描いていた。

 近年のロシア映画では、一度解体してしまった社会を再生させる道として、幸福な子供時代を再建すること、愛に包まれた人間形成を再び試みること、が主張されているように思われる。

 こうした分かりやすいメッセージがストレートに表現されるのは映画というジャンルの特性だろうか。(注釈5

 この講義は、あるいは私自身の、ロシア再生への希望が色濃くにじんだ、善き物語として語り過ぎたかもしれない。しかし10年前のソ連映画シーンとは明らかに違う空気に触れることができるようになっている、という実感は伝えたいと考えた。ロシア映画もまたダイナミックに変動してきたのである。


注釈

1)山田和夫著『ロシア・ソビエト映画史』(キネマ旬報社、1997年)214ページ。本書は1896年に始まるロシア・ソビエトの映画百年を通覧した、日本初の優れた通史である。この本については井桁の書評(「キネマ旬報」1997年4月号)を参照されたい。(本文に戻る

2)ワジム・ミハリョーフ「教会に通じる道」(井桁編『ソビエト・カルチャー・ウォッチング』窓社、1991年、6ページ)。この本にはペレストロイカ期の映画について7本の論考が収められて貴重な記録となっている。本文に戻る

3)ソ連末期の映画制作システムの変更(「ソ連映画」)、タルコフスキイ監督の評価の転換および第1回タルコフスキイ国際シンポジウム(「タルコフスキイ」)、『コミッサール』や 『令嬢ターニャ』などここで触れられなかった映画について(「ペレストロイカと映画」)などに関しては井桁著『現代ロシアの文芸復興ルネサンス』(群像社、1996年)を併せて参照されたい。本文に戻る

4)ノルシュテイン監督については最近、次の雑誌に特集が組まれている。「コミックボックス」1996年12月「映像詩人ユーリー・ノルシュテイン」。ここにミハルコフ監督の『太陽に灼かれて』との関係も触れられている。「昨年封切られたニキータ・ミハルコフ監督の『太陽に灼かれて』のおもしろさはちょっと例がないほどだが、最初のシーン、雪の公園での「疲れた太陽」演奏と主役たちのタンゴ(男は軍服!)は最高だった。ミハルコフもノルシュテインのファンだそうです。」(26ページ)本文に戻る

5)たとえば現代ロシア文学の世界ではこれほどはっきりとしたメッセージの解読は不可能のように思われる。大衆性を強く追究する映画というジャンルの特徴と言えるかもしれない。現代ロシア文学の動向については以下の資料集を参照されたい。「スラブ・ユーラシアの変動」重点領域研究成果報告書、第2号「ロシア小説の現在」、第7号「ロシア文学の現在」、第16号「ロシア文学の変容」、第21号「ロシア文学の近景」(北海道大学スラブ研究センター刊、1995年~1997年)。本文に戻る


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