■現代ロシア文学■
<死と再生>をめぐって br>
1.ペレストロイカ以前
ヴェネディクト・エロフェーエフ(1938~1990)という作家がいる。代表作は『酔いどれ列車、モスクワ発ペトゥシキへ』(安岡治子訳、国書刊行会、1996年)。1970年に書かれ、ソ連時代には地下出版で読まれ、ロシアで公式に刊行されたのはようやく1988年のこと。ペレストロイカ期以前のロシア文学を考える上でもっとも印象的な作品である。現在にいたるまでロシアの人々がこの小説のルートをたどる旅行を話題にするほどだ。
主人公はどうしようもない酔っ払い。彼は汽車に乗る前も乗ってからも、様々な銘柄のウォトカ、ビールを飲みつづけている。彼にとってモスクワは汚れに満ちた地獄のようなところ。ペトゥシキという町(これは実在する)は恋人の待つ天国のようなところだ。列車に乗り込んだ酔いどれは夢うつつの饒舌を繰り返し、やがてペトゥシキに着いたと思い駅を出るが、なぜかそこは再びモスクワ。いつのまにか戻って来てしまった。街路をさ迷ううち、四人の暴漢に襲われ、殴打の嵐のなか、死を迎える。
まことに救いのない物語のようだが、訳者の安岡氏はあとがきで書いている。
……絶望の果ての十字架は、その後に復活があって初めて意味をもつものだし、終末論の本質は世界の破滅そのものではなく、破滅の後に救済と変容が訪れることをこそ語るものだからだ。
この小説、現在から思えばペレストロイカ前のロシアの文学状況を象徴的に雄弁に物語っている。少し立ち止まってみよう。
まずこの小説はソ連時代の公式的な文学の様式、いわゆる「社会主義リアリズム」と呼ばれたものとはっきりと対立する要素を持っていること。社会主義リアリズムの「主要なプロットの教科書的サンプル」と評されるファジエーエフ作『若き親衛隊』と対比してみれば『酔いどれ列車』のかウンターカルチャーとしての位置がはっきりするかもしれない。『酔いどれ列車』の主人公ヴェーニャは読者に、社会建設のいかなるヴィジョンも提出しない。主人公の変革、成長とともに上昇するはずの教養主義的プロット構造も小説にはない。これではソ連時代に発表できなかったのも無理はない。アンダーグラウンドで広まるしかなかっただろう。しかし知識人はこぞって読んだのである。たしかにそこにはリアリティがあった。
それを取り出すなら、以下の三つの要素が挙げられるだろう。第一に、出口のない感覚。ソ連時代、人々の不満のもっとも大きなものは外国に出られないこと、外国の情報が入ってこないことだった。第二に『酔いどれ列車』には高い精神性が感じられること。「タリファ・クミ(死者よ、出でよ)」をはじめ、聖書からの翻訳がちりばめられており、ソ連政権下にロシアの人々が求めた心の拠り所が示される。チェルノブイリ原発事故が伝えられたとき、ロシア人の多くが「ヨハネ黙示録」の終末のシンボル「苦よもぎ」を連想して恐れたという事実が思い出される。第三に、聖書ばかりでなく、作品には外国文学やロシア文学からの無数の引用、パロディ、ほのめかしが散りばめられ、高度に知的なテクスチャー(織物)となっていること。今もってロシアの知識人たちも全てを読み解いているわけではないとされる。
この時期のロシア文学にとって、こうした作品は稀なものではなかった。同じエロフェ―エフだがこちらは存命のヴィクトル・エロフェーエフ(1947~)が1982年に書いた『モスクワの美しい人』(千種堅訳、河出書房新社、1992年)やアンドレイ・ビートフ(1937~)の1978年完成の作品『プーシキン館』もまた幻想的で複雑な知的仕掛けに満ちている。
表現が規制されるなか、たとえ出版されないにしても、この時代の文学はテクストの向こうに何かを暗示する暗喩的あるいは象徴的な言葉で書かれていた。
2.ペレストロイカ期――文化の死と再生
ロシア・東欧の文学を語るとき、政治の大きな転換との直接的な関連を語らないわけにはいかない。<停滞の時代>と称されるブレジネフ時代に続いて訪れたゴルバチョフの時代。グラースノスチ(情報公開)のスローガンのもと、検閲は全廃され、文学シーンは大きく変わった。
ペレストロイカの初期に見出され、人々に衝撃を与えたのは再発見されたアヴァンギャルドの文化だった。1920年代からペテルブルグで活躍していた「オベリウ・グループ(リアルな芸術のための結社)」の作品群が注目され、とりわけダニール・ハルムス(1905~1942)の短編作品は遺稿から次々に起こされ、雑誌、新聞の文芸欄を飾った。オベリウの芸術家たちは20世紀初頭のロシア・アヴァンギャルド運動を継承しつつ、新しい実験へと向かって行った。たとえばハルムスの作品は、先行するクルチョーヌィフたちの超意味言語を批判し、同時に大きな物語に回帰することを拒んでいる。その作品は否応なく不条理な短編となる。たとえばハルムスの1937年の作品「青いノート第十番」は――
赤毛の男がいた。目も耳もない。髪の毛もなかった。つまり赤毛というのもとりあえずのこと。話せなかった。口がないから。鼻もまい。手足もない。腹もない。背中もない。背骨もない。内臓なんかひとつもない。何にもないのだ! もう誰の話だかわからない。ふん、彼の話はこれでおしまい。
普通に始まった物語は、構成要素を次々に失っていき、無に帰して終わる。奇妙な解放感のある、意味に収斂することのない言語作品。彼の作品はいくつかの試訳を除いてまだ邦訳がないが、欧米ではすでに研究テーマとして取り上げられ、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』やロシア文学ではゴーゴリとの関連で語られることが多い。
この時期、スタジオ劇団を率いてオベリウの作家、詩人たちの諸作品をアレンジして芝居にした若手演出家コーザクによれば、
僕は演劇的な祝祭というものが存在すべきだと思う。それも無条件の。オベリウの作家たちは祝祭的だった。彼らは祝祭ついて、喜びについて、ファンタジーについて語った。停止することのない空想、言葉への貪欲さ、言葉と歴史の軽業師たち……彼らはいわばサーカスの芸人たちだった。
コーザクは「僕は不条理な現在の生を再現しようとしている。僕達は不条理な世界に生きている。僕達の関係は不条理だ」と言う。
ソ連時代、この世界は明白なゴールに向かって進んでいる、と保証してくれていた幸福な物語の枠組みがリアリティを失う。その時、世界は裸の、混沌とした本来の姿を現す。ペレストロイカ期のロシアではカフカもカミュも先を争って取り上げられ、演劇ではゴドーやイオネスコの芝居が大流行だった。
この時期、ロシアの文化は百花繚乱の有様となった。美術や音楽はやはり世紀初めのアヴァンギャルドの再評価を進め、長く定型の中に抑えられてきたポップ・カルチャーもあらゆる方向に走り始める。たとえば北極に近いアルハンゲリスクで続けられていたジャズ・フェスティバルが国際的規模で運営され、全ソ連で数千のロック・グループがアンダーグラウンドから広場へ、街頭へと進出した。この時期を読むキーワードとしては<民衆的な笑いの文化の噴出>ということが挙げられるだろう。
ソ連の文芸学者ミハイル・バフチンの<カーニバル文化論>は日本の文化活性化論、大江健三郎の『同時代ゲーム』などに影響を与えたことで知られるが、バフチンは『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』で、文化には生真面目で公式的なものと、笑いの原理によって組織された見世物的形式をもったものとがあり、後者は非公式、教会外、国家外の見地を提供する、と言っている。成熟した階級、国家のもとでは笑いの形式は非公式なものへと押しやられ、公式的なものの向こう側に第二の世界を打ち立てる。バフチンによればそうした民衆的な笑いの文化は三つの基本的形式をもつ。
1. 儀式的、見世物的形式(カーニバル・タイプの祝祭、様々な広場の笑劇)2. 滑稽な文学作品(パロディ的なものも)
3. 様々な形式やジャンルの無遠慮で粗野な広場の言葉。
ペレストロイカを文化論として語るなら、ソ連時代に表層を覆った生真面目で公式的な文化形式が力を失い、第二の生活が前面に押し出された時期だったと規定できる。「人は自分自身に立ち帰る。現存する世界は再生し、改新されるために破壊される。世界は死につつ生み出す」というカーニバルの機能。これこそがペレストロイカのロシア文化史上の意義だっただろう。
3.ペレストロイカ以後の活況
硬直した文化状況は一変し、一群の若い世代の作家たちが台頭してきた。
<沈黙の世代>と呼ばれた当時30歳前後の人々の中でもっとも早く注目された作家の一人がワレーリア・ナールビコワ(1958~)だった。彼女のデビュー作は1988年の雑誌「ユーノスチ(青春)」に発表された「昼の星と夜の星との光の均衡」。これに文学学校で指導したビートフの「良く分からないが新しい何かがある」という奇妙な推薦文がついていた。彼女の世界にはすでにロシア文学の大地の匂い、といったものはない。浮遊し、遠く逸脱する言葉遊びと自由連想で作品は展開する。いわゆる<意識の流れ>の手法によって運ばれる現代の都会の入り組んだ男女の物語はフランス、ドイツ、オランダやイギリスなどで次々に翻訳され人気を博した。代表作のひとつ、『ざわめきのささやき』は見事な邦訳で読むことができる(吉岡ゆき訳、群像社、1996年)。
新しいロシア文学の特徴のひとつは大衆性と哲学の結合ということだろう。その意味で注目されるのはペテルブルグ在住のSF作家アンドレイ・ストリャローフ(1954~)。彼のデビューは1989年だった。1993年に出された作品集『月下の僧』は5万部出版されている。ここに収められた『コリント書』という小説は6つの章からなり、それぞれ4つの福音書と「使徒行伝」「出エジプト記」の名が付けられている。到来した悪魔と降臨したキリストの戦いが描かれて、最後はキリストの勝利に終わる。しかし「全体主義はもう昔のこと」という台詞もあり、ペレストロイカ以前のヴェネディクト・エロフェーエフの場合のように、難解なメタファーで現実を告発し救済を語るという重さは影をひそめている。文体はスピード感にあふれ、シャープで明るい。特にペテルブルグのSF作家グループは意気軒昂で、読者の人気も高いが、残念ながら邦訳はまだない。
アレクサンドル・マリーニナ(1957~)の「モスクワ市警殺人課分析官アナスタシア」シリーズの第一作が発表されたのは1993年のこと。それから数年のあいだにこのシリーズは21作を数え、累積売上部数は2050万部に達したという。ペレストロイカ以前からロシアでは探偵小説は人気のジャンルだったが、日本に紹介されることは少なかった。実はエンターテインメントほどに、実際の生活をリアルに知ることのできるジャンルは少ない。このシリーズからつい最近『モスクワ市警殺人課分析官アナスタシア1 盗まれた夢』(吉岡ゆき訳、作品社、1999年)が出版された。邦訳は3冊のシリーズになると聞く。
ヴィクトル・ペレーヴィン(1962~)はペレストロイカ以後、最も注目される作家である。
廊下を人が走っている。アップを押すとジャンプし、頭上のものを取ろうとする。ダウンを押すとしゃがみこんで拾い上げようとする。ご存知のコンピュータ・ゲームと小説が結合している「国家計画委員会のプリンス」という短編。あるいは自我を獲得して語り始める納屋の話や、哲学する鶏の独白、狼人間の物語。青白いライトに照らされながら怪談を語り合う少年達のぞっとするような光景。これら21の短編が収められた『青い火影』が刊行されたのは1991年だったが、10万部が出され、しかも数日間で完売したという。この作家のファンタジーは哲学的思考に裏付けられたものだが、同時に分かりやすいストーリテラーでもあり、十分な大衆性を備えている。この短篇集の半分が翻訳されている(『眠れ』、三浦清美訳、群像社、1996年)。
ペレ―ヴィンはその後も精力的に執筆を続け、1993年に、人間と様々な虫が自在に入れ替わる物語『虫の生活』(邦訳、吉原深和子訳、群像社、1997年)、1996年には仏教の世界に触れたとされる『チャパーエフと空虚』を発表してきている。1999年に刊行された『Pの世代』は現代の若いクリエイターの生活と悩みをつづって、この年の読書界の話題をさらった。
4.近代のメディアから現代のメディアへ
ドストエフスキイを思い出してみれば、ロシアの文学が19世紀から思考実験性に富んでいたことが了解されるだろう。こうした方向を押し進めている現代の作家としてウラジーミル・ソローキン(1955~)がいる。「ロシア文学のモンスター」と称される作家の作品は長編『ロマン』(望月哲男訳、国書刊行会、1998年)、短篇集『愛』(亀山郁夫訳、国書刊行会、1999年)と邦訳されている。
しかし、より根源的な実験性ということでは、ドミートリイ・ガルコーフスキイ(1960~)にどうしても触れておかねばならない。彼の代表作である『果てしない袋小路』は数年間にわたって断片的に雑誌などに発表されてきたが、1998年からインターネットで公開されている。
そこには必然性がある。近代において小説は本の形をとり、最初のページから最後のページまで、直線的に続くものとされた。これは本というメディアが要求する読み方、書き方であったが、実のところ、人間の思考の姿とは合っていない。私達の思考は直線的に持続するのではなく、自由な飛躍によって、あるいは連想によって構造的に行われるのだ。近代の約束事の外へ、新しい表現の形式へと展開する可能性を開いたのはメディアとしてのコンピュータである。このメディアでは、断片的なテクストは他の複数のテクストとリンクで結ばれ(ハイパーテキスト)、読者は読むたびごとに自由な順番で勝手にリンクをたどることができる。日本文学の世界でも井上夢人氏が『99人の最終電車』という作品をアップしているが、ガルコーフスキイの作品は無数の文学論、メモ、ドストエフスキイやチェーホフ、キルケゴールの引用、自己言及のテクスト間に複数のリンクが張られており、十分にこの新しいメディアの特性を発揮するものとなっている。近代の約束事に飽きたたくさんのロシア語読者が世界中からこのサイトを訪れている。1998年1月に公開され、2000年3月までで訪れた人は延べ5万に上っている)。異文化の作家たちが期せずして今採用しつつあるこうした新しい表現の形式に導かれて、ようやく私達は近代という時代を本質的に対象化しようとしている。
ロシアでインターネットの利用者は1999年の統計では200万人と言われる。若者は毎日サイトを開き、携帯電話を片手に飛び回っている。現代的メディアに囲まれて、ロシア文化は日本と同じように、あるいは日本以上にデジタル化が進んでいる。経済の混迷のなか、書籍の刊行や販売の環境は日本よりもずっと悪い。それでも作品を読者に届けたい。こうした欲求からロシアのインターネットは現代文学作品の洪水といった状態になっているのである。インターネット上で新作は発表され、審査され、賞が与えられる。またプロの作家とアマチュアとが競って発表している(これに関しては「インターネット上にみるロシア現代文学」を参照されたい)。
最後になるが、現代ロシアを見つめる20名ほどの研究者が寄って論文集『現代ロシア文化』(国書刊行会、2000年3月刊行)を作り、多角的なアプローチを試みている。本稿と併せてぜひご覧いただきたい。
(初出:「民主文学」2000年4月号)
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