■世紀末をしたたかに生きるロシア文化■

1.ロシアとインターネット?
2.激動の世紀末
3.時代を映すロック
4.文化の各ジャンルで多様な表現が噴出
5.市場経済の弊害も
6.産みの苦しみの時期を越えて



ロシアとインターネット?

 いま、早稲田大学からモスクワに留学している学生がロシア日記をホームページに公開している。毎週1回の周期で更新しているので、現代ロシアの様子が手にとるように分かるのだが、たとえば……。

「9月16日(水)曇 行ってきました、小澤とロストロポーヴィチによる新日本フィルのコンサート。戦争レクイエム。日露友好一色で、舞台の最前列にはバラでつくった両国の国旗が3つずつ並び、小澤征爾指揮のロシア国歌とロストロポーヴィチ指揮の君が代で始まった。その前には橋本龍太郎の紹介もあったが、プログラムの挨拶文はエリツィンと小渕なのはご愛敬。エリツィンも来ていたのでコンサートとは思えない警備で、周辺道路は黒服のSPと警官が数十人、会場に入るには飛行機の手荷物検査の装置を通らねばならぬという状況。」

 なるほど。ついでに、いつもするように、ロシアの人々の作っているホームページへ行ってみる。政治的小噺のページは毎日更新されているし、現代作家たちが登場する「インターネット・カフェ」では、ロシア全土から読者がアクセスして、作家と自由に語らっている。

 ロシアとインターネット…? 思いがけない取り合わせだな、と日本の多くの方はびっくりされるかもしれない。しかしロシアではアカデミックなサイトをはじめ、新聞記事や文芸誌の作品、そして商業広告も含めて、日本を上回るようなスピードでインターネット網は成長している。銀行が破産したり、エリツィンが訪問先でよろめいたり、といったニュースは日本のマスコミでも流れるけれど、それ以外の情報はほとんど伝えられず、やっぱりまだ近くて遠い国、というのが日本の共通の感じだろうか。


激動の世紀末

 1986年のあの衝撃的なチェルノブイリ原発事故。それをきっかけに旧ソ連社会の情報公開は急速に進んだ。当時のゴルバチョフ共産党書記長の改革(ペレストロイカ)路線が明瞭になるのはその直後だった。当初はソ連邦の強化を目指した再建策は、より大きな変革の息吹を呼び覚ました。共和国は次々に独立を宣言し、ロシア国内でも一党独裁への反抗の火の手が上がる。危機感を抱いた保守派によるクーデターから、1991年12月にソ連が消滅するまで、状況はあっという間に進んで行った。

 1980年に10ヶ月モスクワに暮らした時、人々は口々に不満を語っていた。読みたい本が手に入らない。聞きたい音楽が聞けない(ビートルズもノイズの向こうから辛うじて届く西側の電波を通して聞いていた)。行きたい場所へ行けない( 外国に出られるのはわずかの選ばれた人間だけだった)。これに対して1990年に5ヶ月暮らした時は、社会全体が激動期のエネルギーに満ち、人々の表情は明るく、いたるところで新しい社会のビジョンをめぐる活発な議論を耳にした。ソ連時代に犠牲になった芸術家たちの復権が進み、博物館が建てられ、モニュメントが建設されていった。そして昨年秋に訪れたモスクワやペテルブルグでは、かつて社会主義のスローガンの掲げられていたビルの屋上には自動車や家電メーカーのコマーシャルが輝き、コーラの自販機が当たり前に置いてある、そんな普通の大都市の町並みに変わっている。

 最近の世論調査によれば、いまロシアの人々が夢に描くのは「温かい家庭」だという。長いイデオロギー闘争の後の、安らぎと癒しを求めているのだろう。そういえば大統領選挙を題材にした映画「大統領とファースト・レディ」(1996年)が発しているのも、愛ある家庭こそが社会すべての基礎、というメッセージだった。


時代を映すロック

 激動の時期の文化を引っ張ったのはまずロックだった。それまでロックは西側ブルジョア世界の害毒のシンボルとして批判にさらされていた。若者たちは町外れのガレージで、小さなサークルを相手にコンサートを開いていたが、そこにも警官が踏み込み、とはいえ逮捕されるのではなく、アンプやスピーカーを押収されてしまう。それらは苦労の末にようやく手に入れた機器なので、また一式揃えるまでは活動休止状態になってしまう。ペレストロイカ期にロックが解禁になるや、西側のグループを招いての野外コンサートは数万の熱狂的な聴衆を集め、アンダーグラウンドのカリスマ的な存在だったグレベンシコフの1987年の初めての公式アルバムは数時間で20万枚を売り切った。「ロックは反抗の歌」という彼のCDはその後も着実に発表され続けている。そうしたロックも、90年代に入るとダンス系の軽いリズムに転換して現在にいたっている。96年の大統領選挙では人気歌手たちがこぞってテレビ広報番組に出演し、エリツィン再選に貢献したことは記憶に新しい。


文化の各ジャンルで多様な表現が噴出

 シャガールのことさえも、おおっぴらに語ることがはばかられた美術界(彼が革命後亡命したからという理由で)。レーニンや逞しい労働者男女が、豊かな未来を見つめて立っている、といった分かり易い社会主義リアリズムの時代は終わった。80年代末には国内でもカンディンスキーやマレーヴィチなどの抽象絵画の巨匠たちの回顧展が続々と開かれた。こうしたアヴァンギャルド芸術を継ぐ若者たちの実験的な作品がイギリスのサザビー・オークションで高値を呼び、一時は国内に何も残らない、とまで言われた。

 文学についても改革の波は良い結果をもたらした。停滞の時代には作家同盟の大物しか発表の機会がなかったのに比べて、国営の出版社以外に私企業による書籍や雑誌の出版が盛んになり、若手作家が次々にデビューしている。都会の独身女性の内面を言葉の自由な連想の中に描くナールビコワを筆頭に、30歳代の作家を中心にフランスなどで翻訳出版が相次ぎ、高い評価を得てきている。悪名高い検閲は1990年にマスメディア法によって禁止され、今は何を書いてもよいことになった。イデオロギーから解放された歴史小説が流行する一方、難解なポスト・モダン小説や抱腹絶倒のナンセンスものまで幅広いスタイルが楽しめる。


市場経済の弊害も

 その一方、大衆文学の領域はセックスとリボルバーの世界と言われるように商業主義が横行し、書店の店頭には極彩色のペーパーバックスが並ぶ。真面目な文化研究書の出版は難しく、著者自身で海外の購買希望を募集してからでないと出してくれない、との援助を求める手紙が私の手元にも舞い込む。映画館やビデオ・ショップはハリウッド系の刺激の強い作品に席捲されていて、ロシア映画の制作本数は減ってしまった。

 市場経済の原理が行き渡ることで、文化の表現には日本と同じような困難が生まれつつある。『話の話』などの叙情的なアニメーションで日本にもファンの多い映像の詩人ノルシュテイン監督。彼の作品は切り絵の技術なども応用する極めて緻密な制作方法をとっているので、制作に何人もからなるチームで長い時間がかかる。この労力を支える資金はソ連時代には保証されていたが、今では失われてしまった。ペレストロイカ以後、ゴーゴリ原作の『外套』は何年もかかって、このほどようやく第1部が公開される運びとなった。監督は商品のテレビ・コマーシャルを請け負ったりして、危機を乗り切ろうと闘っている。


産みの苦しみの時期を越えて

昨年の旅行では、モスクワ・クレムリン近くにあるプーシキン美術館でCD-RO Mを買った。美しい音楽とナレーションによって展示物が紹介され、3Dシステムで臨場感溢れる作りになっている。また最近、エイゼンシュテイン監督の作品でスターリンを批判したとされる『イワン雷帝』の未発表画面を収めたCD-ROMが、モスクワの友人から届けられた。このほど来日して若者たちを熱狂させたフリー・ジャズの、ドイツ在住のウラジーミル・タラーソフ氏は、早大でのカレッジ・コンサートの折りにCDをくれた。それは詩人プリゴーフが即興詩を語り、タラーソフがドラムを演奏する、という自由で野心的な試みだった。社会主義建設という20世紀の大きな試練を経て、いろいろな意味で傷を負ったロシア社会だが、コンサート会場も劇場も満員の観客を集めている。もともと芸術的才能に恵まれているロシアの人々が、テクノロジーの進化にも対応しつつ、今後どんなものを創り出していくのか、じっくりと見守っていきたい。その萌芽はすでに生まれつつあるようだ。

(ロシア・ナショナル管弦楽団日本公演パンフレット1998年11月梶本音楽事務所)


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