27.Dez.1997

 今年もあと4日になってしまいました。マドリッドで迎えた 1997年でしたが、ふり返ってみると、前半は助手論文の公刊と学会報告が メインでした。夏にはドイツに滞在。じゃ、秋からは一体何をやってたの だろう?? 別にのらくらしてたワケじゃないんですが…。まぁ、来年に 備えた活動をしてたということにしましょう。今年後半は業績もぜんぜん 増えませんでしたけど、ちゃんと脱稿してます。来年2−3月にはばらばら とモノが出てくる予定。
 というわけで、私としてはそれなりに頑張った1年だと思っております。 研究生活の上で、修論の公刊が始まった93年が"ホップ"の年だとすれば、 今年は"ステップ"だったかな〜と感じています。来年、98年は"ジャンプ" の年にするつもりです。当分着地しませんのでよろしく。


  9.Nov.1997

 ようやく文化祭が終わりました。今年は法律劇をお手伝いした のですが、そのほかにも、タカヤマを見知ってくれる学生さんが増えたため か、いろいろ企画を訪ねて行くと喜ばれ、こちらとしても見学のしがいが あるというものです。とりわけ高山ゼミ(2年ゼミ、3・4年ゼミ両方)の 学生さん達はあちらこちらで大活躍、鼻が高かったです。
  (勉強もしっかりやってください)
 ちなみに、現在の Seijo Press のトップページでスカートをはいている 男子学生がうちのゼミです。
 また、最近では初めてゼミのコンパを企画するようになり、学生さん達との 接触の場が少しではありますが増えました。それだけに、みなさんが巣立って いくのももの寂しい感じがしております。 でも卒業しても忘れないでほしいと思います。去年ここへ来たとき、"みなさんに 誇りに思ってもらえるような立派な先生になる" と約束しました。だから 研究も頑張ります。

  25.Okt.1997.

 ホームページの更新がない、と苦情がきております。ご心配 かけてまことにすみません。タカヤマは依然として健康そのもので過ごして います。
 実は、夏休みにひと月以上ドイツに逃亡していたのです。語学学校に通っており ました。結果、ドイツ語はぜんぜんうまくなりませんでしたが、生活環境を一新 して、各国の若い人々と知りあいになれたことには大きな意義がありました。仕事 がたまりまくっていたために、帰ってから少し忙しいというわけです。
 語学学校には世界中の国々から生徒が集まっていましたが、経済状況の苦しい国 の人はやっぱり、生きていくのがやっとという感じ。でもみんな朗らかで気立てが 良かった。礼節を知っている旧西側の人たちには、若くても、自分が社会を支える 一員であるという自覚が強く感じられました。日本の教育の現状に疑問を覚えざる をえません。私も教員として何をなすべきか考えさせられます。
 そういう話はよく耳にすることなので、印象は強かったもののショッキングという ほどではありませんでしたが、日本人の女のモテぶりにはほとんど絶句するものが ありました。私のことじゃありません。私自身は "ヒネー人??" と声をかけら れることが多かった。目が細いのと、髪形のせいらしいです(これはフランスでもそ うでした、もちろん "シノアーズ?" とですが)。それはともかくとして、日本 じゃぱっとしない感じの子たちがあんなにちやほやされるかなあ、と思います (ビーチに行く子たちと比べると、ヨーロッパ族は概して地味)。これでは、 行ったきり帰ってきたがらない人が続出するのはあたりまえ、"最高の生活" の 一要素に掲げられる "日本人妻" へのあこがれが外国人にはあるのでしょうか。 世界に冠たる日本人女性、至るところに日本人女性。国粋主義の誘惑......