つれづれなるままにNEWS/スチールギター随想/などなど


8月15日(火)
今日は終戦記念日。あの時は11歳、藤沢の湘南学園5年生。大事なラジオ放送があると云うことで家に帰された。母(父は台北)と姉と3人で、目黒を焼けだされて伯父と祖母の家に居候していた。
昼時で農林3号だったかを蒸した奴をかじりながら玉音放送を聞き,「よくわからないけど日本がまけたみたい」と云う大人達。午後になって「海、行って見っペイよ」と友達が誘いに来て裸足で松葉がチクチク刺さった砂道を海岸へ。
ナナンと,水平線の左から右まで,イワシが這い出る隙もなく上陸用舟艇とその母船艦隊がビッシリ。
昨日まで肥後の守(折りたたみナイフ)で竹槍の先端を尖らせていたおれ等はなんだったんだろう,と子供心に思った。
翌日、学校に行くと昨日まで鬼畜米英と云っていた先生が「エー,これからは欧米諸国のリベラリズムに見習ってデモクラシーの,,,,」見たいに態度が一変、昨日まで御法度だった敵性語をペラペラ並べ立てて自由社会の良さを諭す様に僕らに話しかけた。
メインランド2世の伯父と母は大喜びで,早速しまっておいたジャズのレコードを誰に遠慮するでも無く手巻きのゼンマイ駆動のチコンキ(蓄音機)で聞きまくり,19歳でアメリカに渡った祖母は,久方ぶりに,携帯脚踏みしきオルガンで「神ともにいま〜し〜て〜」と讃美歌を弾いていた。
伯父は早速得意の英語で米軍関係の仕事を見つけ,アルコールを紅茶で割ったインチキウイスキーではない本物のウイスキーをうまそうになめる様にちびちび飲みながら戦前日本に帰って来て紙恭助、南里文雄、ピアノの増田某達にジャズを教えた話を良く聞かされた。 伯父、堂本誉次はアメリカでハイスクールの時,トランペットのレッドニコルスと同級でしょっちゅう音楽室でピアノとコルネットでジャムセッションをやっていたそうだ。13歳の誕生日に台湾から引き上げて来た父が450円のウクレレをプレゼントしてくれたのがこの世界にドップリ漬かり込んでしまったきっかけとなった。


7月3日(月)
昨日、ホテルフロラシオン青山で第6回Hawaiian Steel Guitar "NUTS" Partyを開催、100名の"NUTS"が大集合。約3時間半スチールソロ、ウクレレソロ、歌、フラと大変な賑わいだった。
そもそもこのパーティーは家のLDK計24畳にはいりきれなくなった僕の7月7日のパーティーを当時か無いと毎年秋のパーティーをやっていたフロラシオンに移したのがはじまりです。
今年はウクレレを弾き始めて60年「ハワイアン人生」の還暦でしたが,再来年は「スチールギター人生」でまたまた還暦を迎えるので,もう少し盛大にやろうと考えています。


6月10日(土)
Alan Akakaのサプライズパーティー
3月に新しい奥さん実智子さんと結婚し、その実智子さんの企画で6月10日にアラモアナのパゴダホテルでサプライズパーティーをやるので是非きて下さいと云う招待メールを頂き、スケジュールも調整出来たので3泊5日のとんぼ返り出出席しました。 夕方6時からパゴダホテルの水上レストランの2階の会場へ。 会場にはジェノアケアヴェ,ギャリーアイコ,ハイラム/ケイシーオルセン,グレッグサルディナ、スラックキーのジョージクオ、ハロルドハクオーレ、、リリコイさん,マイライングリッシ?などそうそうたるミュージシアンやアレンのお父さんの上院議員の後援者たちなどで100人近くがお酒とつまみで談話している所に7時丁度,アレンが仕事だとばっかり思ってスチールを抱えてやってきた。 ギャリーやリリコイ達がアレンの弟の合図でパっと演奏をやめ、ハッピバースデイアレンとみんなで歌いだしたのにはアレンもびっくり仰天。 「あんまり驚いたので何をしゃべっていいか言葉が出てこない、取りあえずこのパーティーを企画してくれた実智子に、そしてお忙しい中を来て下さった皆さんに感謝・・・」と云っているときにボクの存在に気が付き2度目のサプライズ。 このあとグレッグ,ハロルド,ハイラムにバンドチェンジ,いろいろと歌やフラやジョージのスラッキーでもりあがり、ぼくも「初めて逢ったのは83年のホオラウレアであなたが23歳、50歳いや49歳360?日と聞いてとても信じられないくらい若い」と褒め言葉HO'O MALI MALIを弾き、アレアにちなんでアカカフォールスなどあと数曲弾いておおうけ。このあとケイシーもステージに上がり、9時頃までと云うパーティーが40分くらいオーバーして名残惜しみながら三々五々おひらきとなった。


5月1日(月) May Day Is Lei Day In Hawai'i
81年にJerry Byrd が立ち上げたHawaiian Steel Guitar Ho'olaule'aに初めて招待されて参加したのが83年。翌年は遠慮していたら85年にジェリーから手紙を頂き“君はレギュラーゲストだ」と云われて以来、満開に咲き誇る庭のツツジとボタンを横目にハワイへと飛び立っていました。
着いた土曜日の朝ホテルに荷物を預けてアラモアナ・ショッピングセンターにむかい、昼過ぎから始まるプレコンサートの打ち合わせ。そこでの演奏を終わるとやっとチェックインして翌日の演奏曲の猛練習。
朝10時からリハーサルがあり、Ho'olaule'a が終わるとやっと一安心。その年によって4月最終か5月第1日曜日が大会だったので5月1日は朝からカピオラニ公園のバンドスタンド脇でHSGAメンバーと一緒にプレイしたりあちこちの催し物を見に行ったりで1時間刻みの忙しいスケジュールをこなしていました。
去年からHo'olaule'aは奇数年に執り行うと云う事が決まったので今年のゴールデンウィークは20数年ぶりに目黒の我が家で過ごしています。例年なら満開のツツジが今年はやっとつぼみが開きかけ,去年の夏、猛暑続きでうっかり水をやらず,涸らしてしまったボタン。可哀相な事をしてしまいました。
どこへ行っても混み混みのゴールデンウィーク、わずかに来日中のCasye Olsenの追っかけを2日くらいして,黙々とたまっている仕事を片付けて行きます。
3月5日にブログHAWAIIANSTEEL GUITAR "NUTS" FORUMをお弟子さんに立ち上げてもらい,つい最近ホームページのトップメニューにリンクしましたのでそちらもご覧下さい。


3月14日(火) 税金の申告で一番嫌いな数字との戦いをしているうちに,玄関の沈丁花が馥郁と春を告げる香りをあたりにまき散らし始めました。
庭に40年以上前からあった紅白のぼけがいつの間にか1本の幹から分かれた枝で紅白に咲き分かれる芸当を覚え,今年も枝いっぱいに付いたつぼみがあと数日で咲こうと暖かな日差しを待っています。
先日久しぶりにスタジオ入りし,「ノンタン」とか云う猫の漫画のTV用とDVD用の音取りをしてきました。なんでも「ノンタン」が海に潜ってチョウチンアンコウに出っ食わすシーンとかで久々にC6ペダルスチールを弾いてきました。
来週の日曜日は昼間湘南カイアロハでジャズクワルテットのピアノを弾き,終わるや否や藤澤から電車に乗り早稲田アバコスタジオで水森亜土さんの劇伴でハワイアンを2〜3曲録音。こちらは2年ほど前に買った超軽量の米国製 Harmos スチールギターをぶら下げて弾いてきます。
いつも大宮のウクレレ教室に持って行ったりしてますが、本当に指1本で15分くらいぶら下げて歩けるし,音は甘く,べらぼうに良く音がのびて年寄りや女性にぴったりの楽器です。
最近ロスで会計士をしているお弟子さんがこれの8弦ダブるネックを特注しました。
26日のJules Ah See Fan Club でしゃべる原稿をこしらえ,4月はほとんどよるの仕事がないので,Garage Band をもっと研究し,CD第3弾はこれで制作しようかな?と考えています。


2月7日(月) やっとバージョンアップしたFinale 2005(譜面書きソフト ) もスムーズにかけるようになり、併せてiMack X Tiger に内蔵されていたGarage Bandと云うマルチ録音ソフトに挑戦したところ「こんなにDTM(デスクトップミュージック)って簡単に出来るの?」と目からうろこ。
早速いろいろな曲を書いたり、録音したり年も忘れて毎晩午前様でした。Finaleは今までと使い勝手が大幅に違い戸惑いました。最初チューニングフォーマットを作るのが大変で、何度も失敗しながら昔PCをはじめたころ大変にお世話になった旧姓O嬢、現I夫人にまたまたお世話になって、やっと以前より早く譜面が書けるようになりました。

去年の暮れ、新聞広告で「クリスマス北海道3日間¥19,800!」と云うのを見付け、道産子の僕はいても立ってもいられず、一人旅を楽しんできました。
札幌コースと函館コースがありましたが幼少時に青函連絡船に乗り換えるために深夜起こされて眠い目で見つめた航行標識の四角や三角の赤いネオンサインしか記憶のない函館を選びました。
ちょうど去年僕の10弦ロックレバーのスチールを僕が青森に行ったときにご覧になってファジーに注文されたY医師が函館だったので、特別出張教授をすると云うふれこみだったけど、結果はさんざんご馳走になって帰ってきました。先生ごちそうさまでした。特にしばれ酒は感動的でした。
 

2006年1月1日(日) ハワイアンスチールギターファンの皆さん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

ALO〜HA!
あけましておめでとうございます。
4歳のピアノはイントロ(前奏)13歳のウクレレがハワイアン狂想曲の第1楽章。それから12小節(干支)を5回レピート。そろそろ人生最後のCoda(最終楽節)に入り、ritardando(次第に遅く)しながらdiminuendo(次第に弱く)して、pianiissimo(きわめて弱く)で終わろうかな、と思いましたが、やりのこしていることが一杯ありましたのであと数年は頑張ります。ご声援ください。

  ♪今年の抱負♪
1、海外での演奏(今年はホオラウレアがないので9月のALOHAウィークにハワイ、または2度目のジョリエットコンヴェンションに参加したいと思っています)
2、CD第3弾のハワイ録音(大好きなハイラムのギターでもう1作CDを制作したいと思ってます)
3、レッスンビデオ第3弾(第1弾で概論と基礎テクニック、第2弾でバーさばきと雑音消しの秘伝を公開したのでいよいよ理論に基づいたアプローチ手法、リハモナイズの考え方、 バッキングや易しいアドリブ手法など専門的な分野の入り口にふれてみたい)
4、更なるAh Seeの研究(1940年代から亡くなる60年まで戦前派の巨匠たちの築き上げたワザに自ずから編みだした8弦複数ネックによる最高のテクニックと卓越したアイディア、これらをもっと突っ込んで研究したい)
5、SG Ensembleの復活(ほとんどソロ楽器かせいぜいデュエットでしか演奏されないスチールギタ−4人で一糸乱れぬ4声のハーモニーのTuttiや2人づつでサックスセクションとブラスセクションの掛け合いなどフルバンドサウンズをライブで公開する)
6、若手の発掘と育成(現在一人だけ20代の弟子がいるがなんとかもっと増やして次世代につなげたい。なにとぞご協力をお願いします)
7、バックとアドリブの指導(TAB譜で練習するとこちらが教えたい事をかなり正確に伝えられるが、ほとんどそこから一歩も飛び出せないのが現状、バックアップの作り方のヒント、アドリブのヒントを地方や多忙の方にはやはりTAB譜と録音物の通信講座で、来宅できる方にはグループレッスンでお教えしたい。ジャズで4小節づつソロをまわすFour Bars とをやると切磋琢磨されてお互いに磨きがかかる。むかし寺部頼幸氏が休憩時間に楽屋でエレキ担当のメンバーにフレーズを教えておらた)

今年もよろしくお願いします Kiyoshi "LION" Kobayashi (今年の年賀状に補足を加えて)


12月17日(土)
11月下旬にiMacXを購入、コンピューターに詳しい息子の親友に来てもらい、古いOS9からの引っ越し作業をお願いしたものの、ソフトもみんなヴァージョンアップしたため、使い勝手が違って半月ほどお手上げだった。
やはりデブ樽ライオンは、未だデジタル化が全然できてないということを痛感しました。
来年はもう少し勉強して大容量になったPCを有効に使いこなさなければと思っていますが大変そう。

僕の家を立て替えた25年前のクリスマスからイルミネーションやリースで飾り付けをしていたけど最近隣近所で皆さんおやりになるので少しにぎやかになってきました。

僕のレッスンテープで弾いているベースがカッコいいと云うことで、今4人にベースランニングを教えています。
僕はベースラインをしっかり弾いてくれないとアドリブの指が止まってしまう方なので、ドドソソですらまともに弾けないベースだと、投げ出したくなってしまいます。
今年のハワイのHSGAのコンサートは全くひどかったです。スチールもアマチュアという協会のメンバーが伴奏するのだから無理もありませんが、あれではもうハワイで弾く気になれません。
そんなこんなで来年ハワイアンのベース担当者のための「ジャズ理論にもとずくベースランニング/理論と実践」みたいな小冊子を作ろうかなと思っています。
それと同時進行で「スチールギターのバックとアドリブ」というようなものも書きたいと思っています。
時間さえあればまだまだやりたいことがいっぱい。以前と違って夜の時間が大分できたので、来年はまた教材作りに精を出します。
25日には「クリスマス北海道3日間¥19800!」というツアーに参加して函館に行ってきます。
Have a nice Christmas!


11月15日(火)
11月6日に新大久保のR'sアートコートで開催されたTHE 9th JAPANN STEEL GUITAR CONVENSHON (主催:ファゼイPSGプロダクツ、Joe Wright/Sarah Jory /DeWitt Scott 日本側8名のなかでハワイアンスチールとしてマグナトーンTー3を持ち込んで演奏。
翌7日はHo'okipa(ホオキパ)で外国人グループプラス藤井さんの社員3人のサンシャインバンドデ大熱演。
9日はホオキパで久々にTRADE WINDSのライブ、11日は横浜みなとみらい大ホールでニーナのショウ、スチールがジェフ・アウホイだったのでお弟子さんたち11人を誘って聞きに行く。ハワイではいつもA6で弾いていた(ボビー・インガノに習っている)けど、今日はハワイコールズスタイルだからと気を使ってC76とB11にしていたせいか、ハワイで聞いた時よりおとなしかった。しかし音程がバッチリなのは当たり前として弱冠24歳の若さでほとんどノーミスできれいなバックを大舞台で堂々と弾いていたので感激。もちろん大学院を卒業したら生業を持ってムーンライトジョブとしてスチールを弾いて行くのだろうけど本当に将来が楽しみな青年だ。
翌12日はヤクルトホールでのエルアエコーズのコンサートのチケットを頂戴したので久しぶりに岡田夫妻のステージを拝聴。もともとトレードウィンズもピアノトリオになってじゃジーなサウンドもやっているが、スチール弾きの僕としてはピアノ、バイブ、ギター、ベース、ドラムのカルテットに数曲でもスチールやせめてフラものではギターをウクレレに持ち替えたら良かったのにと、ちらっと思った。
その翌日の13日は浅草でキワヤさんのご招待でウクレレコンテストに。全国300あまりの応募者からの選りすぐりだけあって皆さんもの凄い腕前にびっくり。ウクレレと云えばのんびりポンガペッケ、ポンガペッケ弾くものと思ったら大間違い、オオタサン、ジェイクの影響をかなり受けた感があったが、もうそろそろジャズギターから転向したような人がライル・リッツのようにバーニー・ケッセルのようなコードソロを聴かせてくれてもなぁと思いました。
会場でキヨシ小林さんに初めてお会いし、名刺交換し、ウクレレ協会のマット小林さんにツーショットの写真を撮ってもらいました。あちらが清で、僕が潔、二人並ぶと清潔とか??
ともかくめっちゃ忙しい1週間でした。


11月12日(水)
9月は地方からの教材の注文も多く、てんてこ舞いしていて、アッと云う間に10月も中旬、もはや半そでアロハでは出歩けなくなってしまいました。
ひところ両手とも薬指が曲がらなくなり、一生懸命に曲げても手のひらから2cm程指先が離れてくっつかなくなり、その為ミスタッチも気になっていましたが、何時の間にか元のように曲がるようになり、快調に和音がつかめるようになりほっとしています。
5月に入手したマグナトーンTー8ロングネック、最初はポジションマークが9フレットで太い矩形になっている為12フレットのように錯覚しやすかったけど今はすっかりなれて愛用しています。
N大工学部卒のO氏が分解してていねいにハムを取って下さったので、毎日気持ち良く弾きまくっています。

スチールギターは管楽器と違い和音で弾く事が多いだけに、よっぽどしっかり理論を勉強しないと、せっかくの名演奏も迷演奏になってしまいます。あのJulus Ah See ですら何曲かコピーした中で何ケ所かアプローチを間違えていたのを見つけました。感覚だけを頼りに弾くと往々にしてミスを犯します。例えばFーFmのバックで調弦がC6の場合5フレットから8フレットまでで4本の和音で移動する、これはちょっと聞いてもわからないかも知れないが、FーFmはF6ーFm6が正しい4声の動きなのにFm7になっているんです。マウイの有名なプレイヤーが此の進行の時に此の過ちをしています。
それと、ある曲を弾く時、決してうる覚えでメロディーを弾かないこと。ライブはもちろん、レコーディングする時は、絶対に原曲をさがすか、オリジナルをカバーするのなら、そのオリジナルを正確にコピーする事。コードは自分の好みでリハモナイズ(代替コードにかえたりする)しても良いがその前にオリジナルのコード進行をキチっと確実に頭にいれること。
実は此の春リリースされたバーズネストというハワイの若手4人くらいでスチールを弾いたアルバムでは、凄くみんな上手いんだけど、今云ったメロディーの覚え違い、和音の取り違いが何ケ所もありました。みんな凄く良い耳とフィーリング、それに我々日本人では出せないハワイの音で弾いているのに実に残念な事です。
なんて偉そうな事を云っている私も永年の間にオリジナルコードから離れたり、メロディーを勝手に変えて間違えて記憶したりしているので、機会がある度に古い本を広げて見直しています。


8月31日
私が特注で作った10弦ロックレバー(可変ワンネック)と複数ネックに着いてメールのやり取りの続きです

話せば長くなりますが、僕が開発した10弦5ロックレバーはシングルネックで8通りのチューニングに瞬時に(と言っても2秒くらい)かつ正確に変えられますが、ネックサーフィン(各ネックを次々と飛び歩くのでホノルルの連中ははそう皮肉る)ができません。

要するにJules や Barneyは全ネックを開いて飛び移っていたが、今のハワイはJerryが主流で、活躍している現役の大半がジェリーの弟子なので、今のハワイではSANDを弾くからB11、PARADISE ISLEを弾くのでE13と、おおまかにネックを変え、それぞれの切り替えスイッチでワンネックだけ鳴るよようにして弾きます。(そうしないとボリュームガ大きいとハウリングする)

本土で活躍している3〜4ネックのプレイヤーがちょっと聞くとアーシーそっくりだけど、しょっ中「間」を間違える(月の夜はーーーを月の夜はー浜に出て、と4拍待てずにすぐ出て来ちゃう)ので「あいつはなんで焦ってネックサーフィンするんだ?」とジェリー親分以下弟子たちも指さしてあざ気笑うんです。が、アーシーは1曲の中で、複数ネックを行き来しているし、バーニーモ良くダブルネックを弾きこなしていました。

1曲のなかで、スローなら1拍かそれ以下で(South sea island magic だとマジック迄E13で弾き、is made of the light from the star の8分休止でC76にサッツとネックを変えて目も頭もC76モードに切り替えて<お解りのようにE13のEコードは0フレット、C76では4フレットで、しかも弦の掴み、和音の組み立ても違う>is made of the と)飛び移って弾くのがネックサーフィンです。

ペダルはコードによってはグリスでFーC7、同じコードでもオクターブでは無くドミソ〜ミソドと転回型も弾けますがそこ迄欲張らずに色々な和音が弾きたい為にチューニングを変えるのですがロックレバーはハワイ式に近く、イントロをC76で弾いたら1小節の間に他のチューニングにレバーでチェンジして歌バック、間奏の始まる前にまたC76に戻し、、、と言う具合でインストソロでは弾きっぱなしはできません。

なぜトリプルやダブるにこだわるかと言えば、ハワイはペダルを認めないからです。(これもジェリーがきらっていたからかも) 事実ペダルを持って行けばどんな複雑なコードでもでてしまい、いわば先込め銃とまではいかなくても自動小銃とマシンガンで戦うみたいで何となく後味が悪い訳ですよ。同じ武器を持って戦略(アレンジ)と武術(テクニック)と気迫(ハート)で沢山の拍手をもらったほうがよっぽど満足感があるからです。

8月24日
最近メールで皆さんに役に立ちそうな長文のものが多く、ひとりの人だけじゃ勿体無いので公開します。

現在揃っている教材とCD
1)小林潔のPureHawaiian Style モダンスチールギターテクニック Vol. 1(ビデオ¥8,000) 2)同 Vol.2 Bar Position Exercises (ビデオ¥8,000)
3)小林 潔のMODERN STEEL GUITAR METHOD Vol.1(教本\3,990)
4)小林 潔のモダンスチールギター通信講座全28巻 初級9巻、基礎テクニック、リズム&イヤートレーニング他
中級10巻、演奏の味付け、ハーモニーの付け方、ジャズ理論
上級9巻イントロ、バック、エンディング作りのヒント、 さらに高度なジャズ理論、全巻を通してJules Ah See, Jerry Byrd Barny Issaccs Jr. 私のJazzy arrange の曲等14曲懇切指導(カラオケ付き)
各級TAB譜、46分テープ、プリントつき¥40,000。
これは、途中でペダルスチールに乗り換えた人が入る程内容充実、 努力次第で4声のコーラスアレンジも書けるようになります。
5)8弦C76(アメリカではC6かC13)を中心にB11、E13、ダブルネック 等でJules, Barny, Jerry, の完全フルコピーや私のJazzy Arangement の ハワイアン、ジャズ、ラテン、基礎テクニック等のTAB譜450曲以上
(指導テープ付きは¥7,000、TAB譜のみは1頁16小節¥700) 1)は総論で練習曲は最後にオリジナル3曲。だが、ビギナーが悩むピッキング、音のブロッキング グリッサンド、ハーモニックスなどのテクニックを超クローズアップで見たい角度から撮っています。
2)はフラット、スラント、ティップ、リバーススラント、特殊スラント(Split Strings)などあらゆるバーテクニックを練習曲で学ぶ。
3)は1983年に出版した全3巻の値ソードの1巻を復刻したもの出版社が廃業し手許に数冊のみ。
4)はビデオを買えば中級からでも、注文生産のため1週間ほどかかります。
5)のリストは無料進呈。
自主制作のCD第1弾[MyMemories Of Hawaiian Steel Guitar Ho'olaule'a (Convention)]
自主制作のCD第2弾[Honolulu I'm Coming Back Again] 「これほど凄いスチールギターアルバムは無かった」とお誉めのお言葉を頂戴しています、各々¥2,800です。全部直売ですのでこちらにお申し込み下さい。


7月17日
道産子の僕はジャガイモが大好き、特にニセ表示かと疑う前に”男爵”と書いてあればついつい”手が”出て買い過ぎ、すぐに”芽が”でてきます。春先に芽がプックリ大きくなった中くらいのイモを6つに切って庭先を掘り起こして植えてみました。小さい頃学校で植えたときは切り口に灰を付けたッヶと思い出したけどもちろん灰なんか無いのでそのまま。6月にはモシャモシャと茎が延びたけど白い花も見ない内に虫に喰われて全滅。ところが雨上がりにひょいと見ると梅干し大のじゃがいもが顔を出していた。スコップで掘り起こしたら何と大小取り混ぜてちいさなザルに山盛り。あめ玉くらいの小さいのでもホックホクで大感激。元本が消えて無くなるおいしそうな投資話しより確実に5〜6倍以上増えて凄く美味しく儲かった気分でした。

毎週日曜日はホットケーキ、マフィン、ホットビスケットなど粉ものを焼いて家族に喜ばれています。勿論、ケーキミックスでは無く、最初から粉をふるい、ショートニング(固形植物油)と砂糖をまぜ、卵黄を練り込む本格的な手作りです。
今朝はなぜか5時に目がさめたので、前から挑戦しようと買いおいていた強力粉でパンづくりの基礎、バターロールを作ってみました。
ドライイーストを直接粉にまぜるので1行程ははぶけるものの、最初に粉に砂糖、たまご、ぬるま湯をまぜて生地を練ること100回それから塩を振り込み、大量のバターを練り込むのが大変。1次発酵が1時間、さいわい電子レンジで醗酵できたので、その間に朝シャワー、2,5倍程膨れた生地のガス抜きをして小口に切り分けた所に「何してんの?」と[Waltz For Chiko]の愛妻千寿子さんが登場、息子は8時半に仕事で出かけると、続いて起きて来て、それから形成して40分、「後5分で焼き上がるから」の言葉を振り切って息子は飛び出した。
作りはじめてから3時間半、やっとオーブンから色良く焼き上がったパンを取り出し、粉もの大好きなチコの笑顔に救われたものの、3時間半で12個のバターロールなら買った方が良かったかな?と思いました。けど、クリエイティブな仕事はバッチリ完成してナンボの世界。音楽と凄く共通点があります。


7月7日
ついにまた一つ年をとってしまいました。10(とお)年とって62才!気持ち的には実年齢62才のつもりだけど、バンドの仕事で目一杯車に積んだ荷物を必要が有る迄下ろさないとか、今持っていたメモがどこにもないとか、以前に比べて根気が無くなり、すぐに他の仕事に切り替えたくなるなどこまったもんです。
お陰さまで、締め切りの6月10日には30人しか参加申込が無かった「5th"NUTS" Party」も結果100人弱集まり大盛況。
4月末に仕入れた待望のマグナトーンロングネック・トリプルとキーボードで休み無し3時間半の大活躍。参加したお弟子さん達も日頃磨いた腕を披露する等大変に盛上がりました。
翌4日夜のHo'okipa(ホオキパ)でのダニー・カレイキニ・ショウは店においてあるFender Deluxe Triple short scale でバッキング。ゲストのジョージ松下さんとは御近所同士なのに久々にバックを弾きました。
お客さんは35年前に新婚旅行でカハラ・ヒルトンへ行き、ダニーのショウにシビレた、とか半数以上がダニー・ショウのリピーター。中には一昨日カイアロハ、昨日横浜、そしてあしたはアロハステーションと文字どおり「おっかけハシゴ」の熱列ファンの方もいらっしゃいました。正に「お客様は神様」と言う訳で、ダニーも熱唱の上に得意の鼻笛、 フラ、日本の歌等大サービス。
この次のイベントは7月20日(水)Ho'okipa(ホオキパ)での小林 潔とTrade Winds ライブ。
8月4日(木)にはHo'okipa(ホオキパ)でアラン・アカカを招いて「第1回Jules Ah See 会」。
プロもアマも膝突き合わせて、若かりし頃にシビレ、今もって彼のすべてがなぞとベールに包まれている中、アーシーの事をベン・カラマやサニー・カマヘレから聞かされ、ジェリー・バードの秘蔵っ子でありながら一番アーシースタイルを継承しているアランからいろいろ聞き出し、アーシー・スタイルのレクチャーもお願いするという企画。もちろん自称他称アーシー達の演奏も有りと言う、ピュアハワイアンスタイルのスチール大好き人間達にとって最高の催しになりそうです。
この企画はハワイ、米本土、カナダ、オーストラリアに先駆けて日本でスタートします。発案者は私、Ho'okipa(ホオキパ)のマネジャー橋爪さんの働きかけで、HSGA日本コーディネーターの東間氏が快く会長を引き受けて下さりこの会が発足することになりました。
地方の方も是非参加して頂き輪を広げて行きたいと思います。
6月27日 ハワイに行く前に制作した教則ビデオ第2弾「小林 潔の(Pure Hawaiian Style)モダンスチ−ルギターテクニック 〜バーポジションエクササイズ〜」が完成、同時に好評完売していたCDー1{My Memories Of Hawaiian Steel Guitar Ho'olaule'a]も増刷し、CDー1、CDー2、Vー1、Vー2とCDと教則ビデオが完備したので全国のファンにお知らせを出した所注文が殺到、家内と2人でてんてこ舞いの1ヶ月でした。
そうこうしている内に7月3日にホテル フロラシオン青山で開催する『第5回Steel Guitar "NUTS" Club』パーティーも目前、慌ててタイムテーブルを作ったりテーブルの席を決めたリの毎日です。
そんな訳で、翌7月4日Ho'okipa(ホオキパ)でおこなわれる「ダニー・カレイキニ・ショー」のスチールはハワイに行く寸前にお弟子さんのIさんにebayで競り落としてもらったマグナトーン・ロングスケール・トリプルで出たとこ勝負。といっても数年前のクリスマスにジョージ松下さんと一緒に北海道で2日間「ダニー・カレイキニ・ショー」をやったので何となく安心。

Ho'okipa(ホオキパ)の橋爪樫男さんと少し前から「ジュールス・ア・シー・ファンクラブ」みたいなものを作りたいねと、話していたが、HSGA日本コーディネーター東間氏も話に乗って下さり、8月初めに実現しそうです。 ご存じ「ハワイコールズ・ショー」での流麗なプレイやアルフレッド・アパカと組んでヒルトン・ハワイアンヴィレッジでウェブリー.エドワーズの手綱から解き放された「暴れ馬」のような奔放なバックやソロ、36才の若さで亡くなる直前の2年間程、フェンダーのペダルスチールに挑戦し数枚のアルバム(エセル中田がハワイコールズのバックで収録したLPもそのうちの1枚)をリリースしているが、演奏しているスティル写真も少なく、ましてやムービーの映像はどこにも無さそうだ。このことはスチールギター生みの親ジョセフ・ケククの音源が全くないのと同じように大変残念だ。・・・てなことを飲みながら弾きながら語り合おうと言う会です。
あれだけ素晴らしい演奏を沢山残し、世界中に多くのファンがいるにもかかわらず、ハワイアンに関する文献はどれを見ても数行しか記事が載っていないと言う不満は熱列ファンの私ばかりでは無いと思っています。良い会に育ち、世界中のア.シー・ファンの大きな輪になればと、祈っています。


5月23日(月)
最近入門した優れもののHさんが前回のレッスンの時にHPの「Click Me」から入るCD第2弾「Honolulu I'm Ccoing Back Again」の曲目リストと亡くなったジェリーバードのライナーノーツの下に曲目解説を転記して下さり、覗きにいらした皆さんにCDの内容が良く解るようにして下さいました。昨日のレッスンの時にはさらにオリジナルの3曲を曲名の右にある8分音符をクリックすると途中迄試聴出来るようにしてくださいました。ところがなんとしてもアップできず、ピアノとウクレレのお弟子さんでバリバリのHPビルダーJ 孃に泣きつき、サっとアップしていただきました。
80年代から本格的にレッスンを始め、特殊なTAB譜用紙が無くて困っていたら洋紙問屋のIさんが1000枚も用意して下さり、通信講座のカセットテープに貼るシールは業界でも評判のNさんがポンと届けて下さり、講座の内容を記したカセットケース用の台紙は緻密な頭脳と優れたウクレレの腕をもつKさんがPCの前身ワープロでピッタリサイズのを作って下さいました。
このHPもお人好しIさんのお嬢さんK子さん(バリバリのプロ)に立ち上げて頂きその後前述のJさんに何時も助けていただいています。「ボカ〜しあわせだナ〜」なんてのんきなことを言わず、皆様のご好意に感謝して益々良い教材を作り、テンポ音痴、音程のふらつき、雑音の処理法、アドリブ上達法など スチールギターを勉強中のみなさんが抱えるいろいろな問題点を改善する方法をあみ出さねばなりません。頑張ります。
と、空を見上げたらなんと満月!前にも書いたかも知れませんが、蟹座の僕は満月に凄くハッスル(もう古い言葉かな?)するんです。そう言えば先月22日からハワイに行っていた時も見事な満月でした。文字どおり「Low Moon At WAIKIKI」「A Million Moons Over Hawai'i」でした。

ハワイではウィロウスでケイシーオールセンと、ハレクラニでグレッグサルディナ、アランアカカ、デュークチン達と一緒に弾きました。メインイベントは24日午後にアラワイゴルフクラブハウス2階ボールルームで行われた「The Jerry Byrd Annual Ho'olaule'a」(今年からHawaiian Steel Guitar Ho'olaule'aがジェリーの功績をたたえてタイトルを変えた)。
第1部はマウイ出身でカリフォルニアのパームスプリングで活躍しているDuke "Kareleolani" Ching, カナダのトロントから来たMike "Malihini" Scott, 日本から私Kiyoshi "Lion" Kobayashi, お人好しのGreg Sardinhaはリゾネータギター、本土からやって来たジェリーの弟子Frank Brandenburgの膝のせスチールが終わって休憩。
第2部はHSGAの日本のコーディネーターAkitomo "Tom" Tohma, Excel S-10 10P 5Knee, Bobby Ingano とダブルスチールで、ベースの(といっても歌手) Gary Aiko の唄で珍しい曲を演奏。本土から来たCris Kennisonは、この前ジョリエットで見せてくれた自作の8弦全部が上下半音づつ変えられるFenderテレキャスターのチェンジャー部品を搭載した珍品。(あまり正確には変わらないようだったので私のExcel Sー10、6leverの方が数段上だった)この後Bobby Ingano のきれいなハーモニックスにため息を付き、短パンにCanopusのGibson Model lap steel で登場した Alan Akaka のソツない演奏のあとグレッグ、アカカ、ボビー、デューク、私の5人がステージに並びジャムセッションでソロを廻し、もりあがったところでHAWAII ALOHAに入り、全員手を繋いで熱唱。今年はジェリーの死を悼んでと言うことと20回目という節目でもあったことから、ここ数年前よりオーディエンスは多かったようだ。(推定250人)。
直前に永年伴奏をし続けてくれていたギターのHilam Olsen がGordon M. Frietasに代わった事、楽しみにしていた天才若手スチ−ル弾きジェフ・アウホイが本土の修士課程の勉強で忙しくプレイが聞けなかったのが残念だった。
次回は再来年の4月末。後何回参加出来るかな?と考える年になってしまった。

4月10日(日)
ホオキパで3月22日に行われたアラン・アカカ・ショウは私のお弟子さんが半数以上だった為、リクエストもかなり専門的なものが多かったので、やりがいがあった様です。
前半1時間近く私がハワイの曲をピアノで演奏したあとSG/唄:アラン・アカカ、B/唄:ギャリー・アイコ、G/唄:長嶋吉則のトリオの演奏が始まり、衣装が例の白装束(白靴/白パンツ/7分袖のウェディングシャツにククイのレイ)ステージのバックが黒のヴェルベットなのでまさに夕陽が沈んだあとのハレクラニホテルのハウス・ウィザウト・ア・キーで聴いている感じそのもの、右からギャリ−、アカカと目線を左にパンしたらサニー・カマヘレが・・・と思ったら「ナガチャン」益々貫禄が出て長老の風格たっぷり。ナガチャン古希おめでとうございます!。
ステージの途中でアランとダブルスチ−ルで数曲一緒に弾くチャンスを作って下さったみなさんにも感謝します。譜割り通りに弾きなさいと何時もみんなに云っていることの裏付けが「Lovely Hula Hands」。事前にどんな曲をやる?と打ち合わせをしだけでいきなり本番。私がハ−モニ−パ−トを弾いたけど、まるでビリ−ボ−ン楽団のサックス2本が譜面を見て吹いているようにピッタリ。
今月22日からハワイに行くが、その時ハレクラニでまた合奏しようとアランと固く握手をして別れました。実を云うと、一昨年ハワイに行った時にホテルマリオットでジェノア・ケアヴェガ出演している所でアランに呼ばれ、デュエットしたのが切っ掛けで、去年の慶応ハワイアン三田会でもお弟子さんのK氏とウェルカムで25分程スチールギターデュエットをやり、好評でした。息があうと気持ち良いですよ
どうすればハワイらしく弾けるかと云うと「歌う通りにピッキングすること」なのです。みなさん是非試してみて下さい。


3月19日(土)
ひさしぶりにコマーシャルの仕事をしました。と云っても出だしのひとこすりとちょっとだけ。「キンカン塗ってまた塗って」のあの金冠堂のCMで、グッチー裕三さんの唄のバックです。今年の夏用だと想いますが、いきなりスチールのグリスで出てくるのでインパクトはかなり強いです。是非気に止めておいて下さい。
来週はアラン・アカカとマウイのヘンリー・アーレンがそれぞれ別行動で日本にやってきます。
22日は、アランがギャリー・アイコらとHo'okipa (ホオキパ)でライブをやります。一方月末にはハワイの フラフェスティバル・メリーモナークに出場するチーム、それを見に行くツアー客がドッとハワイへ、4月下旬はHSGAのホオラウレアやメンバーのコンベンションなど盛り沢山な催しがあります。
そろそろハワイで弾く曲を選んでアレンジしなければなりません。
一昨年発売した教則ビデオが完売したので今増刷をしていますます。出来上がったらお知らせしますのでお買いのがしの無いように!それから数曲弾いて解説する廉価版も全国に流れるルートで作る準備をしています。ご期待下さい。


3月12日(土)
とうとう年越しで頼まれた教材の注文にお応え出来ないまま、バレンタインも過ぎ、ひな祭りも終わり、何度やってもあわない計算と悪戦苦闘して、やっと税理士さんの所に資料を届けたらドっと1年分の疲れがでてしまいました。
そんな中、先日C76の2弦のCを半音下げてBにしていじくっていたら、スタンダードナンバーのMaybe You'll Be Thereがバッチリ弾けるることを発見、深夜ベットに入ってからも「あの曲はどうか、この曲はどうか」ど考えている内に夜が明けてしまいました。
たった1本変えるだけで、また幅がひろがります。 それから、品切れになっていた教則ビデオを増刷します。まだお買いになっていらっしゃらない方は、この機会にぜひお買い求め下さい。「小林 潔のモダンスチ−ルギタ−テクニック」(113分¥8000)


1月26日(水)
去年からハワイのスチールギター大会Hawaiian Steel Guitar HO'OLAULE'A が1年置きになったので、今年は2年ぶりにハワイに行って来ます。ハワイでの日程は
4月22日成田発、22日午前9時ホノルル着。夕方まで自由行動で、5時からハレクラニへ。
4月23日(土)予定していた10時〜12時アラモアナショッピングセンター、センターステージでスチールギター協会(HSGA)主催プレコンサ−トは中止になったので1日買い物など。
4月24日(日)2時〜5時アラワイゴルフコ−スクラブハウス2階でHO'OLAULE'A (ホオラウレア)。ジェリーバードが立ち上げて、今年で21回目位。(無料)
4月25日(月)〜27日(水)9時〜5時まで3日間HSGA会員が腕を競い合うホノルルコンヴェンション。会員のみの大会なので入場者は年会費と3日通しの昼食券付きチケットを買うので$90くらいかかる。
30日11時〜12時ワイキキカパフル図書館でHSGAのコンサート。
5月1日(日)朝から午後までカピオラニ公園バンドスタンド脇のテントでHSGA会員のコンサート。 今年は4月22日出発で5月2日ホノルル発3日成田着のスケジュールでハワイを堪能して来ます。この期間中ホノルルにご滞在の方はぜひ応援に来て下さい。


1月9日(月)
Hawaiian Steel Guitar "NUTS" のみなさん、あけましておめでとうございます。
昨年中はご声援有り難うございました。今年もよろしくお願いいたします。
正月そうそうからショスタコヴィッチの組曲でハワイアンギターのパートがあり、本当はリゾネ−タ−ギターの方が良かった様ですが、何せ結構高い音からのグリスダウンもあり、Gトップで練習したので 愛用のExcel10弦ハンドチェンジロックレバーを持って行き、なんとか無事に演奏しました。
僕が1番端にいたからでしょうけど、ジャン!と終わったとたんマエストロ井上が満面笑みを浮かべて駆け寄り、かたい握手をしました。ソリストほかにもいたのに。 そのあと拍手が鳴り止まぬこと数分。ソデに引っ込んだマエストロが3回目に出て来て全員で何度目かの最敬礼をし、コンマスに促されて僕から順に退場してやっと拍手が鳴りやみました。
イヤ〜気持ッい〜!最高!
東京文化会館が最上階の席まで満席、始まる直前に新聞社の方が何とか2名と電話があったけど断っていたみたいです。文字どおり満場の割れんばかりの拍手に思わずトリ肌が立ってしまいました。
手紙の翻訳をいつもして下さるI氏がこの記事をSteel Guitar Forumと言うアメリカのサイトに投稿した所けっこう反響がありました。Nonpedalerという項目です。 今年も頑張りますのでご声援下さい!

12月28日(火)
ついに6回目の年男になってしまいます。
かなりのHULA ブームUKULELEブームの割には, 本場ハワイでもスチールギターはますます脚光をあびなくなってきました。
これは、ひとえにスチール弾きのリスナーに対するアピール不足では無いかと思います。今年はもっとライブの場を多くして少しでも多くの人たちにスチールギターの生の音を聞いてもらうべく老体にむち打って頑張るつもりです。
教材の方もTAB譜は間もなく450曲、教材ビデオも前作に実戦の各種バーポジションのエクササイズを加え、1発検索が出来る2枚組DVDも企画しています。自主制作CD第3弾も指が動く内に作ろうと選曲やスタイルを模索中です。
正月3日は都響の客演でショスタコヴィッチのJAZZ組曲を東京文化会館で演奏、5月には2年ぶりにホノルルでスチールギターホオラウレアに参加します。 あなたの周りで、幼児音楽教育を受け、スチールギターに興味があるティ−ンエイジャ−がいらしたらぜひご紹介下さい。このままでは近い将来日本からハワイアンのスチールギタリストが消滅してしまいます。
災いが多く最後に大津波に見舞われた2004年。来年は良い年になりますように。

12月7日(月)
このHPのSTEEL GUITAR TUNINGSのページを加筆し、小見出しも付けて読みやすくしました。TUNINGに興味のある方はぜひごらんください。
相変わらず多忙な毎日に追われいます。「Modern Steel Guitar Method」を書いてから22年も経ち、その間に100人近いお弟子さんを教えて得た経験を活かし、来年そうそうもっと初心者が解りやすく、 効果的な練習方法を盛り込んだ練習曲のTAB譜とテープ、できれば教材ビデオ第二巻をつくりたいとおもっています。それと合わせて28巻までで終わってしまった通信講座の「How To Play Backup」「How to Play Fake and Ad-lib」と言う初級、中級、上級、の上の「専科」を作りたいと思っています。それとウクレレの本がかなりでていますが、一歩上を行くソロ曲集もぜひ作りたいのですが、なかなか時間が取れないのが現状です。
もうすぐクリスマス。恒例の飾り付けを先日しました。カーポートの前にある名も知れぬ雑木を形良く刈り込み、2階のトイレの窓から3方に電飾コードを投げ下ろして豆電球をかざり、なぜか教会を思わせる壁面に直径60cm程のリ−スをかけ、リースもてっぺんにリボンとベル、緑のモミの葉の周りに7つのおおきな松ぼっくりと言うシンプルなもの。毎年同じだけど通りかかる人々がいつも愉しみにしているので今年もやりました。大晦日には去年大きなしめ縄2本とお飾りでこしらえた正月飾りに掛けかえる予定です。

11月15日(月)
あっと言う間にまたまた2ヶ月近く時が過ぎ、その間に熱心だったお弟子さん、家から4軒先にお住いのジョ−ジ松下さんの奥様、親戚の伯父と3つのお通夜に参列。早めに会場に駆け付けたこともあってか、参列者の前の方に座ったせいもあったが、読経が始まったとおもったら「ご順に御焼香を」と促され、悲しみの涙も出ない内にお浄めの席に案内され、「世の中みんな忙しいんだ」と痛感しました。
親戚のお通夜は、お寺の境内にある00寺斎場で何と神主さんに依る神式の葬儀で、参列者のほとんどが戸惑う中、礼拝の作法を「お榊は左手を上に、右手で上から押さえる様にして受け取り、切り口を時計周りに祭壇の方に向けてお供えし、二礼二拍(音をたてないように無音で)その後一礼して下さい」と喪主の時から参列者が多かったせいも有るが10回以上おなじことを神主さんがマイクで説明するので悲しむどころでは無かった。神国ニッポンとはいえ、神式行事とは疎遠になってしまった今では仕方が無いかも。
さすが我が母校慶応義塾と感動した行事が二つあった。 一つは10月2日(土)の日吉キャンパスで催された連合三田会。塾員に依る音楽を今年のテーマにしたこともあって、3つの会場で朝から夕方までフルバンド、コンボ、タンゴバンド(オルケスタ・ティピカ)コ−ラスグループ、フォークグループ、カントリー&ウェスタン、ブルーグラス(マウンテンミュ−ジック)、ハワイアン等腕によりをかけての競演。そのどれを取ってもプロはだしの腕前。メインイベントは79年卒の中村雅俊/松任谷正隆のトーク&ライブショー。抽選会の商品も自動車数社から提供のセダン数台を筆頭に、豪華海外旅行ペア券数点、高級ブランド商品の数々等。
もう一つは、11月7日(日)夜、青山骨董通りのジャズライブハウスBLUE NOTEを貸し切っての慶応ブライトリズムアンサンブル(だと思った)KBRカルアアイランダ−ス結成50周年記念パーティー。昭和32年卒の人たちで29年に立ち上げたコーラス重点のハワイアンバンドがハワイのインヴィテーションズのLPにシビレ、当時から現在までトップで活躍し続けている前田憲男氏にコーラスコピーとバンドアレンジを依頼、西は同志社のタイムファイブと毎年妍を競いあうジャズコーラスハワイアンバンドとなり、フォーフレッシュメン、ブラジル66をへて、70年代以降はマンハッタントランスファー、フュージョン、ゴスペルへと発展して行った。この変遷を5つの年代別グループで前田憲男指揮、慶応ライトミュージックオーケストラの若手ピックアップメンバーのフルバンドをバックに熱演。休憩の後、サーカス、タイムファイブという豪華ゲストグループに依る素敵なコーラスサウンドをタップリ聞かせ、両グループのジャムセッションでル−ト66、露木茂のMCでクロ−ジングテーマガ流れた時には感涙が思わず流れてしまった。
残念だったのは、ハワイアンバンドが母体なのに、スチールが32年卒のダブルネックを弾いたU氏と、今回のコ−ディネ−タで、ハワイアン三田会でダブルスチールを弾いた私の一番弟子K氏(Excel D-10)が60年代全半と後半としてスチールを弾いただけで、後はロック系や、フュ−ジョン系のバンドと混声コーラスになり、スチール弾きガ途絶えてしまったことだつた。
時代の趨勢と諦めず、カッコいい後輩に新しい感覚で是非スチールギターを弾いてもらいたいものだ。 感覚の研ぎすまされたギター坊やなら3年で結構な線まで行くと信じている。

9月29日(水)
あっと言う間に時が過ぎて行きます。
慶応のパーティーはお陰さまで大成功。K氏と二人のHarmosによるデュエットは話題を呼びました。9月のイベントは11日(土)の午後世田谷大蔵の育成病院?とか言う東洋一近代設備の整った小児病院で働く人たちの慰労パーティーに世田谷のウクレレ教室「ピカケ会」のみなさんと出演したボランティア演奏会。25日(土)は朝の便で青森へ飛び、弘前市の「煉瓦亭」で地元のみなさんの伴奏でライブ。翌26日は「ねぶたの里」など近辺ドライブ、そして浪岡市内のK獣医師さん宅で羽田行きの最終便に近い飛行機の出発ギリギリまで懇談とブンチャカの、楽しい2日間でした。
10月2日(土)は久々に世田谷馬事公苑前の「KUU IPO]でピアノの弾語り。17日(日)は神奈川県日吉の慶応義塾大学内で連合三田会のイベントとしてオール慶応で編成した小林 潔とTrade Windsで大講堂と来往舎でライブ。
10月24日(日)から青山ツインタワービル内NHK文化センター青山教室でのウクレレ教室が始まります。3時半から90分授業で、隔週11回3月までが1タームとなっています。
次々とTAB譜を書いては原稿とコピーを山積みにしてどうにもならなくなり、お弟子さんのI氏にお願いして、まる1日掛かりで整理した所、完成TAB譜は総計440曲になりました。これからも元気な内は書き続けます。ここ数年来ペン先がだぶって見えたり、すぐに気が散ったりで以前にくらべたら凄くスローペースになってしまったのは年のせいですかね?頑張らなきゃ! 8月6日(金)
”ナッツパ−ティ−”は結局93名集まりHULA の友情出演もあり、賑やかに盛り上がりました。
話題のスチールギターHarmosもお弟子さん2人と私のと合わせて3台も同時に集まり、2台づつデュエットで演奏し、注目を浴びました。
何しろ、軽くて、音が伸びて、ハワイアンらしい甘い音色、これで10弦やD−8が出来たら最高!8月29日(日)に全日空ホテルで催される「ハワイアン三田会」ではペダルと音楽理論をばっちり教えたK氏と二人でウェルカム約30分、本番15分を、このHarmosuでデュエットで演奏します。びっくりするみなさんの顔を見るのが今から楽しみです。
7月はHo'okipa (ホオキパ)も15回だったし、レッスンも新人が増えたり、地方からの教材の注文も多く、さすがにヘトヘトでしたので31日夜、スケジュールが空いていたので、隅田川の花火大会に?十年ぶりに行って来ました。
今思えば55年前の今夜、高校1年の花火大会の日に4月に結成したばかりのクラスメイトとのバンドTahitian Serenadersを率いて、父が工場長だったライオン歯磨厩橋工場(現本社)の木造?2階建ての屋上で「たまや〜!カギや〜1」の歓声とドンパチいう炸裂音に負けじとばかり、ありったけ30曲ばかりのレパートリーを懸命に弾いた「初陣」の日だったのです。母に作ってもらった一反風呂敷きのアロハ、首には姉に作ってもらった京花紙?桜紙?(エッチなイメージの薄紙)のレイをふんわりとかけて・・・。
8月2日。またまた突然に6時起きで白河(那須高原の近く)に家内と行って来ました。30代の頃に北海道の面影があったことから買ってしまった原野2ケ所を現地確認をかねてみにいったんですが、黒森ダムの方はぼちぼち別荘が立ちはじめた物の、もう1ケ所の馬場坂と言う所は、当時「小林様ご別荘御予定地」なる真っ白い立て看板が有り道も鋪装されていたのが、車はおろか人も入れない有り様。 往復450キロのドライブはちょっときつかったです。


6月23日(水)
6月は1日から1ヶ月の契約で毎週火曜日に立川の先の日野までウクレレを教えに行ったり、去年の10月に一緒にライブをやったマウイ島のHenry Allen の伴奏で11日を皮切りに都内、湘南5ケ所程譜面と首っ引きの緊張の連続。しばらく休んでいた生徒さんが戻ってきたり新人が増えたりで、ひどい時は朝大宮に行き、帰って2レッスンをこなしてからHo'okipa (ホオキパ)とか、日曜日、朝から夕方まで4人個人レッスンなど、かなり多忙なひと月でした。 そんな中、フラの方達に呼び掛けた甲斐があって、24才の青年がスチールを習いはじめました。プロではとても喰っていけないマイナーで季節労働者的な楽器ですが、趣味でもいい、このすばらしい楽器を若い人にぜひ伝えたいです。
7月4日(日)はホテルフロラシオン青山で第4回スチールギター”ナッツ”パ−ティ−、お陰さまで80名程集まります。23日(金)はHo'okipa (ホオキパ)で小林 潔とTrade Windsのライブ。7月でHo'okipa (ホオキパ)開店2周年と言うことで14、21、28日(水)にハワイアン、ジャズ、カントリーの同店出演者達が集まって盛大なセッションをやります。

5月20日(木)
What's New!!そうです!いきなりE13のスチールの音が流れてきてビックリされたと思います。
2月にご紹介したウクレレのお弟子さんJさんが、お忙しいご自分のスケジュールをさいて、僕のわがままを聞いて下さいました。MAHALO NUI LOA!402曲に及ぶTAB譜リストもそんなに時間をかけづに開けるようにして下さいました。ぜひ御覧になってご注文下さい。近い内に私のCD第2弾「Honolulu I'm Coming Back Again」の中から数曲音がきけるようになる予定です。
「NEWEST TABLATURE」のメニューもご覧下さい。これは私が作りました。最近E13のTAB譜をよく書いています。最近のヒット作はC76ですが「浜辺の歌」と「My Maui」E13の [East Of The Sun] [Coquette] も面白いですよ。20年以上愛用していたシ−ケンシャルサ−キット社のドラムトラックスというリズムマシーンを壊して以来リズムが気に入らなくて教材用のテープ制作に全然意欲がわかず、数年前に買ったRolandのDR−3は数万円かけて教室にかよってもとてもとてもアナログおジーさんの手におえないシロモノで弱っています。どうしてもっと簡単に操作出来るようにならないんでしょうね。

5月6日(木)
本来なら今頃成田に向かう飛行機の中、結局この1週間家にいて山ほどたまっていた仕事の半分程を消化しただけ。今日からまた目まぐるしいスケジュールに追われる毎日が始まります。 先日夜、高田馬場でピッキン・クラブの会があり、例のHarmosとマイクスタンドくらい太い3本脚を持って参加し、Danny Boy,My MAUIなど特殊スラント、トリックスラント、逆スラントなどを駆使して弾きました。
見たくれは、火星探索機のドアがミ〜〜ッと開いて中から運び出された観測機器といった感じ。4/12の項で書いたとおり本体4.5kg、脚が4.5kgと超軽量、奇抜なデザイン、甘くて伸びが凄い音にみんな注目していました。
カントリーはどんどん若手が育っていますが残念ながらハワイアンの方は平均年令68〜70歳?と精神年令は別として肉体年令は超高齢化しているので、軽くて音がよいのは最高!ただ送料含めて20万円弱と言うので二の足を踏むと思います。

4月29日(木)
この20年来今日あたりはハワイ行きの準備か今頃は成田、または、すでにホノルルで駆け回っているところだが、今年はHO'OLAULE'Aが中止になったので、数カ月前から溜まっている教材の整理とアナログ・オープンリールで録音した音源をデジタル16チャンネルのCDーRWに落とす作業、それと譜面の整理に当てるつもりです。デジタル化はベースマンのOさんが引き受けて下さり大助かり。
6月10日頃マウイのヘンリー・アーレンが来日し数カ所のライブで伴奏をすることになり、今朝マネジャーのミカさんと我が家で打ち合わせ。ハワイにいけなかった腹いせに、私が粉振るいから全行程手作りで焼いたパンケーキ、スクランブルエッグ、ソーセージ、グリーンサラダ w/ブルーチズソース、フルーツ盛り合わせ、グレープフルーツジュース、コーヒー、一昨日の嵐が嘘のように燦々と降り注ぐ朝日をテーブル一杯に浴びてのちょっと贅沢なブレックファストでした。
市川のTさんに前から頼まれていたMY MAUI、セカンドアルバムではペダルデ弾いていましたが、工夫をこらして書き直して行く内に、C76ですばらしい演奏ができるようになりました。 さんざんお待たせしたけど、近年にない自信作になりました。
御希望の方はメールをください。
HPビルダーのJさんが近い内に400数曲のTAB譜リストをすぐに立ち上がる軽い書類にしてアップして下さるそうです。そのうちCDの音や、演奏テクニックのムービーものせられればいいなと思っています。

4月12日(月)
このところ音楽界での死亡ニュースが続き、いやになります。 ピアノの世良譲さん、マヒナスターズの和田弘さん、ペダルスチールの元祖アルビノ・レイ、カントリーペダルスチールでジミー・ブライアントと火花が飛び散るようなアンサンブルを聞かせてくれたスピーディー・ウェスト、ベン・カラマ、バーニー・アイザックスJrとHawaii Calls soundを守りとおしてきたMr.ハリウッド,サニー・カマヘレもつい先だってなくなってしまった。
東京近辺の人では横浜税関に勤めながら永年スチールギターを弾き続けファンも多かった荒川浩治さんも先日なくなられた。御冥福をお祈りします。
冬なみの寒さ、強風、土砂降りの雨に叩かれて桜の花もアッと言う間に散ってしまいました。 例年なら今頃ハワイのSteel Guitar HO'OLAURE'A で弾く曲の練習や旅行プランでうきうきしているところですが、お客さんやメンバーの老齢化もあってここ数年メンバーのコンベンションガない奇数年は客足が落ち込んでいたことから、今年からSteel Guitar HO'OLAURE'Aはメンバーのコンベンションがある偶数年のみの1年置きに開催することになったので、83年から20年続いたハワイ行きを残念ながら中止しました。今年のゴールデンウィークはFostexの7インチオープンリールに録りだめた70本余の音源をFostex VF160 デジタルマルチレコーダーに転写して音源を統べてデジタル化する作業をする予定です。今回はお弟子さんOさんのおいとこさんにヘルプしていただきます。英文の手紙で例の画期的デザインで軽量(4.5kg)かつ音の伸びが抜群のHarmos Steel Guitarとやり取りするのはNYでバリバリ仕事をなさったお弟子さんのIさん。音楽と料理以外は全くダメな私をたくさんのお弟子さんが色々と支えて下さっています。MAHALO NUI LOA!

2月5日(木)
最近ウクレレのお弟子さんになったJさんは何とHPビルダーのプロ。先日忙しい中、家まで来て頂いて取あえずこのページの書き込みが出来る様にし、古い記事を下に追いやり、アンカーも付けて頂きました。感謝感激!!。
何しろ1年ダンマリだったので何から書こうか迷いますが、順を追って言えば、4月の終わりから5月の初め、恒例のハワイでのホオラウレアとハワイあちこち弾きまくり。7月7日はHo'okipaで古稀ライブ、8月の慶応ハワイアン三田会ではウェルカムで「これぞピュアハワイアン」という甘いスチールギターの音をたっぷり演奏。10月1週はシカゴから車で1時間、禁酒法時代にアルカポネ一味がぶち込まれた刑務所のある町ジョリエットで17年続いているHSGAメンバーの3日3晩ぶっ続けコンサートに初参加。11月の終わりから12月1週までマウイ島のスチールギター、ギター、ウクレレのマイストロ、ヘンリー・アーレンの日本公演にべったりおつき合いしました。

2004年1月16日(金)
このサイトのファンのみなさん、明けましておめでとうございます。
昨年8月初めから通信トラブル続きで、何としてもモデムが繋がらず、やむなくOSを入れ替えましたが、私のPC音痴がたたってCDにとったバックアップがエイリアスだったりしてHPはめちゃくちゃになってしまいました。
と、言うわけで、昨年7月以降このページは休眠中でしたが、また頑張って書き込みますのでヨロシク!




| TOP PAGE | 2002年以前のPage |








July 20,2002
tell application "Finder" activate select Finder window 1 select Finder window 1 open document file "6sgtunings.html" of folder "lesson" of folder "rimnet_lion_hp" of folder "Desktop" of folder "k_lion_k" of folder "Users" of startup disk end tell tell application "Finder" activate select Finder window 1 select Finder window 1 set position of Finder window 1 to {315, 431} select window of desktop select window of desktop end tell tell application "Finder" activate select Finder window 1 select Finder window 1 select Finder window 1 select Finder window 1 select Finder window 1 select Finder window 1 close Finder window 1 close Finder window 1 end tell