ダニエル・ディ=ルイスは姓がディ=ルイス、名前がダニエルである。
もっとも正式名はダニエル・マイケル・ブレイクなのだが,ブレイクは父セシルの母方の姓に由来し、マイケルは祖父サー・マイケル・バルコンからとられている。サー・マイケル・バルコンはイギリス映画界の重鎮として「マダムと泥棒」「波止場の弾痕」などをプロデュースした、エンストリー・スタジオの主任サー・マイケル・バルコンの事である。そしてダニエルの名は19世紀初頭アイルランドで弾圧されたダニエル・オコナーからつけたようだ。
アイルランド人の父は最愛の息子にその名を託したのは深い意味あっての事であろう。

ダニエルの父セシル・ディ・ルイスは桂冠詩人(国王任命の王室付詩人)であると同時に著名な作家でもあり、ニコラス・ブレイクの名前で数多くの推理小説を発表している。冒頭の話に戻るが、同じ姓のはずなのに、セシル・ディ・ルイスのディ・ルイスには「ハイフン」が無い。セシル自身が「裏返しの俗物根性」と言う表現をしているが、その名によって階級的に上位にあると思われたくない意識の現われであったようだ。(イギリスではハイフンでつながれた複合姓は必然的にそう見られる)

その父と、セシルの2人目の妻で女優のジル・バルコンを母にもつダニエルは、14歳で父を亡くし、15歳で名門校をドロップアウトするが、祖父のマイケル・バルコンの薦めで次第に演劇の道に進むようになる。舞台にTVに映画に活躍するダニエルだが、実はファッションモデルの経験もある。彼の指先から足の先までの行き届いた美しいディテールは天性の持ち物だろう。

その頃の舞台では、ルパート・エバレットの代役で、「アナザー・カントリー」のガイ・ベネットの役を演じ、「ロミオとジュリエット」のロミオ役では英国ツアーも行っている。その後、TV映画用にとられた「マイ・ビューティフル・ランドレット」が「眺めのいい部屋」と、米国では同時に公開されたため、あまりにも極端な役柄の違いを、見事に演じ分けたダニエルは、それ以来カメレオン俳優と呼ばれるようになった。
それから約2年以上後になるが、「存在の耐えられない軽さ」のトマシュ役を、どうしても演じたかったというダニエルは、この役には歳が若すぎるといわれたのにも関わらず、髪型をオールバックにするなどして実際の歳よりも老けて見せる演技をしている。この作品を撮る前、舞台ではロシアの天才詩人「マヤコフスキー」や、『審判』などで知られる文学者「カフカ」を演じている。その経験がトマシュでみせた落ち着いた雰囲気につながったのかもしれない。次に出演した「マイ・レフトフット」では障害のある男の役を、まるで顔が別人に見えるほどの演技で見事アカデミー主演男優賞を受賞する。
アカデミー賞を獲ったあとでも、相変わらずダニエルの仕事選びは、筋が通っている。アイルランド紛争をテーマにした作品2本への出演を決めたのも、名前に託された父の思いと言うよりも、むしろ彼自身のアイルランド人の血がそうさせたに違いない。「ラスト・オブ・モヒカン」も19世紀の魔女狩りがテーマの「クルーシブル」も、選ぶ作品1つ1つにダニエルの生き方を感じずにはいられない。残念ながら97年の「ボクサー」を最後にいまのところ映画活動を休止しているダニエルだが、一日も早くスクリーンに復帰する日をこころから待っている。