2006年 5月26日
日本郵政株式会社 代表取締役社長 西川善文様

社団法人 日本建築家協会(JIA)
      関東甲信越支部   支部長  松原忠策
同 保存問題委員会  委員長  川上恵一
近畿支部   支部長  出江 寛
同 保存再生委員会  委員長  橋本健治

「東京中央郵便局庁舎」および「大阪中央郵便局庁舎」の保存活用に関する要望書

 拝啓 時下益々ご清祥の事とお慶び申し上げます。
 貴社におかれましては、旧逓信省時代より日本の建築文化の継承に深い理解を示され、また本協会の活動にも積極的にご支援を賜り、深く感謝致します。
 さて、2005年3月2日の新聞報道によりますと、郵政民営化に伴い、東京中央郵便局と大阪中央郵便局を、交通至便な立地を生かし、高層ビルに建て替える旨の発表がありました。大都市の中心駅前の顔でもある両中央郵便局庁舎が壊される可能性があることを知り、私たちは、都市景観や建築文化の観点からも大変重大な問題であると認識しております。
 多くの建築家を擁し、自ら建築の表現の先端を担ってきた組織であった旧逓信省は、戦後郵政省と電気通信省に分かれた後も、機能性やビルディング・エレメントの体系化など、まさに時代をリードする建築活動を続けてきたと思料します。中でも、1931年(昭和6年)に竣工した東京中央郵便局庁舎、1939年(昭和14年)に竣工した大阪中央郵便局庁舎は、日本近代建築史上に大きな足跡を残した逓信省の建築家、吉田鉄郎(1894〜1956)の特筆すべき代表作と見なされております。
 東京・大阪両中央郵便局庁舎は、煉瓦造や様式主義の外観構成が主流だった当時、吉田鉄郎が鉄骨・鉄筋コンクリートで柱・梁の骨組みを外観に明確に表出し、日本の伝統建築にみられる真壁構造の表現と、当時の先端技術を合理性・経済性の融合の中に完成させた作品として位置付けられています。それは、東京中央郵便局庁舎が、様式建築の明治生命館(国重要文化財・1934年)よりも早く竣工していることからも、いかに画期的であったかを窺い知ることができます。吉田鉄郎は、当時の「現代建築」を、「個々の建築の機能、材料、構造等から必然的に生ずる建築形態をもっとも簡明に表現する」と捉えており、特にプロポーションを重視し、簡素ななかに重厚さと、細部まで機能に即した美しさを求めました。東京・大阪両中央郵便局庁舎は、昭和初期の日本の近代建築の到達点が示されており、日本のモダニズム建築「DOCOMOMO100選」にも挙げられております。
 高層化が進む大都市の中心駅前地区の中にあって、同時代の建築作品がわずかとなった今日、この東京・大阪両中央郵便局庁舎が街並みの中に実在の近代史として現存し、都市景観の構成要素となっていることは、都市にとってかけがえのない価値があると考えます。またこの二つの庁舎自体が、建築表現上の、あるいは街並み景観上の、大きな変化をもたらした転換点であるということ、それは希少性ではなく、唯一性、すなわちそのものだけでしか伝えられないものであり、置き換えることの出来ない、都市の共有財産であると言えます。

 それぞれの中央郵便局庁舎固有の特徴を概観いたしますと、両中央郵便局庁舎がともに存在し続けることによって、始めて伝えられる近代の偉業であることが了解できます。
 東京中央郵便局庁舎では、吉田鉄郎は、まず構造の特性を利用して窓面積を大きくし、純白の壁面と純黒の枠を持った大窓の対照により、明確にして清楚な建築を求めました。背面にも庇や煙突などの必然的な要素により、近代的な構成美を追求しています。また、主要な窓口事務室では、白い壁を背景として黒色大理石の八角柱やカウンターが並ぶなど、室内でも形態と色彩の単一調和を図ったとされ、20年前の改修時に、当時の郵政省担当者の努力により、新旧調和を重視し機能上の更新に限るなど、今でも往時の姿をとどめていると言えます。
 東京中央郵便局庁舎に関し、これらの観点から、社団法人日本建築家協会関東甲信越支部、同保存問題委員会では、過去に3度、顕彰を求める要望書を郵政大臣、文化庁長官、都知事宛に出してきました。しかし、同庁舎の文化財登録等の顕彰には、未だ実現にいたっておりません。
 また昨年12月、関東甲信越支部、同保存問題委員会、近畿支部、同保存再生委員会の連名で総務大臣、日本郵政公社総裁宛に、東京・大阪両中央郵便局の保存を求める要望書を提出いたしました。
 現在、東京都江東区にある新東京郵便局との業務棲み分けが奏功し、肥大化する機能への対応や狭隘化に関する問題は免れられていると推量しております。また大きな階高など設備の更新に対しても十分な余裕があり、これからも十分に中央郵便局の顔としての意義は果たし続けるだけの基本的な性能を備えているものと考えます。
 大阪中央郵便局庁舎では、東京中央郵便局庁舎での手法に洗練を加え、「白にも鼠気を少し入れ、黒もやや鼠がかった程度」と吉田鉄郎が表現した灰紫色の外装タイルと、日本の伝統建築に通じる厳密な比例の美に基づく架構と窓サッシ割りにより、飽きこない上品で端正な建築にまとめあげられました。最上部の大きな庇は、日本建築の伝統に着目した意匠で、外観全体を引き締めていますが、逓信建築から始まった手法として広く日本の近代建築に応用され、今日でもその有効性を発揮しております。
 現在、「郵便輸送ネットワークの西日本の拠点」と期待される大阪市此花区にある新大阪郵便局により、東京中央郵便局庁舎同様、狭隘化等に関する問題は免れられていると推量しております。また、1995年の阪神大震災を経て1998年に若干の耐震補強がなされ、いまだ堅牢さを示していると言え、これまで以上にますます市民に親しまれる生きた中央郵便局として、大阪の玄関口としての存在感を示し続けていくことが期待されております。
 近年、大都市中心駅前の近代建築が開発などにより失われていくにつれ、歴史を刻んだ生きた実在としての建築の尊さを痛感せずにはいられません。かつて、輸送の中心が鉄道であった時代の駅舎と郵便局との直接的なつながりを示すトンネルなどの遺構も、日本の歴史や文化の証言者ではないかと考えます。ぜひとも、この東京・大阪両中央郵便局庁舎のもつ社会的・文化的・歴史的な価値を顕彰していただき、大都市中心駅前の街並み景観をはじめとする様々な文化的意義を継承するためにも、両駅前の現地において、中央郵便局の象徴として保存活用されますことを要望したく、ここにご高配をお願い申し上げます。
 尚、私たち日本建築家協会関東甲信越支部、 同保存問題委員会および近畿支部、同保存再生委員会は、上記実現のためできる限りのご協力をさせていただくことを申し添えます。

敬  具