2006年 9月29日
世田谷区長 熊本 哲之 様

社団法人 日本建築家協会(JIA)
      関東甲信越支部 支部長  伊 平 則 夫
同 保存問題委員会 委員長  川 上 恵 一
                   同 世田谷地域会 代表   阪 田 誠 造

「旧飯箸邸」の保存に関する要望書

拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。

 さて、現在今泉家が世田谷区等々力に所有する「旧飯箸邸」の建築は、1941(S16)年に建築家・坂倉準三の設計により竣工した、昭和期を代表する住宅建築です。この住宅は、團伊能(美術史家・実業家・参議院議員)により建築され、その後早い時期に團の東京大学での教え子である今泉篤男(美術評論家)に譲られ、以後長年に渡り今泉家により大切に住み続けられ、維持されてきたと伺っております。坂倉は建築家を志す以前、東京大学で西洋美術史と美学を専攻し、今泉氏とは旧知の間柄でありましたが、このような交友関係の中で「旧飯箸邸」が歴史を刻んできた事は、美術批評史の面からも重要な意味を持つと考えられます。
 坂倉準三は、戦前、フランスで建築家・ル・コルビュジェに師事し、当時の新しい建築思潮であった近代主義建築を直接学びました。坂倉は戦後その成果を遺憾なく発揮し、神奈川県立近代美術館(鎌倉)、国際文化会館(六本木)、羽島市庁舎(岐阜県)、新宿駅西口広場を始めとする多くの優れた建築を残しました。また、自らが率いた設計組織である坂倉建築研究所において多くの優れた建築家を育て、現在に至るまでその思想は日本の建築界において大きな流れとして活き続けています。また、私共日本建築家協会においては2期に亘り会長職を務めるなど建築家の職能の確立にも努力し、今なお多くの建築家の尊敬を集めております。
 「旧飯箸邸」はその坂倉の現存する最初期の作品であり、その後の坂倉作品の展開の原点として重要性を持つのみならず、戦前期日本における近代主義建築の受容や、昭和初期における住宅建築の展開を考える上においても歴史的重要性を持つ建築です。空間の構成においてはコルビュジェからの影響を強く伺わせながらも、意匠においては近代主義建築の原則とされたフラットルーフ(陸屋根)でなく、日本の伝統を思わせる瓦葺きの勾配屋根を採用するとともに、居間と庭の空間を随意に分割/一体化する大型の片開き建具を考案し、また、母屋から軒天井を浮かし、軒先を薄く見せることにより、重くなりがちな瓦屋根の表現にシャープな表情を与えるなど、随所に時代相を反映した独自の美意識と、それを実現するための高度な施工技術が発揮された、僅か30坪の木造小住宅とは思えない極めて完成度の高い豊さを湛えた建築でもあります。また、世田谷美術館において1989年に開催された「田園と住まい展」においても取り上げられましたように、世田谷の郊外住宅地としての発展を考える上で、建築家の手による近代主義建築が「東横ジードルンク計画」(1936・蔵田周忠設計により一部が実現・現存せず)に続き等々力の地に出現したことは注目に値する事象と思われます。

 今般、諸般の事情から「旧飯箸邸」の存続が困難な状況となっていることは誠に残念であり、日本建築家協会としては、当該建築の保存・活用に当たり、地域の文化的な資産として世田谷区が積極的な保存・活用措置を執られますことを要望いたします。

 なお、社団法人日本建築家協会関東甲信越支部、同 保存問題委員会、同 世田谷地域会は、「旧飯箸邸」の保存活用について、出来る限りの協力をさせて頂く所存である事を申し添えます。

敬  具