新酒

winter view (i)
winter view (iii)

 新酒の季節となった。
 ほんとうに新酒の季節なのか――話はこの疑問からはじまる。
 飲みの席で二月にはいると「新酒のおいしい時期になりましたねぇ」などと、よくそんな会話をしていたのだ。
 ふと気になって調べてみることにした。こればかりはさすがの理科年表でも歯が立たない。でも大丈夫。インターネットなんて便利な道具があるわけで、さっそく「新酒」で検索をかけてみる。
 まず気づくのは十一月と二月というふたつの記述があること。いくつかのページの内容にあたってみると、ある傾向が見えてくる。二月で書いてあるのは酒好きのひとの日記や経験談。十一月は個人ではなく酒蔵の商品紹介が目立つ。
 明らかに異なるふたつの視点が存在する。――ここからさらなるウェブページ探索がつづいていくわけだけれど、ちょっと立ち止まって考えてみよう。
 原料のお米が収穫されるのは秋、それも陽射しがまだ高い時期である。それからすぐに仕込みにはいるとすると、暦の上ではそろそろ春、冬も出口の見えはじめた二月ではどうも遅い。秋の終わり、十一月というのはなかなかに時機を得ていると思える。
 もし十一月が正解で、二月というのが間違いなのだとしても、だいぶ流布してあちこちで語られている模様で、それなりの理由があると考えたほうがよさそうだ。
 ウェブの記述の多くが経験を語っているということは「この時期の酒はうまい!」という実感が流布を推進している可能性もある。
 ここで「寒い夜に熱燗をキュッ」なんて耳慣れたせりふを思い出した方もいらっしゃるかも知れない。実はぼくは熱燗を飲まないので、そういう意味で冬のお酒をおいしいと感じる機会はあまりない。通は冷酒という声も聞かないではないけれど、あまりおいしい熱燗に出会ったことがないというのが実際のところだと思う。
 それでも冬のお酒はおいしい。この経験的実感は食べものによるところがほとんどで、新酒であるかどうかによるわけでもない。魚が全般においしように感じるのは気のせいだろうか。だとしても、あん肝や白子といった季節ものがある。寒さを思うと、湯どうふや大根やかぶらを炊いたものがいい。この手の熱い食べものには冷酒のほうがあうように思うのはちがうだろうか。刺身類にも冷と思うので、どっちにしろなんだけど。
 鍋ものはごたごた感があるんで湯どうふの簡素さがやはりいい。もしかすると邪道なのかも知れないけれど、少し鱈がはいっているのもいい。いろいろな具がごたごたとしているのは食事にふさわしくても、お酒のつまみとしては少々品に欠ける。お腹をふくらませるのと、自然の恵みに感謝するのはのとはちょっと違う。お酒を通して恵みに応えるには心持も大事だと思う。もちろん愚痴ったり叫んだり暴れたりしてはいけない。お酒は酔っ払うためのものではない。
 新酒は収穫への感謝の気持ちをもって味わわなければ――そう新酒の話だった。
 江戸時代には年五回の酒の仕込みがあったのだそうだ。新酒・間酒・寒前酒・寒酒・春酒とあって、そのうち寒仕込みのお酒がいちばん出来がいいので、時代がくだって寒仕込みが主流となったとのこと。
 もはや説明するまでもないよね。酒蔵が古い伝統にしたがって新酒を仕込むと十一月が季節になって、酒好きが寒酒の初ものを楽しむと二月が季節になるわけだ。その意味では正解はやはり十一月ということになる。
 今や古酒と呼ばれるものもあって、ワインに似た味わいのものもある。ただそれ以前に冷蔵庫がなければ、仕込んだお酒は早々に飲みきらないといけない。そもそも「新酒」を飲んできたというべきかも知れない。

winter view (ii)
graphics : 冬の情景 (i), (ii), (iii)


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