年が明けて半月ほどが経った。年が変わって世紀が変わって、新しい千年紀もはじまった。そうか、ほんとうに二十一世紀になったんだなあ、と思うと不思議な気がする。
そう、不思議なくらい変わり映えがない。どちらかというと、世紀が去りゆくことのほうがいろいろと感慨深くあったように思う。
二十一世紀になったからといって、何か画期的な道具が手に入ったわけでもなく、自分を取り巻く状況が根本的に変化したわけでもない。去年と同じようにあたふたと不器用に新世紀の百年という長い道のりを歩きはじめただけのことだ。
世紀の初頭、百年を見据えてやらなければならないことは何か。この容易でない課題に応えなければいけない。変化はやってくるものでなく自分でつくるものなのかも知れない。少し重いだろうか。
さて、変わり映えがしない、これはこれで重要なことだと思う。もしかすると、年を重ねて思えるようになってきたというべきかも知れない。前連載ではお正月番組の変わり映えのなさをだいぶ批判的に書いていたと記憶している。で、今回はおせち料理。そこに意義があると思えるのだ。
おせち料理ということばは本来、お節句に用意されて食べられる料理のことで、正月にかぎったものではないのだそうだ。これを書くために辞書を引いてはじめて知った。とはいえ、現在では「おせち」といえば正月に向けて準備され、新年を祝って食べられる料理のことにほかならない。
だいたい節句を祝うということが意識されなくなっている。桃の節句、端午の節句しか思いつかない。みなさんもそうではないだろうか。五節句を全部あげられる方、ごめんなさい。でもいないでしょ?――と決めつけたりして。
不思議に思うのは、重箱にかまぼこ、伊達巻などを詰めて「おせち料理」とする風習がいつごろからはじまったのか、ということ。現在、かなり画一化された「おせち」のイメージが頑として存在するように感じる。
地方により産物も違うわけだから。もっともっと変化に富んだ「地方おせち重」があったもよいと思う。それともこれは、東京と川ひとつ隔てただけの川崎に生まれて、正月に帰郷する習慣のない家に育ったためなのだろうか。それでも重箱ではない地方独特のお正月料理というのがあるには違いとは思えるのだけど、こと重箱に関する統一性は不思議ではないだろうか。
一方で各地の違いがよく話題になるのはお雑煮のほうだろう。おもちを野菜などと煮て汁といっしょに食べるという風習、それは日本全国に存在して、だからこそ違いに注意が払われたのかも知れない。
東では四角い切りもち、西では丸もちが多いらしい。汁はしょうゆ仕立て、味噌仕立て、お澄ましなどが東西によらず分布しているそうだ。関東はしょうゆ仕立てが多いと聞くけれども、母親がうちでつくるのはお澄ましである。切りもちにほうれん草、鳥肉、なると巻、具は以上、ちなみに母は東京生まれの山梨育ち。この、イモだのなんだのがない、単純であっさりさっぱりしたお雑煮が結構好きだし、自分の味の好みの基本型を成しているような気さえする。変わり映えがしないほうがよいものなのだ。
世紀があらたまって、今はまだ実感されていない二十世紀との違いはいずれ明らかになってくる。よい相違もあり、あまりよくない変化も避けられず起こってくるはずである。そうしたなかでひとりひとりが実感できる変わらないもの、一年一年があらたまるたび確認できる変わらないものは、百年という長さを乗り切るにはむしろ必要なものだと思う。
百年を生きないにしても、見通さなくてはこの時代に巡りあわせた意味が半減する。
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