とあることを調べようと思って、今年の理科年表を持っていないことに思い当たった。
職業柄、あるいは趣味の関係で毎年、理科年表を購入するというひともいるだろう。一冊の情報の密度という点では決して高いものではないのだけれど、やはりそこまではしていない。なので結局、時たま今年の理科年表がほしいと思うことになる。 これを読んでくださる方のなかには「理科年表ってなに?」という方もあると思う。歴史でいう年表しかイメージできないとますます正体不明の代物だろう。年表というより便覧といったほうが実態に近い。年刊自然科学便覧なのだ。もうすぐ二〇〇一年版が発売されるわけで、今さら買うのもどうかという時期である(まだ店頭に今年版はあるのだろうか)。 さて、今年の理科年表で調べたかったというのは、もちろん今回のテーマに関連している。二〇〇〇年九月二三日の日の出と日没の時刻が知りたかったのだ。ご承知のとおり、秋分の日は昼と夜の長さが同じであるとよく云われる。 秋を分けると書いて、二十四節気のひとつ、暑さ寒さも彼岸まで、そして昼と夜の長さが同じ。秋分の日とはそういう日といわれる。実は昼夜の時間が必ずしも同じといえないと聞いたことがあって、それを確かめつつ今回の話題にしようと思った。そして今回確認できたのは「かなりちがうじゃん」ということなのだ。 まず、以前に聞いた話。日の出というのは水平線に太陽がわずかに姿をあらわした時刻。日没というのは水平線下に姿を消した時刻。つまりそれぞれの時刻の太陽の位置関係は一八〇度になっていない。ちょうど太陽の大きさ分だけずれている。――このずれがどれくらいかを確かめるつもりが、思いのほか大きなずれを発見する結果となった。 手もとで調べることのできた最新の理科年表は一九九八年版(今年でなければもういつでも大差はないんだけど)。それによると二年前の秋分の日、今年と同じく九月二三日東京の日の出は五時二九分、日没一七時三七分で、昼の時間は十二時間八分ということになる(当然ながら場所により年により時刻は異なる)。 この時期、太陽の見かけの大きさは視野に占める角度で約三十二分(六十分で一度)、年間最大と最小で四パーセント程度の変化になる。満月がほぼ同じ大きさであることは意外だが機械的測定ではそうなる。一日二十四時間で一回転三百六十度だから、三十二分動くのに百二十八秒、二分強を要することになる。 つまり秋分の日が昼夜きっちり十二時間ずつだったとして、日の出と日没の太陽の位置分だけ時刻がずれたとしても十二時間二分でなければならない。八分は大きい。 それでは十二時間に区切られるのはいつごろか。昼の時間はおよそ二分ずつ短くなっているので、四日後の九月二七日が当たることになる。位置関係一八〇度にこだわれば二六日というところだろう。 このようなことは専門知識のある方にとっては当然の事実で、わざわざ計算しなくても(都合三年分)本を調べるか、インターネットの検索でも見つけることができたかも知れない。それでも「あ、今年の理科年表ないや」と残念がったり、表計算ソフトに数値を打ち込んで計算しているのが楽しい自分がいる(帰宅途中の電車でね)。知識としても些細なものだけれども、自分で確かめていくこと――気分的にはそれが“発見”でうれしい。 理科系、文科系という区分に問題を感じないわけではない。それでもこうした楽しみは明らかに理系的な楽しみであると思う。 この話題、少し季節感が不足気味だったかな。理系で硬かった(堅いでなく)かな。でも、こうしたことも秋の夜長の過ごし方かも。学問の秋だしね。それでは、また来月。 |