「ある群像」 −好善社100年の歩みー




 『ある群像‐好善社100年の歩み』は、1978年5月20日刊行された。今からほぼ28年前のことである。当時と今では、ハンセン病の問題状況が、大きく変化している。1996年の「らい予防法」の廃止、2001年の「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟の原告勝訴等によって、大きく変わり、その後、「ハンセン病問題に関する検証会議」が精力的に問題点を検証し、その報告書もすでに出されている。もっとも、ハンセン病、あるいはハンセン病患者に対する偏見と差別の本質的なところは、あまり変わってはいない。それは、2003年に起こった熊本黒川温泉旅館の入所者宿泊拒否の事件等を見れば明らかである。こうした変化と不変化の状況とを踏まえて、また、好善社が検証会議から問われた、特に日本におけるハンセン病施策上で好善社が果した役割の問題点を踏まえて、好善社128年の歴史を見るとどのように見えるか。その意味で、次の歴史編纂を始めようとしている今、この『ある群像‐好善社100年の歩み』を改めて読み返す時期であろう。 (文責:編纂委員・社員 棟居 洋)


 好善社は1894年10月に、東京の目黒に私立病院「慰廃園」を開設し1942年の解散まで48年間、ハンセン病患者が安心して療養できる場所を提供してきた。『ある群像・好善社100年の歩み』では、その実態について十分な調査に基づいた記録を残すことができなかった。近代日本のハンセン病の歴史を知る上で、私立病院「慰廃園」の実態を描き出すことも一つの仕事であると思っている。
 次に、第2次世界大戦後、好善社は国立療養所と関わり、中でも療養所教会(キリスト教)に関わってきた歩みについてももう一度、整理をしてみたい。例えば学生・社会人によるワークキャンプの実施は、多くの若者にハンセン病療養所に足を踏み入れるチャンスを提供し、様々な影響を与えた。その働きについて記述する必要がある。そして、次の歴史編纂においては、ハンセン病を背負って生きた人々の「いのちの証」を彼らに関わったものとして、傍証することができればと願っている。 (文責:編纂委員・理事 長尾文雄)



目次
序章 和解を求めて
第一章 遣わされたミス・ヤングマン
第二章 らい患者との出会い
第三章 苦難の慰廃園
第四章 混乱をこえて
第五章 新しい備え 
第六章 関係の回復をめざして 
終章  これからの歩み
あとがき・引用 参考文献
年表
グラビア

本書に関するすべての著作権は、社団法人好善社に帰属し、
著作権法、その他の法律及び国際条約により保護されています。

   
: 第六章 「関係の回復をめざして」257頁の記述に誤りがありました。
   下記の通り修正致します。

誤 : 昭和四十九年三月十日発行
正 : 昭和三十九年三月十日発行



「あとがき」中の「らい」の呼称についての記述部分(307、308頁)について


 これは、『ある群像‐好善社100年の歩み』が出版された、1978年時における私たちの認識であり、信念であった。それはある意味では今日も変わらない私たちの考え方である。つまり呼称を変えても問題は解決しない、むしろ同じ呼称で正しい理解を求めるほうが正しい、ということである。英語ではハンセン病はleprosyである。かつて国際ハンセン病学会でHansen’s disease という呼称が南米の学者たちから提案されたが、学会はleprosyを継続して使用することを選んだという経緯を聞いている。同じ考え方である。
 ただ、1970年代に入って入所者から「私たちはどうしてもハンセン病と言ってほしいんだ」という告発とも言えるような非常に強い訴えを聞かされた。その時私たちは初めて、その心中の深い思いを汲まなければならないと思い至ったのである。それ以降当社は、公の文書、出版物においては「ハンセン病」とすることにしたのである。初めのうちは、「ハンセン病(らい)」などとしていた。しばらくして、単純に「ハンセン病」と書くようになった。
 1996年「らい予防法」が廃止され、廃止に伴い、わが国においては法律用語をはじめ、すべて「ハンセン病」と表記されることになった。
 当社は、以上記した当社の変化、変更をその都度公にするようなことはしなかった。従って、いつからそのように変更したのかと問われるとあまり明確ではない。これにより、ある時点で、会議の決定に基づいて「ハンセン病」に切り替えたということでないと言わざるを得ない。出版物に当たってみると、1979年頃から当社としては「らい」を「ハンセン病」としたことが分かる。
 「らい」を「ハンセン病」にという長年に亘る全国ハンセン病患者協議会(全患協)[注:現・全国ハンセン病入所者協議会(全療協)]の訴えの背景には、「らい予防法」とそれに基づく国の苛酷な隔離政策の歴史がある。従って、その訴えには、人権闘争としての「患者運動」を通じてその忌まわしい過去からの解放を闘い続けてきた患者・元患者の心の叫びが込められていたのである。1996年「予防法」が廃止され、続いて提起された「『らい予防法』違憲国家賠償請求訴訟」とその勝訴判決に基づく「ハンセン病問題に関する検証会議」の検証作業(報告書)により、国、医療界のみならず、社会のあらゆる領域でどれほど患者の人権が損なわれ、苦しみを強いてきたかが明らかにされた。その観点に立つ時に、当社もその主張は正しくあったとしても、患者・元患者の「人間」を受け止めることにおいて大きく欠けていたことを正直認めなければならない。従って、今は、呼称は「ハンセン病」とし、その正しい理解の啓発に努めるとともに、その生涯を療養所の中で終わる他ない元患者の方々の残された人生に、可能な限り同伴させていただきたい、というのが当社の願いであり、当社創立の精神、また私立病院「慰廃園」開設時の精神に適うところであると考える。
 以上の経緯を踏まえ私たちは、現時点に立っての当社歴史の再検証を、改めてしなければならないと考えている。 (文責:好善社理事長 棟居 勇)