ハンセン病を正しく理解する講演会 
2009 
関東の部
6月20日(土) 日本キリスト教団 柿ノ木坂教会


第一部
現地活動報告 : 「今わたしがしていること」 
好善社タイ国派遣看護師 阿部 春代


第二部
講演 : 「ハンセン病とわたし」
− どうしてハンセン病療養所で働くようになったか 
そして今後私の危惧する問題 −
新生病院名誉院長・整形外科医長 橋爪 長三氏




 
 真夏日となった6月20日、柿ノ木坂教会にて「ハンセン病を正しく理解する講演会・関東の部」が開催されました。[日本基督教団]南支区社会部の協賛を得て、当日は70名余りのお客様をお迎えいたしました。
 最初に、タイ国に派遣されて今年19年となる阿部春代看護師(好善社社員)が、「今、私がしていること」として、現地での活動報告を行いました。日本から薬や包帯を持って看護師がやってくると思っていたタイ国の患者さんたちの足を洗い、「自分の足は自分で守る」ことを根気よく説明し続けてきた阿部さんの横に、今では共に患者さんの足を洗うタイの若い作業療法士がいること、ラオスにも活動の場を広げつつあることなど、長年の働きが確実にタイ国に根を下ろしていることが伝わってきました。
 続いて、新生病院名誉院長・整形外科医 橋爪長三先生の講演「ハンセン病とわたし―どうしてハンセン病療養所で働くようになったか―」。80歳の今も多忙な医師である橋爪先生は、昭和37年から、岡山県の長島愛生園にて12年間勤務され、十数年前からはアジアのハンセン病治療にも関わっていらっしゃいます。
敗戦で生きる意味を見失っていたときにキリスト教と出会い、ハンセン病の人々のために働くことを選んだといいます。昭和30年代の療養所は、倉庫のような建物、裸電球の下にベッドが並ぶような住環境、入所者1600人のうち、切らなくてもよい足を切断した方が200人近くもいるような医療環境。結核のような感染力の強い病気が差別されず、感染力の弱いハンセン病で根強い差別が今も続いているのは、後遺症としての皮膚症状や身体の変形が大きく関わっています。しかし、橋爪先生は、人間の本質は外見にあるのではなく、精神的人格にあることを、療養所で出会った人々から学んだといいます。
 医師ならではの病気の解説を交えた講演の最後に、らい菌が陰性となってもなお人権が抑圧された(子供を持つことが許されなかった)人々の側に立ち続けてこられた橋爪先生は、「私たちが今なすことは何か」と問いかけられました。「らい予防法」の廃止だけでは、ハンセン病を患った方々の名誉回復には至らない、正しい知識を持つだけではなく、悲しみの歴史を知って、いわれなき差別について共に考えていかなくてはいけないと語られました。(報告:好善社賛助会員 岡本緒里)














ハンセン病を正しく理解する講演会 
2009 
関西の部
6月27日(土) 日本キリスト教会 西宮中央教会


講演 : 「ハンセン病100年の道程」

国立療養所邑久光明園前園長 牧野 正直氏



 
 今年は、明治42(1909)年にハンセン病患者の強制隔離がはじまってから丁度100年目に当たります。同時に大阪に外島保養園(室戸台風のため壊滅的被害を受け長島に移転、現在の光明園)ができてから100年でもあります。100年の歴史を振り返りながら、先生ご自身が若き日をどう過ごされ、それがやがて、細菌学の研究者からハンセン病を診る医者となり、やがて光明園園長に迎えられ、折も折、らい予防法廃止のため先頭に立って尽力されることになったかを具体的に話されました。全国園長会議や、国賠訴訟の法廷で目撃されたこと、官僚の責任をとらない巧妙さなどについての、歯に衣きせぬ語り口には、思わず引き込まれてしまいました。全く相手にされなかった地域の人たちにしつこく働きかけ、少しずつ理解を得、小学生が園に来て劇を見せてくれたり、毎年春の遠足には、園の桜を見に来るようになるまでの苦労話も聞くことができました。これからも続く課題として、「交流」、「検証」、「提案」をあげられ、老齢化と共に認知症の人が増えている療養所の現状を思うと、急いで療養所を訪問し、入所者の生の声を聞いてほしい、60年以上を島に閉じ込められていたという事実が、どんなことかを考えてほしいと訴えられました。日本のハンセン病の歴史を風化させないために「ハンセン病市民学会」のような、広い裾野を持つ団体が大切になるとのことで、来年岡山で開催される同学会の責任を負っておられる先生のハンセン病に対する情熱には、ますます熱いものを感じました。(報告:好善社社員 橘俟子)