ハンセン病を正しく理解する講演会 
2010 
関東の部
6月19日(土) 日本キリスト教団 新栄教会


講演 : 「わたしの歩んできた道」
−これからの課題にも触れて−


 国立療養所多磨全生園入所者
全療協・事務局長


藤崎 陸安(みちやす)さん




 
 講演は、自らの生い立ち、幼い時の発病、松丘保養園への入所、聖公会の教会で受洗、成人してから自治会活動に加わるようになった経緯から始まった。続いて、現在直面している課題について以下のように語られた。1996年の「らい予防法」廃止、2001年の国家賠償請求訴訟で原告側勝訴の判決、国による謝罪と賠償金・補償金の支払いにより、元患者・回復者の社会的復権が一応果され、さらにその後、元患者・回復者の医療と生活を十分保障するために2008年「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」の制定がなされ、この法律に基づいた療養所の「将来構想」の検討が各療養所で行なわれている。しかし、これでハンセン病問題は終わったとするのは、大きな間違いである。現在次のような問題がある。
1. 療養所の将来構想を、地方自治体や地域住民、弁護士などの協力を得ながら、検討する中で、様々な案が出されてはいる。例えば、医療機関としての療養所を地域に開放し、一般社会の人々も利用できるようにする。また、療養所の中に老人ホームや保育園などを設け、一般の人々の利用に供し、療養所入所者と一般社会の人々との交流を図るなど。しかし、話はそう簡単にいかないのが実情である。例えば、多磨全生園の場合で言えば、保育園を療養所内に設けられないか、東村山市から打診があり、検討したが、国有財産としての療養所敷地に民間の保育園を建てるためには、2000uの土地が必要として、その借地料は年間300万円となる。そうした高額な地代を支払って保育園を建てる人がいるであろうかという問題がある。また、療養所固有の問題として、現在入所者の平均年齢が81〜82歳となっている中で、特に高齢の不自由者の介護をする介護員(60%が非正規職員)が大きな働きを担っているが、彼ら非正規職員の雇用年限が人事院によって3年とされようとしているという問題がある。高齢者に対しきめの細かい介護をするには介護員が彼らとの長い付き合いを必要とするので、3年という年限は短すぎる。こうした問題点を何とか解決できないかと国に持ちかけても、国は動いてくれない。そもそも現在の国は、「立ち枯れ政策」と言われるように、入所者数が年々減少し、やがてゼロになるのを待っているという姿勢をとっているように思われる。
2. さらに、ハンセン病に対する偏見・差別が依然として根強く残っている。自分自身も実の父親の葬儀に出させてもらえず、葬儀場の近くまで行って、外から手を合わせて帰って来た。周囲の者の偏見・差別の目に親類縁者が曝されるという理由からであった。入所者が亡くなると、療養所内の納骨堂(墓ではない)に骨は納められる。故郷の家の墓には入れてもらえないからである。また、親戚の結婚話の際に、身内に入所者がいることが分かると、破談になることは、今でも起こっている。入所者が旅館から宿泊を断られた事件は、ついこの間起こったことである。もちろん、入所者自身が自己偏見を持っていた、つまり一般社会と同じ偏見に囚われていたこともあるので、そこから解放されなければならないという問題もある。
3. 国の強制隔離政策のもと、様々な人権侵害が行なわれたが、そうした国の政策に加担した、あるいはそれを見過ごしにした責任の問題がある。医療関係者の責任、法曹関係者の責任もあるが、なかでも一般社会の啓発という意味で、マスコミの責任は重い。マスコミは、これらの問題を正しく伝えてこなかった。また、何かセンセーショナルなことが起こるとその時は報道するが、事が治まると、まったく報道しなくなる。
 明確で分かりやすく、力強い講演は、多くの聴衆の心を打った。天候にも恵まれ、出席者は61名、特に協賛の南支区諸教会からの出席者は29名であった。(報告/好善社社員・棟居洋)













ハンセン病を正しく理解する講演会 
2010 
関西の部
6月26日(土) 日本キリスト教会 西宮中央教会


講演 : 「人間回復の瞬間」
- 差別・偏見のない社会を願って -



国立療養所星塚敬愛園入所者
国家賠償請求訴訟第一次原告
NPO法人「ハンセン病問題の全面解決をめざしてともに歩む会」副理事長


講師:上野 正子さん



 
 朝からの強い雨で参加者の出足が心配されたが、80人の参加者があり盛会だった。講師の上野正子さんも大雨の鹿児島から無事到着されて、素晴らしい講演をしてくださった。上野さんは沖縄県石垣島八重山諸島(現・石垣市)生まれの83歳。1940年、高等女学校入学後にハンセン病を発病、13歳で鹿児島県鹿屋市にある国立療養所「星塚敬愛園」に入所され、在園70年になる。
1998年7月、「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」第一次原告(熊本地裁)13人の一人として立ち上がり闘ってこられた。2001年5月11日、同国賠訴訟原告全面勝訴判決により、念願の「人間回復」を闘い取られた。その波瀾に満ちたご経験を中心に、予定の60分ぴったりの講演。自称「語り部」「話の出前人」として精力的に啓発活動をしておられるだけあって、聴衆の心に響く内容であった。伺った参加者の感想にその臨場感が伝わってくる。「とてもよくわかる講演で、赤裸々なお話で感動した」「描写がとても細かく、本当にその情景が鮮明に浮かんできた」「83歳というご高齢にも拘わらず、しっかりと信念と行動力、才能に恵まれておられることに感動した」「お話が具体的で、瞬間瞬間(ときどき)の情景が語られ、感動した」「苦しい思いを、とても柔らかい表情で話して下さった」「柔和で穏やかな雰囲気をまといながらも、凛としておもねず信念を持って生き抜いてきた人の力強さと思いやりを感じました」「小柄なお姿で、確かな声で話されたのに感銘を受けた」。とりわけ、上野さんが原告として闘っているとき、身近な園内で冷やかな反対を受け、いじめられたご経験を告白されたことに対して、聴衆の驚きが強かった。83歳の高齢で小さなお身体の上野さんの「正子の名前のごとく、正義を貫いて生き抜く決意」を示されたその勇気ある熱い姿勢に、参加者は圧倒されたのではないか。講演後の質問も、率直で積極的な発言が相次いだ。
 参加者は、大学生たち、社会復帰されているハンセン病回復者、好善社の元キャンパー、新聞記者、毎年参加しているレギュラーたち、特筆すべきタイからの参加者、学校や教会関係者など、若い人たちとバラエティーに富んでいた。講演後に有志40人余りが参加した懇談会は、上野さんがお土産に持参された「サーターアンダーギー」(沖縄名物のメリケン粉と卵だけで作ったてんぷらお菓子?)を頂きながら盛り上がった。上野さんには独特のユーモアがあって、とても親しみがあるとの感想が多かった。会のすべては、予定の午後5時に終了した。(報告/好善社理事・川崎正明)