ハンセン病を正しく理解する講演会 
2011 
関東の部
6月25日(土) 日本キリスト教団 新栄教会

講演 : 「ハンセン病と私たちの責任」

 ハンセン病国家賠償請求訴訟
西日本弁護団代表

徳田 靖之さん



 
 講演は、講師の生い立ちから始められた。2歳の時父親を結核で亡くし、その後母親が心を患ったため、祖父母に育てられて育った、というご自身の困難な境遇。そして、弁護士として国家賠償訴訟に関わって行った次第を話された。終始真摯な語り口で語られた講演に、会衆の心は引きつけられた。
 1995年(平成7)、当時鹿児島の星塚敬愛園に在園していた島比呂志氏から九州弁護士連合会に、「らい予防法に関し、それを廃止する方向に社会全体は向かっているのに、人権に最も深い関わりを持つはずの弁護士会は何もしないで沈黙を守っている。それでいいのか」と記した手紙が寄せられ、全身を鞭打たれた思いがした。「ベン・ハー」や「砂の器」でハンセン病のことは知っていたが、何もしてこなかった自分に気づかされ、自分に厭らしさを感じた。 その後ハンセン病のシンポジウムがあった時、入所者から「らい予防法は憲法違反ではないか」と訴えられ、逃げて帰りたい思いであったが、逃げたら一生悔いが残ると思い、謝ろうと思って星塚敬愛園に出かけて行った。ところが、上野正子さんらに温かく迎えられ、鎧を着て出かけたのに、その鎧が解ける思いだった。
このような経緯で始まった「ハンセン病国家賠償請求訴訟」であり、講師は西日本弁護団代表として国賠訴訟で活躍された。
 講師はこの講演で、裁判では裁かれなかったものの、結果として「らい予防法」を支持し、温存してきたのは「国民」であったと指摘された。とりわけ1930年〜1950年頃に国家が主導した「無らい県運動」はその一つで、“容疑者を見つける”という言葉で人々は患者を探し出すことに必死になった。このことが、偏見や差別を助長したという徳田氏の言葉にハッとさせられた。
 今、東日本大震災の被災地はもとより、日本中が震災の復旧・復興、福島原発事故の収拾・収束に思いと力を注いでいるが、反面、風評被害等で苦しんでいる人々が大勢いることも、映像や新聞が知らせてくれる。自分のところが平穏であればそれを壊したくないし、その平穏の中で他の人々、他の土地のことが見えにくくなる。法律や政府・自治体の政策等にある落とし穴に気づくのは容易ではないが、ニュースや新聞に一層関心を持ち、偏見・差別を生み出さない、「市民(私たち)の責任」を改めて思わせられた講演であった。
 来年「ハンセン病市民学会」が青森で開催されるので、国賠訴訟弁護団代表の徳田靖之氏の講演をぜひ聴きたいと青森から駆け付けて参加した。講演会の出席者は43人と例年より少なく残念だったが、「ハンセン病と私たちの責任」という講演をこころを傾けて聴くことができた。

(報告/好善社社員・木村幸子)













ハンセン病を正しく理解する講演会 
2011 
関西の部
7月2日(土) 日本キリスト教会 西宮中央教会

講演 : 「私の生きる道」
- ハンセン病回復者として -

沖縄県宮古市在住社会復帰者
宮古市ハンセン病退所者代表

講師:知念 正勝さん


 
 今年の講師は、沖縄県宮古島で社会復帰者として歩んでいらっしゃる知念正勝さんでした。好善社が社会復帰された方を講師として招くことは初めてのことであり、わたしたちは今にいたるまで根強く残る差別や偏見の事実を学ばせていただき、改めて自らの罪深さを再確認させられた気がしました。
 沖縄県の離島・水納島(みんなしま)でお生まれになった知念さんの発病から宮古南静園入所までの葛藤と戦い、さらに入所後の結婚、お子様の誕生を経てその中で問われた断種問題、そして退所し社会復帰へと続く知念さんの歩みの跡を、わたしたちは圧倒される思いで伺いました。
 社会復帰に関するお話が印象的でした。水納島に帰ったとき、どこかの家においてある水瓶から水を飲ませてもらおうとしたけれど、どうしても飲めなかったと話されました。誰かが見ているわけでもないし、飲んだからといって何かあるわけではないのに、何度も行ったり来たりして結局飲めなかったということでした。講演会の後の茶話会で、社会復帰された方のうち、自分がハンセン病だったことを明らかにしている人はまだまだ少ないと話されました。今も社会の中には大きな壁があり、そのことが社会復帰なさった方々の心の中にも壁を作っているのではないかと感じさせられ、心沈む思いとなりました。
しかし、知念さんは「私は希望を持っています」とおっしゃいました。ご自分の経験として、仕事現場で皆がまわし飲みにしていた水をどうしても飲めなかったけれど、そこにいた人が「飲め」といって柄杓を差し出してくれたことで水が飲めたこと、理髪店に入り大汗をかきながら髪を切ってもらったことをお話しになり、自分自身との戦いはあるけれど、何かきっかけがあればそれは越えられると語られました。
 ハンセン病回復者として、「宮古市退所者の会代表」など、今も様々なことに取り組まれる姿勢は、使命と誇りを感じさせてくださるものでした。誠実で正直なお話を通して、改めて励ましと勇気を与えられた思いでした。
 講演会は盛会で参加者は77人、大学生から高齢者までの熱心な聴衆が講師の話に耳を傾けていました。

(報告/好善社社員・藤田裕香子)